ナルシソ・ロドリゲス(Narciso Rodriguez)—ムスクに宿る、女性への愛

ナルシソ・ロドリゲスの世界観と香水「for her eau de toilette」を表現したブランドイメージ ブランド創業者

「私は香水を作る際、タイムレスで、アディクティブで、この世に存在しない何かでなければならないと調香師たちに告げた」

— ナルシソ・ロドリゲス

基本情報

設立年(フレグランス): 2003年
創設者: ナルシソ・ヘスス・ロドリゲス3世(Narciso Jesus Rodriguez III)
公式サイト: narcisorodriguez.com
フレグランスパートナー: 資生堂 Beauté Prestige International(ボーテ・プレステージ・インターナショナル)

なお、創設者の名前「ナルシソ」(Narciso)の発音は「ナル-シー-ソ」(Nar-SEE-so)である。

創設者・ブランドの成り立ち

キューバの記憶とニュージャージーの少年

1961年1月27日、ナルシソ・ロドリゲスはニュージャージー州ニューアークで生まれた。両親はキューバ移民で、父ナルシソ・ロドリゲス・サンチェス2世は波止場の労働者(ロングショアマン)、母ラウェディア・マリア・ロドリゲスは専業主婦であった。祖父はカナリア諸島出身であり、ラテン系のルーツは複数の文化が交差していた。

幼少期を過ごしたニューアークは、キューバ系、イタリア系、スペイン系、プエルトリコ系、アフリカ系アメリカ人が混在する多文化の街だった。そのなかでロドリゲスは、家族の女性たちから繰り返しキューバの話を聞かされて育った。

「女性たちの話、彼女たちの人生、彼女たちのパワー、彼女たちの豊かさ——すべてが私に影響を与えた。彼女たちこそが、私が何かを作りたいと思った理由だ」

— ナルシソ・ロドリゲス

香水との最初の出会いも、その女性たちを通じてであった。彼の家族が時折語るのは、ハバナの老舗百貨店「エル・エンカント」に並ぶパリやミラノの高級フレグランスの話だった。実際には手の届かないものだったかもしれないが、その話を聞いた少年には夢のような響きがあった。

「子どもの頃、拡散器を香りで満たして、毎晩違う香りで眠ることが好きだった」

— ナルシソ・ロドリゲス

ファッションへの道も、幼い頃から確かに根を張っていた。しかし両親はその道に反対した。それでも彼は高校生のうちから地元のテーラーで見習い修業を始め、ニューヨークのパーソンズ・スクール・オブ・デザイン(Parsons School of Design)に進学する。ここで後に著名デザイナーとなるアイザック・ミズラヒと同期になった。もともと建築家になることも夢見ていた彼は、のちにボトルデザインや香りの構造にもその建築的センスを活かすことになる。

ファッション界での下積みと、運命のドレス

パーソンズを卒業した後、ロドリゲスはアン・クライン(ダナ・キャラン(Donna Karan)の下でウィメンズ・デザイン・ディレクターとして)、その後カルバン・クライン(Calvin Klein)でキャリアを積んだ。1995年頃には、ニューヨークのセイ(TSE)とパリのセルッティ・アルテ(Cerruti Arte)のデザイン・ディレクターを同時に務めるという異例の二足の草鞋を履いた。

この時代のセルッティで、彼の人生を変える出来事が訪れる。カルバン・クライン時代に広報担当(パブリシスト)だった同僚であり友人の、キャロリン・ベセット(Carolyn Bessette)——後のキャロリン・ベセット・ケネディ——から、ジョン・F・ケネディ・ジュニアとの結婚式のドレスを依頼されたのだ。

依頼の場面は意外なほどカジュアルなものだったと言われている。ニューヨーク・トライベッカのオデオン・レストランでドリンクを飲みながら、キャロリンはロドリゲスにウェディングドレスを頼んだ。当時のロドリゲスはまだほぼ無名の存在だった。

1996年の結婚式で公開されたドレスは、バイアスカット(斜め裁断)のシルクスリップ——当時主流だったボリューミーなウェディングドレスとはまったく対極の、ミニマルで体のラインに沿う一枚だった。世界的に注目を集め、ロドリゲスは一夜にしてファッション界の新星となった。

「最も印象的な個人的なイベントは、親友キャロリン・ベセット・ケネディの結婚式だ。彼女は私の人生で最も重要な人物であり、彼女のドレスをデザインし、彼女の人生のこんなにも幸せな瞬間に立ち会えたことは、私の人生の最も幸せな瞬間でもあった」

