ボンド・ナンバーナイン(Bond No. 9)―9.11から生まれたニューヨークへの讃美香

ブランド創業者

「9.11のあと、ニューヨークに何かしたかった。
パリ生まれの私が、この街のためにできることは何か——それが、ボンド・ナンバーナインの始まりでした。」

— ローレス・ラメ(創業者・プレジデント)[1]

基本情報

設立年: 2003年
創設者: ローレス・ラメ(Laurice Rahmé)
本拠地: アメリカ・ニューヨーク、ノーホー地区
公式サイト: https://www.bondno9.com

創設者・ブランドの成り立ち

パリから骨董の世界へ

ローレス・ラメは、フランス・パリで生まれ育った。
学生時代はルーヴル美術館で美術を学んでおり、パリのレ・アル(Les Halles)地区のサン=ドニ通りとコッソヌリー通りの角に自らの骨董店を構えていた。この美術・工芸への造詣の深さは、のちにボンド・ナンバーナインのボトルデザインや店舗内装へと結実することになる。[2][3][4]

ランコム入社——21歳でのキャリアスタート

1973年、ラメは21歳でランコム(Lancôme)にインターナショナル・トレーニング・ディレクターとして入社した。その若さで中東市場の拡大を担当し、22カ国でのビジネス展開に貢献、スキンケア事業を3倍に伸ばしたと伝えられている。
クウェート、サウジアラビア、ドバイなどを担当した彼女は、中東と欧米という異なる文化をまたいで仕事をする中で、「人はみな同じではない。食べ物も、服も、色の好みも、関係性も、趣味も違う。美容製品は多様な好みに適応しなければならない」という信念を深めていった。[2]

1976年には、ランコム・ボーテ・インスティテュートのディレクターとしてニューヨークに移り、ロレアルUSA(当時はコスメア社)の本社勤務へと移行する。ラメは後にランコムを「私の大学だった(L’Oréal was my university)」と表現している。[3][4]

アニック・グータルとの出会い——ニッチフレグランスへの開眼

その後、ラメはパリのフレグランスデザイナー、アニック・グータル(Annick Goutal)と出会い、そのアメリカ市場への導入を担うことを決意する。1989年から1995年にかけて、ラメはアニック・グータルUSAのプレジデント兼パートナーとして、この小さなパリのブランドをアメリカ市場で成功させた。[5]

その手法は独特だった。

「アニック・グータルをアメリカに持ち込んだとき、それはニッチフレグランスの最初の成功事例でした。15種類の香水と、ひとつのフラコン(瓶)デザインで。香水の見方を変えることが、テーマでした。」

— ローレス・ラメ[4]

彼女は百貨店の香水カウンターの片隅に小さく出すことを拒否し、ブランドイメージを体現したミニチュア・イン・ストア・ブティックを展開するよう百貨店側に求めた。この姿勢は、後のボンド・ナンバーナインの独立路線にも一貫して引き継がれることになる。[2]

クリードUSAの経営へ

アニック・グータルでの成功の後、ラメはクリード(Creed)のアメリカ市場流通権を1995年に取得し、自身で100%の出資のもと「ローレス・アンド・カンパニー(Laurice & Co.)」を設立した。ニューヨークのマディソン・アベニューに2店舗、そしてボンド・ストリートに1店舗を自己資金で開いた。この3店舗目こそが、のちにブランド名の由来となる「ボンド・ストリート9番地」の店舗であった。[2]

「ランコムにいたときも、アニック・グータルのときも、常にどこかで創造性が抑圧されているように感じていた。パリで育ち、美術を学んだ私には、香水の芸術性というものが常に念頭にあった。だから、これは自然なビジネスの進化だった——なぜならそれは情熱だから(it is a passion)。」

— ローレス・ラメ[4]

9.11と、ニューヨークへのラブレター——ボンド・ナンバーナイン誕生

2001年9月11日の同時多発テロは、ラメの人生を変える出来事となった。ニューヨークのダウンタウンに事務所を構えていた彼女は、あの日以来、何週間も街に漂い続けた悪臭を目の当たりにした。

「あの攻撃の後、街には何週間も、あの恐ろしい匂いが漂っていました。私はニューヨークをもう一度、良い香りで満たしたかった。パリでは、香水師たちが何世紀にもわたって街区ごとの香りをつくってきた。でもここでは、まだ誰もやっていなかった。」

— ローレス・ラメ[4]

20世紀のフランス香水界が「ジャルダン・ドゥ・バガテル」や「シャンゼリゼ」「24フォーブール」など、パリの各地区に向けた香水をつくり続けてきたことに着想を得て、ラメは21世紀のニューヨークを香りで記録するという壮大なプロジェクトを立ち上げた。[1]

2003年、彼女はノーホー地区のコブルストーンの小道に佇む、第二帝政様式の鋳鉄製ビルの1階に店舗を構え、ボンド・ナンバーナインを正式に創業した。その住所こそが、ブランド名の由来となった「ボンド・ストリート9番地(9 Bond Street)」である。開業時には16種類の「ネイバーフッド・フレグランス(地区の香り)」を一斉に発売した。[6][7]

