オリヴィエ・クレスプ(Olivier Cresp)──甘い記憶を、時代を変える香りへ

オリヴィエ・クレスプのスケッチと代表作品を掲載した調香師名鑑のサムネイル 調香師名鑑

「私のスタイルはとてもミニマルです。処方は短く書きます。そうしないと、自分でも道に迷ってしまうからです。」

オリヴィエ・クレスプ、フレグランス・ファウンデーションのインタビュー、2018年

1955年、フランス・グラース生まれ。

綿菓子のような甘さと、土を思わせるパチョリ。その意外な出会いから生まれたエンジェル(Angel)は、現代のグルマン香水を語るうえで欠かせない作品です。しかし、その調香師が得意とするのは、濃厚な甘さだけではありません。地中海の光を感じさせるライトブルー(Light Blue)も、同じ手から生まれています。

オリヴィエ・クレスプの仕事をつなぐのは、香りの印象を明快につかみ、身にまとう喜びへ変えることです。複雑な原料をたくさん重ねるよりも、ひとつの着想を見失わない。冒頭の言葉は、その仕事ぶりをよく表しています。

調香史

原料の香りが並ぶ、グラースの食卓

クレスプの父と祖父は、天然香料の原料を扱う仕事をしていました。父が持ち帰るのは、花や柑橘の小瓶です。子どもたちは試香紙を浸し、プロヴァンスの大きな家具の上に並べて、時間とともに変わるスミレ、ローズ、ジャスミンの香りを確かめました。

庭に植えられたジャスミンも、特別な存在でした。グラースのジャスミンが持つ、豊かで少し動物的な香り。後年、最初に好きになった匂いを尋ねられても、クレスプはこの花を挙げています。

7歳のころには調香師になるつもりで、8歳ごろには花を集め、薬局で買ったアルコールに漬けてみました。本人の回想によれば、出来栄えは決してよくありません。それでも、香りをつくりたいという気持ちは変わりませんでした。

調香師になることは、家業をそのまま継ぐことではありません。しかし、原料を知る喜びは、確かに家族から受け継いだものです。姉のフランソワーズ・キャロン(Françoise Caron)も調香師となり、兄も同じ道へ進んでいます。

アメリカで学んだ「食べ物の香り」

1970年代、クレスプはアメリカへ渡り、ニュージャージーのビドル・ソーヤー(Biddle Sawyer)で香料とフレーバーの仕事を学びます。香水の世界から少し離れたこの経験が、後のエンジェルで重要な意味を持つことになります。

帰国後は1977年にド・レール(De Laire)へ入社。1981年からはナールデン・インターナショナル(Naarden International)で、オランダとグラースの勤務を合わせて約6年半を過ごします。1987年から1992年まではクエスト・インターナショナル(Quest International)に在籍し、1992年にフィルメニッヒ(Firmenich)へ移りました。

この時期の指針となった人物に、ピエール・ブルドン(Pierre Bourdon)がいます。エドモン・ルドニツカ(Edmond Roudnitska)に学んだブルドンを、クレスプ自身は尊敬する先輩として挙げています。

「調香の世界では、ピエール・ブルドンでした。彼はエドモン・ルドニツカのもとで学び、私にとっては、ある種のメンターでした。」

オリヴィエ・クレスプ、パーソレーズのインタビュー、2012年

自分で試しながら身につけた力と、先輩の仕事から受けた影響。その両方が、彼の調香を育てていったのでしょう。

初期の成功として本人が挙げるのは、ロエベ(Loewe)のアイレ(Aire、1985年)です。輝くようにフレッシュな香りがスペインで支持され、自分も調香の世界でやっていけるという自信につながりました。

エンジェル──二人の幼少期が出会った香水

ティエリー・ミュグレー(Thierry Mugler)のエンジェルは、1992年に登場します。その出発点は、クレスプが「パチュー」と呼んでいた、パチョリとバニラを組み合わせた試作でした。

香水事業を率いたヴェラ・ストゥービ(Vera Strübi)はこの着想を気に入り、よりフローラルに仕上げる方向を探ります。しかし、思うようには進みません。そこで、デザイナー本人と話す機会が設けられました。

ミュグレーが語ったのは、アルザスで過ごした幼少期です。チョコレートに浸したパン、移動遊園地や市の菓子、焼いたナッツ。クレスプはそれを、自分が南フランスで経験した甘い記憶と重ねます。出発点は調香用語でも市場の流行でもなく、一人の人間が懐かしく思う風景でした。

