オリヴィエ・ペシュー(Olivier Pescheux)──香りに物語を、まとう人に心地よさを

オリヴィエ・ペシューのスケッチと代表作品を掲載した調香師名鑑のサムネイル 調香師名鑑

「香水に物語を語らせたい。でも何よりも、身につける人を心地よくしたいのです。」

オリヴィエ・ペシュー、ヴィクトリア・フロロヴァが紹介した生前の発言、ボワ・ドゥ・ジャスマン、2023年

1966年、フランス・パリ生まれ。2023年7月10日、パリにて逝去。57歳。

金塊のボトルで知られるワン ミリオン(1 Million)と、パリのジャズバーを描いたオルフェオン(Orphéon)。一見すると離れた世界にある香水ですが、どちらにもオリヴィエ・ペシューの仕事があります。

自分の名前でひとつの世界を押し通すより、ブランドの物語を聞き、その香りにしかない魅力をつくる。ペシューが好んだ「職人」という言葉には、そんな姿勢が込められていました。

調香史

映画の中の調香師に憧れて

ペシューの香りの記憶は、子ども時代へつながっています。ディオール(Dior)のオー ソヴァージュ(Eau Sauvage)を初めて嗅いだ衝撃、パン屋の窯の匂い、祖父母の庭。香水だけではなく、暮らしの中の香りが、後年まで鮮明に残りました。

調香師という職業を知ったきっかけは、母と観た映画でした。イヴ・モンタン(Yves Montand)が孤島に暮らす調香師を演じた『ル・ソヴァージュ(Le Sauvage)』。1975年公開のこの作品で、試香紙を嗅ぎ、ティアレの花を扱う姿に惹かれたといいます。専門媒体には、調香師を志したのは12歳のころという本人の回想も掲載されています。

ただし、後に映画と実際の仕事が似ているかと尋ねられると、答えはユーモラスでした。

「私の仕事場は楽園の島ではありませんし、カトリーヌ・ドヌーヴが訪ねてこようとしたこともありません!」

オリヴィエ・ペシュー、ノーズ・パリのインタビュー

その一方で、映画が香りをつくる魔法のような面と、契約やお金の現実を並べて描いている点には、共感していました。憧れを職業にした人ならではの、少し醒めた温かさが感じられます。

バンコク、日本、そしてパリ

ヴェルサイユの香粧品・香料専門校イジプカ(ISIPCA)を卒業すると、1990年、ペシューはペイヤン・ベルトラン(Payan Bertrand)の仕事でバンコクへ向かいます。調香師としての出発点は、フランスではなくタイでした。

約1年半の滞在で記憶に残ったのは、ココナッツ、スパイス、米、ドリアン。路上の排気ガスも含め、街の香りを丸ごと覚えていました。きれいな香りだけを選び取るのではなく、食と暮らしが混ざる空気そのものに触れた時間だったのです。

1992年にパリへ戻り、アニック・グタール(Annick Goutal)に勤務。翌1993年には花王(Kao)へ移ります。日本の記憶として挙げるのは、京都の寺院や禅庭、玄米茶、あずきを使った菓子でした。ここでも食の記憶が多いことを、本人は楽しそうに認めています。

1998年、ジボダン(Givaudan)へ入社。クエスト・インターナショナル(Quest International)で働いた時期を挟み、2006年にジボダンへ復帰しました。この経歴は、同社が発表した公式の追悼文にも記されています。

パリで高級香水の仕事を学ぶうえでは、ジャン・アミック(Jean Amic)の存在も重要でした。アミックは香水事業の指導者として、多くの調香師や作品を支えた人物です。ペシューはそのもとで、一つずつ香りの面を磨くように経験を重ねていきます。

また、花王のジャン=ミッシェル・デュリエ(Jean-Michel Duriez)やアンリ・ソルサナ(Henri Sorsana)、ジボダンのジャン・ギシャール(Jean Guichard)らからも学んだと語っています。一人だけの師を挙げるのではなく、一緒に仕事をした人々がそれぞれ知識や助言をくれたと振り返るところに、彼らしさがあります。

職人に必要なのは、素材と人への敬意

好きな原料は、パチョリ、グリーンノート、柑橘、イランイラン、ローズ。ペシューは、それらを瓶の中だけで知ろうとはしませんでした。

イランイランを求めてコモロへ、柑橘のためにカラブリアやシチリアへ、オレンジの花を知るためにチュニジアへ。原料の産地を訪れ、栽培や収穫に関わる人の仕事を知ることも、調香の一部だったのです。

