ミュウミュウ(MIU MIU)― 反逆と優雅さの間で咲く、もう一つの自分

ミュウミュウの世界観と香水「Miutine Eau de Parfum 100ml」を表現したブランドイメージ ブランド創業者

「プラダとは、つまるところ私自身のこと。そしてミュウミュウは、私がなりたい姿だ。」

— ミウッチャ・プラダ、1997年

基本情報

設立年: 1993年(公式ローンチ。1992年を始まりとする紹介もある)
創設者: ミウッチャ・プラダ(Miuccia Prada)
本社所在地: パリ(フランス)
公式サイト: www.miumiu.com

創設者・ブランドの成り立ち

政治学者にして、マイムの学徒

ミウッチャ・プラダは1949年5月10日、イタリア・ミラノに生まれた。本名をマリア・ビアンキといい、プラダグループ創業者マリオ・プラダの末孫娘にあたる。家業はミラノ上流階級御用達の革製品・鞄の老舗であったが、若きミウッチャはファッション業界への参入を最後まで拒み続けた。

ミラノ大学で政治学を専攻した彼女は、在学中から筋金入りのフェミニストとして知られ、イタリア共産党に入党するほど政治活動に熱心だった。1978年に政治学の博士号を取得したのとほぼ同時期に、彼女はミラノの名門劇団ピッコロ・テアトロで5年間にわたりマイムを学んでもいた。身体の動き、沈黙の表現、そして「見せること」と「隠すこと」の緊張関係——後の彼女のデザイン哲学を形作る要素はここに宿っている。

当時の心境を、ミウッチャ本人は後年率直に語っている。

「私はファッションが嫌いだった。1960年代のフェミニストだった私にとって、ファッション業界に身を置くことは、考えうる最悪の選択だったのです。長年にわたって葛藤し続けた。ようやくそれが落ち着いたのは、ごく最近のことです。」

— ミウッチャ・プラダ、ニューズウィーク(Newsweek)のインタビューより

家業との邂逅、そしてパートナーとの出会い

1970年、彼女はプラダの家族経営する残り2店舗のうち1店の管理に加わることになる。1978年、母ルイザから家業の経営を引き継いだとき、プラダは創業以来縮小を続け、店舗はわずか1軒にまで減っていた。

この時期に彼女の人生と事業を大きく変える出会いが訪れる。見本市の場で、プラダの模倣品を製造・販売していた皮革製品メーカー、パトリッツィオ・ベルテッリと出会ったのである。皮肉にも、模倣品の完成度の高さに驚いたミウッチャが彼のもとを訪れたことが二人の関係の始まりとなり、その後ベルテッリはミウッチャのビジネスパートナーとなり、後に夫となった。

ミウッチャはベルテッリとともに、停滞していたプラダを動かした。軍用ナイロン生地を使った黒いバッグを発表したのは1985年のことで、これが世界的なヒットとなり、プラダを「贅沢な素材×ミニマルなデザイン」という新しいラグジュアリーの文法で語られるブランドへと変貌させていった。

ミュウミュウの誕生——プラダでは言えなかったことのために

1992年を始まりとする紹介もあるが、公式沿革での誕生は1993年。軌道に乗ったプラダを拠点にミウッチャが構想し、まったく新しいブランドとしてローンチした「ミュウミュウ(MIU MIU)」——その名前は彼女自身の幼少期の愛称に由来する。

最初のコレクションは、カウガールをテーマにしたフリンジスエードのジャケットとパッチワークのプレーリースカートからなるものだった。プラダが持つ精緻で知的なミニマリズムとは対照的に、ミュウミュウはより遊び心があり、挑発的で、青春の熱量を帯びていた。

のちの2023年、ミュウミュウ30周年のインタビューでミウッチャ・プラダはその意図をこう語っている。

「ミュウミュウでは、もっとラディカルに、もっとアバンギャルドに、もっと破壊的になれると思っていた。プラダでできなかったことは何でも、ミュウミュウでやりたかった。」

