トミー ヒルフィガー(Tommy Hilfiger)― アメリカの大地を香りに閉じ込めた男の物語

トミー ヒルフィガーの世界観と代表製品「Original tommy Eau de Toilette」を表現したブランドイメージ ブランド創業者

「私たちが作り上げているブランドは、私がどういう人間であるかということについてとても正直かつ忠実に語っているもので、それを生み出すことに苦労は全く感じません。」
— トミー・ヒルフィガー

基本情報

設立年:1985年(ファッションブランドとして)/フレグランス事業開始:1995年
創設者:トーマス・ジェイコブ・ヒルフィガー(Thomas Jacob Hilfiger)
公式サイト:tommy.com
現在の親会社:ピーブイエイチ(PVH Corp.)(2010年より)
フレグランスのライセンシー:ギブ・バック・ビューティー(Give Back Beauty)(2022年より)

創設者・ブランドの成り立ち

小さな町の少年と、150ドルのはじまり

1951年3月24日、トミー・ヒルフィガーはニューヨーク州エルマイラという小さな町で、9人兄弟の2番目として生まれた。彼が後に語る「典型的なアメリカの子ども時代」は、決して豊かなものではなかった。しかし1960年代後半、ロックミュージックの嵐がアメリカを席巻し始めると、10代のトミーの心はその波に激しく揺さぶられた。

「ファッションと音楽の革命が起きていた。私はその一部になりたくて仕方がなかった。ジミ・ヘンドリックス、ビートルズ、ローリング・ストーンズ、ザ・フー——彼らが身にまとう服の素晴らしさが、私に『この世界に関わりたい』と思わせた。」
— トミー・ヒルフィガー(ビジネス・オブ・ファッション(Business of Fashion)インタビューより)

1969年の夏、高校生のトミーは150ドルを手に車を走らせ、ニューヨーク・シティへ向かった。目的は、地元では手に入らないベルボトムジーンズを20本まとめ買いすること。エルマイラに戻り、フォルクスワーゲンのトランクから売り切ったその体験が、すべての出発点となった。

「それは一気に売れた。そして私はすぐに、地元の店で買えなかった”クールなスタイル”を売る最初の店を開いた。」
— トミー・ヒルフィガー(公式バイオグラフィーより)

この成功に背中を押され、トミーは1969年、親友のラリー・ストゥメルマンとともにエルマイラの中心街に最初の店「ピープルズ・プレイス(People’s Place)」を開店。ベルボトム、インセンス、レコード、そして自ら描いたデザインから縫い上げた服まで——都会の風を地方へ届ける小さな文化の窓口となった。

「デザインすることは、それまでの何よりも私を幸せにした。その初期の仕事から、デザインこそが私の人生だと確信した。」
— トミー・ヒルフィガー

破産と、ニューヨークへの賭け

しかし順風満帆な日々は長くは続かなかった。地方経済の悪化、過剰な店舗拡大、そして競争激化が重なり、1977年、ピープルズ・プレイスは倒産を余儀なくされた。トミー25歳のときのことである。

「デザインスクールを出ていないから、仕事を得るのはとても難しかった。ドアをノックして、雇ってくれと頼み歩くしかなかった。」
— トミー・ヒルフィガー(ビジネス・オブ・ファッション(Business of Fashion)インタビューより)

ニューヨークに活路を求めたトミーは、フリーランスのデザイナーとしてジョルダッシュ・ジーンズなど複数のデニム企業のために仕事をこなした。試行錯誤と自学自習の中で、彼は着実に腕を磨いていく。

モハン・ムルジャニとの「運命的な出会い」

転機は1984年に訪れた。インドの繊維実業家モハン・ムルジャニが、グロリア・ヴァンダービルト・ジーンズで成功した経験を活かし、今度はメンズウェアのブランドを立ち上げようとしていた。そして彼は、ヒルフィガーの起業家精神に着目した。

「モハンに会ったとき、長年の知り合いのような感覚があった。まさに”同じ考えを持つ者同士の出会い”だった。一緒にうまくやれると確信した。このチャンスを断る理由がなかった。1985年に、私たちはビジネスを始めた。」
— トミー・ヒルフィガー(ビジネス・オブ・ファッション(Business of Fashion)インタビューより)