「この仕事に欠かせない栽培を守るために力を尽くしている、すべての人々に、深い敬意を持っています。」

オリヴィエ・ペシュー、ノーズ・パリのインタビュー

天然原料への敬意は、合成香料を避けるという意味ではありません。ペシューは新しい素材の可能性にも関心を持ち、天然と合成を組み合わせて、まだない香りの関係を探しました。原料の由来を知ることと、新しい技術を使うことは、矛盾していなかったのでしょう。

ワン ミリオン──三人でつくった、強い個性

2008年、パコ・ラバンヌ(Paco Rabanne、現ラバンヌ)からワン ミリオンが発売されます。クリストフ・レノー(Christophe Raynaud)、ミシェル・ジェラール(Michel Girard)との共同作です。

グレープフルーツやミントの明るさに、ローズ、シナモン、スパイス。さらにレザーや木のぬくもりが重なります。金塊を模したボトルとともに、遠慮のない華やかさを打ち出した香水でした。

この成功作を、ペシュー一人の功績として語ることはできません。複数の調香師とブランドの仕事が重なり、強い個性が形になっています。2025年には米国フレグランス・ファウンデーションのフレグランス殿堂に選出され、共同制作者の名とともに、その長く続く存在感が称えられました。これは香水作品の受賞であり、調香師個人の殿堂入りとは区別されます。

ディプティック──対話から生まれる、香りの意外性

ディプティック(Diptyque)との協働は、2008年のロー デ ゼスペリード(L’Eau des Hespérides)やロー ド ネロリ(L’Eau de Néroli)などへさかのぼります。店の空気を描くサン・ジェルマン34(34 Boulevard Saint Germain)、ヴェチヴェリオ(Vetyverio)、オー デ サンス(Eau des Sens)、フルール ドゥ ポー(Fleur de Peau)。ペシューは、ひとつの素材や場所から、異なる物語を生み出していきました。

「どの香水づくりも、共同創作の仕事です。」

オリヴィエ・ペシュー、エスエスアイ・ライフ、オルフェオンのインタビュー、2021年

調香師が提案した香りを、ブランドが自分たちのものとして受け取れるか。ディプティックとの仕事では、望みや着想を翻訳するために、絶え間ない対話が必要だと説明しています。

同社が大切にする、香りの中の予想外の出会いも、その対話から生まれます。単に奇抜であればよいのではありません。物語の中に意外な素材が入り、それまでの香りを別の見え方へ変えるのです。

オルフェオン──バーの夜を、香りの場面へ

ディプティック創立60周年の2021年に登場したオルフェオンは、最初の店舗に隣接していたバーの名前に由来します。1960年代のサン=ジェルマン。木に囲まれた室内、酒、タバコ、人々の香水が混ざる場所です。

ペシューには、もうひとつの着想がありました。マルセル・カミュ(Marcel Camus)監督の『黒いオルフェ(Orfeu Negro、1959年)』です。作品の音楽と映像が強く心に残り、今回の創作を支えたと語っています。少年時代に職業を教えてくれた映画は、大人になってからも香りの想像力を開いていたのです。

木の空間はシダー、ベチバー、パチョリで。タバコの鋭さはマスティックやガルバナムで。イランイラン、マグノリア、ローズは客のまとった香水を、ラズベリーとスミレは口紅を思わせます。トンカビーンとベンゾインの柔らかさには、温かい照明のイメージも重なります。

ジュニパーベリーは、バーで飲むジン&トニックへの目配せです。そして木を中心にした構成へ、ジャスミン・サンバックが思いがけない表情を加えました。個々の香りを忠実に写す以上に、それらが出会う場所の空気をつくろうとした作品です。

レジェンドとエクスプローラー──対比と旅の男性香水

モンブラン(Montblanc)のレジェンド(Legend、2011年)は、清潔感のあるラベンダーや柑橘と、木やトンカのぬくもりを組み合わせた男性香水です。ペシューは、柔らかさと力強さ、温かさと新鮮さという対比を意識していました。

果実の明るさや、ローズとリンゴを思わせるポマローザ(Pomarosa)などが、伝統的なフゼアの骨格に現代的な表情を与えます。後にレジェンド ナイト(Legend Night、2017年)などへ広がったシリーズの出発点です。

