メゾン マティン(Maison Matine)ー香りにもっと自由を

メゾン マティンの世界観と香水「Avant l’Orage 50ml」を表現したブランドイメージ ブランド創業者

「メゾン マティンは、独自のブランドポジションを持っている。誘惑、権力、成功をテーマにした一般的な香水ブランドとは一線を画している。端的に言えば、メゾン マティンはクリエイティビティ、コミットメント、そして寛大さについてのブランドだ。日々の経験や感情からインスピレーションを得ている」

Marie Kellou(マリー・ケルー)、共同創業者 / クリエイティブ・ディレクター

基本情報

  • 設立年: 2019年
  • 創設者: Marie Kellou(マリー・ケルー)、Arthur Ponroy(アーサー・ポンロア)
  • 公式サイト: https://maisonmatine.com

創設者・ブランドの成り立ち

二人の出会い:パリのクリエイティブ・エージェンシーで

「メゾン マティン」を語るとき、まず欠かせないのが二人の創業者、マリー・ケルーとアーサー・ポンロアの経歴である。

マリー・ケルーはフランス南部のグラース(Grasse)出身だ。グラースといえば、世界的に「香水の首都」として知られる地。ローズ、ジャスミン、チュベローズなどの花々が豊かに育つこの丘の町では、ガリマールやフラゴナールといった老舗パフューマリーが今も活動し、多くの「調香師(ネ/nez)」たちが育ってきた。ケルーは幼少期からその芳香豊かな環境の中で育ったとされており、香りとの縁は生まれながらにして深かったと言えるかもしれない。

アーサー・ポンロアにとっても、香水との結びつきは個人史に深く刻まれている。彼の父、ティボー・ポンロア(Thibault Ponroy)は1997年から2002年にかけてグランメゾン「ゲラン(Guerlain)」のCEOを務め、その後「マリオノー・インターナショナル(Marionnaud International)」のディレクター・ジェネラルを経て、2009年にパリのクリエイティブ・エージェンシー「サンドグレ(Centdegrés)」のマネージング・パートナーとなった人物だ。香水産業のトップで活躍した父を持つアーサーにとって、高級香水のビジネス・ブランディングは、子供の頃から身近な話題だったに違いない。

そしてアーサー自身も2015年から2018年の3年間、パリのクリエイティブ・エージェンシー「サンドグレ(centdegres)」にてストラテジック・プランナーとして勤務した。まさにこの時期、彼とマリーは同じエージェンシーで働く同僚として出会うことになる。

クリエイティブ・エージェンシーでの「気づき」

パリのクリエイティブ・エージェンシーで共に働くうちに、二人はあることに気づき始めた。

彼らが携わる高級香水ブランドのマーケティング・キャンペーンを見渡すと、ほとんどすべてが「誘惑」「権力」「成功」という共通のテーマを軸に語られていた。豪奢なビジュアル、官能的なイメージ、時に強固なジェンダー規範に根ざしたメッセージング——それが高級香水ブランドの「当たり前」だった。

しかし、二人の目には、その「当たり前」が時代遅れに映っていた。多様性や個性の尊重が社会の前面に出てきた時代に、いまだに旧来の豪奢さと固定観念を売り続けていることへの違和感。二人が香水ブランドを立ち上げるとしたら、まったく別の物語を語らなければならない——そんな思いが芽生えていった。

「方向転換」を余儀なくされた誕生秘話

公式サイトに掲載されているブランドの歴史には、ユニークな自己紹介がある。2019年の欄には次のように記されている。

「GOODBYE PRESIDENT!(さようなら、社長!) クリエイティブ・エージェンシーのデュオとして働いていたマリーとアーサー、二人のHPF(怠けることへの高いポテンシャル)は、少し自由に発言しすぎてしまい、新たな職業活動に『方向転換』させられた。メゾン マティンが誕生した——より自由で、より気楽で、よりクリエイティブな香水の世界へ!」

このユーモラスな表現の真意について、公開情報からは詳細が確認できない。ただ、二人が自らのエージェンシーを離れ、2019年に自己資金約10万ドル(当時)を投じてメゾン マティンを立ち上げたことは確かだ。資本的には完全なセルフファンデッド(自己資金)のスタートである。