「会談を終えると、私はそのままスーパーへ行き、ビスケットを買いました。何をしたいのか、もう分かっていたのです。」

オリヴィエ・クレスプ、エッセンショナルのインタビュー、2022年

ビスケットや蜂蜜、カカオ、プラリネを思わせる香りに、果実の明るさを添える。その鍵のひとつとなったのが、食品香料の仕事で使っていたエチルマルトールです。本人は2014年のインタビューで、1万部中50部を用いたと説明しています。ただし、「香水では誰も使っていなかった」という発言は本人の当時の認識であり、あらゆる過去の処方を検証した結論とは分けて受け取る必要があります。

開発には約2年。クレスプは2022年の回想で、試作は620回に及んだと話しています。開発にはクエストのイヴ・ド・シリス(Yves de Chiris)も関わりました。香水資料では共同制作者として併記されることがありますが、当時の役職を説明する資料では、香水マーケティング担当副社長とされています。調香と事業側の貢献を一括りにはできません。

完成前から、妻が試作品をまとって歩くと、香水の名前を尋ねられました。ある晩には、香りを追って家の扉をたたいた人までいたそうです。これはクレスプが繰り返し語る、手応えを感じた出来事です。

エンジェルは、食べ物を思わせる甘さを、パチョリの強い存在感と結びつけました。現在ではグルマンという香りの分類を広めた転換点として位置づけられています。「世界の香水の何割を占めるか」という数字よりも、その後の多くの香水が、食欲や懐かしさを創作の出発点にできるようになったことに、影響の大きさが表れています。

ライトブルー──甘さの対極にある、もうひとつの明快さ

2001年、ドルチェ&ガッバーナ(Dolce & Gabbana)からライトブルーが発売されます。エンジェルとは対照的に、こちらはレモンや青リンゴの明るさ、木やムスクのぬくもりで、地中海の夏を思わせる香りです。

クレスプによれば、処方を構成する原料は25種類。天然レモンのエッセンスを10%用い、フィルメニッヒ独自の香料と組み合わせています。この数字は、本人がインタビューで説明した処方についてのものです。

「香りのコンセプトは普遍的なもの、愛です。私は根っからのロマンティストで、永遠の愛には、いつも心を惹かれてきました。」

オリヴィエ・クレスプ、エヴァーフュームド、ライトブルー20周年インタビュー

彼が語るのは、最初の視線やキスだけではありません。記念日、子ども、孫へと続く時間も含んだ愛です。その大きな主題を、重厚な香りではなく、光と肌の感覚で描いたところに、クレスプの幅広さがあります。

2021年のライトブルー フォーエバー プールファム(Light Blue Forever Pour Femme)では、オレンジブロッサムを強め、元の香りの明るさを別の角度から広げました。男性向けの同名作とは調香師が異なるため、両者を混同しないことも大切です。

ブラック オピウムと、長く愛される作品

イヴ・サンローラン(Yves Saint Laurent)のブラック オピウム(Black Opium、2014年)は、マリー・サラマーニュ(Marie Salamagne)、オノリーヌ・ブラン(Honorine Blanc)、ナタリー・ローソン(Nathalie Lorson)との共同作です。

コーヒーを思わせる苦甘さと白い花の組み合わせは、食べ物の香りをそのまま写したものではありません。甘さを、花の官能性や夜の気分へ接続する。エンジェル以降のグルマン表現が、さらに広がっていることを感じさせます。

一方、ニナ・リッチ(Nina Ricci)のニナ(Nina、2006年)や、ラコステ(Lacoste)のラコステ プールファム(Lacoste Pour Femme、2003年)も、本人が誇りを持って挙げる作品です。ニナには、ジャック・キャヴァリエ・ベルトリュード(Jacques Cavallier Belletrud)とクリスチャン・デュソリエ(Christian Dussoulier)も制作者として記録されています。

クレスプにとって大切なのは、発売直後の話題だけではありません。15年、20年と市場に残り、次の世代にも選ばれることです。強烈な個性をつくることと、日々まとえる香水に仕上げることを、別々の目標とは考えていないのでしょう。

