Kilian Hennessy
キリアン・ヘネシー

キリアンヘネシー ブランド創業者

 今や日本でも香水愛好家の間で頻りに話題に上がり、一気に、1本、いやコレクションごと持っていたいと言われるようになったラグジュアリーフレグランスブランド「キリアン(Kilian Paris)」。創設者は一体何者で、どんな人生を送ってきたのか。嘘か誠か、ブランド創設者キリアン・ヘネシーの数奇なる人生をご案内。

何よりも重要なことは、私の成功が、私のラストネームではなく、私自身だけで手に入れたものだと知ることです。

キリアン・ヘネシー

8代目の誕生

 1972年3月27日、フランスのブローニュ=ビアンクールにヘネシー家の8代目、長男として生まれたキリアン・ヘネシーは、祖父と同じ名をもらい、ラグジュアリーが生活に溢れた家庭で育ちます。

 ヘネシー家は、正式名称をJas Hennessy & Co.と言い、フランスのコニャック地方に拠点を置くコニャックの製造業者になります。世界最大のコニャック会社であり、世界中の40%以上を供給していると言われています*。現在では、LVMH(ルイ・ヴィトン・モエ・ヘネシー)グループの一員であります。

 お酒を扱う一家に生まれたキリアン。子供の頃の香りの記憶は、コニャック中に含まれるアルコールとともに飛ぶシュガーの香り、コニャックを熟成させる樽の木の香りでした。
 また、キリアンの家族の女性( 母親、祖母、母方の姉妹、いとこ )は皆チュベローズを使っていました。ルガリオン(Le Galion)のTubereuse、ロベールピゲのフラカス(Fracas)、ディオールのプワゾン(Poison)、キャロン(Caron)のTubereuseと一時代を築いたチュベローズ香水たちです。なので、チュベローズの香りは、彼にとって心地が良く、今でも家にチュベローズの花束を置くことがあります。

 その中でも、特に鮮明に覚えている香りの記憶は、祖父が使っていたオーソバージュ(Eau Sauvage、ディオール)でありました。祖父はオーソバージュの香水で髪を濡らし、モンテクリストの葉巻を吸っており、毎朝一緒に起きていたキリアンは、これらが混ざった香りを忘れることができず、後に自身のブランドの香水の1つダークロードとして甦らせます。

 父がヘネシーでキャリアを積むのに忙しかったせいか、キリアンは祖父の影響をかなり受けているようです。そして、ヘネシーを率いてきた祖父から帝王学を学んでいきます。

私は祖父に(少しだけ父に)育てられました。2人にとって成功するキーは2つのことでした。絶対に品質に妥協しないこと、そして異なるマーケットの文化を理解し、文化に対してはオープンマインドになること、です。

キリアン・ヘネシー

*ブランデーダディより

運命に選ばれし申し子

私をトムフォードやエディ・スリマンと働かせたいと思う人もいたけど、私が愛していたのは香水でした。

キリアン・ヘネシー

 小さい頃から、父や祖父のために働きたくないと思っており、自分自身で何かを完璧に生み出したいと思っていました。最初はファッション業界でキャリアを追求しようと思っていましたが(なんせ御曹司で超イケメン、ファッションセンスも抜群)、大学で卒業論文を書くときに全ては変わったのです。

 キリアンは、ソルボンヌ大学内にある学校のCELSA(フランス国内において広告、ジャーナリズム、コミュニケーションの分野でトップクラス)に通っていました。大学では、コミュニケーション、マーケティング、言語論のコースを勉強しており、卒業論文を書くために先行研究を大量に読んでいたキリアンは、1つの論文に出会います。
 それは、香りについて話をする人のあいだで共通のボキャブラリーが欠けているという内容でありました。これを読んだキリアンは、香水に関する話をするときも同じだということを思い出し、そのテーマで論文を書くことに決めるのです。それはちょうどKenzoパルファンのインターンシップに行った直後のことでありました。

ちなみに…

ヘネシー家の御曹司キリアンの元には様々なインターンシップが舞い込んできましたが、 ヘネシーでのインターンシップは全て断っていました。

 元々、「ラグジュアリー」に関する論文を書く予定を「香り」に変更し、『Semantics of Odors: In Search of Languages Common to Gods and Mortalsl(香りの言語論:神と運命の共通言語の探究)』を書くことにしました。
 自分が何を書こうとしているか、より深く理解するために大学の5年目の年は、パリの香りが学べる学校Cinquieme Sens(サンキエーム・サンス)にも同時に通っていました。登校初日の最初の1時間で、原料や成分の香りを嗅ぎ、そこで香りの世界にすぐに惹きつけられたキリアンは、香水にのめり込んでいきます。それはキリアン22歳、1994年9月のことでした。