コロナ禍を越えて:ブランドの試練と跳躍

創業間もない2020年、世界はパンデミックに見舞われた。多くのビジネスが沈黙を強いられた時期、メゾン マティンはD2C(ダイレクト・トゥ・コンシューマー)モデルを軸に据え、月額定額ビューティーボックスの「ブリシム(Blissim)」と提携してサンプルを提供することで消費者との接点を確保した。

「メゾン マティンはこの暗鬱な時代に即座の成功を収めた。ポジティブで遊び心のある製品を提供することで、最初の顧客を獲得することができた」

マリー・ケルー

コロナ禍の最中、ブランドはもう一つの意思表明をしている。2020年4月の利益すべてをフランスの支援団体「スクール・ポピュレール(Secours Populaire)」に寄付する取り組みが紹介されている。支援団体側も、2020年4月にメゾン マティンとの提携に言及している。「クリエイティビティ」と「コミットメント」を掲げるブランドの姿勢が、行動によって示された瞬間であった。

成長の軌跡

その後のメゾン マティンの展開は目覚ましかった。2020年にパリのセンスユニーク(Sens Unique)で「オリジン」コレクションを正式ローンチ。2022年にはアメリカの大手セレクトショップ「アンソロポロジー(Anthropologie)」からのオファーを機に米国市場に参入し、150店舗への展開を実現した。2023年にはブランドマネジメント会社の「アバウト・ビューティー(About-Beauty)」と連携し、米国のインディペンデント・ライフスタイルストアや「アーバン・アウトフィッターズ(Urban Outfitters)」4店舗への拡大も達成している。

2024年のビューティー・インディペンデント誌の取材では、ローンチから約5年でリテール売上高600万ドル(約9億円)を突破し、2024年には1,000万ドルの達成を目標に掲げるまでになった。現在は27カ国、1,000以上の販売拠点を持ち、ギャラリー・ラファイエット(Galeries Lafayette)、メルシー(Merci)、プランタン(Printemps)、リバティー(Liberty)、ハーヴェイ・ニコルズ(Harvey Nichols)、そして日本の「ノーズショップ(Nose Shop)」などでも取り扱われている。

ブランドのこだわり

哲学:豪奢なき、自由な香水

メゾン マティンのブランド哲学を一言で表すなら、「FINIS L’OPULENCE ET LE SEXISME, PLACE À LA SIMPLICITÉ ET LA DIVERSITÉ!(豪奢とセクシズムはもう終わり。シンプルさと多様性へ!)」という言葉に凝縮されている。

高級香水の世界で長年支配的だった「誘惑」「権力」「成功」という語り口を拒絶し、代わりに「クリエイティビティ、コミットメント、寛大さ」を軸に置く。性別・年齢・国籍を問わないユニセックスの香水を手がけ、対象年齢を「15歳から70歳」と設定するほどに間口が広い。

また、価格帯においても「アクセシビリティ」を重視しており、2024年の米国取材時点で50mlが85ドル、15mlが35ドルという価格設定は、ニッチフレグランスとしては比較的手の届きやすい価格帯である。

調香:新世代のパルファマー(調香師)との協業

メゾン マティンの香りを作るのは、一人の「スーパースター調香師」ではない。ケルーとポンロアはあえて「新星」たちを起用することを選んだ。彼らが主に協業するのは、世界最大の香料会社のひとつ「フィルメニッヒ(Firmenich)」所属の若き調香師たちだ。

現在、メゾン マティンに携わる主な調香師として以下の人々が挙げられている:

  • ベレニス・ワトー(Bérénice Watteau) — シュルレアリスム運動からインスピレーションを受け、香りに形と立体感を与える
  • エリーズ・ベナ(Elise Benat) — 旅や美術館、対話から真正で驚きのある香りを創る
  • ファブリス・ペルグラン(Fabrice Pellegrin) — 「カルペ・ディエム」を座右の銘とするベテラン
  • アディルソン・ラト(Adilson Rato) — ブラジル出身の冒険愛好家
  • アネ・アヨ(Ane Ayo) — 旅(特に日本)からインスピレーションを得て、デザインと香水を融合する
  • ローラン・マロン(Laurent Marrone) — コーヒーの焙煎の香りを幼少期の記憶として持つ
  • フィリッピン・クルティエール(Philippine Courtière) — スポーツ、美食、読書、アートを愛する独立した好奇心旺盛な人物

