Arquiste(アーキスト)― 建築家が香りに刻む「時と場所」の記憶

アーキストの世界観と代表製品「Nanban 100ml」を表現したブランドイメージ ブランド創業者

「いつも建築の調査をしているとき、ある建物や都市の話を読んでいると、ふと『あそこはどんな匂いがしたのだろう?』と思うんです。だったら、そのオルファクティブ(嗅覚的)な体験を”復元”することはできないだろうか? それがすべての出発点でした」

— カルロス・フーバー(アーキスト創業者)

基本情報

設立: 2011年(アメリカ・ニューヨーク)
創設者: カルロス・フーバー(Carlos Huber)
公式サイト: https://arquiste.com

「アーキスト」という読み方はあまり馴染みがないかもしれないが、日本の正規取扱店ノーズショップの説明によると、ブランド名は Architecture(アーキテクチャー=建築)、History(ヒストリー=歴史)、Artist(アーティスト=芸術家)、Archive(アーカイブ) を組み合わせた造語であり、「時を超えて継承される価値」という意味が込められている。

創設者・ブランドの成り立ち

メキシコシティで育った、鼻のいい少年

カルロス・フーバーは、ヨーロッパにルーツを持つユダヤ系の移民家族の子として、メキシコシティで生まれ育った。祖父はポーランド出身で鉄鋼工場を持ち、父は歯科医、兄は自転車ビジネス、姉は美術キュレーターという起業家一族の中で、カルロスだけがデザインと歴史に魅かれ、建築の道を選んだ。

幼少期から嗅覚は特別に鋭かったとカルロスは振り返る。

「5歳のころから父が近所のドラッグストアで小さな安いコロンのボトルを買ってきてくれて、それが私をフレグランスと男性のグルーミングの世界に引き込みました。私は店から店へとめぐり、新しい香りを発見することに夢中になっていきました」

そのころメキシコシティで彼を迎えてくれた香りが、地元のチェーン薬局「サンボルンス」で売られていたオレンジブロッサムのオードコロン、アグア・デ・コロニア・サンボルンスだった。その香りは、今も彼が就寝前に使い続けているという個人的なシグネチャーでもある。

建築から保存へ――「なぜ古い建物が必要なのか」という問い

カルロスはメキシコシティの名門校、ウニベルシダー・イベロアメリカーナで建築を学び始め、その後パリのエコール・スペシャル・ダルシテクチュール(École Spéciale d’Architecture)で一年間学び、さらにスペインのビルバオでも実務経験を積んだ。

旅をすればするほど、古い建物の持つ力に魅了されていった。

「建築の歴史を学べるということが、私が建築を選んだ理由のひとつです。メキシコシティの中心部を歩いたとき、小さな植民地時代の街やヨーロッパへの初めての旅で、古い建物に心を奪われました」

ビルバオ滞在中に彼はニューヨークの「ヒストリック・プリザベーション」(Historic Preservation、歴史的建造物の保存・修復を専門とする学問領域)のプログラムを知り、コロンビア大学大学院に進学。優秀な成績で修士号を取得した。

ポロ・ラルフ ローレンでの転機

コロンビア大学卒業後、カルロスはファッションブランドの世界へ踏み込んだ。ポロ・ラルフ ローレンの建築チームにジョインし、ストアの開発とデザインを手がける日々が始まった。

「そこで初めて、リテール、ファッション、マーチャンダイジング、建築、修復保存の世界が交差する瞬間を体験しました。ちょうどその頃、調香師のヤン・バスニエとロドリゴ・フローレス=ルー、そしてフレグランス・エバリュエイターのソフィー・ベンサムーと友人になって。私はずっと香りの世界に興味があったので、彼らから学ぶことが本当に楽しかった」

そこで出会った「メキシコ出身の同郷の天才」が、ジボダン(Givaudan、世界有数の香料メーカー)のマスター・パフューマー、ロドリゴ・フローレス=ルーだった。

一年間の薫陶――フローレス=ルーとの師弟関係

ロドリゴ・フローレス=ルーが振り返る、カルロスとの出会いのエピソードは興味深い。

「とても仲の良い同僚がいて、ある日のランチでヤン・バスニエがカルロスのフェイスブックページを見せてくれたんです。しかもとにかく美しい人で、知性的でもある。そこで4人でランチを企画して、意気投合した」

カルロスはすぐにロドリゴに正式な薫陶を乞い、一年以上にわたって香水の歴史・評価・開発について個人的に指導を受けた。

「授業中は非常にフォーマルで、そのあと夕食をとりながら深夜まで香水の歴史を語り合いました。各フレグランスの背後にある物語の調査に一年ずつかけ、現地を訪問し、図書館や資料館に何日も通い、植物学者・歴史学者・シェフに香りの手がかりを尋ねました」

この過程で、カルロスは建築と調香の間に深い類似性を発見した。

「建築も香りも、どちらも”体験”です。どちらも”レイヤー(層)”でできた構造を持っている。基礎(ベースノート)、構造体(ハートノート)、装飾(トップノート)。そしてどちらも特定の場所、時代精神、文化と深く結びついている」

