ヴェルサーチェ(VERSACE)―神話と官能が交差するイタリアン・フレグランスの世界

ヴェルサーチェの世界観と代表製品「EROS Eau de Toilette 100 ml」を表現したブランドイメージ ブランド創業者

「トレンドを追うな。ファッションに支配されるな。自分が何者であるか、自分がどう生きたいかを、自ら決めよ。」

— ジャンニ・ヴェルサーチェ

基本情報

設立年: 1978年(フレグランス事業開始:1981年)
創設者: ジャンニ・ヴェルサーチェ(Giovanni Maria Versace)
現チーフ・クリエイティブ・オフィサー: ピーター・ミュリエ(Pieter Mulier、2026年7月就任)
公式サイト: https://www.versace.com

創設者・ブランドの成り立ち

南イタリアの子供が見た世界

ジャンニ・ヴェルサーチェは、1946年12月2日にイタリア南部カラブリア州のレッジョ・カラブリアに生まれた。この街は長い歴史の中でギリシャ人が植民した「マグナ・グラエキア(大ギリシャ)」の地として知られ、古代の遺跡や神話の痕跡が至るところに残っている。後年のジャンニはこの地について、次のような言葉を残している。

「レッジョ・カラブリアは私の人生の物語が始まった王国だ。子供の頃にイリアス、オデュッセイア、アエネイスを感じ、マグナ・グラエキアの芸術を呼吸し始めた場所だ。」

父がカラブリア出身で、祖父母はギリシャ系という家系の背景も、後のブランドのギリシャ神話への傾倒と無関係ではないだろう。ジャンニと兄のサント、妹のドナテラは、幼少期に近所の古代遺跡で遊ぶのが日常だったという。後にブランドの象徴となる「メデューサの頭部」は、この幼少期の記憶から生まれたとも伝えられている。

幼いジャンニにとって、もうひとつの「学校」となったのが母フランチェスカのドレスメーキング工房だった。母は地元で広く知られた才能あるドレスメーカーで、その仕事場はやがてレッジョ・カラブリアの一種のブティックへと成長していた。ジャンニは絹を切る音、ミシンの振動、タフタのざわめきの中で育ち、ファブリック・パターン・職人的なクラフツマンシップへの深い理解を身につけていった。後年、1977年のインタビューで彼は「母のオートクチュールのビジネスから仕事の仕方を学んだ」と語っている。

ミラノへの旅立ち

1964年から1967年にかけてカラブリアで建築を学んだジャンニは、1968年から1972年にかけて母のアトリエで本格的に働き始めた。その後、1972年にミラノへと転居し、カッラガン(ニットウェア)、ジェニー(スポーツウェア)、コンプリーチェ(上質なレディ・トゥ・ウェア)の3社でフリーランスのデザイナーとして活躍した。

1977年にインタビュー・マガジンの記者と向き合ったジャンニは、ミラノに来てわずか5〜6年でイタリア最大のレディスビジネスを持つデザイナーになっていた。記者が「あなたはイタリアファッションの奇跡だ」と言うと、ジャンニは軽く笑ってこう答えたという。

「奇跡とはどういう意味ですか?私にはちゃんとした背景がある。そして私は本当によく働いた。」

ヴェルサーチェ誕生

1978年、ジャンニは満を持してミラノのヴィア・デッラ・スピーガに最初のブティックを開き、「ジャンニ・ヴェルサーチェ」ブランドを正式に発足させた。このブランドは初めからファミリービジネスとして機能した。兄サントがビジネスと財務を担い、妹ドナテラがクリエイティブの助手として参加した。当時まだフィレンツェの大学に通っていたドナテラを、ジャンニは傍らに呼び寄せたのである。

ジャンニは自身の美学を「クラシック(古典)とセクシュアリティの融合」と表現した。カラブリアの遺跡で感じた地中海の官能性と、ミラノで磨いた洗練されたクラフツマンシップ。彼のデザインは、あるときは「ヴァルガー(品が悪い)」と批判され、あるときは「革命的」と絶賛された。しかし1985年にヴォーグ誌のインタビューで彼はこう言い切っている。