各香水は異なる調香師が担当するという姿勢は、ブランドのコレクティブな(集合的な)創造観を体現している。

ボトル・パッケージ:女性アーティストたちとのコラボレーション

メゾン マティンのボトルは、透明なガラスに鮮やかなイラストが描かれたスタイルが特徴だ。このイラストを担当しているのは、国際的な女性アーティストたちで構成されるチームである:

  • ペリーヌ・オノレ(Perrine Honoré) — 「ロスト・イン・トランスレーション(Lost in Translation)」などを担当
  • マティルド・ピュルセグル(Mathilde Purseigle) — 「ネイチャー・アンソランテ(Nature Insolente)」などを担当
  • 中村京子(Nakamura Kyoko) — 「アラシノウミ(Arashi No Umi)」などを担当
  • シャルリーヌ・ダジャン(Charline Dajean) および キャロリーヌ・ジボー(Caroline Gibaut) も参加

それぞれのボトルには、その香りが呼び起こす情景やコンセプトが視覚的に表現されている。例えば「ロスト・イン・トランスレーション」のボトルには、燃えるような髪を持つ人物が遠くを見つめ、周囲にはヤシの木、彗星、恐竜が乱れる幻想的な光景が描かれている。「ネイチャー・アンソランテ」のボトルには、永遠と適応の象徴として甲虫が描かれた。

パッケージ素材にも徹底したこだわりがある。外箱はリサイクル段ボール製で、セロファンの包装材を廃止。ボトルのキャップはコルクと合成ゴムで作られたリサイクル素材を採用し、プラスチックゼロを目標に掲げている。さらに香水のアルコールベースにはオーガニック農業由来の小麦アルコールを使用し、石鹸にはオリーブ油とココナッツ油を用いるなど、素材レベルでのこだわりが随所に見られる。

eコマース向けの配送梱包においても、持続可能性への意識は貫かれている。ケルーは次のように述べている。

「ウール・エンベロープ(Wool Envelopes)を選んだのは、サステナビリティに関するブランドイメージを高め、顧客体験を向上させるため。eコマースで使用される包装材は、顧客がメゾン マティンと最初に接する瞬間だから」

マリー・ケルー

慈善活動:1本売れるたびに寄付

メゾン マティンについては、販売する製品1本ごとに、その香水のテーマに合わせた慈善団体に1ユーロを寄付する仕組みも紹介されている。ただし、この金額と継続条件は現行の公式ページでは確認できない。どの団体に寄付するかは香水のインスピレーション源に紐づいており、「コミットメント」と「寛大さ」というブランドの精神を具体的な形で体現する試みである。

香水ラインナップ

ここでは、メゾン マティンがこれまでに発表したオリジン、リフレッシュ、ヴォイジャー、ナイト・フィーバーの4つのコレクションを紹介する。

オリジン(Origine)コレクション — 現在の世界を切り取る6本

最初のコレクションで、2020年にパリのセンスユニークで正式ローンチされた。「日常の中にある瞬間をボトルに詰めた」という趣旨で、旅や矛盾、好奇心など、開かれた世界の多様な断面を6つの香水に収めている。

  • アヴァン・ロラージュ(Avant l’Orage) — 嵐の前の静寂の瞬間。ピンクペッパー・ジャスミン・バニラ・サンダルウッド
  • エスプリ・ド・コントラディクシオン(Esprit de Contradiction) — スパイシーシトラス。マンダリン・ブラックペッパー・コリアンダー・ジンジャー・イランイラン・セージ。調香:クリスチャン・ヴェルモレル
  • イントゥ・ザ・ワイルド(Into the Wild) — 調香:アディルソン・ラト
  • ワルニ・ワルニ(Warni Warni) — アラビア語圏で「おいで、一緒に来て」を意味する。クリーミーなティーをイメージ。調香:エリーズ・ベナ
  • アザール・バザール(Hasard Bazar) — 「偶然のバザール」
  • バン・ドゥ・ミディ(Bain de Midi) — 昼の陽だまりの中の水浴び

