エスティ ローダー(Estée Lauder)— 美しくなる権利はすべての女性にある

エスティ ローダーの世界観と代表製品「Beautiful Eau de Parfum 100ml」を表現したブランドイメージ ブランド創業者

「香りを鼻で嗅ぐのではない。心で嗅ぐのだ。」
—エスティ・ローダー(ザ・パフューム・ソサエティ(The Perfume Society) のジョー・フェアリーとの対話より)

  1. 基本情報
  2. 創設者・ブランドの成り立ち
    1. 少女時代——移民家庭と美への目覚め
    2. 叔父ジョン・シャッツとの出会い——運命の転換点
    3. 女優の夢と、もう一つの道
    4. 結婚、創業、そして最初の奇跡
  3. ブランドのこだわり
    1. 香りへの哲学——「嗅ぐのは心だ」
    2. ターコイズブルーのパッケージ——「バスルームになじむ色」
    3. 素材・品質への姿勢
    4. ラグジュアリー・フレグランス コレクションのパッケージ革新
  4. 香水ラインナップ
    1. ユース・デュー(Youth-Dew)——1953年、フレグランスの常識を変えた一本
    2. プライベート・コレクション(Private Collection)——1973年、自分だけの秘密の香り
    3. ホワイト・リネン(White Linen)——1978年、清潔感の金字塔
    4. ビューティフル(Beautiful)——1985年、1000の花の花束
    5. プレジャーズ(Pleasures)——1995年、「雨上がりの花束」
    6. ブロンズ・ゴッデス(Bronze Goddess)——「ボトルに入ったビーチ」
    7. モダン・ミューズ(Modern Muse)——2013年、現代の女性像
    8. ラグジュアリーな作品群とクラシック・コレクション
  5. ちなみに……
    1. パリ、ギャラリー・ラファイエット事件
    2. 「私の名前を電球で輝かせたかった」
    3. タイム誌が選んだ「20世紀で最も影響力のあるビジネスの才能20人」
    4. フランス名誉勲章(レジオン・ドヌール)と大統領自由勲章
    5. 「ジョーン・クロフォードが4度目の結婚を引き寄せた」

基本情報

  • 設立年: 1946年
  • 創設者: エスティ・ローダー(Estée Lauder)、ジョセフ・ローダー(Joseph Lauder)夫妻
  • 公式サイト: https://www.esteelauder.jp

※「エスティ」の読みについて:英語では「エスティー・ローダー(Estée Lauder)」と表記・発音されるが、日本市場では「エスティ ローダー」として定着している。

創設者・ブランドの成り立ち

少女時代——移民家庭と美への目覚め

1908年、ジョセフィン・エスター・メンツァー(Josephine Esther Mentzer)はニューヨークのクイーンズで生まれた。父マックスはプレスブルク(当時ハンガリー王国領、現スロバキアのブラチスラバ)出身のハードウェア店主、母ローズはハンガリーの美しい女性だった。幼い頃から母の美しさに魅了され、毎朝母のヘアをブラッシングし、クリームを塗ることが習慣になっていた。

「私が初めて美しさを認識したのは、母でした。」
—エスティ・ローダー

「エスティ(Esty)」という愛称から「エスティ(Estée)」という名前が生まれ、入学時にその綴りが定着した。正確な生年月日については公式にも非公開とされており、本人は「年齢を聞かれても、それはどうでもいいことよ」と軽やかにかわし続けた。

叔父ジョン・シャッツとの出会い——運命の転換点

1924年頃、エスティが16歳のとき、ハンガリー出身の叔父、化学者のジョン・シャッツ(John Schotz)が一家のもとに身を寄せた。シャッツはブルックリンに「ニュー・ウェイ・ラボラトリーズ(New Way Laboratories)」を設立し、独自の肌用クリームやシャンプーを製造していた。

エスティは台所で、そして後には裏庭の馬小屋を改装した小さな実験室で、叔父の調合の一部始終を見学した。彼女はその光景を、こう語っている。

「叔父のクリームは、魔法のようなとろけるテクスチャーで、甘い香りを漂わせ、肌をまるでシルクのように仕立て、夕方には小さな欠点を消し去ってくれた。」
—エスティ・ローダー

さらに彼女はこう言い添えた。

「若い娘にとって、夢を真剣に受け止めてくれる人が現れるということが、どういうことかわかる?秘密を教えてもらうことが?」
—エスティ・ローダー

この出会いが彼女の人生を決定した。エスティはやがて叔父のスーパー・リッチ・オールパーパス・クリームをもとに自分のブレンドを作り、学校の友人に試させるようになった。美容院で髪を整えてもらっていたとき、オーナーのフローレンス・モリスから「肌がなぜそんなに美しいの?」と聞かれたエスティは、後日自らクリームを持参してデモンストレーションを行い、モリスはすっかり魅了されて新しい自分のサロンで販売を依頼した。

