メゾン ド ラズィ(MAISON DE L’ASIE) ― シンガポールから世界へ。アジアの記憶を香りに宿す、新世代のフレグランス メゾン

メゾン ド ラズィの世界観と香水「NANYANG Extrait de Parfum」を表現したブランドイメージ ブランド創業者

「フレグランスは、言葉を使うことなく物語を紡ぎ、言葉では表現できないストーリーをささやきます。そして、その瞬間が過ぎ去った後も、長く残る感情を呼び起こすのです」
— エリザベス・リァウ(Elizabeth Liau)、ファウンダー

基本情報

設立: 2019年(シンガポール。オンライン販売は2020年末に開始)
創設者: エリザベス・リァウ(Elizabeth Liau)
公式サイト: maisondelasie.sg

「メゾン ド ラズィ」とはフランス語で「アジアの家(ハウス・オブ・アジア/House of Asia)」を意味する。ブランド名にフランス語を用いたのは、フランスの調香技術を基盤としながら、アジア人としての自分の声を注ぎ込むという姿勢を体現したものだ、とリァウは説明している 。

創設者・ブランドの成り立ち

物語好きな少女、シンガポールで育つ

エリザベス・リァウは、シンガポールで生まれ育った。上海系中国人(シャンハイニーズ)、マレー、オランダ系インドネシアにルーツを持つ、まさに東南アジア的な多文化の血を引く人物である 。幼少期には父方の祖父と特別な親交を結んでおり、祖父が芸術、映画、歴史といったクリエイティブな世界への扉を開いてくれたという。2人の兄とともに古典的な作品を好み、口数は多くなかったが「脳内ではいつも何か物語が生まれていた」と後の取材で振り返っている 。

そのような内省的な少女は、18歳でシンガポールを離れ、海外へと旅立った 。オーストラリア、ドバイ、ニューヨーク、南米、ロンドン、パリ──。金融業でキャリアをスタートさせ、その後はアート分野の仕事に約10年間携わるという、まさに左脳と右脳を両方使うような道のりを歩んだ 。リァウはこの時期について「さまざまなジャンルのアートに触れながら、感情の動きをじっくり観察できる媒体を探し求めていた気がする」と述懐している 。同時に、映画監督になりたいとも考えていたというが、最終的にたどり着いたのはフレグランスという「目に見えない媒体」だった。

フィレンツェで出会った、一本の香水

ドバイで勤務を始めた頃から、リァウはイタリアへの渡航を繰り返すようになった。ある時、フィレンツェのニッチ フレグランス(大手ブランドに属さない独立系の香水)ショップで一本のアルティザナル フレグランス(職人的小規模生産の香水)に出会い、「完全に心を奪われた」という 。その香りを10本まとめて買い求め、以来20年以上にわたってコレクションを磨き続けた——それが今日のメゾン ド ラズィを育てた嗅覚の原点だったと、リァウは語る 。

ニッチ フレグランスとの出会いは2000年代初頭、欧州を旅しながら各地のショップを巡ることで始まった。「アートやデザインと同じように、さまざまな香りに触れるほど、品質と洗練さの微妙な違いが分かるようになる。文学でも、読めば読むほど独自の声の美しさに気付くように」とリァウは自身の香りの学びを語っている 。

2018年の喪失が、創造の扉を開いた

リァウがファッションスナップの取材で語ったところでは、転機は2018年に訪れた。リァウの母が亡くなったのだ。悲しみの中で、彼女は言葉よりも香りのほうが、その感情をより正確に表現できると直感した 。

「非常に悲しい出来事でしたが、この脆くも人間的な瞬間を理解するために内面を見つめ直した時間は、ある種の美しさを感じる経験でもありました。大切な人の喪失は、誰しもが経験することですよね。この美しくエモーショナルな瞬間の物語をクリエイティブに落とし込み、共有することに意義を感じたのです」
— エリザベス・リァウ

こうして生まれた最初の一作が、「マザー ラブ(Mother x Love)」だ。ライチ、ジンジャー、バニラのトップノートに、マグノリア、ジャスミン、サフランの繊細な花々が続き、ムスクとスエードの余韻で締まるこの香りは、母が象徴していた包容と慰めを、見えない形で閉じ込めようとしたものだと語られている 。

ブランドの誕生と最初の一歩

メゾン ド ラズィは2019年に設立され、オンラインでの販売は2020年末から始まった。立ち上げは自己資金とその後の資金調達、エンジェル投資家によって支えられた。リァウは業界経験もコネもなかったが、「業界の人間から大手ブランドのマーケティング会社、流通大手まで、あらゆる人にサンプルを送り続けた」という。その甲斐あって、フレグランスの参考データベースとして知られるマイケル エドワーズの「フレグランス オブ ザ ワールド」やフラグランティカが早期にブランドを取り上げ、認知度の獲得に大きく貢献した。