2019年のエクスプローラー(Explorer)は、アントワン・メゾンデュー(Antoine Maisondieu)、ジョルディ・フェルナンデス(Jordi Fernández)との共同作。旅を主題に、イタリアのベルガモット、ハイチのベチバー、インドネシアのパチョリという異なる産地を結びつけています。

メゾンデューがベルガモット、フェルナンデスがパチョリ、ペシューがベチバーに、それぞれの知識や経験を持ち寄りました。香料の産地を訪ね、そこで働く人への敬意を語った姿勢は、こうした制作の背景ともつながっています。

テンポ、オー キャピタル、そしてバニラ

ディプティックのテンポ(Tempo、2018年)は、ペシューが好んだパチョリを多面的に描いた作品です。インドネシア産の三つのパチョリ素材を組み合わせ、マテやスミレの葉で、土、木、スパイスを思わせる表情を引き出しています。1960年代の自由な空気を参照しながら、洗練された香水として仕上げました。

オー キャピタル(Eau Capitale)は、2019年末から2020年にかけて紹介された、ディプティック初のシプレです。パリの人に似合う、シックで官能的な香りが出発点でした。

ベルガモット、ラブダナム、パチョリ、苔のニュアンスというシプレの構造を意識しながら、過去の有名作をそのまま再現することは目指していません。ローズを中心に、ジボダンの香料アキガラウッド(Akigalawood)やジョージーウッド(Georgywood)、アンブロフィックス(Ambrofix)なども用い、古典的な形式に新しい表情を与えています。

同時期には、エッセンシャル パルファン(Essential Parfums)のディヴァイン ヴァニーユ(Divine Vanille、2019年)も手がけました。バニラを、甘さだけでなく、スパイスや肌のぬくもりとともに描いた香りです。作品ごとの表情が違っても、素材に物語を語らせる姿勢は変わりません。

今の仕事に、満足している

ペシューは2010年、国際フレグランス賞(Prix International du Parfum、旧フランソワ・コティ賞)を受賞。ジボダンではマスターパフューマーとして、多くの作品と後進の育成に携わりました。

しかし、その仕事にも難しさはあります。2020年のインタビューでは、品質や価格の条件を守りながら、ますます短い時間で香水をつくる圧力を挙げました。さらに、アメリカ、中国、ヨーロッパ、ラテンアメリカ、中東の人々へ、同時に届く香りが求められることも課題だと話しています。

独自ブランドを持ちたいかという問いには、香水をつくることとブランドを経営することは違うと答えました。

「私は今の仕事に、とても満足しています。不満もありません。」

オリヴィエ・ペシュー、フラグルームのインタビュー、2020年

2023年7月10日、長い闘病の末、ペシューはパリで亡くなります。ジボダンのグザヴィエ・ルナール(Xavier Renard)は、次のように振り返りました。

「オリヴィエは、自分を職人だと呼ぶことを好んでいました。そして、本当にそのとおりの人でした。」

グザヴィエ・ルナール、当時ジボダンのファインフレグランス部門グローバル責任者、同社の追悼文、2023年

同僚たちが惜しんだのは、作品をつくる才能だけではありません。親しみやすさ、寛大さ、若い調香師を育てようとする姿勢でした。香水に物語を持たせながら、最後にはまとう人の心地よさを考える。冒頭の言葉は、彼の作品と人柄の両方を伝えています。