「私は違うものが好きだ。私は障壁を打ち破ることが好きだ。デザイナーとしての責任は、ルールや障壁を壊しに行こうとすることだと思っている。」

「3G」時代とファッション帝国の確立

1980年代から90年代にかけて、ジャンニはジョルジョ・アルマーニ、故ジャンフランコ・フェレとともに「3G(スリージー)」と呼ばれ、イタリアンファッション界を牽引した。ジャンニのファッションショーはまるでロックコンサートのように演出され、マドンナ、プリンセス・ダイアナ、エルトン・ジョン、ティナ・ターナーといった著名人が最前列を飾った。1991年秋冬コレクションでは、シンディ・クロフォード、ナオミ・キャンベル、リンダ・エヴァンジェリスタ、クリスティ・ターリントンらを集結させ、「スーパーモデル」という現象の創出に貢献したとも言われている。

また1989年には初のオートクチュールコレクションを発表。同年サンフランシスコ・オペラの衣装デザインも手がけるなど、ファッションの枠を超えた活動も展開した。フレグランス、アクセサリー、ホームコレクションと事業は拡大を続け、1990年代中頃には真のグローバル・ラグジュアリー帝国を形成していた。

悲劇の終幕

1990年代半ばには稀少な内耳のがんと診断されたとされるジャンニは、治療を経ながら事業をファミリーに委ねていった。そして1997年7月15日の朝、マイアミビーチの邸宅前で、連続殺人犯アンドリュー・クナナンの銃弾に倒れた。享年50歳。その8日後、クナナンは逃走先のボートハウスで自ら命を絶った。

ジャンニの死は、ファッション界にとって20世紀最大の衝撃のひとつとなった。その年の12月から翌1998年3月にかけて、ニューヨークのメトロポリタン美術館衣装研究所が彼の回顧展を開催した。

ドナテラという継承者

ジャンニの死後、ブランドのクリエイティブ・ディレクションを引き継いだのは妹のドナテラだった。当初、業界の評価は厳しく、「兄のミューズに過ぎない」という声もあったという。しかし約27年にわたる在任を経て、ドナテラはブランドを新たな高みへと導き、独自のポジションを確立した。

2025年3月、ドナテラはクリエイティブ・ディレクターを退任し、チーフ・ブランド・アンバサダーに就任することを発表した。その声明でこう述べている。

「私の生涯の最大の名誉は、兄ジャンニのレガシーを継承し続けることでした。」

後任には元ミュウミュウ(Miu Miu)のデザイン&イメージ・ディレクター、ダリオ・ヴィターレが就いた。さらに同年12月、プラダ・グループによるヴェルサーチェの買収が完了した。発表時の企業価値は12.5億ユーロだった。クリエイティブ部門では、ブランド史上初の創業家以外によるトップ体制が始まった。

ブランドのこだわり

香りづくりの哲学

ヴェルサーチェの香水に一貫しているのは、「感覚への直接的な訴求」という哲学だ。過度なインテレクチュアリズムより、官能性・大胆さ・喜び——ジャンニが「ファッションは幸福だ」と語ったときに体現したもの——が、香水ラインにもそのまま投影されている。

フレグランスの企画・製造は、2004年末にヴェルサーチェが旧来の自社部門(ジヴェール・プロフーミ/Giver Profumi)をイタリアの香水・化粧品メーカーのユーロイタリア(EuroItalia)に売却して以来、ユーロイタリアが独占ライセンスとして担っている。2021年にはこの関係をさらに15年延長することが発表され、世界最大級のデザイナーラグジュアリー・フレグランス・ビジネスのひとつへと成長を続けている。

調香師との協業では、アルベルト・モリヤス(ブライト・クリスタル、イエロー・ダイヤモンド、ディラン・ブルーなど)、オーレリアン・ギシャール(エロス/Eros)、ジャン=ピエール・ベトゥアール(ザ・ドリーマー/The Dreamer)、カリス・ベッカー(ディラン・ブルー プール・ファム/Dylan Blue Pour Femme)ら、世界を代表するノーズたちが参加している。特にモリラスは「調香の神」とも称され、複数のヴェルサーチェを代表するアイコン的作品を手がけていることは特筆に値する。

ボトル・パッケージのデザイン

ヴェルサーチェの香水ボトルは、ファッションコレクションと同様のビジュアル言語で統一されている。ほぼすべてのボトルにメデューサの紋章が刻まれ、バロックの装飾文字や彫刻が施されている。