— ミウッチャ・プラダ、ダブリュー・マガジン(W Magazine)のインタビューより

彼女がミュウミュウの創作プロセスについて語った言葉も印象深い。

「ミュウミュウのクリエイティブ・プロセスはプラダとはまったく異なる。若々しさというよりも、即興的なのだ。プラダが洗練されて熟考されているのに対し、ミュウミュウはもっとナイーブ。解決策は、その瞬間にあるものを使いながら、すぐに、本能的に、自発的に来なければならない。3回考えたら、止まる。」

— ミウッチャ・プラダ

ミラノで始まったコレクションは2006年からパリへと舞台を移し、以降ミュウミュウはパリ・コレクションで存在感を示し続けている。

フレグランス事業への踏み出し

ファッション・バッグ・アクセサリーのみを展開していたミュウミュウが香水に踏み出したのは、ブランド誕生から20年以上が経った2013年のことだった。この年の10月、プラダグループはアメリカの美容大手コティ社(Coty Inc.)と、ミュウミュウブランド名のフレグランスを独占的に開発・製造・販売するためのライセンス契約を締結したと発表した。

プラダグループの最高経営責任者(CEO、当時)パトリッツィオ・ベルテッリは契約発表の場でこう述べている。

「コティ社との契約は、ミュウミュウの発展計画における大きな前進だ。コティ社のノウハウとミュウミュウの強いアイデンティティを組み合わせれば、必ずや世界的な成功を収めることができると確信している。」

— パトリッツィオ・ベルテッリ(プラダグループCEO)、2013年のプレスリリースより

そして2015年8月、ミュウミュウ初のフレグランスが世界の店頭に並ぶことになる。

ブランドのこだわり

翻訳者としての調香師——ダニエラ・アンドリエという存在

ミュウミュウのフレグランス(コティ時代)を一貫して手がけたのは、スイスの香料メーカー、ジボダン(Givaudan)に籍を置く調香師、ダニエラ・アンドリエである。ドイツのハイデルベルク出身で、パリのソルボンヌ大学で哲学を学んだ後に香水の世界へ入った彼女は、ブルガリ、ボッテガ・ヴェネタ、マルタン・マルジェラなど名だたるブランドの香水を手がけてきた。特にプラダグループとの関係は2003年頃から始まり、当時のミュウミュウとプラダのフレグランスの多くを担当するという、香水業界では珍しい準・専属的なパートナーシップを築いている。

アンドリエはファッションマガジンのインタビューでミウッチャ・プラダとの仕事についてこう語っている。

「ミウッチャ・プラダと仕事をするとき、そこには相互の共感と、とても静かな対応がある。何かが繋がっているのだ。」

— ダニエラ・アンドリエ

さらに彼女は、長年のコラボレーションが自分自身の調香師としての在り方を形作ってきたとも述べている。

「今日の私という調香師は、彼女のフェミニニティのビジョンによって大きく育てられてきた——それは現代と伝統の関係、brutal(ブルータル、荒々しい)とbeautiful(ビューティフル、美しい)、尊いものと脆いもの、醜いものとエレガントなもの——すべての矛盾をめぐるビジョンだ。」

— ダニエラ・アンドリエ

アンドリエは自身の仕事をこう定義する。「私の仕事は、翻訳者のようなものだと思っている。嗅覚という言語を使い、ブランドを理解し、それをにおいに翻訳するのだ。」

彼女はフランス文化省から「芸術文化勲章(オルドル・デ・ザール・エ・デ・レットル/Ordre des Arts et des Lettres)」を授与されており、慢性副鼻腔炎の経験を持ちながら卓越した嗅覚的創造性を発揮してきたという逸話でも知られる。