ムルジャニの資金援助を得て、1985年、ヒルフィガーはボタンダウンシャツ、チノパンなどアメリカンクラシックを現代的に再解釈した最初のコレクションを発表した。しかしこの時点では、「トミー・ヒルフィガー」という名前はまだ誰も知らなかった。

タイムズスクエアの「ハングマン広告」が一夜にして歴史を変えた

名もない新人デザイナーを世に知らしめたのは、伝説的な広告マン、ジョージ・ロイスが仕掛けた一枚の看板広告だった。タイムズスクエアの巨大なビルボードに描かれたのは、「PE(ペリー・エリス/Perry Ellis)」「RL(ラルフ・ローレン/Ralph Lauren)」「CK(カルバン・クライン/Calvin Klein)」という3人の著名デザイナーのイニシャルと、「次の偉大なメンズウェアデザイナーは”TH”だ」という大胆な宣言——「TH」は、もちろんトミー・ヒルフィガーのことである。

当初、ヒルフィガー自身はハンプトンでモデルを使った爽やかな広告を想定していた。しかしロイスは首を縦に振らなかった。「そんなやり方では、ブランドを作るのに20年かかる」と彼は言い切り、競合他社の広告を並べてみせ、イメージだけではブランド名を誰も覚えられないことを論理的に示した。

「その広告は、私が応えなければならない非常に大胆な宣言だった。リスクはあった。しかしビジネスとはリスクを取ることだ。」
— トミー・ヒルフィガー(公式バイオグラフィーより)

わずか20万ドルの予算で仕掛けられたこのキャンペーンは、一夜にしてトミー・ヒルフィガーの名を業界中に轟かせた。ブランドデビューから2年後の1987年には、その売上高は7000万ドルに達した。

株式上場(IPO)、そして世界ブランドへ

1992年に株式上場を果たし、90年代のアメリカにおけるヒップホップやポップカルチャーとの融合によって爆発的な人気を獲得。ブリトニー・スピアーズ、ローリング・ストーンズ、レニー・クラビッツなどのツアースポンサーを務め、その時代のアメリカを代表するライフスタイルブランドへと成長した。2006年にはアパックス・パートナーズへ16億ドルで売却。2010年にはピーブイエイチ(PVH Corp.)が30億ドルで買収し、トミー・ヒルフィガー本人は引き続きプリンシパル・デザイナーとして活躍している。

フレグランス事業の誕生

エスティ ローダーとの歴史的なパートナーシップ

ファッションブランドとして確固たる地位を築いた後、ヒルフィガーがフレグランスの世界へと踏み出すきっかけとなったのが、1993年のエスティ ローダー・カンパニーズとのライセンス契約だった。これはエスティ ローダーにとって、外部デザイナーとの初のフレグランスライセンス契約であり、業界において画期的な出来事として記録されている。実際の香水製造・販売はエスティ ローダーの「アラミス&デザイナー フレグランス」部門が担当することとなった。

ブランドのこだわり

「アメリカの大地」を香りに映す哲学

トミー ヒルフィガーのフレグランスに共通する最大の特徴は、アメリカという国の地理・自然・文化を、香りの原料を通じて直接表現しようとする姿勢にある。1995年に発売された最初のフレグランス「トミー(Tommy)」のコンセプトは「リアル・アメリカン・フレグランス(The Real American Fragrance)」と名付けられ、フロリダのグレープフルーツ、ケープコッドのクランベリー、ケンタッキーのブルーグラス、アリゾナのサボテンの花、カロライナの流木など、アメリカ各地の自然を思わせる香りがモチーフとして選ばれた。

ヒルフィガー自身がこの1995年のローンチについて語ったインタビューが残っている(タンパ・ベイ・タイムズ、1995年)。

「私はアルケミスト(錬金術師)ではない。だからアラミスの専門家たちと手を組んだ。」
— トミー・ヒルフィガー(タンパ・ベイ・タイムズ/Tampa Bay Times、1995年)

ヒルフィガーはファッションの哲学として「F.A.M.E.」という概念を掲げてきた。これはFashion(ファッション)、Art(アート)、Music(ミュージック)、Entertainment(エンタテインメント)の頭文字であり、フレグランスにおいても同様に、時代のポップカルチャーと常に接続し続けることがブランドのDNAとなっている。

