フランソワーズ・キャロン(Françoise Caron)──軽やかなコロンに、忘れられない個性を

フランソワーズ・キャロンのスケッチと代表作品を掲載した調香師名鑑のサムネイル

「画家のように、何でもできなければなりません。そのうえで、自分の筆遣いを加えるのです。」

フランソワーズ・キャロン──ノーズ・パリのインタビューより

1949年、フランス・グラース生まれ。旧姓クレスプ。

エルメスのオードランジュ ヴェルトを作った調香師、と聞けば、あの柑橘の清々しさを思い浮かべる方も多いでしょう。フランソワーズ・キャロンがコロンを愛する原点は、父が毎朝、大きな瓶から惜しみなく香りを浴びる姿でした。軽やかな香りを作ることと、確かな個性を与えること。その両立を、長いキャリアのなかで追い求めてきました。

調香史

父のコロンと、青く広がるラベンダー畑

キャロンは、香料原料の取引に携わる家に生まれました。祖父も父も天然原料を扱い、父は世界各地から取り寄せたサンプルを昼食の席へ持ってきては、子供たちに感想を尋ねたそうです。

香りを専門家だけのものとして遠ざけず、家族の日常のなかで一緒に嗅ぐ。その経験が、自然と原料への感覚を育てていきました。ノーズ・パリ(Nose Paris)で最も美しい嗅覚の記憶を尋ねられると、父の朝の習慣を挙げています。

「父が朝に浴びていたコロンの匂いです。大きな瓶に入った、かなり単純な処方。柑橘を凝縮したような香りでした。」

フランソワーズ・キャロン、ノーズ・パリのインタビューより

7月にはドローム地方へ行き、ラベンダー畑を訪ねます。

「見渡す限りの、青い海のようなラベンダー。消えることのない記憶が結びついています。私にとっての『プルーストのマドレーヌ』です。」

フランソワーズ・キャロン、ノーズ・パリのインタビューより

コロンの瓶と、畑いっぱいの植物。完成した香水と、その材料が育つ風景の両方が、子供時代から身近にありました。

弟はオリヴィエ・クレスプ(Olivier Cresp)です。後にミュグレー(Mugler)のエンジェル(Angel)を手がける調香師となり、その息子セバスチャン・クレスプ(Sébastien Cresp)も同じ仕事へ進みました。ただし、同じ家庭で育った姉弟でも、創作の進め方まで同じだったわけではありません。

調香学校で学んだのは、比較すること

キャロンは中等教育を終えると、ルール(Roure)の調香学校へ進みます。女性調香師がまだ少なかった時代です。父が子供たちに望んでいた職業を選んだ理由について、本人は気負いなく話しています。

「ただ、父を喜ばせるためでした。」

フランソワーズ・キャロン、ノーズ・パリのインタビューより

そこで学んだのが、ジャン・カール(Jean Carles)の方法です。最初に花や柑橘などの香調ごとに原料を嗅ぎ、時間とともにどう揮発するかを表にして覚えます。次に原料を比較し、さらに複数の材料の組み合わせへ進んでいきます。

キャロンの説明では、400〜500を超えるアコードを学びながら、その釣り合いを取ることが重要になります。名前や匂いを暗記するだけでなく、組み合わせたときに何が起こるかを理解する訓練でした。

「最後には、書かれた処方から結果を容易に想像できるようになります。実際に量って、確かめるだけなのです。」

フランソワーズ・キャロン、ノーズ・パリのインタビューより

学校時代については、一人の師にすべてを教わったのではないとも語ります。同じ程度の経験を持つ学生同士で発想を交換し、互いの香りを修正する。その横のつながりも、大きな学びになりました。

パリへ──若い調香師を選んだエルメス

1975年、キャロンはパリのルールで仕事を始めます。その数年後、エルメス(Hermès)のコロン制作に参加し、1979年にオー ド コロン エルメス(Eau de cologne Hermès)が発売されました。後のオードランジュ ヴェルト(Eau d’Orange Verte)です。

家族でたっぷり使える、清潔で爽快なコロン。父が香りを使う姿を見てきたキャロンには、よく理解できる依頼でした。後年、作品を振り返ってこう話しています。

「コロンのスプラッシュを作りました。私はそれが大好きです。香水について私が愛しているものが、すべてそこにあります。」

フランソワーズ・キャロン、ナウ スメル ディス掲載の本人発言より

柑橘の明るさに、砕いたミントやカシスの芽を思わせる生き生きしたニュアンスを重ねました。単に軽く、薄くするのではなく、嗅いだ瞬間に分かる輪郭を持たせたのです。

この仕事はキャロンの名を広める代表作となります。その後も、バレンシアガ(Balenciaga)、ジャン=シャルル・ブロッソー(Jean-Charles Brosseau)、ピエール・カルダン(Pierre Cardin)、ケンゾー(Kenzo)など、さまざまなブランドへ作品を提供しました。