アーキストの誕生

こうして2011年、ニューヨークを拠点にアーキスト・パルファムールは誕生した。ファーストコレクションは、カラブリアの1175年からサンクトペテルブルクの1837年まで、6つの歴史的瞬間をテーマにした6本の香水で構成された。2012年にはバーニーズ・ニューヨークをはじめとするセレクトショップでの流通を開始し、2013年1月にはファッション・グループ・インターナショナル(FGI)の「ライジング・スター賞」をビューティ&フレグランス・アントレプレナー部門で受賞する。

ブランドのこだわり

「復元」としての香り――建築のアプローチを香水に

アーキストの哲学の核心にあるのは、建築における「ヒストリック・プリザベーション(歴史的保存・復元)」の概念をそのまま香水制作に持ち込むという発想だ。

「アーキストは、過去の瞬間や過去と結びついた体験を復元し、新たな命を吹き込む実験から生まれました。フランケンシュタインのように――匂いという火花で物質に再び命を与えるようなものです」

各香水の制作は、まずカルロスによる徹底した歴史調査から始まる。現地訪問、図書館・アーカイブ調査、植物学者・歴史学者・料理人へのヒアリングを経て、詳細な「ブリーフ」(香りの設計書)が作成される。このブリーフは、「実際にはあまりブリーフではない」とカルロス自身が笑うほど学術論文のように長く詳細なものだという。

調香師たちとのコラボレーションについて、カルロスはこう語る。

「一緒に仕事をするには”クリック”が必要です。歴史と芸術への共通の関心、ユーモア、温かさ。一緒に仕事をする調香師たちは、私の友人であり、師匠です」

「香りのシグネチャー」―― Ambermax(アンバーマックス)と複雑な物語性

アーキストの作品をつなぐシグネチャー素材として、カルロスがインタビューで挙げたのがAmbermax(アンバーマックス)というジボダン開発の合成素材だ。

「ジボダンが製造する合成素材ですが、塩っぽいニュアンスがあって、まるで少し汗ばんだ肌のよう。でも汗臭くはない。清潔な肌の香りで、ほんの少し苦味もある。それがフレグランスに人間的な要素を与えてくれる」

カルロスはまた、複雑で「おしゃべりな」フレグランスを好むと明言している。

「私はフレグランスが皮膚の上で生きていく中で、ある時点では少しここを感じ、別の時点ではあそこを感じる――そういう積み重なりの層が好きなんです。強くなくても深い香りが好きです」

素材の品質への姿勢も明確だ。

「品質が基準です。悪いナチュラル素材は悪い合成素材と変わらない。良い合成素材も本当に素晴らしいものになりうる。でも、例外的なナチュラル素材の貴さには、やはり何も敵わない」

ボトル・パッケージのデザイン

ブランドのボトルは、イタリア・パルマの工場で製造される最高品質のガラスを使い、エルゴノミック(人間工学的)なラウンドフォルムが特徴だ。

カルロスはそのデザイン意図について次のように述べている。

「手の中に収まる、丸くて使いやすいボトルを作りたかった。各香水のコンセプトを圧迫しないもの。香りの手榴弾のような感触が好きです」

ボトルには、ブランドロゴ「A」が刻まれたメタル製のキャップが付き、最新のクリスタルスプレーチューブ技術が採用されている。パッケージングの箱は、黒と白を基調としたミニマルなデザインで、歴史への敬意と現代性の融合を象徴している。なお2024年には、ボックスを建築的なルックに刷新するリフレッシュも行われた。

香水ラインナップ

アーキストの香水は、それぞれ「特定の時代と場所」という歴史的座標を持つ。全商品を網羅するのではなく、コレクションの構造と代表的なラインを紹介する。

ローンチコレクション(2011〜2012年)

2011年のデビューコレクションは6本の香水で構成され、その後さらに数本が続いた。いずれもロドリゴ・フローレス=ルーとヤン・バスニエが手がけた。

フルール・ドゥ・ルイ(Fleur de Louis) は、1660年6月のフランス=スペイン国境の小島を舞台に、ルイ14世とスペインのインファンタ(王女)マリア・テレサの婚約の場を香りで再現した作品。新鮮に切り出した松材とセダーの香りが立ち込めるパビリオンの中に咲く、オレンジブロッサム、ジャスミン、オリス(アイリスの根)の芳香が特徴。

インファンタ・エン・フロール(Infanta en Flor) は同じ場面を、スペイン王女側の視点から描いた作品。オレンジフラワーウォーター、スペイン産レザー、シスタス樹脂、イモーテルが香る。