ボトル——マテラッセの記憶を香りに宿す

ミュウミュウのフレグランスボトルに一貫しているのは、ブランドのアイコン的なバッグ「マテラッセ(Matelassé)」のステッチ(キルティング)パターンの引用である。マテラッセとはキルティングのような菱形の縫い模様を指し、ミュウミュウのレザーバッグに象徴的なデザイン要素として用いられている。

初作(2015年)のボトルは不透明なブルーガラスにゴールドのロゴと赤いキャップという組み合わせで、「アンチピンク(反ピンク)」を意図したものだった。ファッション誌の取材でこのコンセプトが紹介されたように、ミュウミュウが描く女性像は、ピンクというステレオタイプな「少女らしさ」を脱した、もっと矛盾を内包した存在だ。

その後に続く各フレグランスも、マテラッセのガラステクスチャーを共通言語として持ちながら、色やキャップの素材を変えることでそれぞれの個性を表現している。ターコイズブルーのロー ブルー、ピンクがかったボトルのローゼ、栗色のミュティーヌ——ひとつひとつのボトルが、ミュウミュウというブランドの「その日の気分」を映し出すようでもある。

香りの哲学——スズランという原点と、意外性という武器

ミュウミュウのフレグランスを語るうえで欠かせない素材が、スズラン(リリー・オブ・ザ・バレー/Lily of the Valley、ムゲとも呼ばれる)である。清潔感と春の瑞々しさを体現するこの白い花は、ブランドの「フローラルなシグネチャー」として多くのラインに登場する。

だが、ミュウミュウのフレグランスがシンプルなフローラル香水として収まらないのは、スズランに対置される「意外性のある素材」の使い方にある。初作ではアキガラウッド(Akigalawood)という素材が使われた。これはジボダンが開発したパチョリ精油の分留成分からバイオテクノロジーを用いて作る香料で、パチョリに似たウッディな香りにペッパーのスパイシーさとウード(沈香)の気品を加えた、当時まだほとんど知られていなかった新素材だった。「フレッシュなフローラルが、次第に温かくウッディに変容していく」——アンドリエ自身がそう表現したように、その展開こそがミュウミュウの哲学を映している。

香水ラインナップ

ミュウミュウのフレグランスは大きく2つのフェーズに分かれる。2015年から2023年にかけてのコティ社ライセンス期と、2024年以降のロレアルグループのリュクス部門(L’Oréal Luxe)ライセンス期である。

コティ時代(2015〜2023年)

ミュウミュウ オー ドゥ パルファム(2015年)
ブランド初のフレグランス。スズランのアコードにジャスミン・ローズ・グリーンノートが加わったフローラルな幕開けから、アキガラウッドの大地っぽいウッディ&スパイシーな余韻へと移行する。調香師はダニエラ・アンドリエ。30ml・50ml・100mlのオードゥパルファム展開。なお、2025年にロレアル体制のもと「ミュウミュウ ロー ドゥ ミュゲ」として装いと名称を改めて展開された。

ミュウミュウ ロー ブルー(2016〜17年)
オリジナルの流れを汲みつつ、スミレの葉のアコードとホワイトムスクを加えた、より透明感・水っぽさを強調したバリエーション。ターコイズブルーの瓶が印象的。調香師はダニエラ・アンドリエ。

ミュウミュウ ローゼ(L’Eau Rosée、2018年)
ブラックカラントのトップノートにローズ・ペオニー・スズランが重なり、バニラ・サンダルウッド・ホワイトムスクがベースを作るフルーティ・フローラル。調香師はダニエラ・アンドリエとピエール・オーラス。

ミュウミュウ トゥイスト(Twist、2019年)
ベルガモット×アップルブロッサムの清涼な入り口から、ピンクアンバーという独自アコードとシダーウッドへ移行する。ミウッチャ・プラダとアンドリエの密接なコラボレーションを強調した発売で、キャンペーンはエル・ファニングが演じた。