クエストでの創作と、若い調香師たち

ルールがジボダン(Givaudan)の傘下となった後、キャロンは1994〜1995年ごろにクエスト・インターナショナル(Quest International)へ移ります。ノーズ・パリは1994年、別の経歴紹介では1995年と記しています。

カリス・ベッカー(Calice Becker)も、キャロンと関わりながらクエストで経験を積みました。後にディオール(Dior)のジャドール(J’Adore)を生み出す調香師です。2021年のフレグランス・ファウンデーション(The Fragrance Foundation)の生涯功績賞に際したインタビューで、ベッカーはドミニク・ロピオン(Dominique Ropion)とキャロンを師として挙げています。

ヤン・ヴァスニエ(Yann Vasnier)も、キャロンの指導を受けた調香師です。2001年にはコム デ ギャルソン(Comme des Garçons)のレッドシリーズで、パリサンダー(Palisander)とローズ(Rose)を共同制作しています。

若い調香師を育てることは、自分の作風をそのまま写させることではありません。自身も学生同士の交換から学んだキャロンは、後の世代がそれぞれの作品を作る土台を支えました。

高砂香料への移籍と、芸術文化勲章

2007年、キャロンは高砂香料工業(Takasago International)へ移ります。クエストがジボダンへ統合される時期に、自分の仕事を新しい環境で続けることを選んだのです。フランシス・クルジャン(Francis Kurkdjian)とも、作品や仕事を通じた関わりが続きました。

2008年からは、アスティエ・ド・ヴィラット(Astier de Villatte)との協働も始まります。身につける香水に加えて、場所の記憶を描くキャンドルも大切な仕事になりました。

2012年1月26日、フランスの芸術文化勲章シュヴァリエを受章します。ダニエラ・アンドリエ(Daniela Andrier)、オリヴィエ・クレスプ、ドミニク・ロピオン、モーリス・ルーセル(Maurice Roucel)も同時期に選ばれました。調香師の創作が文化的な仕事として公に評価された出来事として、香水業界でも大きく取り上げられています。

キャロンの足跡には、自身の香水だけでなく、育てた調香師たちの仕事も連なっています。女性の少なかった現場で長く創作を続けた経験は、その後に入ってきた世代にとっても、一つの道筋になりました。

創作哲学──決まった署名を持たない

自分の作風を尋ねられると、キャロンは決まった署名はないと答えます。依頼されたものへ柔軟に応じられることを大切にし、そのうえでコロンと花の香りに特別な愛着があると語っています。

これは個性を消すということではありません。冒頭の画家のたとえのように、何を描く場合でも、その人の手つきは残ります。キャロンの場合は、短く素早い処方、原料の役割が伝わる明瞭さ、過度に重くしないバランスなどに、その手つきを感じ取れます。

コロンについても、すぐに移ろうところが好きだと話します。一方で、現代には長く香るコロンも求められます。その場合はシプレ調の土台を添えるなど、最初の爽快さと残り香の関係を組み直します。アスティエ・ド・ヴィラットのオー シック(Eau Chic)は、その一例として本人が挙げた作品です。

弟オリヴィエとの違いには、本人の性格も表れています。

「私はせっかちで、とても速く、直感的に進みます。弟はとても忍耐強く、方法論的です。」

フランソワーズ・キャロン、ノーズ・パリのインタビューより

競合する会社で働いていたため、二人で一緒に香水を作ったことはないと、取材当時は話していました。後に弟の残した処方を見ると、その膨大な仕事に感心したそうです。同じ家の匂いを知っていても、そこから組み立てる方法は別々なのです。

代表作とその背景

オードランジュ ヴェルト──軽やかさに個性を与える

1979年に発売されたエルメスのコロンは、1997年に現在の名へ改められました。ブランドはその出発点を、朝露に濡れた下草の匂いと説明しています。柑橘の爽快さに、葉や草、土を思わせる側面が重なり、ただ甘いオレンジの香りには収まりません。

この制作には複数の調香師が提案し、ジャン=クロード・エレナ(Jean-Claude Ellena)も参加していたと紹介されています。後にエルメスの専属調香師となる彼の案ではなく、当時はキャロンの案が採用されました。

父がコロンを使う仕草に惹かれた少女が、その動きをほかの家族にも届ける香水を作る。作品の物語が、本人の原点と自然につながっています。

オンブル ローズ──引き出しの奥から見つかった香り

オンブル ローズ(Ombre Rose、1981)の始まりには、既に作られていた処方との出会いがあったといいます。ジャン=シャルル・ブロッソーが新しい香水を探してルールを訪れたとき、棚に置かれていたキャロンの香りに惹かれました。