— ナルシソ・ロドリゲス

ドレスの制作過程については、後年ロドリゲス自身がこう語っている。

「彼女と私だけで、バスルームに入り、このドレスを頭から被せた。ただそれだけだった。私たちはお互いをよく知っていて、彼女はとても美しかったから、何を引き立てるべきかわかっていた」

— ナルシソ・ロドリゲス(2026年3月 ザ・カット(The Cut) インタビューより)

このドレスの成功を受け、翌1997年にはロドリゲスは自身のファッションレーベルを立ち上げた。同年、LVMH(エルヴィエムエイチ)傘下の高級レザーブランド「ロエベ(Loewe)」のウィメンズ・レディトゥウェア・デザイン・ディレクターにも就任するなど、その勢いは留まらなかった。

挫折と再起

しかしその後の道は平坦ではなかった。2006年、ファッションレーベルの製造パートナーであったイタリアのアエッフェ(Aeffe)との提携が終了し、供給業者への100万ドル以上の負債を抱える事態に陥った。春コレクションのために生地の寄付を求めなければならないほど追い詰められた。

2007年にはリズ・クレイボーン(Liz Claiborne)が50%の株式を取得したが、2008年にロドリゲスは1,200万ドルでその株式を買い戻し、ブランドを完全に取り戻した。

ファッションの世界でも、彼の名声は着実に積み上がった。2002年と2003年にはCFDA(シーエフディーエー、アメリカファッションデザイナー協議会)ウィメンズウェア・デザイナー・オブ・ザ・イヤーを連続受賞——これを達成した史上初のデザイナーである。ミシェル・オバマが2008年の大統領選当選夜にナルシソ・ロドリゲスのドレスを着用し、ファーストレディとしての最後となった2016年の一般教書演説(ステート・オブ・ザ・ユニオン/State of the Union)でも同ブランドを選んだことは、ブランドの格をさらに高めた。

ムスクとの出会い、そして香水への挑戦

ファッションの世界で地位を固めつつあったロドリゲスが、香水の世界への扉を叩いたのは2001年頃のことだった。そのきっかけとなったのは、遠い記憶にある一本の小瓶だった。

高校生の時、特別な友人からエジプシャン・ムスク・オイルをプレゼントされた。その香りはロドリゲスの皮膚の上で何か独特の変容を遂げ、彼の記憶に深く刻まれた。

「彼女のパーソナルフレグランスは、ある種のムスクオイルだった。初めて会った日から私はそれに気づいた。とても珍しく、私の頭から離れなかった。その後、自分でも身につけ始めた——まるでラッキーチャームのように、彼女の記憶として」

— ナルシソ・ロドリゲス(ハーパーズ バザー(Harper’s Bazaar) インタビューより)

「ムスクの感覚的な力は独特だ。私は個性のアイデアが好きで、素材として、ムスクは身につける人によって異なる香りを発する」

— ナルシソ・ロドリゲス

ムスクへの偏愛はすでに習慣と化していた。「私はそれをシャワー代わりにするくらい使っている」 とまで言い切るほどの入れ込みぶりであった。

2001年頃から香水の開発をスタートし、約2年をかけて完成させた。製造・販売パートナーには、資生堂のパリ拠点フレグランス部門ボーテ・プレステージ・インターナショナル(BPI)を選んだ。2003年9月、ナルシソ・ロドリゲスのフレグランスデビュー作「フォーハー(for her)」がついに世に出た。

ブランドのこだわり

ムスクという核心

ナルシソ・ロドリゲスのフレグランス哲学の核心は、ムスクへの徹底した傾倒にある。ムスクとは、香水において肌なじみのよい温かみと官能性をもたらす素材であり、合成か天然かを問わず「肌に溶け込む」感覚が特徴だ。

「ムスクは、私の審美眼の核心にある対比と極端さの並置に関係している。生々しくありながら洗練されている。クラシックでありながら現代的である。そして、その人の本性を映し出す独特の能力を持つ——それがムスクを他の香りと一線を画すものにしている」

— ナルシソ・ロドリゲス

ブランドの数々の作品を手がける、ジボダンの調香師ソニア・コンスタン(Sonia Constant)はムスクの魔法をこう言い表している。

「肌の実際の匂いと結びついているムスクは、生の中毒を生み出す数少ない素材の一つだ。フォーハーにはムスクの量が非常に多いため、中毒は即座——まるで一目惚れのように。人々はしばしば、この香りが何なのかと不思議に思う。その香水の匂いが良いというよりも、その女性自身がこんなにも良い香りがすると思う」