 その後、フィルメニッヒのインターンシップに行ったキリアンは、何の巡り合わせか、祖父が仲良くしていたDiorのCEOであったモーリス・ロジャーに出会います。「この業界でビジネスをやりたければ、職人のように香水を学ばなければならない」と言われたキリアンは、彼をメンターとして頼り、ついにフィルメニッヒのスターに出会うことになります。

香水業界で難しいことは、個々人の間でフレグランスを表現する共通のボキャブラリーがないということです。

キリアン・ヘネシー

師との邂逅

 卒業論文に際して、キリアンは多くの調香師にインタビューを行いました。その1人が、1990年からフィルメニッヒ社にいた若き日のジャック・キャヴァリエ(Jacques Cavallier Belletrud、現ルイ・ヴィトン専属調香師)でありました。すぐに2人は意気投合し、間もなくジャックはキリアンのメンターになりました。

ジャックは私に香水のコンポジションについて全てを教えてくれました。私たちはすぐにとても仲良くなりました。私が彼にインタビューしたとき、自分を傍において、メンターをしてくれるよう納得させました。ジャックから香水に関する技術をすべて学び、3000の原料を超える知識と、どのようにそれらを上手く調香し、コンポジションを構成するのかを教えてもらったのです。

キリアン・ヘネシー
ちなみに…

キリアンは、当時を回顧し、その後15年、ジャックとともに香水を一緒に作っていたと言っています。

 自分の技術に自信を持ち、大学を卒業したキリアンは、当時ニューヨークのフィルメニッヒ社で仕事をしていたティエリー・ワッサー(Thierry Wasser、現ゲランの専属調香師)のアシスタントを志願しました。ティエリーからは1週間に2度、夜に香水のファミリーやそのファミリーの象徴的な香りについて教えてもらっていました(なんて贅沢!)。
 例えば、ローズのファミリーやそこから派生するコンポジション、香水や業界の歴史(チュベローズの香水の元祖であるFracasがどのような香りで、プワゾンはその構造に何を加えたかなど)を学んでいました。

コニャックを嗅ぐときというのは、ワインを嗅ぐのと同じように、レッドベリーやイエローフルーツ、モス、ウッドについて話をしますが、ボキャブラリーは少なく、広がることがありません。しかし、香水では3000の香りがあり、ボキャブラリーは非常に多く、より複雑です。

キリアン・ヘネシー

革命までの道のり

1994年~1996年ごろ

 このような経験があったキリアンは、すぐに色々な会社からフレグランスディレクターとしての仕事のオファーを受けます。最初は、ニューヨークのディオール(LVMHグループ)で2年働きました。

1996年~2000年

 その後、パリに戻って、Paco Rabanne(パコラバンヌ)で4年間働くことになります。香水部門はPuig(プーチ社)に所属していたため、Puigで働いていました。

 パコラバンヌは小さいブランドのため、大きいブランドと競うための唯一の方法である、過剰にクリエイティブなやり方をここで学んだとキリアンは言っています。このプーチ社にいた期間に、のちのブランドを支える調香師カリス・ベッカーに出会って香水をともに作っています。

ちなみに…

この間、パコラバンヌからは3つの香水が発売されており、ジャック・キャヴァリエが調香したUltravioletに、キリアンも関わっているのではないかと推測される。

2000年~2003年

私はLVMHが私に競合他社では働かないように納得させようとしている時、私はグッチ(グループ)にいました。当時、私の返事は『私は何の借りもないよ』だったのです。

キリアン・ヘネシー

 2000年からは、当時グッチグループに入ったばかりのAlexander McQueen(アレクサンダー・マックイーン)で3年働きます。この間に発売された香水キングダム(Kingdom)を師ジャック・キャヴァリエとともに作っています。

 マックイーンの創設者Lee Alexander Mcqueenの下では、コレクションの生み出し方、スタジオにあるムードボードに世界観を作っていき、それをコレクションのクリエイションプロセスを通して解釈していくというやり方を学びました。これは全てのキリアンのコレクションの過程で使われているやり方です。キリアンのスタジオのボードには色んなコレクションの名前や構造、色、アコードが書いてあるのです。

彼(アレキサンダー)は、攻撃的で破壊的な性格の持ち主で、感情的でした。彼は周りの人が何か言ったことが嫌いであれば、失せろと言っていました。私は素晴らしい経験をし、数年でそこを去りました。彼の才能と創造性は非常に恋しく思うけど、私は何かもう少し『静かな』(笑)ところに行きたかったので、より年老いた紳士のGiorgio Armaniのところに行きました。

キリアン・ヘネシー

2003年~2006年

 2003年からは、75歳のジョルジオ・アルマーニ(Giorgio Armani)の下で3年間働きます。アルマーニの香水は、ロレアルとライセンス契約していたので、ロレアルで働いていたことになります。アルマーニでは、どのようにビジネスを組み立て、利益を生み出すのかという基礎を学びました。