ボトルデザイン:赤・白・青のアイコニック

フレグランスのボトルとパッケージデザインにも、ブランドのアメリカ愛が色濃く反映されている。初代「トミー」は、薬局瓶(アポセカリー・スタイル)を思わせるシンプルなガラスボトルに、ブランドの象徴である赤・白・青の3色パッケージが組み合わせられた。ボトルキャップはヒルフィガーのシャツのボタンをモチーフにしたとされている。

トミー ヒルフィガーの赤・白・青のロゴ自体は、アメリカ国旗と、国際信号旗「H(ホテル)」から着想されており、「H」はもちろん「Hilfiger」の頭文字を意味する。この3色は現在に至るまでブランドのフレグランスラインナップを通じて一貫して使われ続けており、2024年発売の「トミー・フォーエバー(Tommy Forever)」コレクションにおいても「シグネチャーのトミー ヒルフィガー・フラッグ」がボトルに配置されている。

香水ラインナップ

「トミー(Tommy)」― 1995年、アメリカを香りに詰め込んだ記念碑的一作

1995年に発売されたメンズ・フレグランス「トミー」は、調香師アルベルト・モリヤスとアニー・ブザンティアンの共同制作によるものである。トップノートにミント・ベルガモット・グレープフルーツ・ラベンダー、ミドルにグラニースミスアップル・クランベリー・ローズ、ベースにコットンフラワー・カクタス・アンバーが配されたシトラス・フゼア系の香りは、「ロードトリップするアメリカ」を感じさせるというコンセプトが貫かれており、発売から30年以上経った現在もカタログに残る定番となっている。

1996年のフィフィ・アワード(FiFi Awards)において「フレグランス・オブ・ザ・イヤー:メンズ・プレステージ部門」を受賞しており、これはフレグランス業界における最も権威ある賞のひとつとして知られている。

「トミー・ガール(Tommy Girl)」― 1996年、お茶の香りが生んだ革命

翌1996年に発売された「トミー・ガール(Tommy Girl)」は、フランス人調香師カリス・ベッカー(Calice Becker)によって生み出されたウィメンズ・フレグランスである。ベッカーはロシア系の家庭で育ち、常にサモワール(ロシアの湯沸かし器)でお茶を沸かし続ける母の記憶を持っていた。その記憶をもとに、パリの名店「マリアージュ・フレール(Mariage Frères)」の店内の空気をジボダン(Givaudan)の化学者ローマン・カイザーが実際に採取し、香りの分析を行ったという。このティー・ベースを用い、最終的に1100ものフォーミュレーション(香りの配合試作)を経て完成したとされている。

ベッカー自身は後にこのフレグランスについてこう語っている。

「ジャドール(J’Adore)が市場で成し遂げたことは誇りに思う。でもトミー・ガールの方が、より革新的なフレグランスだったと思っている。」
— カリス・ベッカー(フレグランス・ファウンデーション/Fragrance Foundation 生涯功労賞受賞スピーチより)

香水評論家ルカ・トリンとターニャ・サンチェスの著書『パフュームズ:ザ・ガイド(Perfumes: The Guide)』において5つ星の最高評価を得たトミー・ガールは、「すべての将来のフレグランスの白を設定するほど鮮烈」と評された。

なお、2024年にはオリジナルの世界観を継承した新作「トミー・ガール・フォーエバー(Tommy Girl Forever)」も発売されている。

「トゥルー・スター(True Star)」― 2004年、ビヨンセとの歴史的なコラボレーション

2000年代に入ると、トミー ヒルフィガーはポップカルチャーとのコラボレーションをフレグランス事業にも積極的に持ち込んだ。2004年に発売された「トゥルー・スター(True Star)」はR&Bスターのビヨンセ・ノウルズをフロントに起用したフレグランスで、彼女の歌声によるア・カペラ「ウィッシング・オン・ア・スター(Wishing on a Star)」を使ったTVコマーシャルは大きな話題を呼んだ。このCMは翌2005年のフィフィ・アワードで「最優秀全国広告キャンペーン賞:テレビ部門(Best National Advertising Campaign: TV)」を受賞している。翌2005年にはエンリケ・イグレシアスをキャラクターに据えた「トゥルー・スター・メン(True Star Men)」も続いた。

