「ランコムに来た女性は、より美しくなって帰っていく。そして、より幸せになって帰っていく。」
アルマン・プティジャン(Armand Petitjean)/ランコム創設者
基本情報
設立年:1935年
創設者:アルマン・プティジャン(Armand Petitjean)。ギヨーム・ドルナノ(Guillaume d’Ornano)らと創業
創設地:フランス・パリ
グループ:1964年よりロレアル(L’Oréal)グループ
公式サイト:ランコム日本公式サイト
日本語表記:国内公式表記の「ランコム」を使用。
創設者・ブランドの成り立ち
コティのもとで育まれた、フランスの美への思い
アルマン・プティジャンは1884年生まれ。1935年にランコムを立ち上げた時には、既に50歳を超えていた。南米での貿易や国際的な仕事を経験した後、近代香水の発展を担ったフランソワ・コティ(François Coty)のもとで働き、香水の世界へと深く関わっていく。
香りだけでなく、ボトル、売り方、国境を越えて価値を伝えること。コティとの仕事は、プティジャンが後に自分のブランドを構想するうえで、大きな土台になった。彼が目指したのは、フランスの美や洗練を世界へ届ける、独自の高級ブランドだった。
「なぜランコムを作ったのか? 2つのアメリカブランドが美容業界を支配しているのを見たからだ。フランスのブランドがそこに並ぶべきだ。」
アルマン・プティジャン(Armand Petitjean)
1934年にコティが亡くなると、プティジャンは新しいメゾンをつくる道を選ぶ。1935年、仲間とともにランコムが誕生した。「プレステージブランドか、さもなければ無か」——それが彼の信念だった。
仲間たちと「ランコム」という名前
創業には、ギヨーム・ドルナノら商業面を担う仲間、化学者ピエール・ヴェロン(Pierre Velon)、ボトルのデザインを担うジョルジュ・デルオム(Georges Delhomme)などが関わった。香り、科学、造形、事業。それぞれの専門性が集まって、新しいブランドの輪郭がつくられていく。
ブランド名の着想源は、フランスにあるランコスム城、シャトー・ド・ランコスム(Château de Lancosme)。フランスらしい響きと、優雅さを備えた名前を探していたプティジャンたちに、この名が選ばれた。
ランコスム(Lancosme)の綴りから、発音されない「エス(s)」を取り、サーカムフレックスという山形の記号を添えたランコム(Lancôme)へ。名前そのものにも、フランスの美意識を託したのである。
「ランコム——フランスの象徴。」
パフュームナレッジ(perfumeknowledge)ブログ/プティジャンの思いとして紹介
1935年ブリュッセル万博——5本の香水で世界へ
1935年、ランコムはブリュッセル万国博覧会で5本の香水を披露した。トロピック(Tropiques)、コンケット(Conquête)、キープル(Kypre)、タンドル・ニュイ(Tendres Nuits)、ボカージュ(Bocages)。一つの香りにブランドのすべてを背負わせるのではなく、異なる個性を持つ作品をそろえた出発だった。
当時の幾何学的で簡潔なデザインに対し、初期のボトルは花や金色の装飾、凝った造形を用いた豊かな表情を持っていた。デルオムによるデザインは、香りの世界を手に取れる作品として見せるものだった。
「1930年代、シンプルであるほどシックだった。部屋には何も飾らない。香水瓶は四角か長方形か平たかった。私たちはその反対をしたかった。」
ジョルジュ・デルオム(Georges Delhomme)
プティジャンは、国や暮らし方によって異なる女性たちの好みを見据えていた。世界へ届けるために、香りにも複数の入口を用意する。その国際的な視点は、香水のブランドとして生まれたランコムの初期から存在している。
「トロピックはハチミツのようなものだ。スパイスとアロマで重く、北欧やイギリスの人々をひるませるかもしれない。しかし社交界の女性や芸術家たちには深く響くだろう。コンケートは薔薇のシプレ——劇場やレストランで注目を浴びたい女性なら誰でも好むはずだ。ボカージュの清潔さは若い女性に完璧であり、スウェーデン、ノルウェー、ベルギー、ドイツ、北フランスの女性を魅了するだろう。」
アルマン・プティジャン(Armand Petitjean)
香水からスキンケア、メイクアップへ
1936年にはクリーム、ニュートリックス(Nutrix)を発売した。化学者らと協力し、美しさを香りだけでなく肌のケアへ広げていく。創業時からの香水への情熱に、科学を用いた製品開発が加わった。
1938年には、柔らかな質感とバラの香りを持つ口紅、ローズ・ド・フランス(Rose de France)が登場する。身につけた時の感覚や楽しさを大切にした製品は、香水、スキンケア、メイクアップという、後のランコムを支える三つの領域へとつながっていった。