調香作品

主要作品を年代順に掲載します。「—」は、この一覧で共同調香師を併記していないものです。

ブランド 作品名 共同調香師
1999 サルバドール・ダリ(Salvador Dalí) ダリフロール(Daliflor)
2000 グロリア・ヴァンダービルト(Gloria Vanderbilt) ヴァンダービルト フォー メン(Vanderbilt for Men) オリヴィエ・ギヨタン(Olivier Gillotin)
2001 ディオール ハイヤー(Higher、オードトワレ) オリヴィエ・ギヨタン
2001 アンディ・ウォーホル(Andy Warhol) マリリン ブルー(Marilyn Bleue)
2004 ナオミ・キャンベル(Naomi Campbell) サンセット(Sunset)
2005 ランバン(Lanvin) アルページュ プール オム(Arpège Pour Homme)
2005 イヴ・ロシェ(Yves Rocher) ヴォワル ダンブル(Voile d’Ambre)
2006 アザロ(Azzaro) ジェット ラグ(Jet Lag)
2007 アザロ クローム レジェンド(Chrome Legend) クリストフ・レノー
2007 イヴ・ロシェ アイリス ノワール(Iris Noir) ナタリー・グラシア=セット(Natalie Gracia-Cetto)
2008 パコ・ラバンヌ ワン ミリオン クリストフ・レノー、ミシェル・ジェラール
2008 ディプティック ロー ド ロー(L’Eau de L’Eau)
2008 ディプティック ロー ド ネロリ/ロー デ ゼスペリード
2009 コム デ ギャルソン(Comme des Garçons)/アルテック(Artek) スタンダード(Standard)
2009 ディプティック ロー ド タロッコ(L’Eau de Tarocco)
2010 アディダス(Adidas) フレッシュ エスケープ(Fresh Escape)
2010 ディプティック ヴェチヴェリオ
2010 ランバン ジャンヌ ラ ローズ(Jeanne La Rose)
2011 ラコステ(Lacoste) オー ド ラコステ L.12.12 ブラン(Eau de Lacoste L.12.12 Blanc、オードトワレ)
2011 ディプティック サン・ジェルマン34 オードトワレ/オー パルティキュリエール(Eau Particulière)
2011 モンブラン レジェンド
2012 パルファム ドゥ マルリー(Parfums de Marly) ヘロデ(Herod)
2012 ベネトン(Benetton) レッツ ムーヴ(Let’s Move)
2013 ディプティック オー モエリ(Eau Mohéli)/ロー デュ トラント キャトル(L’Eau du Trente-Quatre)
2013 ヨウジヤマモト(Yohji Yamamoto) ヨウジ センシズ(Yohji Senses)
2013 ジョルジオ アルマーニ(Giorgio Armani) アルマーニ プリヴェ ミルラ アンペリアル(Armani Privé Myrrhe Impériale)
2013 ジル サンダー(Jil Sander) ウルトラセンス(Ultrasense)
2014 エクス ニヒロ(Ex Nihilo) ローズ ユブリス(Rose Hubris)
2015 バルマン(Balmain) オム(Homme)
2015 ジル サンダー ストリクトリー ジル サンダー(Strictly Jil Sander) ソニア・コンスタン(Sonia Constant)
2015 アザロ プール オム インテンス(Pour Homme Intense)
2015 シスレー(Sisley) ソワール ドゥ オリエント(Soir d’Orient)
2015 キャロライナ ヘレラ(Carolina Herrera) バーニング ローズ(Burning Rose)
2015 イヴ・サンローラン(Yves Saint Laurent) クーロス シルバー(Kouros Silver) ミシェル・ジェラール
2015 ズラタン・イブラヒモヴィッチ(Zlatan Ibrahimović) プール オム(Pour Homme)
2016 ダビドフ(Davidoff) アンバー ブレンド(Amber Blend)
2016 ダビドフ ホライゾン(Horizon) ジャック・ユクリエ(Jacques Huclier)
2016 ディプティック オー デ サンス
2017 ダビドフ ホライゾン エクストリーム(Horizon Extreme) ジャック・ユクリエ
2017 モンブラン レジェンド ナイト アントワン・メゾンデュー
2017 ズラタン・イブラヒモヴィッチ ミス ウッド(Myth Wood)/ミス ブルーム(Myth Bloom)
2018 ディプティック テンポ/フルール ドゥ ポー/サン・ジェルマン34 オードパルファン
2018 ロベルト カヴァリ(Roberto Cavalli) プレシャス レザー(Precious Leather)
2018 ヴェルサーチェ(Versace) エロス フレイム(Eros Flame)
2018 エイチ・アンド・エム ビューティー(H&M Beauty) マカッサル パチョリ(Makassar Patchouli)/コモロ イラン(Comoro Ylang)
2019 エッセンシャル パルファン ディヴァイン ヴァニーユ
2019 モンブラン エクスプローラー アントワン・メゾンデュー、ジョルディ・フェルナンデス
2019年末〜2020 ディプティック オー キャピタル
2020 コーチ(Coach) コーチ ドリームス(Coach Dreams) アントワン・メゾンデュー、ナタリー・グラシア=セット、シャマラ・メゾンデュー(Shyamala Maisondieu)
2021 ディプティック オルフェオン

参考文献