ニコラ・ボリュー(Nicolas Beaulieu)──日常の匂いを掘り下げる、香りの考古学者

ニコラ・ボリューのスケッチと代表作品を掲載した調香師名鑑のサムネイル 調香師名鑑

「美しいものを作るには、幸せでなければなりません。」

ニコラ・ボリュー

調香史

考古学者になりたかった少年

ニコラ・ボリューは、フランスのセーヌ=エ=マルヌで育ちました。パリからそう遠くない田舎の、大きな庭のある家です。

水曜日の午後には芝を刈り、花の育つ様子を眺めて過ごします。両親が好きだったオペラも、その風景の一部でした。調香師の家系ではありませんが、匂いはいつも身近にあったといいます。

「私はほとんどの時間、身の回りのものの匂いを嗅いで過ごしていました。庭の香り、母の香り、そしてランバンの『アルページュ』が漂う、祖母の家を包んでいた匂いも。」

ニコラ・ボリュー、香水誌『パルファンプラス(ParfumPlus)』の人物紹介より

祖母が使っていたランバン(Lanvin)のアルページュ(Arpège)は、別のインタビューでも最初の嗅覚記憶として挙げています。庭や家族の匂いとともに、幼い頃から彼の中に残っていた香りでした。

それでも、14歳のボリューがなりたかったのは調香師ではなく、考古学者でした。古い建築や歴史に関心があり、そもそも調香師という職業を知らなかったのです。

転機は、進路指導の担当者との出会いでした。その人が教えてくれたのが、ヴェルサイユの香水・化粧品・食品香料の教育機関、イジプカ(ISIPCA)です。学校の公開日に足を運んだボリューは、調香師になりたいという、はっきりした気持ちを持って帰ってきました。

化学を学び、香水の勉強へ進み、2000年にイジプカを卒業します。在学中から、アイ・エフ・エフ(IFF/International Flavors & Fragrances)の品質管理や研修を通じて、原料に触れる経験を積んでいました。

洗濯物の香りから学んだ、処方の厳しさ

卒業後、ボリューはアイルランドでアイ・エフ・エフの原料品質管理に携わります。その後、社内の調香学校に進み、オランダで洗剤や柔軟剤などの香りを学びました。

これは、香水瓶の中でよい匂いがすれば完成、という仕事ではありません。商品を使う一連の過程で、香りがどう変わるかを考えなければならないのです。

「店頭でボトルを開けた瞬間から、衣類にアイロンをかけてタンスにしまうまで、処方を扱えなければなりません。洗濯機から湿った衣類を取り出すときも忘れずに。その一方で、コストも下げていくのです。」

ニコラ・ボリュー、パルファンプラスの人物紹介より

本人によれば、この分野の制約は、ファインフレグランスよりも厳しいものでした。水や熱、布地の状態、時間の経過。条件が変わっても、求める印象を保つ必要があります。

この訓練で身につけた考え方は、その後も日々の仕事に生きているといいます。ボリューの短く要点を押さえた処方は、自由な発想だけでなく、香りを働かせる実務の経験にも支えられているのでしょう。

その後はニューヨーク、さらに上海へ赴任します。活気に満ちた上海での経験を経て、2008年にパリへ戻り、新しい創作に取り組みました。

花の収穫と、合成香料への好奇心

アイ・エフ・エフでの経験のうち、ボリューが忘れられないものとして挙げるのが、天然香料を扱うラボラトワール・モニーク・レミ(Laboratoires Monique Rémy/LMR)での研修です。

グラースではバラの収穫に立ち会い、ロゼールではナルシスの収穫を経験しました。原料瓶のラベルとして知っていた植物が、土地や季節、生産の仕事と結びつく機会でした。

しかし、天然香料を知ることは、合成香料から離れることではありません。ボリューはアルデヒドも好み、バイオレットリーフ、ガルバナム、トリプラルなどの、鋭い緑の印象を持つ素材にも惹かれています。

その一方で、好んで扱う素材を尋ねられると、サンダルウッドを挙げます。尖ったグリーンの香りも、なめらかな木の香りも、それぞれの可能性を楽しんでいるのです。

「力強い香りの余韻と、要点をまっすぐに伝える、短くシンプルな処方に惹かれます。」

ニコラ・ボリュー、パルファンプラスの人物紹介より

原料を減らすこと自体が目的なのではなく、伝えたい印象を明確にすること。香りの量感と処方の簡潔さを両立させる、この言葉は彼の作品を読む手がかりになります。

アロマティクス イン ホワイト──白を、温かく描く

ボリューのキャリアの中で、重要な仕事の一つとなったのが、クリニーク(Clinique)のアロマティクス イン ホワイト(Aromatics in White、2014年)です。

