セリーヌ・エレナ(Céline Ellena)──香りを書く物語作家

セリーヌ・エレナのスケッチと代表作品を掲載した調香師名鑑のサムネイル

「私たちは記憶を刺繍し、絆を織り、魂を繕う者だ、と言うほうが好きです。」

セリーヌ・エレナ。自身のウェブサイト「ア・ヴュ・ドゥ・ネ」での言葉。

調香史

三代にわたる調香師の家で

セリーヌ・エレナは南フランスのグラースで育ちました。祖父のピエール・エレナ(Pierre Ellena)は香料会社シリス(Chiris)の調香師。父は、のちにエルメス(Hermès)の専属調香師となるジャン=クロード・エレナ(Jean-Claude Ellena)です。叔父のベルナール・エレナ(Bernard Ellena)も、同じ仕事をしています。

香料や小さな瓶が身近にある環境でした。しかし、その環境がそのまま、自分の好きな香水を自由にまとうことにつながったわけではありません。

香りの専門誌ネ(Nez)に寄せた文章で、セリーヌは10歳の誕生日を思い出しています。男の子から贈られたのは、スイカズラの花をかたどった瓶の香水でした。瓶を開けて嗅ぐことはあっても、肌にはつけなかったそうです。家族が何と言うだろう、学校の友達はどう思うだろう。そんな思いが先に立っていました。

早くから香りを知っていたことと、香りに自分の感情を預けられること。その二つには、少し距離があったのです。

言葉と人の心を学んでから

セリーヌは最初から調香だけを学んだわけではありません。パリ第5大学で言語学・コミュニケーション科学と心理学を学び、大学一般教育修了資格にあたる二つの学位を取得しています。香水の仕事へ進む前に、言葉が何を伝え、人がそれをどう受け止めるのかに触れていたことになります。

その後、ヴェルサイユの香料・化粧品・食品香料の専門校イジプカ(ISIPCA)で学び、1994年に卒業。ハーマン&ライマー(Haarmann & Reimer)に入社します。のちのシムライズ(Symrise)につながる香料会社です。

出発点は、高級香水ばかりの華やかな仕事ではありませんでした。コーンビニ(Konbini)の映像インタビューでは、シャンプーやジェル、さらにはコンドームに香りをつける仕事も経験したと紹介されています。製品の中でどう香りを働かせるかを学ぶ、実務の時間でもありました。

同社で約10年間働いたのち、2004年6月にシャラボ(Charabot)へ移ります。さらにこの年、父がエルメスの専属となったことを受け、ザ ディファレント カンパニー(The Different Company)の香水制作を引き継ぎます。

その姿勢を、ブランドの公式サイトではこう語っています。

「私はコストやマーケティングの制約を受けず、できる限り最良の香りを作ることを目的に、香水を構成します。」

セリーヌ・エレナ、ザ ディファレント カンパニー公式「調香師たち」。

父と同じ場所で仕事をすることは、父の作品を繰り返すことではありません。セリーヌはこのブランドで、塩気のあるベチバー、苔を使わないシプレ、軽やかなアンバーなど、自分の問いを作品にしていきます。

直感に手綱を渡した香水

セリーヌの創作を考えるうえで、忘れられない香水が二つあります。ティエリー ミュグレー(Thierry Mugler)のエンジェル(Angel、1992年)と、イッセイ ミヤケ(Issey Miyake)のル フー ドゥ イッセイ(Le Feu d’Issey、1998年)です。

ネに掲載された自身の文章では、エンジェルに対して男性調香師たちが厳しい言葉を向ける一方、女性たちが実際にそれを手にしていった光景を振り返っています。既成の判断と、香りをまとう人の気持ちは、必ずしも同じ方向を向いていませんでした。

そしてル フー ドゥ イッセイとの出会いについて、次のように書いています。

「この香水は、さまざまな感情がぎゅっと詰まった球のようで、まったく合理的ではありませんでした。そして突然、古典的な型から自由になることを私に許してくれたのです。それ以来、私の頭は直感の手綱を緩めました。」

セリーヌ・エレナ、ネへの寄稿。2022年12月執筆、2023年1月掲載。

それまで頭で学び、分析してきた香水が、心を動かすものに変わる。セリーヌが香りを単なる構造ではなく、物語として語る背景には、こうした経験があります。

独立して聞こえてきた、家の呼吸

シャラボとロベルテ(Robertet)の再編を経て、セリーヌは2010年に独立し、ネゼン(NeZeN)を設立します。パリを離れ、家族とともにグラース近郊へ。カブリ、そしてスペラセードへと活動の場所を移していきます。