戦時中に始めた、美を伝える人の育成
第二次世界大戦で原材料の確保や生産が難しくなる中、プティジャンは人材の育成に力を向けた。1942年、パリにエコール・ランコム(École Lancôme)を設立する。製品をつくるだけでなく、その使い方や魅力を伝える人を育てようとしたのだ。
学校では、肌や身体についての知識、スキンケア、メイクアップ、販売技術に加え、芸術的な感性も学んだとされる。卒業生は、技術と知識を持ったブランドの伝え手として各地へ向かった。
「女性のことは女性が最もよく語れる。」
アルマン・プティジャン(Armand Petitjean)
プティジャンは、製品を体験してもらい、人から人へ評判が広がることを重視していた。美容部員が一人ひとりの女性に向き合うという考え方も、この時代の取り組みと結びついている。
マジとトレゾァ——香水の名作が生まれた1950年代
1950年にはマジ(Magie)を発表。ねじりを加えたようなクリスタルのボトルは、デルオムによる造形の代表例として知られる。香りと容器をひとつの作品として考える姿勢が、ここにも表れている。
1952年には初代トレゾァ(Trésor)が登場した。パリのパレ・ド・シャイヨーで行われた発表の催しでは、セルジュ・リファール(Serge Lifar)のバレエと、アンリ・ソーゲ(Henri Sauguet)の音楽が披露されたという。香水の誕生を、舞台芸術とともに祝う華やかな演出だった。
その後、経営上の困難や世代交代を経て、1964年にランコムはロレアルの傘下に入る。プティジャンは1970年、86歳で生涯を閉じた。創設者が掲げたフランスの美を世界へ伝えるという構想は、その後のブランドへ引き継がれていく。
ブランドのこだわり
美しさと幸福を結びつける
ランコムの香水では、恋愛、喜び、自分らしい生き方といったテーマが繰り返し表現される。美しく装うことを、外見の変化だけでなく、気持ちの変化へつなげる。創業期から続くこの考え方は、現代のフレグランスにも流れている。
トレゾァが愛の記憶を、ラヴィエベルが自分で選ぶ幸福を、イドルが自分自身への信頼を描く。時代とともに作品の語り方は変わっても、香りを纏う人の人生へ寄り添おうとする点には、共通するものがある。
バラ——原料であり、ブランドの象徴
プティジャンはバラを愛し、パリ近郊ヴィル・ダヴレーの自宅にもバラ園を持っていた。創業時から香水のラベルに登場していたバラは、やがてブランドを象徴する花となる。
1974年には、育種家ジョルジュ・デルバール(Georges Delbard)によって、鮮やかなフューシャ色のランコム・ローズが生まれた。ブランド名を持つバラが実際に存在することも、花とメゾンとの結びつきを物語る。
グラースにあるドメーヌ・ド・ラ・ローズ(Domaine de la Rose)も、その関係を形にした場所だ。2023年の公式報告書では、約7ヘクタールの土地で有機栽培に取り組む拠点として紹介されている。香水の原料を育てる土地への関与が、バラを中心にしたブランドの世界観を支えている。
ボトルを、手に取れる物語に
ランコムの香水瓶には、初期から造形への強い関心がある。マジのねじりを思わせる形、初代トレゾァの宝石のような容器。香りを収めるための器が、その作品の印象を伝える役割も担ってきた。
ラヴィエベル(La Vie Est Belle)のボトルは、1949年にデルオムが手がけた、微笑みを思わせる曲線を持つ容器を着想源とする。当時は工業生産が難しく、特別な顧客向けのミニチュアとして作られた形が、2012年に新しい香水の姿として生かされた。首元のリボンには自由の翼のイメージが重ねられている。
イドル(Idôle)では、薄く平たい、現代的なガラスボトルへと表現が変わる。華やかな装飾だけでなく、簡潔な輪郭でも世界観を伝えるところに、時代ごとの美意識の変化が見える。
香水ラインナップ
創業時の5作品——トロピック、コンケット、キープル、タンドル・ニュイ、ボカージュ
1935年の創業時に紹介された5作品は、ランコムが香水から始まったことを伝える歴史的なラインナップだ。花、スパイス、清潔感、深みといった異なる方向性を示し、世界の多様な好みに応えようとする構想を表していた。
「征服」を意味するコンケットという名前にも、プティジャンの意志が込められていた。
「コンケートはシンボルだった。世界を征服してランコムの名声を作る必要があった」
アルマン・プティジャン(Armand Petitjean)
マジ(Magie)——1950年