粉をはたいた身近な女性たちの記憶を呼び起こす、柔らかな香り。ピーチやバニラ、ヘリオトロープの甘さと、ローズをはじめとする花の表情が重なります。軽快なコロンとは違う作品ですが、過剰な刺激へ頼らず、まとまった質感を作る点にキャロンの持ち味が現れています。

当初はソファ(Sofa)という名前も検討され、最終的に「バラの影」を意味する名前になったと伝えられています。香りに触れて蘇る、どこか私的な記憶。その印象が、長く愛される作品を支えてきました。

ケンゾー/サ サン ボン──花と果実の自由な組み合わせ

1988年、ケンゾー最初の女性用香水として、ケンゾー(Kenzo)が生まれます。後にサ サン ボン(Ça Sent Beau)の名で知られるようになった作品で、別々の二作として捉えると、その歴史が分かりにくくなります。

マグノリア、ガーデニア、チューベローズ、イランイラン、ローズ、ジャスミンなどの豊かな花に、果実の表情を重ねた構成です。高田賢三の服が持つ自由で鮮やかな感覚を、花の豊かさへとつなげています。作品名は「いい香りがする」という意味の言葉遊びも感じさせます。

イリス ノービレ──根だけではないアイリス

アクア ディ パルマ(Acqua di Parma)のイリス ノービレ(Iris Nobile)は、2004年のオードトワレをクルジャンと共同で制作しました。2006年にはオードパルファムも登場し、ナウ・スメル・ディス(Now Smell This)の作品一覧では、こちらはキャロンの作品として記載されています。

柑橘とスターアニスの明るい入口から、アイリスを中心とした花々へ、さらに温かいアンバーやバニラへ進みます。アイリスの根の粉っぽさだけを強調せず、花の香りとして明るく展開したことも特徴です。オードトワレとオードパルファムでは香りの厚みや構成に違いがあります。

花を一つずつ主題にする同ブランドのノービレシリーズは、この作品から始まりました。原料一つを前面に押し出しながら、香水としての広がりも持たせる仕事です。

アスティエ・ド・ヴィラットとの協働

陶器や生活の道具を作るアスティエ・ド・ヴィラットとの仕事は、場所や記憶を嗅覚で表す試みでもあります。最初の打ち合わせは、マリアージュ フレール(Mariage Frères)で行われました。

「3か月で20製品を作るというのです。気が遠くなるような話でした。絶対に無理だと伝えました。でも、彼らは望むものについて、とても明確な依頼を持ってきたのです。」

フランソワーズ・キャロン、ノーズ・パリのインタビューより

都市そのものだけでなく、ある土地から持ち帰った一つの要素を描く。たとえばケベックのキャンドルなら、干し草や乾いた草を編んだものの匂い、といった具体性がありました。依頼する側の知識、創造性、要求の明瞭さが、短い時間での制作を可能にしたと振り返っています。

キャロンはニッチブランドとの仕事を、単に自由に作れる環境とは説明していません。

「完全な自由と、ブランドを作る人との一体感です。あるいは共感と言ってもいい。50対50の、本当のパートナーシップ。お互いへの最大限の敬意があってこそです。」

フランソワーズ・キャロン、ノーズ・パリのインタビューより

オー シックでは、白い花やイランイラン、ローズ、チューベローズの柔らかさを、ローズマリー、バジル、タイム、柑橘、ラベンダーの清涼感が引き締めます。オー フュガス(Eau Fugace)、コローニュ1871(Cologne 1871)などでも、コロンという得意な形式を、それぞれ異なる場面へ広げました。

グラン シャレ(Grand Chalet)やエリクシール デュ ドクトゥール フレア(Elixir du Docteur Flair)も、この協働から生まれた香りです。キャンドルを含む仕事の広がりは、香水瓶だけに留まらないキャロンの表現を知る手がかりになります。

ちなみに…

座右の銘として挙げるのは、アンドレ・ジッド(André Gide)の「芸術は困難から始まる」という言葉です。本人の創作した言葉ではありませんが、数多くの依頼を受けながら、難しさのあるところへ入っていく彼女の姿勢によく似合います。

学校時代には一人の師を持たなかったと語るキャロンが、後にベッカーやヴァスニエの師となったことも印象的です。技術は家族だけで継がれるのでなく、同僚や若い調香師とのやり取りを通して広がっていきました。

弟について話すときには、同じ両親の子供で、珍しい血液型も共通していることぐらいが似ている点だ、と冗談まじりに述べています。香料商の家庭という共通の原点を持ちながら、それぞれ違う道を進んだ二人。その違いを認める率直さにも、キャロンの人柄が見えます。