出発点にあったのは、1971年のアロマティクス エリクシール(Aromatics Elixir)を、現代に向けてどう捉え直すかという問いでした。クリニークが求めたのは、既存の名作を少し変えただけの派生品ではなく、再創造だったといいます。

ボリューは約10か月、この課題に向き合いました。構成の中心に置いたのは、最初から最後まで香りを貫く、複雑なムスクのアコードです。それを背骨にして、ローズとオレンジフラワー、パチュリのハート、ベンゾインを重ねていきます。

原作のパチュリが持っていた強い存在感を、ムスクの広がりから捉え直す試みでした。

「『冷たい白』にはしたくありませんでした。私が求めた白は、豊かな質感を持つ、もっと温かく包み込むような感覚です。」

ニコラ・ボリュー、パルファンプラスのインタビューより

そこで思い浮かべたのが、白いコチョウランでした。やわらかな質感を持ちながら、花そのものの個性は強い。その印象を、ムスクのアコードに映していったのです。

重要な素材の一つが、アイ・エフ・エフの独自ムスク、エデノライド(Edenolide)でした。ボリューは、この素材によって、香りの後半だけでなく立ち上がりからムスクを感じさせ、ふわりと開くような効果を与えられたと説明しています。

ここでの白は、何もない空白ではありません。花の肌触り、包まれる感覚、静かな強さを持つ白です。匂いから色や質感を感じるという、ボリューの感覚が作品に結びついた例といえます。

コンクリートと、もう一つの木の表情

2017年には、コム デ ギャルソン(Comme des Garçons)からコンクリート(Concrete)を発表します。

都市のありふれた建材を香水の名前にする、この作品も、ボリューの代表作としてたびたび紹介されます。美しい花だけでなく、普段は香水と結びつけないものにも、新しい香りの入り口を見つける仕事です。

一方、より広い市場に向けた香りでは、ラバンヌ(Rabanne、旧パコ ラバンヌ/Paco Rabanne)のインビクタス アクア(Invictus Aqua)や、ジュリアン・ラスキネ(Julien Rasquinet)と手がけたインビクタス レジェンド(Invictus Legend、2019年)などに参加しました。

キャロライナ ヘレラ(Carolina Herrera)のバッドボーイ ル パルファム(Bad Boy Le Parfum、2021年)も、ファニー・バル(Fanny Bal)、ブルーノ・ジョヴァノヴィック(Bruno Jovanovic)との共同制作です。

前衛的なブランドの挑戦と、多くの人が手に取る香水。その両方を同じキャリアの中で手がけているところにも、ボリューの幅があります。

バスティーユ──制約から、処方を考え直す

新しい条件に向き合うという点では、バスティーユ(Bastille)との仕事も印象的です。ボリューは同ブランドで、バタイユ(Bataille)とパラディ ニュイ(Paradis Nuit)を作っています。

ブランドが掲げるのは、95%天然の香水という方針でした。ボリューにとって、その条件で処方を組み立てるのは新しい経験だったといいます。

「95%天然の香水というこの考え方は、私にとってまったく新しいものでした。」

ニコラ・ボリュー、バスティーユのインタビューより

そのため、処方の組み立て方そのものを考え直す必要がありました。以前と同じ方法で素材だけを入れ替えるのではなく、最初から別の設計を試す仕事です。

バタイユで着想を得たのは、アメリカのバーニングマン(Burning Man)でした。芸術的で、型にはまらず、多様な人を受け入れる雰囲気から、熱さと冷たさを併せ持つ、スパイシーなパチュリを考えたといいます。

パラディ ニュイでは、フィンセント・ファン・ゴッホ(Vincent van Gogh)の《星月夜(The Starry Night)》が出発点となりました。カシーの花、ニューカレドニア産サンダルウッド、ビターなカカオを組み合わせ、夜を静かな無彩色ではなく、豊かな表情を持つ世界として描いています。

ボリューはバスティーユのインタビューで、匂いから質感や色を感じることも語っています。原料を嗅ぎ、言葉や記憶へ置き換える。その行き来が、こうした作品を支えているのです。

グッド フォーチュン──二人で探した新しい組み合わせ

2022年には、ヴィクター&ロルフ(Viktor & Rolf)のグッド フォーチュン(Good Fortune)を、アン・フリッポ(Anne Flipo)と共同制作しました。