アメリカの香水業界において、女性がパフュームメゾンのトップに立つのはラメが初めてのことでもあった。[7][5]

ブランドのこだわり

香りづくりの哲学——芸術性の復活

ボンド・ナンバーナインのブランドミッションは、「2つの美しい顔」を持つ。[7]

「私たちのブランドミッションには、2つの美しい顔がある。ひとつは、香水づくりに芸術性を取り戻すこと。もうひとつは、ニューヨークの各ネイバーフッド(街区)を、それぞれ独自のオリジナルな香りで讃えること。」

— 公式サイト、ブランドフィロソフィーより[7]

この哲学を香りの面で支えているのが、高濃度のエキスである。ボンド・ナンバーナインの香水は原則として18〜30%という高濃度のピュア・エキスを使用しており、これは1920〜30年代の本格的なオードパルファムの濃度水準に匹敵する。一般的な大量生産の香水が5〜20%程度であることと比べると、この濃度へのこだわりはブランドの「持続する香り」への信念を体現したものといえる。[8][7]

香りの開発にあたっては、モーリス・ルーセル(Maurice Roucel)、フランシス・カマイ(Francis Camail)、ミシェル・アルメラック(Michel Almairac)といった香水界の巨匠たちとコラボレーションしてきた。[9][10][11][2]

ボトルデザイン——星型の「スーパースター・フラコン」

ボンド・ナンバーナインのボトルは、星型(スター・シェイプ)という独特のシルエットを持つ。公式にも「スーパースター・フラコン」と称されるこのデザインは、一度見たら忘れがたいアイコニックな外観を持ち、コレクターの間でも特別な価値を持つオブジェとして扱われる。各フレグランスにはそれぞれ異なるカラーリングと表面デザインが施され、街区のキャラクターや世界観を視覚的に表現している。[12][13][14]

ラメ自身がすべての店舗の内装デザインも手がけており、ノーホーのフラッグシップ店はヴェルサイユ宮殿へのオマージュを込めた内装で、クリスタル・シャンデリアやスモーキー・ミラー、シグネチャーのラッカー・レッドのチェアが並ぶ。[5]

また、ボトルにスワロフスキー・クリスタルを装飾した限定版コレクションも展開されており、香水の枠を超えたラグジュアリー工芸品としての側面を持つ。[6]

独立性へのこだわり

ボンド・ナンバーナインは創業以来、外部資本の傘下に入ることを一切拒否してきた。ラメ自身が100%独立経営を維持し、社員の80%が女性であることもブランドのアイデンティティの一部となっている。[5]

「ボンドには企業による買収はない(No corporate takeover for Bond No. 9)。私は自由に革新し、限界を押し広げる自由を大切にしている。」

— ローレス・ラメ[5]

香水ラインナップ

中核コレクション——ニューヨーク・ネイバーフッド

ブランドの根幹をなすのは、ニューヨーク各地区の名を冠したネイバーフッド・フレグランスのコレクションである。2003年の創業時に16種類でスタートし、2019年時点で70種以上、現在はさらに拡充されている。チャイナタウン(Chinatown)、ウォール・ストリート(Wall Street)、チェルシー・フラワーズ(Chelsea Flowers)、リトル・イタリー(Little Italy)、ソー・ニュー・ヨーク(So New York)など、ニューヨークの地名を冠した香水群が核となる。[1][5]

それぞれの香水は、その街区の「バイブレーション、歴史、住む人々と、そこに憧れる人々」を捉えることを目的として開発されている。たとえばウォール・ストリートには「マリン・ノート(シーケール)」が、ニュー・ハーレムには「コーヒーノート」が宿る。[4]

アイ・ラブ・ニューヨーク・コレクション

2011年にはニューヨーク州と提携し、ミルトン・グレイザー(Milton Glaser)デザインの「I ♥ NY」ロゴを使ったフレグランスシリーズを発売した。ハー(for Her)、ヒム(for Him)、フォー・オール(for All)の3種構成で、ニューヨーク市だけでなくニューヨーク州全体の多様性を香りで表現した。[15][16][3]

セント・オブ・ピース(The Scent of Peace)

9.11をきっかけに生まれたブランドの精神を象徴するような香水として、グレープフルーツ、ブラックカラント、スズラン(リリー・オブ・ザ・バレー)、シダーウッド、ムスクを組み合わせたセント・オブ・ピースがある。ボトルには「平和の使者」として飛翔する鳩のデザインが施されており、ブランドのベストセラーとなった。2013年にはメンズ版も追加された。この香水の社会的意義が認められ、2015年にはラメが香水界初の「国連女性平和協会(UN Women for Peace Association)ピース・アワード」を受賞した。[17][18][19][20]