女優の夢と、もう一つの道

エスティは女優志望の一面も持っていた。「女優こそ、美の極みだ」と考えていた彼女は、ニューヨークのチェリー・レーン・シアターで実際に舞台に立ったこともある。息子のレナードが劇場の後方で見守るなか稽古を続けたが、最終的に彼女を魅了したのは舞台の明かりではなく、スキンケアの処方だった。

「ネオンサインに自分の名前を輝かせたかった。でも、瓶に自分の名前が入れば、それで十分だと思った。」
—エスティ・ローダー

結婚、創業、そして最初の奇跡

1920年代後半、エスティはニューヨーク州モヒカン湖での夏のひとときに、ジョセフ・ローター(Joseph Lauter)と出会った。彼女は彼を「初恋の人」と呼んでいる。1930年に結婚してマンハッタンに移り住んだ夫妻は、ジョセフの父が欧州からアメリカに移民した際の書き誤りを正すべく、姓を「ローダー(Lauder)」に改めた。

エスティはまず、美容院で髪を乾かす女性たちの横で商品のデモンストレーションを行うことから商売を始めた。1946年、夫妻はついに会社を正式に設立。翌1947年、サックス・フィフス・アベニューから800ドル分の初受注を獲得し、製品は2日で完売した。

彼女のモットーは「電話、電報、そして口コミ(Telephone, Telegraph, Tell a Woman)」。代理店広告に頼るのではなく、5万ドルの広告予算をすべて無料サンプルや「購入時プレゼント(Gift with Purchase)」に充てた。この「購入特典」の発想は後に業界全体の標準慣行となった。

ブランドのこだわり

香りへの哲学——「嗅ぐのは心だ」

エスティ・ローダーは美容の専門家として出発したが、実は卓越した「鼻(ノーズ)」の持ち主でもあった。ザ・パフューム・ソサエティ(The Perfume Society) はエスティが「アメリカで唯一の真の鼻の持ち主」と評されたことを紹介している。彼女は香りの候補を友人たちに試してもらい、その反応を慎重に見極めた。

「瞳の奥を見れば分かる。笑顔であっても、目が笑ったときだけ、この香りが正しいと確信できる。」
—エスティ・ローダー

晩年、エスティは香りへの深い信念をこのような言葉で表現している。

「私たちは、香りが生活を豊かにする力を決して過小評価すべきではない。朝の最初の一本を空気にスプレーして、その中を歩き抜けてみなさい。その最初のひと吹きは一日の中で最も長く肌に残る。心が明るく、若々しくなるから。香りを嗅ぐのは鼻ではない——心で嗅ぐのだ。」
—エスティ・ローダー(ザ・パフューム・ソサエティ(The Perfume Society)との対話より)

ターコイズブルーのパッケージ——「バスルームになじむ色」

エスティは自らブランドのクリーム瓶の色として、ペール・ターコイズ(淡い青緑)を選んだ。その理由は「高級感があり、かつあらゆるバスルームのインテリアに調和する」というものだった。この色は今日もエスティ ローダーのアイコンカラーとして機能し続けている。

素材・品質への姿勢

エスティは常に、高品質の原材料を使うことを会社の絶対条件とした。彼女は「美しくなる権利はすべての女性にある」という確信のもと、製品の処方から販売手法まで一切を自ら管理した。後年、ブランドのフラグランス部門を牽引したカリン・クーリー(Karyn Khoury)は、フレグランス開発のシニア・バイス・プレジデントとして、エスティ自身と直接働いた経験を持つ。クーリーは社内の哲学として「ビジネスの考慮と情熱的な創造性の繊細なバランス」を掲げ、エスティから「感情的な本能」を磨くことを教わったと語っている。

ラグジュアリー・フレグランス コレクションのパッケージ革新

2023会計年度、エスティ ローダーはラグジュアリー・フレグランス コレクション(Luxury Fragrance Collection)のボトルをリサイクル可能・リフィル対応のガラスボトルに切り替えた。ライフサイクル・アセスメントによると、リフィルを1回利用することで、排出量と水消費量を初回購入比で20%削減でき、包装重量も40%軽量化されたという。

香水ラインナップ

ユース・デュー(Youth-Dew)——1953年、フレグランスの常識を変えた一本

エスティ ローダーにとって初めてのフレグランスは、1953年に誕生したバスオイル「ユース・デュー(Youth-Dew)」だった。当時のアメリカでは、女性が自分で香水を買う習慣はほぼなかった。香水は夫や恋人からの誕生日・記念日のプレゼントであり、特別な場でしか使わないものだったのである。