デザイナーブランドで働くとき、自分が作ったものに対して100%の満足は決してできないでしょう。それは、最後のプロセスに至るまでに、世界各地のオフィスの人たちや責任者、マーケティング、セールスといった多くの人たちを満足させなければならないからです。締め切りに間に合うように、各部門の了承を得るのは大変なことになります。だから、私は完全に自分が誇りに思える香りを生み出したかったのです。

キリアン・ヘネシー

大いなる決断、そして…

 計12年、様々なブランドでフレグランスディレクターとして働き、様々な香水の制作に関わってきたキリアンは、香水業界に失望しました。それは自分が憧れて入ってきた香水業界とは、すでに変わってしまっていたからです。そして、ファッション業界に移ろうと決心します。

 ところが、香水の神様は、キリアンがファッション業界に転向することを許しませんでした。ある夜、バカラのレストランで食事をした後のことです。そこではバカラ製のボトルで作られた昔の香水の展示会が行われていました。ふらっと足を運んだキリアンは、それを目にした瞬間、昔の香水のラグジュアリーさのレベル、シルエットの美しさ、細部に至るまでのこだわりを知りました。そして、そのクラフツマンシップが失われた香水業界に恥を感じたのです。

 数時間後、自分でブランドを作ることを決心したキリアンは、翌日には予定されていた全てのファッション業界の面接をキャンセルし(トムフォードとの面接も!)、ロレアルでの役職も辞任しました。

私の野望は、このラグジュアリーや細部へのこだわりの感覚を持つ香りのコレクションを本当に生み出すことでした。しかもそれを21世紀に解釈して、でした。だって、自分のおじいちゃんやおばあちゃんのような香りをさせたくないでしょう?そこで、私はユニークなボトルをデザインし、ボトルをコフレの中に入れ、そこにはサテンのベッドとキー、タッセルをつけました。もちろん、それを作る人達にとっては、大変な仕事以外の何物でもなく、彼らを本当に納得させるのに1年半もかかりました。

キリアン・ヘネシー

 2006年3月アルマーニを去り、2007年10月自身の名を冠したブランド「バイキリアン(By Kilian)」を発表します。最初は、パリの名門百貨店プランタン(Printemps)で6種類の香水を各12個ずつストックを持ってローンチしました。ヘネシーの名を出さずに出店していましたが、たった1週間で在庫が切れてしまいました。また、現在の妻エリザベスのおかげで出店できたニューヨークのバーグドルフグッドマンでは、同じストックがなんと2時間で無くなりました。そのせいで1か月は売るものが無く、カウンターとスタッフへのコストだけかかってしまったそうです。

 素晴らしいスタートを切り、どんどんブティックや店舗を拡大していったBy Kilianは、2016年にエスティローダーに吸収され、香水ファンの間で衝撃を呼びます。これにより、キリアンは香水の制作だけに集中することができるようになり、他のことはエスティローダーに任せることになりました。

 現在、By Kilianの呼び名は変わり、Kilian Paris(キリアンパリ)ですべて打ち出すようになっています。

祖父は常にとても関心を持っていて、今日は何本売れたんだい?と尋ねるのが好きでした。

キリアン・ヘネシー

譲れぬこだわり

私はとても情熱的で、とても熱心です。私は詳細に至るまで、物事がどのように思われるかということを正確にするのが好きで、おおよそというのは好きではありません。しかし、最も重要だと思うのは、カスタマーにとって美しい商品を生み出すために頑張ることであり、それが本当に私がやろうとしていることの全ての中心です。

キリアン・ヘネシー

 キリアンは、自身のブランドを生み出すにあたって、19世紀後半から20世紀前半の香水文化に戻るようなやり方でありながら、そこに現代性を付け足しました。当時の香水は、香りを買う人のロマンスと夢に結び付けて名前をつけ、その香りを表現するようなボトルを生み出すというやり方であり、ボトル香りストーリーが常にリンクしていました。これをモダンにして甦らせようとしたのです。

ボトルへのこだわり

 また、香水を真のラグジュアリーなアクセサリーとして進化させており、使い捨てのアクセサリーと考えていません。だから、ボトルは全てレフィルがあり、ボックスはリユースすることができます。キリアンの考えるラグジュアリーとは、エコラグジュアリーなのです。
 そして、Kilianのアイテムは母から娘へと受け継ぐことができます。香りをジュエリーの1つにどのようにしたらできるのかを考えるのにキリアンは2年かけました。

 さらに香水ボトルは全て手作業で彫刻され、名前もメタルのラベルに手作業で彫られています。さらにボトルのエナメルも手作業で塗られ、香水を出すスポイトも手作業で入れられています。そして、香水ボトルの側面にはアキレスの盾が刻まれています。

私は常に、香水は誘惑のものであると同時に、自分を守るものでもあると思っています。朝に香水をつけるとき、仕事で誰かを目に入れない限りは、誘惑しようなんて雰囲気にはならないでしょう。私にとっては、シールドのような、自分を覆うようなものとして実際に働きます。そして、その意味において、正しい香水を見つけることができたとき、香りのおかげでより力強くなったと感じることができるのです。だから実際に、洋服にとても近いものが香水だと私は思っています。

