ヴァン クリーフ & アーペル(Van Cleef & Arpels) ― 宝石の香りを纏う、愛の物語から生まれたメゾン

ヴァン クリーフ&アーペルの世界観と代表製品「Santal Blanc」を表現したブランドイメージ ブランド創業者

「香水と宝石、それは女性の二つの装身具だ。ドレスは女性のワードローブの一部、靴やバッグはアクセサリー。しかし宝石を『アクセサリー』とは言えない。同様に香水も。私にとって、香水とは最後の装身具なのだ。」

ピエール・アーペル(アーペル家三代目、ヴァン クリーフ & アーペル)

基本情報

設立年: 1906年
創業者: アルフレッド・ヴァン クリーフ(Alfred Van Cleef)、シャルル・アーペル(Charles Arpels)
公式サイト: https://www.vancleefarpels.com
読み方の補足: ヴァン クリーフ & アーペル(英語圏では「ヴァン クリーフ アンド アーペルズ」と読むこともある)

創設者・ブランドの成り立ち

愛から始まった宝石の物語

ヴァン クリーフ & アーペルの始まりは、一つの結婚の物語である。

1895年、パリの中心部で、宝石商の娘エステル・アーペルと、宝石切削職人の息子アルフレッド・ヴァン クリーフが結婚した。アルフレッドの父はオランダ出身のダイヤモンドカッターであり、エステルの家は代々貴重石(プレシャスストーン)の売買を生業としていた。二つの家系が合わさったこの結婚は、単なる人と人との出会いであるだけでなく、宝石に対する共通の情熱と価値観の出会いでもあった。

ヴァンドーム広場、そして創業へ

結婚から11年後の1906年、アルフレッドは義兄シャルル・アーペルとともに、パリの高級住宅街の中心地、ヴァンドーム広場22番地に初のブティックを開いた。リッツ・ホテルと向かい合うこの場所は、当時のフランス貴族や上流階級が集う「パリで最もエレガントな広場」として知られていた。その後、ジュリアン・アーペルが1908年に、ルイ・アーペルが1912年に事業に加わり、ヴァン クリーフ家とアーペル家という二つの家族のロールプレイが本格的に動き始めた。

メゾンは設立以来、ヴァンドーム広場22番地から一度も移転していない。これはブランドの「不変の精神」の象徴として今でも語り継がれている。

拡大と技術革新の時代

創業から数年のうちに、メゾンはモンテカルロ、ニース、ドーヴィルといったリゾート地にも展開し、フランスの上流階級の顧客と歩みをともにしながら事業を拡大していった。

1926年には、アルフレッドとエステルの娘であるルネ(Renée)・ピュイサンがメゾンのアーティスティック・ディレクターに就任した。彼女は1923年からメゾンと深く関わっていたデザイナー、ルネ・シム・ラカーズとの協働によって、ヴァン クリーフ & アーペルの独自スタイルを次々と生み出していった。ルネのアイデアをラカーズが図面に落とし込み、ルネ自身が手書きで注釈を加えながら完成させていったという。

「ルネ・ピュイサンの大胆な創造性を、ルネ・シム・ラカーズの才能が具体的な形へと昇華させた。この二人の補完的なコンビが、メゾンのスタイルを鍛え上げ、最もアイコニックな作品群を生み出したのである。」

— ヴァン クリーフ & アーペル 公式サイト

1933年には、後にメゾンの代名詞となる「ミステリー・セット(Mystery Setting)」という独自の宝石留め技法を特許取得した。通常、宝石は目に見える爪や台座によって固定されるが、ミステリー・セットでは小さなミゾと引き出し状のフレームを用いることで、宝石を支える部分を見えなくする――まるで宝石が空中に浮かんでいるかのような、幻想的な輝きを実現する技術である。

1999年には、スイスのコングロマリットであるコンパニー・フィナンシエール・リシュモン(Compagnie Financière Richemont S.A.)が株式の60%を取得して傘下となり、2003年に完全子会社となった。カルティエやジャガー・ルクルトなどを擁する同グループに加わった後も、メゾンとしての独自性と創造性は維持されている。

香水参入と「ファースト」の衝撃

宝石師が香水を作る、という革命

ヴァン クリーフ & アーペルが香水の世界に足を踏み入れたのは1976年のことであった。当時、宝飾ブランドが自らフレグランスをリリースするという発想は業界では前例がなく、「絶対に売れない」と冷ややかな反応を受けることもあったという。