エスティはその壁を、巧妙に乗り越えた。「香水」と呼ばなければいい——そう考えた彼女は、バスオイルという名目で製品を市場に出した。

「当時、女性は夫が誕生日や記念日に贈ってくれる香水を待つものだった。女性が自分で香水を買うことはなかった。だから私は、新製品を”香水”と呼ばないことにした。ユース・デューと名付けた。」
—エスティ・ローダー(ザ・パフューム・ソサエティ(The Perfume Society)との対話より)

ユース・デューという名前は、以前のスキンケアシリーズに使っていた名前から借りた。ローズ、ラベンダー、ジャスミン、スパイス、ベチバー、パチョリが重なり合うこの官能的な東洋系フローラルは、女性たちの心を一瞬でつかんだ。香水として数滴使うのではなく、バスタブに思い切りそそぐ「バスオイル」として発売されたことで、消費量も劇的に増えた。

発売初年度で5万本を売り上げ、1984年には累計1億5000万ドルの売上高に達したという。

ユース・デューの調香には、エスティのビジネスパートナーだったアーノルド・ルイス・ファン・アメリンゲン(Arnold Lewis van Ameringen)の会社が関わった。後に同社を母体の一つとして誕生したアイエフエフ(IFF/インターナショナル・フレーバー・アンド・フレグランス)は、公式の香水史で作者をジョセフィン・カタパノ(Josephine Catapano)と明記している。

プライベート・コレクション(Private Collection)——1973年、自分だけの秘密の香り

「あなたの香水、どこのもの?」と問われるたびに、エスティは「プライベート・コレクションのものよ(It’s from my private collection)」とだけ答えた。これは単なる洒落た返答ではなく、本当に”自分だけのため”に作られた香りだった。

調香師ヴァンセント・マルセロ(Vincent Marcello、カロン「ヤタガン」やハルストン「ゼット・フォーティーン(Z-14)」の作者)がエスティ個人のために調香したこの香りを、1973年に市販化に踏み切った。グレース・ケリーもこの香りを愛用したと伝えられる。

グリーン・ノートとフローラルが絡み合う気品あるシプレ(chypre:木苔、オークモス等を基調とした香りの大分類)で、最初期には最も高価なエスティ ローダーのフレグランスとして売り出された。ノートはレモン、ヒヤシンス、ナルシッサス、ローズ、ジャスミン、ガルバナム、アンバー等。

ホワイト・リネン(White Linen)——1978年、清潔感の金字塔

1978年、エスティ ローダーは「ニュー・ロマンティックス(New Romantics)」と名付けたトリオのフレグランスを発表した。「ホワイト・リネン(White Linen)」「セラドン(Celadon)」「パビリオン(Pavilion)」の3本は、重ねづけして楽しむという当時としては先進的なコンセプトを提案したものだった。

3本の中で圧倒的に売れ、今日まで続くロングセラーとなったのがホワイト・リネン。調香師はソフィア・グロジュマン(Sophia Grojsman)で、アルデヒド(Aldehyde:石けんや洗濯物を想起させる、明るく発泡的な化学香料成分)を大胆に使い、糊の利いたシャツが日干しされるような清潔感を体現している。

ビューティフル(Beautiful)——1985年、1000の花の花束

1985年に登場した「ビューティフル(Beautiful)」は、エスティ ローダーを代表するフローラル・フレグランスであり、「1000の花の香り」というキャッチコピーで知られる。ブライドルをテーマとし、「すべての女性が最も美しく輝く瞬間を香りで表現した」とされる。

調香にはカリン・クーリー(Karyn Khoury)が関わっており、ローズ、ユリ、チューベローズ、オレンジ・ブロッサム、マンダリン、マリーゴールド、ジャスミン、イランイランなどの花々がサンダルウッドとアンバーのベースに支えられた豊かな構造を持つ。ボトルのデザインはアイラ・レヴィ(Ira Levy)によるもの。発売後から1990年代にかけてのブランドアンバサダーには、ポーリナ・ポリスコワ(1988〜1994年)、エリザベス・ハーレー(1995〜1997年)といったモデル・女優が起用された。

プレジャーズ(Pleasures)——1995年、「雨上がりの花束」

1995年に発売された「プレジャーズ(Pleasures)」は、フィルメニッヒ(Firmenich)の調香師チームによって生み出されたフレッシュ・フローラル。ホワイト・リリー、ホワイト・ペオニー、ジャスミン、バイ・ローズ(Baie Rose:ピンクペッパー)を中心に構成され、フレグランス・ファウンデーションのフィフィ(FiFi)賞を受賞している。「すべての季節、すべての瞬間に似合う香り」として設計された。