キリアン・ヘネシー

ストーリーへのこだわり

素晴らしい香水というのは、美しい香りのハーモニーのはるか前に、まず素晴らしいストーリーがあると私は信じています。私は普遍的感情(愛、歓び、誘惑、中毒といった)のストーリーテラーであり、私の目的は男性と女性の感覚に訴えかける嗅覚のストーリーを話すことなのです。

キリアン・ヘネシー

 キリアンが香水を生み出すプロセスは、常にストーリーから始まり、ムードボードを使います。ここがフレデリック・マルと違う点になります。マルの場合、ムードボードは使わず、調香師との対話から始まります。

  1. シーンを思いつき、そこからストーリーを書き、コレクションの名前と、そのコレクションの中に含まれる香りの全ての名前を考えます。キリアンはそれを「嗅覚の本」と読んでおり、各香水はその本のチャプターにあたります。そしてシーンとストーリーを正確に把握してから、自身の表現した感情を表すのにベストな調香師を選んでいきます。
  2. そのストーリーとコレクションの世界観を表現するボトルとコフレをデザインします。
  3. 最後に、それぞれの名前を表現する香りを生み出します。

私の興味があることは、私が表現しようとしている名前やコレクションによって生じる感情を表す香りを思いつくことです。

キリアン・ヘネシー

 キリアンは自身が香水を生み出すときの過程を映画に例えます。キリアンはディレクターであり、台本を作り、その台本に登場させる登場人物(香料)を選び、最後に監督(調香師)を決めるのです。

私は映画のディレクターです。原稿に書いてある感情を表現する男優や女優と一緒に働くのです。

キリアン・ヘネシー
Kilianの香水を生み出す監督たち

アルベルト・モリヤス
カリス・ベッカー
シドニー・ランセッサー
パスカル・ガウリン
ファブリス・ペレグリン
ブノワ・ラプーザ
フランク・フォルクル
マチュー・ナルダン

★日本未発売の香水の調香師
オノリーヌ・ブラン
クリスチャン・プロヴェンツァーノ
ドロシー・ピオット
ベルトラン・ドゥショフール

嗅覚の本~概要~

 数年前より、方向性を転換し、現在ではオルファクティブファミリーによって香水を分け、紹介するようになっていますが、Kilianの香水をもっともっと好きになるために、コレクションの概念は必要だと思います。なぜなら、そこにキリアンは身命を賭し、香りに命を吹き込んだのだから。
※各コレクション(本)および香水は、管理人が監修したカイエデモード様の記事に飛びます。

1冊目:L’Œuvre Noir(ルーヴルノワール)

L’Œuvre Noirは、人生に関する物語であり、みんな、愛、情熱、禁断、悲哀に身を委ね、危険な関係に誘惑されるし、時折、残酷なな意図を持ったり、自分の手で楽園を作ろうとすると思うんだ。多くは私の人生の部分部分だけど、みんな同じ感情を感じているから、それぞれの経験を見つけられると思う。

キリアン・ヘネシー

に関して
プレリュードトゥラブ インビテーション(Prelude to Love, invitation、恋の前兆~誘惑~)
ラブ ドントビーシャイ(Love, don’t be shy、愛~恥ずかしがらないで~)
ビヨンドラブ プロヒビテッド(Beyond Love, prohibited、愛の彼方に~禁じられた愛~)
ラブ&ティアーズ サレンダー(Love & Tears, surrender、愛と涙~身を委ねて~)

誘惑に関して
クルーエルインテンションズ テンプトミー(Cruel Intentions, tempt me、残酷な意図~私を唆す~)
リエゾンダンジェルーズ ティピカルミー(Liaisons Dangereuses, typical me、危険な関係~私らしい~)
スィートレデンプション ジエンド(Sweet Redemption, the end、甘い救済~最終章~)

楽園に関して
アテイストオブヘブン アブサンヴェルテ(A Taste of Heaven, absinthe verte、楽園の味~アブサン ヴェルテ~)
ストレイトトゥヘブン ホワイトクリスタル(Straight to Heaven, white crystal、楽園へまっすぐと~ホワイト クリスタル~)
バックトゥブラック アフロディジアック(Back to Black, aphrodisiac、暗闇へと逆戻り~媚薬~)

2冊目:Arabian Nights(アラビアンナイツ)

・アンバーウード(Amber Oud)
・ブラックウード(Black Oud)
・エターナルウード(Eternal Oud)
・エクストリームウード(Extreme Oud)
・ゴールドウード(Gold Oud)
・インセンスウード(Incense Oud)
・ムスクウード(Musk Oud)
・ピュアウード(Pure Oud)
・ローズウード(Rose Oud)