「ヒルフィガー(Hilfiger)」― 2008年、デザイナー自身を象徴する香り

2008年には、トミー・ヒルフィガー自身の名「ヒルフィガー(Hilfiger)」を冠したフレグランスが登場した。ボトルには「Est. 1985」という刻印が施され、プレスリリース等でヒルフィガー自身はこの香りについて次のように語っている。

「アメリカのアイコンたちは、常に私にとってのインスピレーションだった。アイコンは個性で人を率いる。情熱と、炎のような意志と、成功への欲求を持っている。このフレグランスは、そのスピリットへの捧げもの——自分自身の運命を切り開くすべての男性へ。」
— トミー・ヒルフィガー

「ザ・ガール(The Girl)」― 2016年、ジジ・ハディッドが纏う独立の香り

2016年秋、スーパーモデルのジジ・ハディッドをグローバル・アンバサダーとして起用した「ザ・ガール(The Girl)」が発売された。グリーンペア、バイオレットリーフ、グリーンフィグリーフのトップから、ジャスミン・ムゲのハート、シダーウッド・カシュメランのベースへと移行する清潔感のある香りは、「自分自身であること」を体現するものとして設計された。

「”ザ・ガール”とは、自分に正直で、楽しむことを知っている女性のこと。」
— ジジ・ハディッド

「インパクト(Impact)」― 2020年、新たなメンズ・フレグランス

2020年に登場した「インパクト(Impact)」は、ウッディ・アロマティック系のメンズ・フレグランスで、現在のカタログの主軸となっている。ビターオレンジ、レッドアップル、ピンクペッパーのトップ、エレミ・サイプレス・クラリーセージのミドル、そしてシダーウッド(アトラス・ヴァージニア・テキサスの3種)、サンダルウッド、ジボダン由来のアキガラウッド(Akigalawood)を重ねたベースが特徴的である。

ライセンス体制の転換:エスティ ローダーからギブ・バック・ビューティへ

長年にわたってフレグランス事業を支えてきたエスティ ローダーとのパートナーシップは、2022年に幕を閉じた。その背景には、エスティ ローダーが「アラミス&デザイナー フレグランス」部門自体を縮小・解体する戦略的決断があった。

新たなパートナーとなったのは、サステナビリティを事業の核に据えたギブ・バック・ビューティ(Give Back Beauty)である。当時、トミー ヒルフィガーのグローバル最高経営責任者を務めていたマルタイン・ハーグマンは発表の中でこう述べた。

「ギブ・バック・ビューティとのパートナーシップは、トミー ヒルフィガーのビューティ&ウェルネス事業にとって新しいエキサイティングな章の始まりを意味する。」
— マルタイン・ハーグマン(当時、トミー ヒルフィガー・グローバルおよびピーブイエイチ・ヨーロッパの最高経営責任者)

2024年には新体制のもとで開発・製造された「トミー・フォーエバー」と「トミー・ガール・フォーエバー」が発売されており、調香師にはフィリップ・パパレッラ、アリエノール・マスネ、エミリー・コッペルマン、クリストフ・レイノーが名を連ねている。

ちなみに…

トミー・ガールの誕生は、ブルガリの緑茶に火をつけられた

カリス・ベッカーがジボダンのためにお茶の香りの研究を始めたのは1990年代初頭のことだが、当初はなかなか採用の機会を得られなかった。潮目が変わったのは1992年に登場した、ジャン・クロード・エレナ(Jean-Claude Ellena)が手がけたブルガリの「オー パルファメ オ テ ヴェール(Eau Parfumée au Thé Vert)」が大ヒットしてから。その成功を受けて、ベッカーのティー・ベースにようやくスポットライトが当たり、トミー ヒルフィガーへのプレゼンにつながったとされている。

ヒルフィガーの「倒産」はむしろ転機だった

ピープルズ・プレイスの倒産について、ヒルフィガーはフォーブズのインタビューでこう振り返っている。「25歳で倒産したことが、人生を変えた」というタイトルのもとに掲載されたこの記事は、失敗がいかにして彼の成功の礎を作ったかを物語る。

日本市場では2025年8月よりブルーベル・ジャパンが取り扱いを開始

国内では2025年8月より、トミー ヒルフィガーのフレグランスをブルーベル・ジャパン株式会社が取り扱うこととなった。

参考文献