香りとボトルが一体となった、創業者時代の代表作。木の香りやジャスミンを取り入れた構成と、クリスタルをねじったような容器が知られている。後年の同名を含む製品とは区別して、ここでは1950年の歴史的作品を取り上げる。
トレゾァ(Trésor)——1952年の名を、1990年に新しい香りへ
フランス語で宝物を意味するトレゾァは、1952年の初代の名を受け継ぎながら、1990年に新しくつくり直された。現在広く知られる香りを手がけたのは、調香師ソフィア・グロスマン(Sophia Grojsman)。ピーチとローズの華やかさに、柔らかな余韻が重なる、愛をテーマにした作品だ。
この香水には、女優イザベラ・ロッセリーニ(Isabella Rossellini)の記憶が結びついている。彼女は香りの選定に関わり、名前を伏せて試した候補の中に、特に気に入った作品があった。選ばれた香りの作り手と会った時、意外なつながりを知ることになる。
ロッセリーニの回想によれば、グロスマンは映画『カサブランカ』のロマンスや冒険、謎めいた雰囲気に触発されて、その香りのもとになる作品をつくっていたという。そして映画の主演女優イングリッド・バーグマン(Ingrid Bergman)は、ロッセリーニの母だった。母の映画に着想を得た香りを、娘が選び、その顔になる。この巡り合わせは、本人が語ったエピソードとして伝えられている。
「調香師ソフィアが私の母(イングリッド・バーグマン)の映画『カサブランカ』に感化されてこの香水を作っていたと知ったとき……私たちはお互いを選び合ったのだ、と感じた。それは完璧な結婚だった。」
イザベラ・ロッセリーニ(Isabella Rossellini)
ラヴィエベル(La Vie Est Belle)——2012年
ラヴィエベルは、フランス語で人生の美しさをうたう名前を持つ香水。オリヴィエ・ポルジュ(Olivier Polge)、ドミニク・ロピオン(Dominique Ropion)、アン・フリポ(Anne Flipo)が創作に関わった。アイリスを核に、花の華やかさとグルマンの甘さを組み合わせた作品だ。
原料を絞り込み、豊かさと簡潔なバランスを両立しようとした点も、制作時の特徴として紹介される。アイリスやジャスミン、オレンジブロッサムに、パチョリ、バニラ、プラリネを思わせる甘さが重なり、ランコムの幸福というテーマを香りで表現する。
「これはランコムのラグジュアリーレベルについての声明でもあった。香水こそが、どれだけ憧れのブランドになれるかを定義するのです。ランコムが『幸福を提供するブランド』であることの体現だった。」
ニコラ・イエロニムス(Nicolas Hieronimus)
発売時の顔を務めたのは、ジュリア・ロバーツ(Julia Roberts)。広告では、周囲に合わせて生きる束縛から離れ、自分自身の幸福へ向かう姿が描かれた。売上面でも大きな成功を収め、2024年には欧州で11年連続1位になったと報じられている。この順位は、2024年時点の報道に基づくものだ。
イドル(Idôle)——2019年
イドルは、3人の女性調香師が共同で手がけたフレグランス。シャマラ・メゾンデュー(Shyamala Maisondieu)、エイドリアナ・メディーナ(Adriana Medina)、ナデージュ・ル・ガランテゼック(Nadège Le Garlantezec)が制作に関わっている。
ローズとジャスミンを中心に、清潔感のあるムスクの印象を重ねる。自分だけの強さや美しさを見つけるというコンセプトが、透明感のある香りと薄いボトルの輪郭につながっている。
発売時にはゼンデイヤ(Zendaya)がキャンペーンの顔となり、新しい世代の女性像を表した。自分の可能性を信じて進む人を描く世界観には、美しさと人生の喜びを結びつけてきたランコムの考え方が、現代の言葉で表れている。
ちなみに…
- 「香水のベルサイユ」と呼ばれた工場:プティジャンは、パリ近郊シェヴィイ・ラリュ(Chevilly-Larue)に大規模な製造拠点を構想した。豪壮な建築と庭園を備えた計画には、製品をつくる場所にもブランドの威信を託そうとする姿勢が表れている。「オルリー空港から出国する人々が最後に目にするのはランコムのロゴだ」と夢見た構想でもあった。
- 広告より、人から人へ:プティジャンは「広告を打つことは一切ない」と宣言したことで知られ、口コミや実演を重視した。ただし、創業期や1950年代の広告も残っており、文字通り広告を一切使わなかったわけではない。美を伝える人を育てることに、特に重きを置いたと理解すると、その考えが見えてくる。
- コミテ・コルベールへの加盟:ランコムは1992年、フランスの高級ブランドなどが集まるコミテ・コルベール(Comité Colbert)に加盟した。フランスの創造性やものづくりを伝えるメゾンとして、その活動に参加している。