3冊目:Asian Tales(アジアンテイルズ)

私はアジアの文化をアピールするような香りのコレクションを作りたいと思いました。

キリアン・ヘネシー

・バンブーハーモニー(Bamboo Harmony、『竹取物語~竹の調べ~』)
・ウォーターカリグラフィー(Water Calligraphy、『水書道~水で描くカリグラフィー~』)
・フラワーオブイモータリティ(Flower of Immortality、『桃源郷~不老不死をもたらす花~』)
インペリアルティー(Imperial Tea、『大紅袍の伝説~皇帝のお茶~』)
・セイクリッドウッド(Sacred Wood、『サーヴィトリ物語~聖なる木~』)

★実は発売予定だった未発売香水
・The Lotus Flower and the King Dragon(『蓮華と竜王』)
・The Peony Pavilion(『牡丹亭還魂記』)
・The Peach Flowers Water Source(『桃の花の水源』)

4冊目:In the Garden of Good and Evil(インザガーデンオブグッドアンドイービル)

私は誘惑のテーマで作品を本当に作りたかったのですが、しっかりした芸術的な基礎を持つものも作りたかったのです。私は誘惑の根源(聖書の誘惑や原罪)に本当に興味を持ちました。私が特にそのテーマで好きだったことは、すべての人にとってイメージと基準が全く同じであるということです。どんな人も蛇、禁断の果実、ぶどうの葉を想像します。私は、香水の世界の中でこれらのシンボルで遊んでみたかったのです。

キリアン・ヘネシー

インザシティオブシン(In the city of Sin、罪の街で – 誘惑が生じる場所)
フォービドゥンゲームス(Forbidden Games、禁じられた遊び – 禁断の果実をめぐって、悪魔と戯れているとき)
プレイイングウィズザデビル(Playing with the Devil、悪魔との戯れ – 悪魔が禁断の果実を唆す瞬間)
グッドガールゴーンバッド(Good Girl Gone Bad、良い子が悪い子に – リンゴをかじり、悪い子になってしまったイヴ)
ヴレヴクシュアヴェクモア(Voulez-vous coucher avec moi、私と寝ない? – 肉欲の罪)

5冊目:Addictive State of Mind(アディクティブステイトオブマインド)

このコレクションを作るのは面白かったですよ。なぜならクリエイティブのプロセスは、香りの世界に私が翻訳できる中毒について考えることだったからです。例えば、ゲームやギャンブルの中毒、私はそれをどうやって香りに知りませんが、コーヒーの中毒なら、コーヒーのアコードを使って、タバコならシガーのアコード、大麻なら少し大麻のような香りがするアコードを使うことができます。

キリアン・ヘネシー

・イントキシケイテッド(Intoxicated→ターキッシュコーヒーの中毒)
・ライトマイファイヤー(Light My Fire→モンテクリストの葉巻の中毒)
・スモークフォーザソウル(Smoke for the Soul→麻薬の中毒)

6冊目:From Dusk Till Dawn(フロムダスクティルドーン)

私は、単に刺激するために刺激を与えるということには興味が湧きません。必要なのは芸術的な理由なのです。私のアイデアは、影と光のコントラストで遊ぶということであり、私たちは皆、善と悪で構成されているということを表現することでした。しかし、光と闇の内には、無数の側面のあるのです。私はこの二面性を香水で成し遂げたかったのです。

キリアン・ヘネシー

・ウーマンインゴールド(Woman in Gold、『黄金のアデーレ』グスタフ・クリムト)
・ゴールドナイト(Gold Knight、『ベートーヴェンフリーズ』グスタフ・クリムト)

7冊目:Carpe Noctem(カルペノクテム)

その香りが、淫らで、アブノーマルで、きわどく、穢れていれば、もしくは単純に悪ければ、私はその香りが欲しいのです。

キリアン・ヘネシー

・ブラックファントム メメントモリ(Black Phantom ’Memento Mori’)
ダークロード エクステネブリスルクス(Dark Lord ‘Ex Tenebris Lux’)

外伝1:Moonlight in Heaven(ムーンライトインヘブン)

私たちはみんな月です。みんなが隠れた部分を持っているのです。

キリアン・ヘネシー

外伝2:Boutique Exclusive(ブティックエクスクルーシブ)

2013
アップルブランデー(Apple Brandy, New York、アメリカのニューヨーク限定)

2014
オンザロック(On the Rocks, Moscow、現Vodka on the Rocks、以前はロシアのモスクワ限定)
シングルモルト(Single Malt, London、イギリスのロンドン、ハロッズ限定)

2015
レモンインゼスト(Lemon in zest, Lugano、スイスのルガーノ限定)
パールウード(Pearl Oud, Doha、カタールのドーハ限定)
ロイヤルレザー(Royal Leather, Mayfair、イギリスのロンドン。メイフェア、バーリントンアーケード限定)