調香作品

主な作品を年代順にまとめています。別名・復刻・濃度違いは必要に応じて区別しています。

年 ブランド 作品名 共同調香師
1979 エルメス オー ド コロン エルメス/後のオードランジュ ヴェルト —
1979 バレンシアガ ミシェル(Michelle) —
1979 ソニア リキエル(Sonia Rykiel) セッティエーム サンス(Septième Sens/7ème Sens) —
1980 シャルル ジョルダン(Charles Jourdan) アン オム(Un Homme) —
1981 ジャン=シャルル・ブロッソー オンブル ローズ/オンブル ローズ ロリジナル(Ombre Rose L’Original) —
1981 ピエール・カルダン ショック ドゥ カルダン(Choc de Cardin) —
1985 キャロン(Caron) ル トロワジエーム オム(Le 3ème Homme) 亀井昭子(Akiko Kamei)
1985 ロベルト カプッチ(Roberto Capucci) アール ドゥ カプッチ(R de Capucci) アルベルト・モリヤス(Alberto Morillas)
1988 ケンゾー ケンゾー/後のサ サン ボン —
1992 ジョルジオ アルマーニ(Giorgio Armani) ジオ(Giò) —
1997 エスカーダ(Escada) エスカーダ コレクション(Escada Collection) —
2001 コム デ ギャルソン シリーズ2 レッド パリサンダー、シリーズ2 レッド ローズ ヤン・ヴァスニエ
2002 ヘルムート ラング(Helmut Lang) キュイロン(Cuiron) —
2002 ガント(Gant) ソーホー(Soho) —
2002 ジョルジオ ビバリーヒルズ(Giorgio Beverly Hills) ソー ユー(So You) —
2004 アクア ディ パルマ イリス ノービレ オードトワレ フランシス・クルジャン
2004 エマニュエル ウンガロ(Emanuel Ungaro) アパリシオン(Apparition) フランシス・クルジャン
2005 アザロ(Azzaro) シルバー ブラック(Silver Black/Onyx) —
2005 クリスチャン ラクロワ(Christian Lacroix) テュムルト プールファム(Tumulte pour Femme) —
2005 ナオミ・キャンベル(Naomi Campbell) パラダイス パッション(Paradise Passion) —
2005 ミュグレー ヴィオレット エンジェル(Violette Angel/Angel Violet) —
2006 アクア ディ パルマ イリス ノービレ オードパルファム —
2006 ディオール ミス ディオール シェリー オードトワレ(Miss Dior Chérie Eau de Toilette) フランソワ・ドゥマシー(François Demachy)。ナウ・スメル・ディスの記載による
2006 エマニュエル ウンガロ アパリシオン サン(Apparition Sun) —
2006 ル ラボ(Le Labo) フルール ドランジェ27(Fleur d’Oranger 27) —
2006 エス・テー・デュポン(S.T. Dupont) ブラン(Blanc) —
2006 ヴァレンティノ(Valentino) ロックン ローズ(Rock’n Rose) —
2007 エマニュエル ウンガロ アパリシオン ファセット(Apparition Facets) —
2007 ラ ペルラ(La Perla) ジェイム(J’Aime) —
2007 ミュグレー エンジェル ラ パール デ ザンジュ(Angel La Part des Anges) —
2009 アスティエ・ド・ヴィラット オー シック、オー ド コローニュ(Eau de Cologne)、オー フュガス —
2010 アスティエ・ド・ヴィラット/コミューン ドゥ パリ(Commune de Paris) コローニュ1871 —
2010 ジョーバン(Jovan) サティスファクション フォーウィメン(Satisfaction for Women) —
2011 アルマンド バジ(Armand Basi) ローズ グラッセ(Rose Glacée) —
2011 スーザン・タバック(Susan Tabak) ソルティール ル ソワール(Sortir Le Soir) —
2013 コーダリー(Caudalie) フィグ ド ヴィーニュ(Figue de Vigne) —
2013 ヌービー(Nu_Be) カーボン[6C](Carbon [6C]) —
2013 資生堂(Shiseido) ゼン サン フォーメン(Zen Sun for Men) —
2014 ジバンシィ(Givenchy) ボワ マルシャル(Bois Martial) —
2014 ヘルムート ラング キュイロン(再発売) —
年不詳 クロード モンタナ(Claude Montana) ジャスト ミー(Just Me) —
年不詳 ダビドフ(Davidoff) エコー ウーマン(Echo Woman) —
年不詳 オリフレーム(Oriflame) エニグマ デア トゥ ドリーム(Enigma Dare to Dream)、フランボワイヤン(Flamboyant)、ミラージュ(Mirage) —
年不詳 ポール スミス(Paul Smith) オプティミスティック フォーハー(Optimistic for Her) —
年不詳 ヴェルサーチェ(Versace) エッセンス エキサイティング(Essence Exciting) —
年不詳 イヴ ロシェ(Yves Rocher) クレア(Clea) —
年不詳 アスティエ・ド・ヴィラット グラン シャレ、エリクシール デュ ドクトゥール フレア —

参考文献