ミュウミュウ フルール ドゥ レ(Fleur de Lait、2023年)
アジアのデザート「マンゴー・ポメロ・サゴ」からインスピレーションを得た限定フレグランス。マンゴー×オスマンサス×ココナッツミルクという組み合わせで、通常のスズランシグネチャーをオスマンサスに置き換えた意欲作。調香師はダニエラ・アンドリエ。

ロレアルグループ体制へ(2024年〜)

2024年2月、プラダグループとロレアルグループのリュクス部門(L’Oréal Luxe)はミュウミュウビューティの長期独占ライセンス契約を締結した。ロレアルはすでに2021年以降プラダのフレグランスライセンスを保有しており、ミュウミュウもこの傘下に加わる形となった。契約当時のミュウミュウCEO、ベネデッタ・ペトルッツォは「この新しい章がブランドの成長を支え、ミュウミュウのビューティにおける可能性を最大限に引き出すことになる」とコメントしている。

ミュウミュウ ロー ドゥ ミュゲ(L’Eau de Muguet、2025年)
ロレアル体制の最初のラインナップのひとつ。オリジナルの2015年作品を継承して2025年に展開されたもの。スズラン×グリーンノート×アキガラウッドの骨格を受け継ぎ、ブランドらしい瑞々しさとウッディな奥行きを伝えている。ブランドのシグネチャーであるアズールブルーのボトルに赤いキャップが印象的。調香師はダニエラ・アンドリエ。

ミュウミュウ ミュティーヌ(Miutine、2025年8月)
ロレアル体制における「新章」を象徴するフレグランス。「ミュティーヌ(Miutine)」という名はフランス語で「小さな反逆者」を意味する。調香師はドミニク・ロピオンで、長く中心を担ったアンドリエから、ロピオンへと創作の新たな可能性が広がった。

香りの核心は、シプレー(キプロス島を語源とする、シトラス×オークモス×ウッディを基調とする調香の伝統的なファミリー)の構造に、ワイルドストロベリー(マラ・デ・ボワ種)のジューシーなゴルマン(甘美なお菓子的)要素を大胆に組み合わせたもの。ロピオン自身はその発想をこう語っている。

「クラシックを起点に、驚くべき共鳴、いたずらな清涼感と豊かな官能性の調和でそれをひねった。」

— ドミニク・ロピオン(マスター・パルファムール)

キャンペーンはエマ・コリンが主演し、ヘイリー・ゲイツ監督のフィルムで展開された。ボトルは栗色(チェスナット)のマテラッセガラスにシーケン(スパンコール)型のキャップという設計で、ミュウミュウのデザインコードを現代的に更新している。

ちなみに…

「アンチピンク」の美学
初のフレグランス(2015年)のボトルカラーは不透明ブルーだった。これは意識的な選択だった。「アンチピンクとしてデザインした」という言葉が当時の取材で伝えられており、女性向け香水イコール「ピンク」という業界の慣習への静かな反抗を示している。これもまた、フェミニスト的な感性を持つミウッチャらしい選択と言えるかもしれない。

副鼻腔炎を抱えた調香師
長年ミュウミュウの香りを紡いできたダニエラ・アンドリエは、実は15歳頃から慢性副鼻腔炎に悩まされた経験を持つ。本人は後にアレルギーの治療を受けて症状が改善したと語っている。調香師への夢をその経験で諦めることなく、彼女は世界屈指の嗅覚的創造性を発揮してきた。これはミウッチャが語る「矛盾の中に美しさがある」という世界観と、どこか共鳴するエピソードではないだろうか。

ミウッチャの「三角形」
ミウッチャ・プラダは自身の仕事をこう描写したことがある。「私の仕事は、メンズ、ウィメンズ、そしてミュウミュウの間を流れている。まるで三角形のように。でも根本的には、男性をより感受性豊かに、女性をより強くしようとしている」。フレグランスという分野においても、ミュウミュウはこの「三角形のひとつの頂点」として、プラダの厳格さとは一線を画す実験の場であり続けている。

参考文献