1975年7月にフランス、パリで生まれます。
ブルーノの母親は、いつも仕事の前に、毛皮のコートにカボシャール(グレ、1959、ベルナール・シャン)をふりかけ、ブルーノにキスをして出て行っていました。
母親がどこか行っている間、母の鏡台の青のベルベットの中に隠れた香水を嗅ぐことで、母がいつも自分のそばにいるように感じていました。
ブルーノ・ジョヴァノヴィック
その中には、カレーシュ(エルメス、ギ・ロベール)やリヴ・ゴーシュ(YSL、ジャック・ポルジュ)もあり、シプレ調の香りというのがブルーノに非常に影響を与えました。
ブルーノは、共感覚を持っており、形、色、音楽、すべてのものが香りとして(しかも知的な香りとして)、頭の中に入ってきていました。それもあり、小さい頃、ブルーノは家族にあだ名をつけていました。例えば、父はカモミール、母はバイオレット、祖母はローザというふうに。
調香師になろうと思ったのは、偶然、デパートに友人と行った際に、香水の美しさを発見してからです。
それまで存在するなんて想像したことが全くなかった世界を突然発見して、僕はその中に入りたかった。毎日、みんなが食堂にいるとき、デパートに行ったんだ。そこの販売員のお姉さんが、今日は何を試したい?と言って、僕はたくさんのサンプルをポケットに入れて、帰るんだ。そして、頭の中は香りの発見でいっぱいだった。
ブルーノ・ジョヴァノヴィック
それから香水にハマったブルーノは、香水辞典をバイブルにして、一年たたないうちに丸暗記してしまうぐらいでした。バカロレアに通った後は、物理と化学を勉強し、ISIPCAに行こうと考えていました。
そして、ついに友人とイジプカの試験を受けに行ったところ、なんとブルーノは900人のうち2番目の成績で受かることになるのです!イジプカでもその才能を発揮し、ドミニク・ロピオンの一番の生徒だったと言われています。
成績の良かったブルーノは、IFFに歓迎され、2002年からパリとニューヨークのIFFで働くことになります。ちなみに、ニューヨークでは、ソフィア・グロスマンのオフィスの隣にデスクを持っていました。
2002年、アバクロンビー&フィッチのシグネチャーになっている香水Fierceをクリストフ・ラウダミエル(Christophe Laudamiel)と共同で作ります。ちなみに、この香水は、カルロス・ベナイムが元のアイデアを出しています。この香水は、大好きな男性がたくさんいた一方で、あまりに香りがお店からあふれ出ていたため、空気汚染だと店頭で反対運動をする人も現れていました。
そんなブルーノのモットーは「シンプルに、余分なものは避けて」で、全てのものはシンプルでなければならないと考えています。
私はたくさんのベースを使うのが好きではないし、原料の数が限られている方が好きです。シンプルかつすぐに分かる明らかなメッセージ、これが私の香水のシグネチャーです。
ブルーノ・ジョヴァノヴィック
そして、カント哲学の提唱する「美は、概念なしに、普遍的満足の対象として表象されるものである。」が彼の考えに大きな影響を与えています。このことが、ブルーノの作品をアーティスティックだけでなく、知的なものにしていると言われています。
特に好きな原料はパチョリで、それはアーシーな側面だけでなく、パチョロールや樟脳で構成される香りがとても空気のような軽いアコードであるから、と言っています。
私が思うに、ブルーノ・ジョヴァノヴィックは、この業界の中で最も素晴らしいテクニックを持つ若手調香師の1人だろう。彼は、私たちの香水を一年かけて作るための資源を持っているし、まだまだアイデアを持っていて、さらにそれが得意なんだ。彼はマラソンを走る能力があるということだ。
フレデリック・マル
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