少ない原料で、着想の輪郭を保つ

クレスプは、自分のスタイルを「具象的」と表現します。花、菓子、飲み物、ある土地の空気。まず捉えたいものがあり、それを伝えるために原料を選ぶのです。

処方には20〜40種類ほどの原料を用いることが多く、数を増やしすぎないようにしています。ただし、単純な香りを目指すという意味ではありません。頭の中の美しい着想を、肌の上で広がり、持続し、人がまといたくなる形へ仕上げる。その最後の工程が難しいと話しています。

着想は、仕事場の外にもあります。雑誌の色、同僚との会話、森の散歩、採集、釣り、海藻の匂い。思いついたことを試香紙に短く書き留め、仕事へ持ち帰ります。

「どんなことからでも着想を得ますが、私にとって、会話はとても大切です。」

オリヴィエ・クレスプ、ザ・パフューム・ソサエティのインタビュー

また、自分の仕事を「直感75%、理性25%」と説明したこともあります。これは創作の感覚を伝える本人の比喩的な割合です。科学やAIを直感の確認に使うことにも前向きで、両者が同じ結論にたどり着くと嬉しくなると語っています。

アクロ──娘とともに、日常の楽しみを香水にする

2018年、クレスプは娘のアナイス・クレスプ(Anaïs Cresp)と、アクロ(Akro)を始動させます。ロンドンのラドブローク・グローブで暮らしたアナイスが見つけたのは、香水の広告とは違う、身近な欲望の風景でした。

コーヒーショップ、チョコレート、パブの酒、タバコの煙。思わず繰り返し手を伸ばしたくなるものを、香水にできないか。フランス語で夢中になることを表す「アクロ」に由来するブランド名も、その発想を伝えています。立ち上げの物語には、アナイスのパートナー、ジャック・ミスケリー(Jack Miskelly)も登場します。

アウェイク(Awake)はコーヒー、ダーク(Dark)はチョコレート、モルト(Malt)は酒場を思わせる香り。ヘイズ(Haze)ではアブサンやハーブ、スモーク(Smoke)ではケードやタバコ、ナイト(Night)ではローズやサフランを使い、異なる楽しみを描き分けました。

その後も、タトゥーを主題としたインク(Ink、2022年)、レモンカップケーキを思わせるベイク(Bake、2023年)、南国の夏を描くライズ(Rise、2023年)へと広がります。同年のイースト(East)では、中東への旅とウードが中心となりました。

大きなブランドの依頼に応える仕事とは、挑戦できる範囲が違います。自分たちのブランドでは、素材の使い方を大胆にし、着想をよりはっきり押し出せる。アクロは、すでに多くの成功作を持つクレスプにとっても、創作を続ける場なのです。

評価と、次の世代へつながる仕事

2006年にはフィルメニッヒのマスターパフューマーに任命され、2007年にはパフューマー・オブ・ザ・イヤーに選出。2012年にはフランス芸術文化勲章シュヴァリエ、2018年には米国フレグランス・ファウンデーションの生涯功労賞を受けています。

長い仕事人生を称える賞を受けたときも、本人の反応にはユーモアがありました。

「でも、私はまだ若すぎますよね?」

オリヴィエ・クレスプ、フレグランス・ファウンデーション、生涯功労賞受賞時のインタビュー、2018年

2026年9月の確認時点でも、ディーエスエム・フィルメニッヒ(dsm-firmenich)の公式サイトにはマスターパフューマーとして紹介されています。

息子のセバスティアン・クレスプ(Sébastien Cresp)も調香師となり、カヤリ(Kayali)のヤム ピスタチオ ジェラート 33(Yum Pistachio Gelato | 33、2023年)では父と共同制作しています。父と祖父から伝わった香りへの関心は、息子の調香と娘のブランドづくりへ、違う形で受け継がれています。

ちなみに…

好きな匂いとして挙げるのは、熟成したボルドーの赤ワイン。木のようで、少しスパイシーで、豊かな香りが好みだそうです。自分でつくりたかった香水には、ゲラン(Guerlain)のシャリマー(Shalimar)と、ディオール(Dior)のソヴァージュ(Sauvage)を挙げています。

特に敬愛する作品には、クリニーク(Clinique)のアロマティクス エリクシール(Aromatics Elixir)もあります。「調香は芸術ではない」と言う人には「過去に生きていますね」と返す、という発言も印象的です。職業の説明と芸術についての問いを混同しないで読むと、香水の可能性への強い確信が伝わります。