2016
ノワールアフロディジアック(Noir Aphrodisiaque, Paris、フランスのパリ限定)

転機

 実は、キリアンがコレクションのストーリーも含めて考え、生み出した香水は、2018年のダークロードが最後になります。これはキリアンがバルセロナの美術館でピカソの絵を見た際に、自身もピカソのように進化していかなければならないと感じたからです。そして生まれた香水がローリングインラブでありました。

 こうしてKilianは、「嗅覚の本」を創る旅を一旦終え、自身のルーツであるお酒のコレクション「リカーズ」を生み出し、現在に至っています。

Kilianの豆知識

・Kilianの香水にはシトラスの香水はほとんどありません。それはKilianを購入するカスタマーがシトラスの香水に興味がなく、期待もしておらず、キリアン自身もシトラスの香水を纏うことをそんなに楽しまないからです。

毎年2人までビスポークの香水(つまり、キリアンと直に会って、色々な会話をして、その人の香水を作ってもらう)もしており、毎年必ず香水を作る人もいるそうです。ロンドンのブティックで行っており、およそ600万円くらいと言われています。

・ホーム製品では、特にデザインを重視しています。なぜなら市場にある製品はどれもデザインがシンプルになっており、何回か使うと良い見た目に見えなくなることもあるからです。そこでキリアンが考えたのは、どのようにしたら美しい方法で家を香らせることができるかということでありました。そこで、温かみとラグジュアリーさを誰もが感じられるように、黒塗りにし、本物の真珠を木の中にはめ込み、光沢を出しています

・Kilianのブティック(路面店)は、5つのエリアに分かれます。

  1. Body Pleasuresエリア…ローションやシャワージェル、ボディオイルがある。
  2. Art of Giftingエリア…自分の好みに応じてラッピングやリボン、クラッチをカスタマイズできる。
  3. Homeエリア…ホーム製品がある。
  4. Boutique Exclusiveエリア…限定製品がある。
  5. The Barエリア…サービスメニューに応じてコンサルテーションを受けることができ、テイスティング、ミクソロジー、ギフティング、レフィルがある。

キリアン・ヘネシーのイロハ

・自分のブランド以外で尊敬するブランド→セルジュ・ルタンス

・好きな映画→An Affair to Remember(『めぐり逢い』ケーリー・グラントとデボラ・カーが主演。見るたびに泣くそう。)

・スキンケア→クリーム・ドゥラメール、インテンシブ・リバイタライジング・マスク(ドゥラメール)

・ファッション→サンローランのブーツ、トムフォードかサンローランの黒のジーンズにタキシード(スーツは着ない)、JLR Parisのビスポークのシャツ

・週末の香水→バンブーハーモニー

・昔好きだった香水→Obsession(オブセッション、1985、カルバンクライン、ジャン・ギシャール)

・一緒に働きたい調香師→ピエール・ブルドン(ちなみに、ブノワ・ラプーザはピエール・ブルドンの弟子である)

キリアン様のお言葉

私は何の趣味も持っていません。私の人生は会社と家族です。それが私の200%の時間を占めます。

キリアン・ヘネシー

もし私がすでに存在しているもののコピーを作ることに興味を持っているのなら、私は大きなブランドにいたでしょう。

キリアン・ヘネシー

私にとって1970年代、80年代、90年代というのは香水業界における最も輝かしい栄光の30年です。

キリアン・ヘネシー

私は自分の香水が決して高いとは思いません。ラグジュアリーブランドは過去80年に渡ってカスタマーにラグジュアリー香水は50ポンド(約7000円)だと言ってきました。だから145ポンド(約2万円)と聞くととても高いと思うでしょう。しかし、問題は145ポンドで何をカスタマーに提供できるかということです。より高いレベルの香水で事を変えようとしているのが、クリードのビジネスモデルです。そして別の分野でいえばSteve Jobsです。アップルに数百ドルもしない製品はありません。スティーブ・ジョブズはアップルがマスマーケットになったのではなく、マーケットがアップルのレベルに今到達したのだと言っています。香水についても同じことが起きて、145ポンド?高くないねとなっていくことを期待しています。

キリアン・ヘネシー

私は香水のフォーミュラについては公衆に対して透明性を持つように決めています。それらを見せることは何も恐れていません。なぜなら、最も守られているのは私が使っている原料の品質だからです。その費用を考えるだけで、コピーすることはほとんどできないでしょう。(2007年ブランド創業当初は全フォーミュラ・容量を明かしていた)

キリアン・ヘネシー

Women are one hell of a drug.
女性は、すごいドラッグだ。

限定クラッチの言葉より

I don’t try to be sexy. Sexy tries to be me.
僕はセクシーになろうとしてないよ。セクシーが僕になろうとしているんだ。

限定クラッチの言葉より

I am so ready to be famous.
僕は余裕でいつでも有名になれるよ

限定クラッチの言葉より

I am too glam to give a damn.
私は魅力的すぎるから、あなたに関心なんかないわ

限定クラッチの言葉より

I am hopeless romantic with a dirty mind!
私は淫らな心を持った、絶望的なほどのロマンチストなの!