モダンなスピリチュアリティをテーマとするこの香りでは、フェンネルとゲンチアナを組み合わせた共蒸留の素材が特徴として紹介されています。ブランドは、動物由来の原料を用いない処方も打ち出しました。

新しい組み合わせを発見し、それを一つの香水の個性に育てる。考古学を志した少年の好奇心は、いまでは原料の奥にある可能性に向いています。

香水文化誌『ネ(Nez)』は、アイ・エフ・エフの共同制作について取り上げた記事の中で、フリッポとボリューの仕事も紹介しています。複数の調香師が経験や発想を持ち寄ることは、ボリューの作品群を支える重要な要素です。

2025年、シムライズへ

2023年2月、ボリューはアイ・エフ・エフでヴァイス・プレジデント調香師に昇進します。同時に昇進したのは、ジュリエット・カラグゾグルー(Juliette Karagueuzoglou)とジャン=クリストフ・エロー(Jean-Christophe Hérault)でした。

会社は三人について、代表的な香りを生み出してきた実績に加え、天然原料、新しい分子、技術の開発への貢献も評価しています。若い調香師を指導することも、この役割に含まれていました。

同年には、ヘッドスペース(Headspace)のチュベローズ(Tubéreuse)が、フランス・フレグランス財団賞の独立ブランド部門で最終候補に選ばれます。受賞ではなく候補入りですが、大手ブランドの仕事とは異なる場でも、作品が評価された機会でした。

そして2025年10月6日付で、シムライズ(Symrise)へ移籍します。パリのファインフレグランス部門に、ヴァイス・プレジデント兼シニア調香師として加わりました。

この移籍を伝える紹介では、ボリューの自己像として「香りの考古学者」という表現が使われています。原料に隠れた複雑さを掘り下げ、新しい一面を引き出そうとする姿勢を表したものです。

庭の草、祖母の香水、花の収穫、旅先の味。ボリューの創作は、特別な出来事だけから生まれるのではありません。冒頭の、幸せであることが美しいものを作るために必要だという言葉も、暮らしの楽しみを創作の外に置かない、彼らしいモットーです。

ちなみに…

ボリューは、食べることも作ることも好きです。子どもの頃からケーキを焼き、思いつくままにスパイスを混ぜていました。大人になってからも料理を続け、マリネした生魚や、サーモン、米、ディルなどをパイで包むロシア料理のクリビヤックにも興味を持っています。

ワインも大切な楽しみです。食事、ワイン、家族、友人、旅。好きなものを尋ねられたときの答えには、香水以外の豊かな時間が並びます。

意外な味の組み合わせとして挙げたのは、ボーフォールチーズのアイスクリームでした。甘味と塩味が力強く共存する面白さは、香りの組み合わせを考えることにも通じていそうです。

好きな匂いは、刈りたての草と、清潔な洗濯物。嫌いな匂いは特にない、と答えています。庭で育ち、洗剤の香りから調香を学んだ経歴を思い返すと、よく似合う答えです。

過去に愛用した香水にはアザロ プールオム(Azzaro pour Homme)があり、シャネル(Chanel)のエゴイスト(Égoïste)、イッセイ ミヤケ(Issey Miyake)のロードゥ イッセイ(L’Eau d’Issey)、ヴィクター&ロルフのフラワーボム(Flowerbomb)、セルジュ・ルタンス(Serge Lutens)のフェミニテ デュ ボワ(Féminité du Bois)、エルメス(Hermès)のオー ドランジュ ヴェルト(Eau d’Orange Verte)なども、印象深い作品に挙げています。

パリを一つの匂いに例えるなら、コーヒー。パリの人はテラスでコーヒーを飲む時間が長いから、というのがその理由でした。

調香作品

主な作品を年代順にまとめています。「—」は共同調香師の記載がないもので、すべてを単独制作と断定するものではありません。同名の作品でも、発売年や濃度によって処方が異なる場合があります。