都会の音に囲まれていた人にとって、静かな暮らしは、最初から安らかだったわけではありません。のちにエルメスのホームフレグランスを発表した際には、移住後、沈黙をどう扱えばよいのか分からなかったと話しています。

しかし、耳と鼻を澄ませているうちに、その静けさの中にも動きがあると気づきます。家の音、雨の気配、窓から入る空気。2014年のコレクションを支えたのは、そんな日常でした。

2009年から続けてきた文章の発信、クロニック・オルファクティーヴ(Chroniques Olfactives)も、創作と切り離された趣味ではありません。香りに出会い、それを言葉にし、別の香りとして組み立てる。セリーヌにとって、書くことと調香することは隣り合っています。

創作哲学── 日常の記憶を、香りの物語に

鼻でも、ペンでも書く

ジュース パルファン(J.U.S Parfums)は、セリーヌを、日々の暮らしに着想を得た香りの物語を語り、ペンと同じように鼻でも書く人として紹介しています。

自ら主宰する嗅覚ワークショップ、ア・ヴュ・ドゥ・ネ(À Vue de Nez)も、その延長線上にあります。良い香りを当てるための試験ではなく、匂いに出会い、素材と向き合い、自分の感情や好みを発見する場所です。

冒頭の、記憶を刺繍し、絆を織るという言葉は、その仕事を説明しています。香水を外から与えられる正解とせず、使う人の人生や記憶と結びつくものとして考えているのです。

古典の中心を、少しずらしてみる

セリーヌの作品には、ある香調を成立させているお約束を、あえて外してみる試みがあります。

ザ ディファレント カンパニーのスブリーム バルキス(Sublime Balkiss、2008年)は、オークモスを使わずに組み立てたシプレとして紹介されました。続くオリエンタル ラウンジ(Oriental Lounge、2009年)では、バニラを中心に置かないアンバーの表現を探っています。

何かを減らすこと自体が目的ではありません。ある素材に頼らずとも、その香調の魅力は伝わるのか。そう問い直すことで、親しみのある香りに別の表情を与えているのです。

一方、ラルチザン パフューム(L’Artisan Parfumeur)のコート ダムール(Côte d’Amour、2009年)では、天然由来の原料による処方とエコサート認証の条件に取り組みました。天然素材だけの仕事もあれば、合成香料の働きを生かす仕事もあります。素材の出自だけで創作の可能性を決めず、何を感じさせたいかから選んでいく姿勢がうかがえます。

父と似ていること、同じではないこと

香水評論サイト、グラン ドゥ ミュスク(Grain de Musc)のデニーズ・ボーリュー(Denyse Beaulieu)は、エルメスのホームフレグランスを評する中で、父の美学との親近性に触れています。素材の軽やかさ、紋切り型を避ける姿勢、詩的な簡潔さ。しかし、父のエルメス作品の変奏ではないとも述べています。

同じ土地、同じ家庭、同じ素材に親しんできた二人には、響き合う部分があるのでしょう。それでも、セリーヌが何を記憶し、どんな場面を香りにしたいかは、セリーヌ自身のものです。

代表作とその背景

セル ドゥ ベチバー── 肌に残った海の記憶

2006年、ザ ディファレント カンパニーから発表されたセル ドゥ ベチバー(Sel de Vétiver)。その着想源の一つとして伝えられているのが、海で泳いだ後、肌の上で塩が乾いていく感覚です。

グレープフルーツやカルダモンの明るさと、ベチバーの根を思わせる乾いた香り。そこに塩気の印象が重なることで、海を思わせながら、単なる水のような香水にはなりません。

香水評論サイト、ボワ ドゥ ジャスマン(Bois de Jasmin)のヴィクトリア・フロロヴァ(Victoria Frolova)は、透明なスパイスの薄衣と土のようなベチバーの重なりを評価しています。素材一つを写すのではなく、肌、空気、乾いていく水分までを一つの風景として構成する。セリーヌらしさを知るための重要な作品です。

ドゥ バシュマコフ── ロシアを、重さではなく質感で

ドゥ バシュマコフ(De Bachmakov、2010年)は、ブランドのアートディレクター、ティエリー・ド・バシュマコフ(Thierry de Baschmakoff)のロシアのルーツと、2010年のフランス・ロシア交流年を背景に生まれました。