限定クラッチの言葉より

Take my advice get yourself another lover.
私の忠告を聞いて、私のように別の愛人を見つけなさい

限定クラッチの言葉より

Born to avenge my sex and dominate yours.
自分の性(女性)に復讐し、男性を支配するために生まれてきた

限定クラッチの言葉より

Old enough to know better. Young enough to do it anyway.
それを知るのには十分な年齢でだけど、それをするのには若すぎるわ

限定クラッチの言葉より

I see no good reason to act my age.
年相応に振る舞わなければならないちゃんとした理由なんてない

限定クラッチの言葉より

I will be 29 until further notice.
通知がこない限り、私は永遠の29歳よ

限定クラッチの言葉より

Don’t study me you won’t graduate(私のことは永遠に理解できないわよ

限定クラッチの言葉より

キリアンの家族構成

祖父:Kilian Hennessy(1907/2/19 – 2010/10/1)

 ヘネシー家の6代目として、1971年にモエシャンドンとのパートナーシップを組んだあと、1972年から1976年までモエヘネシーのCEOを務めます。

 1930年、1948年、1963年の3回結婚しており、Gillesは2人目の妻との間にできた息子でした。

父:Gilles Hennessy(1949/5/14 – )

 Gillesのキャリアは1971年から始まります。ヘネシーのオードヴィー(蒸留酒)部門でマスターブレンダーのヤン・フィリュー(1991年からマスター)とともに2年のトレーニングを受け、家の名前ではなく、自分の価値を示して昇進していきます。ちなみに、ヤン家は代々ヘネシー家に仕えており、1800年まで遡ります。

 2002年よりモエヘネシーでヴァイスプレジデントを務めます。

 子供は4人いますが、誰もモエヘネシーでは働いておらず、香水の道に進んだキリアン以外は、不動産や教授として働いています。

母:Barbara de Posch Pastor(1952/5/2 – )

 スペインのマドリードの貴族階級に生まれました。彼女の祖父は、ドイツの歴史家(特にローマカトリック教)Ludwig Pastorで、6度ノーベル文学賞にノミネートされている人物でした。彼は1916年にオーストリアの皇帝フランシス・ヨゼフ1世より貴族の称号を与えられました。

 Barbaraの最初の夫はGillesでしたが、離婚し、その後、3人と結婚しています。3人目の結婚相手は、馬術のオリンピックチャンピオンのMichel Rocheという男でした。また、2017年に結婚した相手は、フランス国王アンリ6世(オルレアン家)の息子であるMichel王子(1941/6/25 – )でありました。

弟妹

Richard Hennessy(1974)
Angelique Hennessy(1976)
Gerald Hennessy(1981)

最初の妻:Melonie Foster Hennessy(1971 – )

 1971年アメリカのテネシー州に生まれます。芸術史を専攻し、イタリアのルネサンス期のキアロスクーロ(明暗法)の技術を思い出させるような明るさ、反射、動きを結び付けたフォトグラフィーを学びます。そのため、彼女の写真は過ぎ去りし子供時代のおとぎ話を語りかけるような現実主義的絵画のようであります。私たちの内なる子供を3Dのイメージの中に捕らえるのが彼女のアートです。1990年代にフランスに自身の会社を設立しています。

 キリアンと結婚し、息子のDorian(2002年6月15日生まれ)と娘のSavannah(2004年1月7日)が生まれます。その後、離婚します。

 娘のサバンナはモデルとして、活躍中です。

再婚の妻:Elisabeth Jones Hennessy

 1975年12月11日にニューヨークのウエストチェスター群に生まれます。

 ティーンエイジャーのとき、母親に初めて買ってもらった化粧品はエスティローダーの香水Beautiful(1985、Sophia Grojsman)でした。

 高校生の頃からバイヤーを夢見ており、1999年9月~2005年5月までニューヨークのサックスフィフスアベニューでまず働き、バーグドルフグッドマンに採用され2005年8月~2008年4月、合計10年間バイヤーとして過ごします。

 バーグドルフにいた時、By Kilianのローンチに携わっており、キリアンが彼女のオフィスに来た際、エリザベスはこう言いました。「あなたはチュベローズの香水を作ったと聞いたけど、良いわね!だって私はチュベローズしか纏わないから!」このとき、キリアンは「Oh, my …」と思い、運命だと感じました。

 エリザベスはBy Kilianがローンチしてから、売り上げがどんどん上がるのを興奮してみていました。キリアンは他のリテイラーにもすぐにアプローチされ、その際に、アメリカのブランドの支部のCEOにならないかとエリザベスに尋ねてきました。エリザベスはそのとき、次の10年間はキリアンが世界に広がっていくために過ごそうと決めます(実際のところは、2008年5月~2014年1月の約6年間、北アメリカのBy KilianのCEOであった)。