リフレッシュ(Refresh)コレクション — コロナ禍の心情を3本に

パンデミックによる制限と回復、そして日常への復帰という感情体験を香りで表現した3本のコレクション。

  • ネイチャー・アンソランテ(Nature Insolente) — 自然の力強さと回復力。シトラスグリーン系。調香:フィリッピン・クルティエール。イラスト:マティルド・ピュルセグル
  • プーム・プーム(Poom Poom) — 生きる喜び。フルーティフローラル。調香:レミ・バルビエ
  • ロスト・イン・トランスレーション(Lost in Translation) — 迷子になる感覚と新しいはじまり。ウッディ・スパイシー・アクアティック。調香:ローラン・マロン

ヴォイジャー(Voyager)コレクション — 好奇心と旅の3本

共同創業者たちの冒険心を体現した、グローバルな視点のコレクション。

  • テュ・トゥ・カルム(Tu te Calmes) — 「落ち着いて」の意。調香:ベレニス・ワトー
  • アラシノウミ(Arashi No Umi) — 日本語で「嵐の海」。グリーンアップル・フリージア・ピーチ・ジャスミン・ダマスクローズ系。調香:ベレニス・ワトー。イラスト:中村京子
  • ウク・パチャ(Ukhu Pacha) — 古代インカの言葉で「内なる世界」。ベルガモット・ソルティ・シースプレー・ベネズエラトンカビーン・ジャスミン・チュベローズ・ドリフトウッド系。調香:マリン・メルセ

ナイト・フィーバー(Night Fever)コレクション — 夜の世界を描く5本

2025年末に発表された、夜をテーマにするコレクション。オリジン・リフレッシュ・ヴォイジャーがすべて「昼」の香りであったのに対し、このコレクションはじめて「夜」をテーマとした。5本のオードパルファムはすべて100mlサイズで展開されている。

  • シフミ(Shifumi) — グレープフルーツ・オレンジブロッサム・ホワイトムスク。調香:マリン・メルセ
  • フェール・ル・ミュール(Faire le Mur) — ペアー・ジャスミン・パチョリ。調香:イリアス・エルメニディス(Ilias Ermenidis)とハミッド・メラティ・カシャーニ(Hamid Merati Kashani)
  • バン・ドゥ・ミニュイ(Bain de Minuit) — チェリー・モノイ・バニラ。夜の水浴びをイメージ。調香:ベレニス・ワトー
  • ディスコ・インフェルノ(Disco Inferno) — ローズ・フランジパニ・ウード。調香:マリン・メルセ
  • アン・ジュール・サン・ファン(Un Jour sans Fin) — 「終わらない一日」の意。ピスタチオ・オレンジブロッサム・バニラ。調香:マリン・メルセ

ちなみに…

  • ブランドの公式「歴史」ページには、各年のマイルストーンを、遊び心のあるコピーで記載する伝統がある。2022年の欄には「HOUSTON WE HAVE A PROBLEM(ヒューストン、問題が発生した)」、2024年の欄には「PRODUCTIVE HOLIDAYS(生産的な休暇)」など、真剣な事業展開をユーモラスに語るスタイルが貫かれている。
  • アーサー・ポンロアのLinkedIn(リンクトイン)プロフィールには、自身を「Brand Manager & CoFounder(ブランドマネージャー 兼 共同創業者)」と記す傍ら、「Mascotte du projet(プロジェクトのマスコット)」というユニークな肩書も添えられている。一方のマリー・ケルーの肩書は「Coach de l’équipe(チームコーチ)」。
  • ブランド名「マティン(Matine)」の語源について、公式サイトでは2通りの説明を提示している。FAQ等では「ラテン語のmutare(ムターレ/変える・変容する)に由来し、変革への意志を体現する」と説明し、一方で「mutine(ミュティーヌ/反抗)とmatin(マタン/朝)を組み合わせた造語」とも説明している。このやや矛盾するような複数の解釈がブランドの自由なスピリットを体現しているとも言えるかもしれない。
参考文献