クリスタルコレクションでは、クリスタル・ノワール(Crystal Noir、黒ガラス+大きなファセットキャップ)、ブライト・クリスタル(Bright Crystal、ピンク)、イエロー・ダイヤモンド(Yellow Diamond、イエロー)と、それぞれ宝石を連想させる色とシルエットで統一されつつ、個性を確立している。エロス(Eros)のボトルはターコイズカラーで、地中海の海とギリシャ・ローマ文化へのオマージュを視覚的に体現している。ディラン・ターコイズ(Dylan Turquoise)では、フロスト加工のブルーガラスにペールゴールドのアルミキャップ、そしてバロックインスパイアのメデューサ刻印と、ヴェルサーチェらしいデザインコードが継承されている。

メデューサへのこだわり

なぜメデューサなのか。ジャンニは、見る者を石に変えてしまうというギリシャ神話の怪物の逸話ではなく、その圧倒的な美しさと魅力に着目した。「一度目が合ったら、もう離れられない」——それがヴェルサーチェの望む「顧客体験」のメタファーだった。彼は幼少期にカラブリアの古代遺跡でメデューサの図像を見てその記憶を保ち続け、後に自らのシンボルとして採用した。マイアミの邸宅のプールにも、古代ローマ・ギリシャ美術の伝統的な描写を踏まえたメデューサのモザイクが施されていたと伝えられる。

もうひとつのアイコンである「ギリシャ紋(ミアンダー)」は、1988年秋冬コレクションで初めて登場して以来、ブランドのDNAの一部となった。

香水ラインナップ

フレグランス事業の黎明期(1981〜1990年代)

ヴェルサーチェが最初の香水をリリースしたのは1981年のことだ。「ジャンニ・ヴェルサーチェ フォー ウィメン」と名付けられた本作は、フローラルを中心とした豊かな構成を持ち、ブランドの官能的な美学を体現したとされている。1986年にはメンズへ進出(ヴェルサーチェ・ロム)、1989年に「ヴェ(V’E)」を発表した。

1990年代には「ブルー・ジーンズ」(1994年、メンズ)、「レッド・ジーンズ」(1994年、ウィメンズ)など、ブランドのカジュアルラインと連動した一連のシリーズが続いた。

この時代の代表作として今日でも語り継がれるのが、ザ・ドリーマー(The Dreamer)(1996年)だ。調香師ジャン=ピエール・ベトゥアールによるこのメンズ・フレグランスは、タバコ・ブロッサム、アンバー、トンカビーンのベースに、ラベンダー、セージ、マンダリンのトップを持つ、アンバー・フゼアの構成。甘さの中に煙草の枯れた香りを融合させた独自性が多くの香水愛好家に支持されており、90年代のクラシックとして今もコレクターの棚に並ぶ。

クリスタル・コレクション(2000年代〜)

2004年に登場したクリスタル・ノワール(Crystal Noir)は、ヴェルサーチェが「魔法的(magical)——エーテリアルかつカーナルに」と表現した、ダークなオリエンタル・フローラルだ。ガーデニア(ドナテラのお気に入りの花とされる)を中心に、ジンジャー、カルダモン、ペッパーのトップノートが官能的な冒頭を演出し、ムスク・サンダルウッド・アンバーの温かいベースへと落ち着く。黒いガラスボトルと宝石のような大きなファセットキャップは、夜会に向かう女性のグラマラスな佇まいを体現している。

2006年にはブライト・クリスタル(Bright Crystal)がリリースされ、クリスタル・ノワールの「ダーク版」に対する「ライト版」として位置づけられた。調香師アルベルト・モリヤスが手がけた本作は、ユズ・ザクロ・アイスアコードのトップに始まり、ピオニー・マグノリア・ロータスの軽やかなフローラルハート、アンバー・ムスク・マホガニーのウォームなベースへと展開する。ピンクのボトルが象徴する通り、この香りは「自信ある女性の輝き」を目指して作られており、現在もヴェルサーチェ・フレグランスの中でも特に広く愛されている作品のひとつだ。

2011年にはイエロー・ダイヤモンド(Yellow Diamond)が加わった。同じくアルベルト・モリヤスが手がけ、ベルガモット、シトロン、ネロリ、ペアソルベのシャープな開幕から、オレンジブロッサム、フリージア、ミモザ、スイレンの柔らかなフローラルハート、アンバーウッド・ムスク・パロサントのウッディベースへと続く。ブランドはこれを「太陽の光をボトルに閉じ込めた香り」と表現している。