— ソニア・コンスタン(ハーパーズ バザー(Harper’s Bazaar) インタビューより)

「タイムレス」への信念

ロドリゲスが香水作りで拒んだもの、それは「トレンド」であった。フォーハーを開発していた2001年当時、市場では単一の花をテーマにした香水が流行していた。ロドリゲスはその潮流に従わず、複数のフローラルノートを組み合わせるという独自の道を選んだ。

「タイムレスで、何年も続けられる、民主的なものでなければならなかった。当時はトレンドとして一輪の花で香水を作ることが流行っていたが、私はいくつかの花を含めたかった。私はトレンドを気にしない。しかしスタイルは永遠だ」

— ナルシソ・ロドリゲス

「私にとって香水には価値がなければならない。タイムレスで、年齢を問わず現代的で、普遍的で、品位と格調があること。今日のための香りではなく、あなたの人生の一部となる香り」

— ナルシソ・ロドリゲス

ボトルという彫刻作品

フォーハーのボトルデザインは、ロドリゲスが23歳のときに初めてアジアを訪れた際に出会った「中国の鼻煙壺(スナッフボトル)」から着想を得た。多層的な透明感と、外側からは内側が完全には見通せない構造——その奥行きと神秘性が、ロドリゲスのフレグランスの哲学と重なった。

「最初にチームに設計図と素材の本を渡したとき、『工業的に不可能だ』と言われた。しかし私は、『できるはずだ』と言い続けた」

— ナルシソ・ロドリゲス

その粘り強さが実を結び、ミニマルかつ彫刻的なガラスのフラコン(香水瓶)は香りと同様にアイコニックな存在となった。資生堂のボーテ・プレステージ・インターナショナル(BPI)のウェブサイトも「ボトルはアートピースとして扱われる」と記している。建築への関心を持つロドリゲスは、ミース・ファン・デル・ローエやオスカー・ニーマイヤーといった建築家を愛好しており、そのエッセンスがボトルデザインの背骨にもなっている。

一流の調香師との協働

ロドリゲスは自身が”nose”(ノーズ、調香師)ではないが、香り作りにはアーティスティック・ディレクターとして深く関与する。デビュー作フォーハー オードトワレ(EDT) では、開発中にサラ・ジェシカ・パーカーを含む周囲の女性たちに試香させ意見を集めた。その姿勢は以降の作品でも変わらない。

香水ラインナップ

ナルシソ・ロドリゲスのフレグランスは、すべての作品でムスクが核に置かれているという点で一貫している。その上で、大きく以下のラインに分けることができる。

フォーハー(for her)ライン——ブランドの心臓部

2003年のデビュー作「フォーハー オードトワレ(EDT)」は、調香師クリスティーヌ・ナジェル(Christine Nagel)とフランシス・クルジャン(Francis Kurkdjian)のデュオが手がけた。オレンジブロッサム、アンバー、バニラをまとったムスクの香りは、「ローンチとほぼ同時にカルト的地位を得た」と評された。英国紙 サンデー・タイムズ(The Sunday Times) が「カシミアのように柔らかい」と評し、世界中でベストセラーとなった。

  • 2003年:フォーハー オードトワレ(EDT)(ナジェル & クルジャン)
  • 2006年:フォーハー オードパルファム(EDP)——ローズとピーチのニュアンスを加えた別配合版(ナジェル & クルジャン)
  • 2019年:フォーハー ピュアムスク オードパルファム(EDP)——ソニア・コンスタンが担当。ジャスミン、オレンジブロッサムのホワイトフローラルがムスクを包む。「フルーティーやグルマンノートを一切使わない」という強い意志で作られた
  • 2021年:ミュスク・ノワール オードパルファム(EDP)——プラム、ヘリオトロープ、スエードで纏うダークなムスク
  • 2022年:ミュスク・ノワール・ローズ——2023年の紹介ではティックトック(TikTok)で合計8,150万ビューを記録し、バイラルヒットとなった
  • 2023年:フォーハー・フォーエバー——20周年記念作。ソニア・コンスタンがジャスミン、チューベローズ、フランジパニを加えてムスクチプレの原型を進化させた

なお、クリスティーヌ・ナジェルはフォーハーの成功を機に著名な調香師として認められ、その後はジョー マローン ロンドンの作品も手がけ、エルメスへと移り、現在は同社のチーフ・パフューマーを務める。フランシス・クルジャンもその後メゾン・フランシス・クルジャン(Maison Francis Kurkdjian)を設立し、クリスチャン・ディオール・パルファムのクリエイション・ディレクターに就くなど、両調香師のキャリアはこの香水によって大きく開花した。