「最初の頃は、業界の検証を得ることが本当の目標でした。アジアのパフューム ハウスというものがほとんど存在しないですから」
— エリザベス・リァウ

2023年にはニッチ フレグランスの一大国際見本市であるエクサンス(Esxence)にミラノで初出展した 。そこで中東やヨーロッパ市場からの反響を直接肌で感じたことが、本格的なグローバル展開への確信につながった。2025年には、同見本市のパネルディスカッションのスピーカーとして招かれるまでになり、リァウは「最初は無名だったアジアのブランドが代表として話すのは、大きな責任を感じながらも、非常に誇らしい瞬間だった」と述べている 。

2025年の取材では、メゾン ド ラズィは16以上の市場で展開しており、ドイツ、ロシア、イタリア、アメリカのニーマン マーカスなど高級百貨店にも入っている。日本には2025年6月25日にブルーベル・ジャパン株式会社の取り扱いで初上陸し、伊勢丹新宿店、東京大丸、タカシマヤ各店など主要百貨店のフレグランスカウンターで展開されている 。

ブランドのこだわり

「映画のような香り」という哲学

メゾン ド ラズィの核にあるのは、フレグランスを「ストーリーテリングの媒体」として捉える姿勢だ。公式サイトには「私たちは単に香水を作るのではなく、美しい感情と人生の物語を瓶の中に閉じ込め、タイムレスな嗅覚の物語を作る」と記されている 。リァウが映画監督を夢見ていた経験は、香りの構成に直結している。「香りのはじまり、中間、終わりが映画の物語のように展開していく」ように調香するのが彼女のアプローチであり、「香りのレイヤーが繊細に移ろうことで個性が生まれる」と語っている 。

その創作の源泉として、音楽も重要な役割を担っている。チャプター1の制作時にはエンニオ・モリコーネ(Ennio Morricone)の「ニュー・シネマ・パラダイス(Cinema Paradiso)」のサウンドトラックに導かれたというエピソードも、その精神を象徴している 。ブランドのウェブサイトでは、各チャプターに対応したプレイリストが公開されており、「香りをまとう人が感情をより深く体験できるように」という意図が込められている 。

グラースで生まれる、高濃度の香り

肌にまとう香水の中心は「エキストレ ド パルファム(Extrait de Parfum)」という高濃度の形態で提供される。南仏グラース(Grasse)にある調香ラボで、公式サイトと本人取材が示す35〜40%という高濃度の香料を使って調製されており、これは一般的なオー ドゥ パルファム(Eau de Parfum)や市場の多くのブランドを大きく上回る水準だ 。「肌の上で時間とともに優雅に花開き、深みと複雑さを増していく」香りが、メゾンの目指す品質の基準となっている 。

サステナビリティと素材への姿勢

素材については、植物性原料と高品質な合成原料を組み合わせるアプローチを取っている。希少な天然成分の乱獲による環境負荷を避けるため、「自然界と同一の組成で作られる合成原料(ナチュラル アイデンティカル)」を積極的に採用しており、肌への刺激にも配慮した原料選びをポリシーとしている 。

ボトルと「終わりのない結び目」のロゴ

ボトルのデザインはミニマルで控えめな美しさを持つ。手のひらに収まるラウンド型のフラコン(flacon:ガラス瓶)は、ライトグレーのラッカー仕上げで「アジアの磁器」を想起させる。キャップ、プレート、ロゴにはゴールドが使われ、華奢な贅沢感を添えている 。

ブランドのシールとして用いられているロゴマークは、アジアの文化において「すべてのものの相互のつながり」を象徴する「終わりのない結び目(エンドレス・ノット/Endless Knot)」からインスピレーションを得たものだ 。「香りが人生のさまざまな瞬間を結ぶ見えない糸のように、時と場所を越えて記憶や感情を呼び起こす」というリァウの哲学を可視化した意匠である 。

香水ラインナップ

メゾン ド ラズィのコレクションは「チャプター(章)」という物語構造で展開される。各チャプターはアジアのある国を舞台に、普遍的な感情・哲学的テーマを3本の香りで表現する。「主人公は、香りをまとうあなた自身。解釈はまとう人によって全く異なる」とリァウは語る 。

チャプター1:シンガポール〈追憶〉

ブランドの第1章は、追憶と帰郷をテーマにリァウ自身のルーツに立ち返った3作から成る 。

  • ナンニャン(Nanyang):「南洋」を意味するこの作品は、南シナ海と華僑文化に着想した茶系の香りだ。グリーンティー、ベルガモット、サフラン、レザーが、東洋と西洋、過去と現在の融合を表現する 。
  • マザー ラブ(Mother x Love):ブランドの原点となった一作。ライチ、ジンジャー、バニラのトップから、マグノリア、ジャスミンを経て、ムスクとスエードへと移ろう。「母が体現していた包容と慰め」を香りで表現している 。
  • ロスト ラヴァーズ(Lost Lovers):ベルガモット、オレンジブロッサムの明るい幕開けから、ローズ、バイオレット、サンダルウッドの心核部へ。アンバーとベチバーのベースが、愛の記憶の甘さと複雑さを留める 。