しかしメゾンの意思は固かった。創業家のピエール・アーペルはこう語っている。

「私は、自分たちのジュエリーのようなイメージを持つ香水を夢見ていた。控えめでありながら、貴重な存在感を放つ香水を。」

ピエール・アーペル

そして「女性の美しさと魅力を高めること、それが見えない、しかし際立つ宝石の魔法である」という指針のもと、フレグランス「ファースト(First)」が生まれた。

パフューマー、ジャン=クロード・エレナとの出会い

この香水の創作を担ったのは、グラース(フランスの香水の聖地として名高い南仏の町)出身の調香師、ジャン=クロード・エレナ(Jean-Claude Ellena)である。エレナはスイスのジボダン(Givaudan)で調香師として訓練を受け、1976年にはグラースのローティエ(Lautier)へ移籍。同年のシスレー「オー ドゥ カンパーニュ」と並ぶ主要作品として、このファーストを手がけた。彼は幼少期にグラースでジャスミン摘みを手伝い、若くして香料製造の仕事に携わった経験を持つ、正真正銘の「香りの職人」でもあった。

ピエール・アーペルから受けた依頼は「宝石のように香る、宝石のような佇まいの香水を」というものだったという。複数の調香師に試作を依頼した結果、最終的にエレナの作品が選ばれた。

「ファースト」と命名したのも意図的であった。英語で「初めて」を意味するこの名は、「宝石師として初めて挑む香水」という意味と、「国際市場を最初から意識していた」という二重の意味を持っていたとされる。

ファーストの香りとボトル

ファーストはアルデヒディック・フローラル(アルデヒド系フローラル)というカテゴリーに属する。アルデヒドとは合成香料の一種で、「浮かび上がるような広がり」と「わずかに粉っぽく、柔らかな温かみ」を香りに与える成分である。

  • トップノート: アルデヒド、ヒヤシンス
  • ミドルノート: バラ、カーネーション、ジャスミン、チュベローズ、アイリス
  • ベースノート: オークモス、アンバー、サンダルウッド

ボトルのデザインはさらに象徴的であった。細く引き締まったシルエットは、宝飾品のペンダントとそのジャンプリング(リング状の留め具)を模したもの。このボトル形状は後年、メゾンのアイコニックなジュエリー「ヴァランシエンヌ(現・スノーフレーク)」イヤリングのデザインの着想源にもなったという。「宝石を模した器に、宝石のような香りを閉じ込める」という発想が、すでにこの最初の作品において完成していた。

ファーストは、宝飾ブランドとして最初期に香水を手がけた例の一つとして、現在も業界史に刻まれている。

ブランドのこだわり

ハイジュエリーとファインパフューマリーの橋渡し

メゾン自身の言葉を借りれば、ヴァン クリーフ & アーペルは「創造性と詩的な魅力によって、ハイジュエリーとファインパフューマリーの橋渡しをする」ことを香水づくりの根本に置いている。

この哲学が最も色濃く表れているのが、後述する「コレクション エクストラオーディネール」だ。希少な天然素材を宝石のように扱い、その本質的な美しさと価値を香りとして昇華させる――という姿勢は、100年以上にわたってジュエリーで磨かれてきたメゾンのクラフツマンシップの延長線上にある。

自然からの霊感

ヴァン クリーフ & アーペルの創作活動を貫く重要なテーマのひとつが「自然」である。バラ、パルムの葉、蝶、リラの花、妖精やバレリーナ――これらは宝飾品において繰り返し登場するモチーフであり、香水においても同様に、自然由来の素材と自然の情景が創作の出発点となっている。

ボトルとパッケージへのこだわり

ヴァン クリーフ & アーペルの香水ボトルは、それ自体がひとつの「宝石細工」として設計されている。ファーストのペンダント型ボトル、フェエリーの瓶のうえに座る妖精の像、オリアン(Oriens)の「ミッドサマーナイツドリーム」ジュエリーコレクションにあるトルマリン指輪を再現したフォルムなど、各香水のボトルはメゾンのジュエリーのデザイン語彙と深く結びついている。

コレクション エクストラオーディネールのボトルは、対照的にミニマルかつエレガントな直方体のガラス製。シンプルな造形によって、まるで香りそのものが主役であることを静かに主張している。フレグランスのラベルには、調香師のみが知る「最終処方のシリアルナンバー」が記されており、これもまた、ジュエリーにおける職人の刻印のような趣向である。

フレグランス製造のパートナー

ヴァン クリーフ & アーペルの香水は、フランスのインター パルファン(Inter Parfums SA)がライセンスに基づいて製造・販売を担っている。このライセンス契約は2006年に締結され、2007年1月に開始された(それ以前はイヴ・サンローラン ボーテ〈YSL Beauté〉が保有)。2024年には、さらに9年間の延長が発表された。

香水ラインナップ

レ・クラシック(Les Classiques):メゾンの遺産

「レ・クラシック」は、1970〜90年代に生まれたメゾンの代表的な4作品を集めたコレクションである。オリジナルのボトルカラーを維持しながら、当時のタイポグラフィをラベルに採用するなど、「オリジンへの敬意」が随所に感じられる。

ファースト(First)(1976年)
前述のとおり、ジャン=クロード・エレナが手がけたアルデヒディック・フローラル。宝飾ブランド初期の香水として業界史に名を刻む作品であり、メゾンの「香りの哲学」を最初に体現した一本。