カリン・クーリーはプレジャーズの開発にも深く関わっており、「雨上がりの新鮮な花束」というコンセプトを現代的な女性像に結びつけた。

ブロンズ・ゴッデス(Bronze Goddess)——「ボトルに入ったビーチ」

「ブロンズ・ゴッデス(Bronze Goddess)」は、夏の人気フレグランスとして定番的な地位を築いている。オリジナルのオー・フレッシュ(Eau Fraîche)版はオーレリアン・ギシャール(Aurélien Guichard)が調香。アンバー、ヴァニラ、ベルガモット、ジャスミン、ココナッツ・ミルク、サンダルウッドが溶け合う南国リゾートを想起させる構成。2017年にはより濃厚なオー・ドゥ・パルファン(Eau de Parfum)版が新たに加わっている。

モダン・ミューズ(Modern Muse)——2013年、現代の女性像

2013年登場の「モダン・ミューズ(Modern Muse)」は、マンダリン、ハニーサックル・ネクター、チューベローズ、リリー、パチョリ、アンバーウッド、スウェードムスク、ヴァニラが複雑に絡み合うマルチファセット構成。カリン・クーリーの指揮のもと作られた。姉妹作「モダン・ミューズ ル・ルージュ オー・ドゥ・パルファン」は、フレグランス・ファウンデーションの2016年アワードで360度マーケティング・キャンペーン部門を受賞している。

ラグジュアリーな作品群とクラシック・コレクション

これまでのラグジュアリーな作品群には、プライベート・コレクションの精神にも通じる現代的な香りとして「ウッド・ミスティーク(Wood Mystique)」(中東の伝統技法に着想したユニセックスのウッディ・フローラル)や「アンバー・ミスティーク(Amber Mystique)」などがあり、また伝統的なクラシック作品(ユース・デュー、ホワイト・リネン、ビューティフル、プレジャーズ、ノウイング、センシュアス等)が現在も現役ラインとして販売されている。

ちなみに……

パリ、ギャラリー・ラファイエット事件

エスティ ローダーの自伝的な逸話として有名なのが、「ギャラリー・ラファイエットのユース・デュー事件」だ。1960年代、パリのギャラリー・ラファイエット(Galeries Lafayette)に商品の取り扱いを申し入れたエスティは、バイヤーから断られた。店を出ようとしたとき、エスティは「うっかりを装って」ユース・デューのバスオイルを店内のカーペットにこぼした。たちまち周囲に官能的な香りが広がり、客が「これはどこで買えるの?」と騒ぎ始め、店側は商品を扱わざるを得なくなったという。

なお、この「香りをこぼして注目を集める」という戦術は、20世紀初頭のフランスの調香師フランソワ・コティ(François Coty)にまつわる似た逸話の影響下にあるとも言われており、エスティがコティにインスパイアされた可能性を指摘する見方もある。

「私の名前を電球で輝かせたかった」

エスティは若い頃、俳優になることを夢みていた。「女優こそ美の象徴だ」と信じていた彼女は、実際にニューヨークのチェリー・レーン・シアターで舞台に立つが、最終的に美容の世界へと引き戻された。

「ネオンサインに自分の名前を輝かせたかった。でも、瓶に自分の名前が入れば、それで十分だと思った。」
—エスティ・ローダー

タイム誌が選んだ「20世紀で最も影響力のあるビジネスの才能20人」

1998年のタイム誌による「20世紀で最も影響力のあるビジネスの才能20人」リストにエスティ・ローダーが選出されたが、そのリストで唯一の女性だったのである。

フランス名誉勲章(レジオン・ドヌール)と大統領自由勲章

エスティは生涯に多くの名誉を受けた。フランスの最高勲章「レジオン・ドヌール(Legion of Honor)」はエスティにとって生涯で最も誇りある栄誉のひとつと語っていた。また2004年には、死後に米国の「大統領自由勲章(Presidential Medal of Freedom)」も贈られている。1994年には米国香水師協会(American Society of Perfumers)から初の「リヴィング・レジェンド賞(Living Legend Award)」が贈られた。

「ジョーン・クロフォードが4度目の結婚を引き寄せた」

エスティは晩年、ユース・デューをガロン(約3.8リットル)単位でハリウッドのファンたちに販売した。その中にはグロリア・スワンソン、ドロレス・デル・リオ、そしてジョーン・クロフォードもいた。クロフォードは「あの匂いのおかげで4人目の夫を射止めた」と述べたという。

参考文献