調香作品

主要作を年代順に掲載します。「—」は、この一覧で共同調香師を併記していないものです。開発参加者の役職が異なる場合は注記しています。

ブランド 作品名 共同調香師
1985 ロエベ アイレ
1989 ロシャス(Rochas) ファム(Femme、再調香)
1992 ティエリー・ミュグレー エンジェル イヴ・ド・シリスが開発に参加。マーケティング担当としての記録あり
1992 ヘスス・デル・ポソ(Jesús del Pozo) ドゥエンデ(Duende)
1996 ケンゾー(Kenzo) ロー パー ケンゾー(L’Eau par Kenzo)
1997 ディオール デューン プール オム(Dune Pour Homme) ジャン=ピエール・ベトゥアール(Jean-Pierre Bethouart)
1998 キャシャレル(Cacharel) ノア(Noa)
1998 ケンゾー ジャングル オム(Jungle Homme)
1999 ケンゾー ロー パー ケンゾー プール オム(L’Eau par Kenzo Pour Homme)
2001 ドルチェ&ガッバーナ ライトブルー
2003 ラコステ ラコステ プールファム
2006 ヴェルサーチェ(Versace) ヴェルサーチェ マン オー フレッシュ(Versace Man Eau Fraîche)
2006 ジバンシイ(Givenchy) アンジュ デモン(Ange ou Démon) ジャン=ピエール・ベトゥアール
2006 ケンゾー ケンゾー アムール(Kenzo Amour) ダフネ・ブジェ(Daphné Bugey)
2006 ニナ・リッチ ニナ ジャック・キャヴァリエ・ベルトリュード、クリスチャン・デュソリエ
2007 ディオール ミッドナイト プワゾン(Midnight Poison) ジャック・キャヴァリエ・ベルトリュード、フランソワ・ドゥマシー(François Demachy)
2007 イヴ・サンローラン エル(Elle) ジャック・キャヴァリエ・ベルトリュード
2007 トム フォード(Tom Ford) ノワール デ ノワール(Noir de Noir) ジャック・キャヴァリエ・ベルトリュード、ハリー・フレモント(Harry Frémont)。資料によりクレジット差あり
2008 ラコステ ファム ドゥ ラコステ(Femme de Lacoste)
2008 ランコム(Lancôme) マニフィーク(Magnifique) ジャック・キャヴァリエ・ベルトリュード
2011 ペンハリガン(Penhaligon’s) ジュニパー スリング(Juniper Sling)
2011 ディーゼル(Diesel) ラヴァードゥース(Loverdose) オノリーヌ・ブラン
2012 ペンハリガン ピオニーヴ(Peoneve)
2013 オルファクティヴ ストゥディオ(Olfactive Studio) フラッシュ バック(Flash Back)
2013 メルセデス・ベンツ(Mercedes-Benz) クラブ(Club)
2014 イヴ・サンローラン ブラック オピウム マリー・サラマーニュ、オノリーヌ・ブラン、ナタリー・ローソン
2016 アムアージュ(Amouage) ブラッケン マン(Bracken Man) ファブリス・ペレグラン(Fabrice Pellegrin)
2016 モンブラン(Montblanc) レジェンド スピリット(Legend Spirit) ナタリー・ローソン
2016 イヴ・サンローラン モン パリ(Mon Paris) ハリー・フレモント、ドラ・バグリッシュ(Dora Baghriche)
2017 ジバンシイ ジェントルマン(Gentleman、オードトワレ) ナタリー・ローソン
2018 アクロ アウェイク/ダーク/ヘイズ/モルト/ナイト/スモーク
2019 パルファム ドゥ マルリー(Parfums de Marly) セドリー(Sedley) ハミード・メラティ=カーシャーニ(Hamid Merati-Kashani)
2020 ジバンシイ ジェントルマン ボワゼ(Gentleman Boisée) ナタリー・ローソン
2021 ドルチェ&ガッバーナ ライトブルー フォーエバー プールファム
2022 アクロ インク
2022 ジバンシイ ジェントルマン リザーブ プリヴェ(Gentleman Réserve Privée) ナタリー・ローソン
2023 アクロ ベイク/ライズ/イースト
2023 ドルチェ&ガッバーナ ディヴォーション(Devotion)
2023 カヤリ ヤム ピスタチオ ジェラート 33 セバスティアン・クレスプ

アクロには、このほかインフューズ(Infuse)、クラッシュ(Crush)、グロウ(Glow)、ブリーズ(Breathe)などもあります。

参考文献