プール・オム(Pour Homme)(1978年)
ルイ・モネ(Louis Monnet)が創作した、メンズ向けレザー・シプレ系フレグランス。セージ、バジル、ローズマリーのアコードから幕を開け、スパイスで温められたバラのハート、そしてパチョリとベチバーのウッディな余韻へと続く構成を持つ。

ジェム(Gem)(1987年)
宝石(ジェム)そのものへのオマージュとして創作されたメゾンの女性向け第2作目のフレグランス。ピーチとベルガモットの瑞々しさを起点に、アイリス、チュベローズ、イランイランの花束へ、そしてバニラ・アンバー・オークモスの深みある余韻へと続く、シプレ・フローラルの一本。

ツァール(Tsar)(1989年)
フィリップ・ブッセトン(Philippe Bousseton)が手がけた、メンズ向けウッディ・アロマティック系フレグランス。ベルガモットのフレッシュなシトラス感から始まり、ローズマリー、タイム、ラベンダー、スパイスが折り重なる複雑なハート、そしてアンバー、ベチバー、サンダルウッドが優雅な余韻を残す。

コレクション エクストラオーディネール(Collection Extraordinaire):現代の旗艦コレクション

2009年に誕生したコレクション エクストラオーディネールは、ヴァン クリーフ & アーペルの現代フレグランスにおける中核をなす。

「このコレクションは、ヴァン クリーフ & アーペルが創業以来歩んできた、感動への探求を体現したものです。香水に使われる高貴な素材へのオマージュを捧げ、それらを宝石のように崇め、その美しさを引き出しています。」

— ヴァン クリーフ & アーペル 公式サイト

このコレクションの特徴は、各フレグランスがひとつの天然素材を主役に据え、それを徹底的に探求していることである。ムーンライト パチョリ(Moonlight Patchouli)はパチョリ、ネロリ アマラ(Néroli Amara)はネロリ(橙花)、サンタル ブラン(Santal Blanc)はサンダルウッド……というように、素材そのものの豊かな表情を一本の香水へと凝縮させる。

確認されている現行ラインナップには、以下が含まれる:

  • ムーンライト パチョリ(Moonlight Patchouli): シプレ・フローラル・レザリー系。パチョリを中心に、バラとアイリスの繊細な花々、スエードの温かみが重なる。
  • ネロリ アマラ(Néroli Amara): フローラル・グリーン系。ネロリ(ビターオレンジの花)の瑞々しく清々しい香り。
  • アンブル アンペリアル(Ambre Impérial): アンバー・スパイシー系。ベルガモット、シナモン、アンバー、トンカビーンが帝王的な余韻を生む。
  • サンタル ブラン(Santal Blanc): フローラル・ウッディ・ムスク系。フィグミルクとサンダルウッドが柔らかく絡み合う。
  • ガルデニア ペタル(Gardénia Pétale): フローラル系。
  • オーキッド レザー(Orchid Leather): シプレ・レザー系。ラブダナムとバニラの植物性レザーにスパイス、乳香、ベチバーが絡む。
  • カリフォルニア レヴェリー(California Rêverie): フローラル系。ネロリ、ジャスミン、プルメリアが加州の陽気さを表現。
  • プレシャス ウード(Precious Oud): アンバー・フローラル系。ウードとサンダルウッドが核となる。
  • アンサン プレシュー(Encens Précieux)(2024年):ウッディ・アンバー系。乳香(フランキンセンス)を主役に、ブラックペッパー、ミルラ、レザーが複雑な燻香を奏でる。

このコレクションのパフューマーは複数の調香師が手がけており、ジボダン(Givaudan)とシムライズ(Symrise)という二大香料会社のプロフェッショナルたちが各作品を担当してきた。

ちなみに……

「ファースト」の波及効果: ヴァン クリーフ & アーペルがファーストで香水業界に参入した1976年を皮切りに、カルティエ、ブシュロン、モーブサンといった他の宝飾ブランドも相次いで香水市場へ参入するようになったと、当時の香水業界誌は伝えている。いわばヴァン クリーフ & アーペルが扉を開いた先に、ラグジュアリー宝飾ブランドの香水文化が花開いたとも言える。

日本との縁: メゾンは日本への進出においても先駆的であった。フランス系宝飾ブランドとして最初期に日本と中国に出店したブランドの一つとされる。日本では1973年から西武百貨店での販売を経て、1999年に銀座に初の直営店を開いた。そして2025年3月には、高島屋新宿店2階に日本初のフレグランス専用コーナーショップがオープンした。

アルハンブラとジャック・アーペル: コレクション エクストラオーディネールのコンセプトにも通じる「幸運」へのこだわりは、ジャック・アーペル(創業者夫妻の甥)の口癖にも現れている。庭で四つ葉のクローバーをこまめに摘んでは従業員に配り、「幸運を引き寄せるには、幸運を信じなければならない」と語り続けた彼の信念が、1968年生まれのアイコン「アルハンブラ」コレクションを生んだ。香水に込められた「幸運の探求」という姿勢は、こうした家族的な伝統と無縁ではない。

参考文献