チャプター2:インドネシア〈夢幻〉

第2章は「夢想(リヴェリー)」をテーマに、バリ島の幻想的な情景を描く 。

  • バリ ハイ(Bali H’ai):1958年の映画「南太平洋」のテーマソングに着想した作品で、祖父と何度も観た思い出の映画だったとリァウは語る。ココナッツ、ローズ、ジャスミンから、バニラ、パチョリ、イランイラン、さらにタバコリーフ、ムスク、シダーへと広がる、陶酔するようなフローラルの香りだ 。
  • ボワ ダンドネジー(Bois D’Indonesie):インドネシアの精緻な木彫りへのオマージュ。インセンス(薫香)、アガーウッド(沈香)、バンブー、ロータスが、木の温もりと清潔感を重ねる 。
  • レ ニュイ ドゥ バリ(Les Nuits de Bali):バニラ、パチョリ、ウード、サンダルウッド、ローズ、サフランが夜のバリ島の濃密な空気を表現する 。

チャプター3:タイ〈混沌〉

第3章のテーマは「混沌」——古都から現代のネオン輝く街へと変容するタイの二面性を写す 。

  • バンコック 9/9(Bangkok 9/9):ガーデニア、クローブ、マートル、サンダルウッドを軸に、都市の生き生きとした活気をエッジの効いた香りで表現している 。

チャプター4:インド〈超越〉

第4章のテーマは「超越(トランセンデンス)」——精神的な旅を通じた内省と安らぎだ 。

  • テール ダンド(Terre d’Inde):ビターオレンジとオリスで始まり、サフラン、インセンス、ターメリックが重なり、サンダルウッド、アンバー、レザーが余韻を作る。インドの大地の豊かさと霊性を表現している 。
  • ジャルダン ドゥ ランド(Jardin de l’Inde):ピーチとマテ茶の柔らかな甘さから、バイオレット、ナルシス、ピンクペッパー、シナモンへ。サンダルウッドとムスク、バニラが静謐に包む 。
  • ゴッド アンド ムーン(God and Moon):プラム、インディアン チューベローズ、ガーデニアで夜の帳が開き、コーヒー、ハニー、カルダモン、トンカ ビーンが深みを増す。ウード、ローズウッド、シダーの静寂で夜は完結する 。

マスターパフューマー コレクション

2026年2月、日本で新シリーズ「マスターパフューマー コレクション」の展開が始まった。「世界で最も大胆で影響力あるパフューマーたちへのオマージュ」として、著名な調香師をゲストに迎えてアジアの文化を解釈するという、進化型のコラボレーション シリーズだ 。

第1弾はフランス人調香師アントワーヌ・リー(Antoine Lie)が担当。ジボダン(Givaudan)や高砂香料などで30年以上のキャリアを積み、アルマーニ コード、トム フォード プライベート ブレンド アジュール ライムなど数百本の香水を生み出した後、独立した「アバンギャルドな作風」で知られる人物だ 。リーはテーマに「日本文化」を選び、「伝統と現代性」「非同調性と同調性」という2つの対比軸を、2本の香りで表現した 。

「日本は、美しき矛盾の世界です。大胆さと脆さが共に踊っているのです。これらのフレグランスは、その緊張を探求し、着用する人々に、目に見える部分と目に見えない部分の両方を解放するよう呼びかけます」
— アントワーヌ・リー

  • ガンズ オブ サクラ エキストレ ド パルファム:ガンパウダー アコードを軸にブラックカラントとスティールのきらめきから、ガヤックウッドとサンダルウッドのクリーミーな余韻へ続く、反骨的な個性を描いた一作 。
  • イバショ エキストレ ド パルファム:インク アコードを軸に和紙と向き合う内省の時を表現。サクラ、ターキッシュローズの繊細な美しさから、パウダリーなオリス バターが包むフローラルウッディノートだ 。

日本での発売時価格はいずれも75mL 5万5990円(税込)。

ちなみに…

バリ ハイの隠されたシネマ的ルーツ

チャプター2を代表する「バリ ハイ」には、リァウと祖父の個人的な記憶が深く刻まれている。1958年のハリウッドミュージカル映画「南太平洋(South Pacific)」を10歳の頃に祖父と繰り返し観たことが原点で、劇中で太平洋の島々が「逃れゆく者が夢見る楽園」として描かれていたことに深く感動したと語っている 。同映画のテーマソングのタイトルこそが「バリ ハイ(Bali Ha’i)」だった。

旅するフレグランスとしての戦略

リァウはブランド立ち上げ当初から「トラベル リテール」での展開を意識していたという。「各チャプターが異なる国を舞台にしているのだから、旅するフレグランスとしてのポジショニングは自然だった」と語り、シンガポール航空の商業部門クリスショップ(KrisShop)とのパートナーシップも実現している 。

「ゼロから」の挑戦

リァウはフレグランス業界への参入について、「完全にゼロから」だったと繰り返し語っている。正式なトレーニングも業界のコネクションもない状態からのスタートで、作り方もインターネットで調べることから始めたと、別の取材では率直に語られている。その文脈で、ブランドアバウト誌はメゾン ド ラズィを「アジアにおける次のラグジュアリー フレグランス パワーハウス候補」と評している 。

参考文献