 この間、2人はすでに結婚していた相手と離婚し、恋に落ちます。そして、エリザベスは1人息子、キリアンは2人の子供がいたため、ニューヨークとパリで行ったり来たりして、生活をともにします。2014年(6月22日)、結婚の際、キリアンはエリザベスにウェディングパルファムを特別に作りました。それはエリザベスの大好きなチュベローズとジャスミンを使った香水で、その名をScarlettと言いました。2人のお気に入りの映画である「風と共に去りぬ」のスカーレット・オハラにちなんだ名前でした。

 現在は、2016年2月にエスティローダーにBy Kilianが買収されたのを機会に、何か新しいことを始めようとブログを立ち上げ、ブロガーとしてデビューし、e-コマースのサイトも運営していいます。

ヘネシーとコニャック

ヘネシーの歴史

 1765年にアイルランド人の将校(ルイ15世の軍隊に所属)であったRichard Hennessy(リチャード・ヘネシー)によって設立されました。

 1813年に、リチャードの息子James Hennessyが会社の名前をJas Hennessy & Co.とします。ちなみに、ブランドロゴであるBras Armee(ブラ・アルメ、ヘネシー家の家紋)は、リチャードの12年の軍歴を象徴する斧を握りしめた腕になっており、1856年にブランドのロゴになっています。

 1817年、ウェールズ王子(後のイギリス国王ジョージ4世)がコニャックを非常に愛しており、ヘネシーに「Very Superior Old Pale(非常に優れていて、古くて、澄んでいる)コニャック」(大体7000円前後)を注文し、これ以来、頭文字のV.S.O.Pがコニャックの格付けを示すものとして使われます。

 1865年、リチャードのひ孫にあたるモーリス・ヘネシーがコニャックの品質を星の数で示しました。この格付けは世界初であり、これにより、V.S(Very Special)として知られるヘネシーの三ツ星のコニャック(3000円~4000円)が誕生しました。1870年には、新しい格付けX.O(eXtra Old、ナポレオンとも言う。17000円前後)を誕生させます。

 1971年、シャンパンの会社であるMoet et Chandon(モエシャンドン)と合併し、モエヘネシーとなります(これを主導したのはキリアン・ヘネシー)。会社は、1987年にLVMHに買収されます。

 1979年、マスター・ブレンダーのヤン・フィリューにより、100種類を超える貴重な原酒をブレンドし、従来とは全く異なるコニャック、ヘネシー・パラディー(定価12万4800円)が誕生します。1996年にはヤンの手により、本当に違いがわかるコニャック通のために作られた傑作リシャール・ヘネシーが生み出されます。

コニャックとは

 コニャックという町の名前からつけられたブランデーの一種になります。ブランデーは、果実を発酵させた後、蒸留し、樽などで熟成させた蒸留酒のことを言い、特にブドウを原料としたのものをグレープブランデーと言います。グレープブランデーの中でも、フランスのボルドー地方北部のコニャック地方で作られ、厳しい規定をクリアしたものがコニャックと呼ばれます。

 まず、使用されるブドウは、クリュと呼ばれる栽培地域のいずれかで生産された白ブドウ(イタリアのトスカーナ地方産のユニブランという品種が95%以上と言われる。他にもコロンバール、フォルブランシェなど)になります。特徴は、酸度が高く、糖度が低いという点で、これがアルコール度数が高くなりすぎるのを防ぐことにもなります。このブドウによって作られた白ワインを2度にわたって蒸留し、作られます。蒸留によりアルコール度数を高めます。

 その後、主にリムーザン産のオーク樽を使用し、熟成させます(他にもトロンセオークという木も使われる)。蒸留直後で70度近くありますが、熟成によりアルコール分40度近くになっていきます。この間、毎年約3%のアルコール分と水分が蒸発するといわれ、これをラ・パール・デ・ザンジュ(天使の取り分、天使の分け前)と言います。

 コニャックハウスには、それぞれマスター・テイスターがおり、彼らが熟成年の異なるものをブレンドすることにより、複雑な香りを獲得することができます。その熟成年の度合により等級が決まっていきます(ブレンドした最も若い熟成年)。年の周期は4/1~翌年3月末日で1年とし、2年熟成完了しなければ販売ができません。

・2年以上→V.S.

・4年以上→V.S.O.P

・6年以上→ナポレオン

・10年以上→X.O

 コニャック業界の販売量の8割を占めるのは4大ブランドで、ヘネシー、マーテル、レミー・マルタン、クルボアジエになります。

この記事を書いた人

香りの学び場「ルシェルシェパルファム」の運営者。
元香水販売員で、現在はとあるIT企業の管理職。
香水への愛が抑えきれず、自身の学んだことをはきだすサイトを作ってしまう。エルメス・フレデリックマルを主に愛用。

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