この3作(クリスタル・ノワール、ブライト・クリスタル、イエロー・ダイヤモンド)は、「クリスタル・コレクション」として一体の世界観を形成しており、ヴェルサーチェ・フレグランスの女性向け主軸ラインとなっている。

エロス・ライン(2012年〜)

2012年にリリースされたエロス(Eros)(メンズ)は、「ブランドDNAそのもの」とドナテラが語るフレグランスだ。ギリシャ神話の愛と欲望の神エロスにちなんで命名され、ターコイズカラーのボトルは地中海と古代ギリシャ・ローマ文化を映す。

「エロスはヴェルサーチェというハウスのDNAそのものです。ギリシャのモチーフが古代ギリシャと神話を想起させ、ターコイズカラーが地中海を表している。それがヴェルサーチェです!」

— ドナテラ・ヴェルサーチェ

調香師オーレリアン・ギシャールによる処方は、ミントオイル・グリーンアップル・イタリアンレモンのフレッシュなトップ、トンカビーン・アンブロキサン・ゼラニウムのハート、バニラ・バージニアシダー・ベチバーのリッチなベースから成る。男性用フレグランスでありながらスウィートな甘さとグリーンの爽快感を持ち合わせた独自のプロファイルは、瞬く間にグローバルヒットとなった。

その後、エロスの世界観は「エロス・フレーム(Eros Flame)」(オードパルファム/EDP)へと発展。ドナテラはこの香りについて次のように語っている。

「すべての人が求める本物の愛——それは魂も身体も心も捕らえ、一瞬たりとも解放しない。永遠の情熱の炎の中で、すべてを燃やし尽くす本物の愛だ。」

ディラン・ブルー・ライン(2016年〜)

2016年にリリースされたディラン・ブルー プール・オム(Dylan Blue Pour Homme)は、やはりアルベルト・モリヤスが手がけたアクア系フゼアだ。カラブリアン・ベルガモット、ウォーターノート、グレープフルーツのトップから、ブラックペッパー、パチョリ、バイオレットリーフのスパイシーなハート、インセンス・ムスク・トンカビーンのベースへと展開する。「現代的な男性性」をコンセプトに、エロスよりも落ち着いた官能性を表現したとされ、ビジネスシーンにも違和感なく馴染む汎用性が評価されている。

後にウィメンズ版「ディラン・ブルー プール・ファム」、さらに持続可能性にフォーカスした「ディラン・ターコイズ(Dylan Turquoise)」が加わった。後者はソフィー・ラベ(Sophie Labbé)が調香し、成分の85%が生分解可能な素材を使用、FSC(エフエスシー、森林管理協議会)認証原材料でパッケージングされるなど、現代的なサステナビリティへの意識を示している。

ちなみに…

4種の香水を同時に纏うドナテラ

ドナテラ・ヴェルサーチェは2018年のアナザー・マガジンのインタビューで、自身が一度に4種のフレグランスを重ね付けしていると明かした。どの組み合わせかについての詳細は公開されていない。

マイアミ邸宅のメデューサ・プール

ジャンニのマイアミビーチ邸宅(現在はホテルとして一般公開されている)の屋外プールには、古代ギリシャ・ローマ美術の伝統的な描写に倣ったメデューサのモザイクが敷き詰められていたと伝えられる。幼少期に遺跡で見たメデューサのイメージを、生涯最後の住まいにまで刻んでいたことになる。

「調香の神」モリラスとの縁

ヴェルサーチェのフレグランスを多数手がけてきたアルベルト・モリヤスは、ブルガリ、グッチ、イヴ・サンローラン、ル・ラボなど500以上の香水を手がけたとされる「調香の神」的存在だ。ヴェルサーチェとの協業作品の多さは、それだけヴェルサーチェ側がフレグランス制作において世界最高峰のノーズにこだわってきたことを示している。

2025年、ヴェルサーチェ家の黄昏

2025年3月のドナテラ退任、同年プラダ・グループによる買収と、2025年はヴェルサーチェ家がブランドを直接率いた約半世紀の歴史に区切りが打たれた年となった。新たなクリエイティブ・ディレクターとして着任したダリオ・ヴィターレも同年末に退任し、2026年7月にはピーター・ミュリエがチーフ・クリエイティブ・オフィサーに就任した。ブランドのフレグランス路線が今後どのように展開するかも注目される。

参考文献