フォーハーの販売規模については、2022年のデータとして「6秒に1本」売れているというブランド内部データがある。また2023年の20周年の時点では「世界中で15秒に1本」とも報告されており、どちらが正確かは確認できないが、いずれにせよ商業的に非常に高い成績を維持し続けていることは間違いない。

フォーヒム(for him)ライン——男性向けのムスク

2007年、フォーハーの男性版として「フォーヒム オードトワレ(EDT)」が発売された。調香師はフォーハーにも参加したフランシス・クルジャン一人が担当した。「1980年代の偉大な男性フジェール香水」に着想を得たとされ、バイオレットリーフ、パチョリ、アンバー、ムスクを軸に構成される。2015年にはさらにダークでウッディな方向性を持つ「フォーヒム・ブルー・ノワール(For Him Bleu Noir)」が加わった。2007年発売のフォーヒムは、フランスのフレグランス・ファウンデーション・アワード(Fragrance Foundation Awards)で2008年のベスト男性香水賞・ベスト男性ボトル賞を受賞している。

エッセンス(Essence)ライン

2009年に発表された「エッセンス」は、フォーハーとは異なる調香師・アルベルト・モリヤス(Alberto Morillas)を起用した。ムスク、アイリスパウダー、ローズペタル、ベンゾインバルムを軸に構成されたこのフレグランスは、白(昼)と黒(夜)の二面性を持つパッケージで「デュアル」なコンセプトを視覚化した。ロドリゲスは開発に際してアーティスティック・ディレクターとして1年以上にわたるテストを重ねたと伝えられている。

ナルシソ(Narciso)ライン

2014年にスタートしたナルシソ・ラインは、ブランド名そのものを冠したコレクションである。スクエアボトルを採用したオードパルファム(EDP)に始まり、2016年のナルシソ・プードレ(Narciso Poudrée)、2018年のナルシソ・ルージュ(Narciso Rouge)へと展開した。ナルシソ・ルージュのボトルはガラスメーカー・ヴェレセンス(Verescence)のカラーイン(Color’in)テクノロジーを使用し、内側から赤に染まるボトルが視覚的なインパクトをもたらす。「情熱、フェミニニティ、ミステリーを体現する」とブランドは表現している。

オール・オブ・ミー(All of Me)ライン

2023年に発表された「オール・オブ・ミー」は、ロドリゲス自身が新たな「自分の香水コレクション」と位置づける作品だ。フォーハーがムスクを核にしたのに対し、こちらはゲラニウム(ゼラニウム)をキーノートに据えながら、やはりムスクを組み込んだフローラル構成となっている。

「私は70年代のティーンエイジャーだった。ムスクはとてもポピュラーで、街に行ってはあの小さな瓶を手に入れたものだ。今でも常にムスクをつけ、重ね付けしている——だから、ムスクは常に香りの核にある」

— ナルシソ・ロドリゲス

2024年にはスイスの美容誌アナベル(Annabelle)の「プリ・ドゥ・ボーテ 2024」女性香水部門を受賞するなど、新たなファンを獲得している。

ちなみに…

  • パーソンズ・スクール・オブ・デザインの同期に、後に著名デザイナーとなるアイザック・ミズラヒがいた。
  • フォーハーの開発中、ロドリゲスはサラ・ジェシカ・パーカーを含む周囲の女性たちに試香させ意見を集めた。パーカーはその香りを絶賛し、数年後に自身もムスク系香水「ラブリー(Lovely)」を発売することになる。
  • 1996年の結婚式の詳細は長年神話化されてきたが、ロドリゲスは2026年3月のインタビューでその「誇張」に言及。「ドレスが合わなかった」「その場にいなかった人が大勢いたと語られている」などの噂を否定した。
  • キャロリン・ベセット・ケネディのウェディングドレスは2026年のFX(エフエックス)ドラマシリーズ「ラブ・ストーリー:ジョン・F・ケネディ・ジュニアとキャロリン・ベセット(Love Story: John F. Kennedy Jr. and Carolyn Bessette)」で再現された。ロドリゲス役はトナティウ(Tonatiuh)が演じた。
  • ロドリゲスはブラジルを最も安らぎを感じる場所として挙げており、「ブラジルに着くと、家に帰ってきたと感じる」と語っている。
参考文献