ブランド 作品名 共同調香師・補足
2012年 イザベル・デローネ/アイディー パルファム(Isabel Derroisné/ID Parfums) サイアム フランボワヤン(Siam Flamboyant) アン・フリッポ
2012年 デヴィッド ベッカム(David Beckham) インスティンクト スポーツ(Instinct Sport)
2012年 セルジオ タッキーニ(Sergio Tacchini) ウィズ ユー(With You)
2013年 ハロウィン(Halloween/旧ヘスス デル ポソ) ハロウィン フルール(Halloween Fleur) オリヴィエ・ポルジュ(Olivier Polge)、カルロス・ベナイム(Carlos Benaïm)
2013年 ショパール(Chopard) ファン センセーション(Fun Sensation)
2014年 クリニーク アロマティクス イン ホワイト
2014年 エスプリ(Esprit) ライフ バイ エスプリ ウーマン サマー(Life by Esprit Woman Summer) ヴェロニク・ニーベルグ(Véronique Nyberg)
2015年 ランバン エクラ ドゥ フルール(Éclat de Fleurs) アン・フリッポ
2015年 モンブラン(Montblanc) レディ エンブレム(Lady Emblem)
2015年 レペット(Repetto) オー フローラル(L’Eau Florale) ジュリエット・カラグゾグルー
2015年 エスプリ ライフ バイ エスプリ サマー エディション ウーマン 2015(Life by Esprit Summer Edition Woman 2015) ヴェロニク・ニーベルグ
2016年 サルヴァトーレ フェラガモ(Salvatore Ferragamo) シニョリーナ ミステリオーサ(Signorina Misteriosa) ソフィー・ラベ(Sophie Labbé)
2016年 ジミー チュウ(Jimmy Choo) イリシット フラワー(Illicit Flower) アリエノール・マスネ(Aliénor Massenet)
2016年 ラバンヌ インビクタス アクア アン・フリッポ
2016年 ジャンフランコ フェレ(Gianfranco Ferré) ルオモ(L’Uomo)
2016年 ラウラ ビアジョッティ(Laura Biagiotti) ローマ パッショーネ(Roma Passione) ジュリエット・カラグゾグルー
2017年 ディーゼル(Diesel) オンリー ザ ブレイブ ハイ(Only the Brave High)
2017年 コム デ ギャルソン コンクリート
2017年 ショパール ムスク マラキ(Musk Malaki)
2017年 レペット ル バレ ブラン(Le Ballet Blanc)
2017年 アイディー パルファム アーム トスカーヌ アンタンス(Âme Toscane Intense)
2017年 アイディー パルファム テール インカ(Terre Inca)
2018年 アレキサンダー マックイーン(Alexander McQueen) ブレイジング リリー(Blazing Lily)
2018年 フォーセブンイレブン(4711) リミックス コロン エディション 2018(Remix Cologne Edition 2018)
2018年 ラバンヌ インビクタス アクア 2018年版 2016年版とは別処方
2018年 ポルシェ デザイン(Porsche Design) ポルシェ デザイン 180(Porsche Design 180)
2018年 オリフレーム(Oriflame) オン ジ エッジ(On the Edge)
2019年 ラバンヌ インビクタス レジェンド ジュリアン・ラスキネ
2019年 ランコム(Lancôme) ピヴォワンヌ プランタン(Pivoines Printemps)
2019年 ハロウィン ハロウィン マン エックス(Halloween Man X)
2019年 ティファニー(Tiffany & Co.) ティファニー&ラブ フォーヒム(Tiffany & Love for Him) ソフィー・ラベ
2019年 バスティーユ バタイユ
2021年 ヴィクター&ロルフ スパイスボム インフラレッド(Spicebomb Infrared)オードトワレ カルロス・ベナイム、ジャン=クリストフ・エロー
2021年 キャロライナ ヘレラ バッドボーイ ル パルファム ファニー・バル、ブルーノ・ジョヴァノヴィック
2021年 ヴァレンティノ(Valentino) ドンナ ボーン イン ローマ イエロー ドリーム(Donna Born in Roma Yellow Dream) アン・フリッポ
2022年 ヴィクター&ロルフ グッド フォーチュン アン・フリッポ
2022年 ヴァレンティノ ウオモ ボーン イン ローマ コーラル ファンタジー(Uomo Born in Roma Coral Fantasy) ジャン=クリストフ・エロー
2022年 クレージュ(Courrèges) ロー ドゥ リエス(L’Eau de Liesse)
2022年 ギ ラロッシュ(Guy Laroche) ドラッカー インテンス(Drakkar Intense)
2022年 モンブラン レジェンド レッド(Legend Red)
2022年 ヘッドスペース チュベローズ 2023年のフランス・フレグランス財団賞で最終候補
2022〜2023年 バスティーユ パラディ ニュイ ブランドの2022年末のインタビューに登場。データベースは2023年とする
2023年 ラバンヌ インビクタス ビクトリー エリクシール(Invictus Victory Elixir) アン・フリッポ、ドミティユ・ミシャロン=ベルティエ(Domitille Michalon-Bertier)
2023年 ヴィクター&ロルフ スパイスボム インフラレッド オードパルファム カルロス・ベナイム、ジャン=クリストフ・エロー。オードトワレとは別作品

参考文献