名前は、サンクトペテルブルクの通りに由来するものではありません。ブランドをともに形作る人物の来歴が、出発点になっています。

この作品でセリーヌが探ったのは、甘くならないパウダリーさ、滑らかで艶を抑えた鉱物的な質感でした。ロシアという大きな主題を、豪華さや重厚さだけに結びつけず、冷たさや柔らかさの微妙な釣り合いとして表現しています。

ル パルファン ドゥ ラ メゾン── 耳を澄ませて嗅ぐ

2014年に発表されたエルメスのル パルファン ドゥ ラ メゾン(Le Parfum de la Maison)は、セリーヌが手がけた五つのホームフレグランスから成ります。

発表会での本人の言葉を、デニーズ・ボーリューが伝えています。

「家には、それぞれの呼吸の仕方があります。かさかさと音を立て、きしむのです。」

セリーヌ・エレナ、エルメスのホームフレグランス発表会、2014年。

さらに、室内に置く香りをこう表現しました。

「インテリアの香りとは、私たちが耳を澄ませて聞く匂いです。どこかへ抜け出したくなる、嗅覚のささやき。その香りとともに、精神が宙へ浮かびます。」

セリーヌ・エレナ、同発表会。

雪の上の足跡を意味するデ パ シュール ラ ネージュ(Des Pas sur la Neige)、雨の時間を描くタン ドゥ プリュイ(Temps de Pluie)、開いた窓のフェネートル ウヴェルト(Fenêtre Ouverte)、開けた野のシャン リーブル(Champ Libre)、そしてア シュヴァル!(À Cheval!)。

それぞれに色と場面が与えられ、デザイナーのギヨーム・バルデ(Guillaume Bardet)による器や、馬をかたどった紙のオブジェ、キャンドルなどへ展開されました。部屋を強い香りで満たすだけでなく、そこにいる人の想像を少し動かすためのコレクションです。

ラ ベル セゾン── 春が降ってくる感覚

ウビガン(Houbigant)のラ ベル セゾン(La Belle Saison、2020年)では、春の訪れが主題になりました。

ブランドの公式紹介で、セリーヌはこう語っています。

「春の訪れが、羽の雨のように軽やかに包み込むとき。それが、ラ ベル セゾンの香りです。」

セリーヌ・エレナ、ウビガン公式「ラ ベル セゾン」。

ミモザやオレンジブロッサム、スズランの印象に、アプリコットの花を思わせる柔らかさ。さらにサンダルウッドやムスクが、その軽さを受け止めます。

ボッティチェリ(Botticelli)の絵画、春(Primavera)も、ブランドが示すイメージの一つです。特定の花の輪郭を強調するより、花が咲く季節の光や空気をまとわせたい。引用の羽の雨という表現は、その違いを伝えています。

アトリエ エレナ── 父娘で書く、三つの章

父娘の共同活動は、アトリエ エレナ(Atelier Ellena)としても形になります。サンボン(100BON)の創業者、クリストフ・ボンバナ(Christophe Bombana)との関係から生まれたコレクションは、欲望を意味するデジール(Désir)を主題に、2021年末に紹介されました。

サンボンは、その協業を次のように説明しています。

「ジャン=クロードとセリーヌ・エレナは今日、自分たちの人生に着想を得た、肉体的で、自発的で、感受性に満ちた香水を分かち合いたいと考えています。」

サンボン公式「アトリエ エレナによるオードパルファム」。ブランドによる二人の紹介。

三つの章をなすのは、ムスク&ジャスミン(Musc & Jasmin)、ベチバー&イリス(Vétiver & Iris)、アンバー&トンカ(Ambre & Tonka)です。幼年期の感覚、過ぎ去った恋、親密な欲望を、それぞれ異なる素材の組み合わせに託しています。

父の名だけを載せる香水データベースもありますが、ブランドはこのシリーズを、父娘による四手の創作と位置づけています。個々の仕事を重ねてきた二人が、共通の題材に向き合った共同企画として読むことができます。