ドバイ・コレクション

ニューヨークという地域的制約を超えた展開として、ドバイ・コレクションがある。ルビー(Ruby)、アンバー(Amber)、ダイアモンド(Diamond)、エメラルド(Emerald)など宝石の名を冠した複数の香水で構成され、東洋と西洋、伝統と現代が交差するオリエンタルなテイストが特徴だ。ドバイ・ダイアモンドのボトルには270個以上のスワロフスキー・クリスタルが手作業で装飾されている。[21][22]

アンディ・ウォーホル・コレクション

2007年よりアンディ・ウォーホル・ファウンデーション(The Andy Warhol Foundation for the Visual Arts)とライセンス契約を結び、ウォーホルの作品を纏ったフラコンのコレクションを展開した。ウォーホルゆかりのニューヨークの場所——「シルバー・ファクトリー(Silver Factory)」「ユニオン・スクエア(Union Square)」「レキシントン・アベニュー(Lexington Avenue)」——を冠した香水が生まれた。ただし、このコラボレーションはのちに終了し、各香水はその後、ウォーホル名を冠さない新たな名称・パッケージへとリパッケージされた。[23][13][24]

ボンド・パフュミスタ——カスタム調香サービス

ブランドが「プライベート・ボンド(Private Bond)」と呼ぶカスタム調香サービスも展開している。「ボンド・パフュミスタ(Bond Perfumista)」と呼ばれるスタッフが顧客の香りの好みをヒアリングし、複数の香水を独自にブレンドしてオーダーメイドの香水を一本仕立てる。これは「世界初のアット・ホーム・フレグランス・システム」をパイオニアとして打ち出したものであるとブランドは説明している。[25][5]

ちなみに……

  • ブランドのトレードマークのひとつに「ボンドモービル(Bond Mobile)」がある。英国製のロンドン・タクシーをボトルデザインに合わせて装飾し、顧客やメディア編集者を目的地まで送迎するストリート・マーケティング施策として活用されている。[6]
  • ボンド・ストリートという通り名は、18世紀にニューヨーク市議員サミュエル・ワード氏が、当時の社債券(Bond)の名前にちなんで自分の名前を残したいと考えたことで命名されたと伝えられている。香水メゾンの名前に「社債の名前」が由来として含まれているという、何とも独特な来歴である。[26]
  • 2007年にはブルームバーグ市政のリサイクル推進に共鳴し、フレグランス業界初のガラス瓶回収リサイクル・プログラムを立ち上げた。また、2019年には詰め替え可能なリップスティックコレクション「ニューヨーク・リップス(New York Lips)」も発売し、サステナビリティへの姿勢も打ち出している。[5]
  • 2010年にはフラグランス・ファウンデーション・アワード(Fragrance Foundation Award)にて、アスター・プレイス(Astor Place)がウィメンズ・ヌーヴォー・ニッシェ、ブルックリン(Brooklyn)がメンズ・ヌーヴォー・ニッシェ部門をそれぞれ受賞した。[27]
  1. Laurice Rahme of Bond no. 9: an interview – https://nstperfume.com/2005/10/10/laurice-rahme-of-bond-no-9-an-interview/
  2. An interview with Bond No.9 Founder, Laurice Rahme – https://basenotes.com/interviews/an-interview-with-bond-no-9-founder-laurice-rahme/
  3. Interview with Bond No 9 Founder Laurice Rahmé – https://www.thebeautyinfluencers.com/2019/10/31/interview-with-bond-no-9-founder-laurice-rahme/
  4. Bond No. 9 – Wikipedia – https://en.wikipedia.org/wiki/Bond_No._9
  5. Laurice Rahmé – Wikipedia – https://en.wikipedia.org/wiki/Laurice_Rahm%C3%A9
  6. Bond No. 9 公式サイト:Philosophy – https://www.bondno9.com/pages/philosophy
  7. UN Women for Peace Award プレスリリース(PR Newswire, 2015年3月18日)– https://www.prnewswire.com/news-releases/just-in-time-for-the-10th-anniversary-of-the-scent-of-peace-our-celebrated-bestselling-eau-de-parfum-bond-no-9-and-our-founder-president-laurice-rahme-are-proud-to-announce-winning-the-un-women-for-peace-associations-coveted-peace-award-300051989.html
  8. The name is Bond – Gulf News – https://gulfnews.com/general/the-name-is-bond-1.80405
  9. Bond No. 9 repackages and relaunches 5 fragrances; bye-bye Andy Warhol – Basenotes – https://basenotes.com/community/threads/bond-no-9-repackages-and-relaunces-5-fragrances-bye-bye-andy-warhol.324335/
  10. Bond No 9 New Haarlem: Fragrance Review – Bois de Jasmin – https://boisdejasmin.com/2006/05/new_haarlem_by_.html
  11. More on new perfumes from Bond no. 9 (Scent of Peace by Michel Almairac) – Now Smell This – https://nstperfume.com/2006/03/23/more-on-new-perfumes-from-bond-no-9-le-labo/
  12. FRAGRANCE REVIEWS Bond No.9 – A Trip “Downtown” – Cafleurebon – https://cafleurebon.com/fragrance-reviews-bond-no-9-a-trip-downtown/