アニマ・ダルシス(Anima Dulcis) は1695年11月のメキシコシティ、ヘスス・マリア王立修道院の厨房を舞台にした作品だ。その発想は、カルロス自身がその建物の修復工事に携わった体験から生まれた。スペイン征服者の女性子孫たちが創設したこの修道院では、修道女たちがヨーロッパ・アジア・メキシコ先住民の食材を組み合わせた秘伝のレシピを守っていた。アニマ・ダルシス(「甘き魂」)という名が示す通り、カカオアブソリュート、メキシカンバニラ、シナモン、スモークトチリが主役を張るバロック的グルマン(食べ物を想起させる)フレグランス。

アレクサンドル(Aleksandr) は1837年1月、サンクトペテルブルクの詩人アレクサンドル・プーシキンが致命傷を負った決闘の日の午後を香りで再現した作品。ネロリ、ヴァイオレットリーフ、ファーバルサム、ロシアンレザー、オリスが、詩人の身支度の香りと冬の景色を織り上げる。ヤン・バスニエが手がけた。

代表的なフレグランス

ナンバン(Nanban) は、1618年1月の太平洋を舞台にした一作だ。名前の「南蛮」は、かつて日本で西洋の文物を指した言葉。徳川幕府が西洋との交流を終わらせる直前、外交使節団を乗せた日本のガレオン船の暗い船倉に漂う、スパイス・コーヒー・皮革・乳香・白檀の匂いを再現している。その発想は、カルロスが2014年に初めて日本を旅した体験から生まれた。ロドリゴ・フローレス=ルーが手がけた。

ミスフィット(Misfit) は、1877年9月、マルセイユを舞台にした作品。19世紀にブルジョワ階級の間で大流行し、その後アウトサイダーたちに受け継がれたパチョリの香りをテーマに、フランス産ラベンダー、アンブレッテシードアブソリュート、ベネズエラ産トンカビーン、トルーバルサムで構成されている。2021年のフレグランス・ファウンデーション(The Fragrance Foundation)アワードで「インディ・フレグランス・オブ・ザ・イヤー」を受賞した。

シドニー・ロック・プール(Sydney Rock Pool) は、2016年1月のシドニーを舞台にした珍しい「現代を舞台にした」アーキスト作品だ。オーストラリアンサンダルウッド、フランジパニ、ジャスミン・サンバック、アンバーマックス、シーソルトアコードが、ビーチから上がった直後の肌の記憶を呼び起こす。カルロスは、2016年のトランプ氏の大統領選当選直後にこの作品の制作を始めた。「現実から一瞬逃げ出す場所、マインドフルネスの象徴として、このフレグランスを作った」と語っている。

ロル・ドゥ・ルイ(L’Or de Louis) は、2023年に発表された、オレンジブロッサムアブソリュートを軸にした作品で、フレグランス・ファウンデーションの公式受賞記録によれば、2024年のインディ・フレグランス・オブ・ザ・イヤーを受賞した。1687年4月、ヴェルサイユ宮殿の大温室(グランド・オランジュリー)で、太陽王ルイ14世のために焚かれたかがり火がオレンジの木を温め、花開かせる――その光景を香りで表現した。ボトルには本物の24Kゴールドフレークが含まれている。ロドリゴ・フローレス=ルーとカルロスが12年以上かけて練り上げた作品だという。

近年のコレクションでは、調香師カリス・ベッカー(Calice Becker)が手がける作品も加わっている。アーモンド・スエード(Almond Suede) は810年のコルドバ(アル=アンダルス)を舞台にしたマジパンとレザーのフレグランス、ヴェニス・ロココ(Venice Rococo) は18世紀ヴェネツィアのロココ様式を纏ったパウダリーフローラル、ア・グローブ・バイ・ザ・シー(A Grove by the Sea) は地中海のイチジク林を舞台にしたアドリア海の薫りである。

ちなみに…

カルロスのフレグランスには、水や航海にまつわる作品が多いことに気づく読者もいるかもしれない。アーキスト、ナンバン、フルール・ドゥ・ルイ、シドニー・ロック・プール、エル(Él)とエラ(Ella)のアカプルコシリーズ、ダーク・ガレオン……。

「水が好きだし、私自身はかなり水辺の人間です。でも水が多いのは、歴史的にも旅・移民・交流と関係があるからでもある。私のルーツ自体がそういう物語です。移民がどのように世界を行き来するか、それが私の創作の出発点にあります」

また、エル(Él)とエラ(Ella)というデュオ・フレグランスのシリーズは、珍しくも個人的な記憶に基づいている。1970年代アカプルコのジェット族文化について両親から聞かされた話が着想源だ。歴史的エピソードではなく「家族の口承」を香りにしたという意味で、アーキストの中では少し趣の異なる作品である。

ブランド名の由来について付け加えると、アーキスト(Arquiste)はスペイン語のarquitectura(アルキテクトゥラ=建築)や、芸術家・アーカイブを思わせる語を重ねた造語としても紹介されている。そのため、日本語圏では「アーキスト」と読まれることが多いが、英語圏では「アーキスト」とほぼ同様の発音が一般的なようだ(なお公式な発音表記は公開情報上では確認できなかった)。

参考文献