ちなみに…

  • 好きな香水として、シャネル(Chanel)のボワ デ ジル(Bois des Îles、1926年)を挙げています。ル フー ドゥ イッセイとともに、本人が自らの感覚を説明する際に取り上げた作品です。
  • 抽象画家ピエール・スーラージュ(Pierre Soulages)の作品にも関心を寄せています。ネ第4号には、黒と光を扱う作品群、アウトルノワール(Outrenoir)に触発された嗅覚の文章を寄稿しました。
  • サビーヌ・シャベール(Sabine Chabbert)による料理と調香師の本、ラ キュイジーヌ デ ネ(La Cuisine des nez、2010年)には、父とともに登場。豚フィレのパイ包み焼きのレシピが紹介されています。
  • 自身のサイトでは、エル&ナ!(L&Na!/elle&Na!)という香水コレクションの構想も案内しています。調香だけでなく、文章、ワークショップ、自らのブランド構想へと、香りを伝える場を広げています。

調香作品

発売年は初出時の紹介や香水データベースに基づきます。サンボンの三作は、ブランドが父娘の共同コレクションとして紹介する作品です。

発売年 ブランド 作品名 共同調香師・補足
1999年頃 ビオテルム(Biotherm) アクア リラックス(Aqua Relax) —
2001年頃 ニュクス(Nuxe) オー プロディジューズ(Eau Prodigieuse) ボディミスト
2005 ザ ディファレント カンパニー ジャスミン ドゥ ニュイ(Jasmin de Nuit) —
2006 ザ ディファレント カンパニー セル ドゥ ベチバー —
2006 ザ ディファレント カンパニー アン パルファン ダイユール エ フルール(Un Parfum d’Ailleurs et Fleurs) —
2006 ザ ディファレント カンパニー アン パルファン デ サンス エ ボワ(Un Parfum des Sens et Bois) —
2006 ザ ディファレント カンパニー アン パルファン ドゥ シャルム エ フイユ(Un Parfum de Charmes et Feuilles) —
2007 イー マリネッラ(E. Marinella) アンブラ ロワイヤル(Ambra Royale) —
2008 フィーユ デ ジル(Filles des Îles) フローラル ソレール(Floral Solaire) —
2008年頃 フィーユ デ ジル ガーデン フローラル(Garden Floral) —
2008 ザ ディファレント カンパニー スブリーム バルキス —
2009 ザ ディファレント カンパニー オリエンタル ラウンジ —
2009 ラルチザン パフューム コート ダムール —
2010年頃 サルバドール ダリ(Salvador Dalí) リトル キス ミー(Little Kiss Me) —
2010 ザ ディファレント カンパニー ドゥ バシュマコフ —
2011 ザ ディファレント カンパニー ピュア イヴ(Pure eVe) 旧名ピュア ヴァージン(Pure Virgin)
2014 エルメス デ パ シュール ラ ネージュ/タン ドゥ プリュイ/フェネートル ウヴェルト/シャン リーブル/ア シュヴァル! ホームフレグランス五作
2017 フラゴナール(Fragonard) ピヴォワンヌ(Pivoine) 年間の花コレクション
2018 フラゴナール ヴェルヴェーヌ(Verveine) 年間の花コレクション
2018 ジュース パルファン スプリングポップ(Springpop) —
2018 ジュース パルファン スーパーフュージョン(Superfusion) —
2019 フラゴナール ラヴァンド(Lavande) 年間の花コレクション
2019 ラルチザン パフューム バナ バナナ(Bana Banana) —
2020 フラゴナール マグノリア(Magnolia) 年間の花コレクション
2020 ウビガン ラ ベル セゾン —
2021 フラゴナール フルール ドゥ ラ パッション(Fleur de la Passion) 年間の花コレクション
2021 サンボン ムスク&ジャスミン ジャン=クロード・エレナ/アトリエ エレナ
2021 サンボン ベチバー&イリス ジャン=クロード・エレナ/アトリエ エレナ
2021年末紹介 サンボン アンバー&トンカ ジャン=クロード・エレナ/2023年表記の資料もあります
2022 ウビガン フィギエ ノワール(Figuier Noir) —
2023 ウビガン ピヴォワンヌ スヴレーヌ(Pivoine Souveraine) —
2023 サイコティック ロンドン(Psychotic London) フローズン リキッド(Frozen Liquid) —
2023 サイコティック ロンドン フォービドゥン ローズ(Forbidden Rose) —
2023 サイコティック ロンドン イン ザ ブラッド(In the Blood) —
2023 サイコティック ロンドン アディクティヴ ドロップス(Addictive Drops) —
2023 サイコティック ロンドン テイスティ キス(Tasty Kiss) —
2024 ウビガン ペタル ドゥ マグノリア(Pétales de Magnolia) —
2025 メゾン タヒテ(Maison Tahité) トンカ セル ノワール(Tonka Sel_Noir) —

参考文献