Maurice Roucel
モーリス・ルーセル

モーリス・ルーセル 調香師名鑑

生い立ち

 1950年、フランス北西部シェルブールにモーリス・ルーセルは生まれました。5歳のとき、両親とパリに引っ越し、パリで育つことになります。

 子供の頃はやんちゃで、いつも授業を邪魔して、ジョークばかり言っており、60年代前半までは、ビートルズのように髪が長かったそうです。

 学生の頃は、最初、量子物理学に興味を持ち、それから有機化学、特に合成物質に興味を持って勉強し、ガスクロマトグラフィーの専門家になります。お金を得るため、色々なところに自分の履歴書を送っていたところ、1973年2月19日、シャネルがクロマトグラフィーのラボを作るためにモーリスを研究所の化学者のヘッドとして雇ってくれることになりました。これが彼の大きな転機でありました。

調香の魅力を知り…

 当時、まだ22、3歳であったモーリスの上司は、シャネルの2代目専属調香師であったアンリ・ロベール(74、5歳)でありました。アンリ・ロベールからはラボラトリーで完全な自由を与えられており、ラボの設備を最新のものに色々変えたそうです。

 最初、モーリスは調香師を馬鹿にしていました。なぜなら、その当時、調香師は全く知られておらず、「ゴースト」とすら呼ばれていたからです。しかし、調香師と関わっていくうちに、段々と調香の魅力にとりつかれていったモーリスは、シャネルの図書館へ行き、本を読み、自分で少しずつ勉強していきました。モーリスは興味のあることへの情熱がすごく、香りの性質を研究しているときに、ヘリウムガスを吸いすぎたり、実験でやけどをして10年間鼻の下にかさぶたがあったりするほどでした。

ちなみに

モーリス・ルーセルは独学で調香技術を学んだと言われますが、シャネルのラボで、アンリ・ロベールのもとで学んでいた以上、彼に教えてもらっていたことは疑う余地がないでしょう。

 6年間シャネルで勤めた後、IFFから調香師をやらないかと誘われます。実はアンリ・ロベールがIFFに嬉しそうにモーリスのことを紹介していたのです。ここからモーリスは本格的に化学への情熱を香水へと向け、調香師になっていきます。最初の香水は、1978~79年の間に作ったようです。IFFでは6年間勤めていました。

 その後、クエスト社に移り、1984年から1996年までの間、12年間働きます。このとき、調香師クリストファー・シェルドレイクと出会います(彼は1982年からクエストにいる)。クエスト時代には、セルジュ・ルタンスとアイリスシルバーミストを手がけています。

調香師としての活躍

 ゲランで調香したランスタン(L’Instant de Guerlain、2003)のきっかけもモーリスがクエストで働いていた時でありました。ゲランは、LVMHに吸収されており(1994年に傘下に入り、96年にゲラン家は経営から離れる)、ゲランの精神を維持しようと努力していたのが、シルベーヌ・ドラクルト(Sylvaine Delacourte、開発・評価部門のマーケティングディレクターであり、ほぼ全製品の一連の制作過程に携わっている)でした。彼女がゲランにブランド初の外部調香師モーリス・ルーセルを招いたのです。

彼女がゲランの女性用香水に興味はないかと尋ねてきたんだ。15日後、私は2つの試作をプレゼンテーションし、1つは成功しました。そのアイデアというのは、ゲランの思想を推し進めたものでありました。香水業界は、90年代に透明感のある香りという革命を経験しました。そこで、ゲルリナーデを思い出してもらおうという提案を私はしたのです。実際のゲルリナーデを、サムサラの時代よりもさらに甘くして使うというのがアイデアでした。このために使ったのが、ガーデニアでした。
そして、より強い香りに慣れている顧客たちを満足させるために作ったのがInsolence(アンソレンス)でした。シルベーヌと2年半の試行錯誤を繰り返し作ったこの香水は最終的にはランスタンよりも売れました。

モーリス・ルーセル

 1996年からはドラゴコ社(後のシムライズ)で3年間働きます。このとき製作したのがグッチのエンヴィ(1997)でした。

ちなみ

エンヴィは1984年から13年考えたコンポジションであり、ヒヤシンスをテーマの中心にすえたものでした。当時、グッチのクリエイティブディレクターは、トムフォードでした(1994-2004)。

 1999年、当時49歳、ニューヨークにシムライズ社がスタジオを作るため、フランスを去り、そこからずっとニューヨークのシムライズにいます。

 モーリスの価値観として知っておくべきことは、彼が必ず誰かと一緒に香水を作るというところに重点を置いていることであります。自身の香水をつけるお客様と香りを生み出すと考えているだけでなく、ディレクターと作る、他の調香師と一緒に作るということも彼は大切にしています。

香水というのは子供だ。作るのには2つのことが必要だ。甘やかすことと教育することである。だから、ローンチされるときというのは私にとって、誕生とほとんど同じようなものなんだ。それからできるだけ長い時間生きさせる必要がある。

モーリス・ルーセル

私は1人で作るのが嫌いだ。ばかばかしいと思っている。香水というのは赤ちゃんだから、お父さんとお母さんが必要なんだ。2人で愛をこめて作れば、何か素晴らしいものができるんだ

モーリス・ルーセル

ちなみに…

・マグノリアはモーリスのシグネチャー。モニーク・レミー社の友人が中国で見つけたMichelia longifolia(マグノリア)のエッセンシャルオイルをモーリスに紹介し、それを初めて使用しました。それはちょうど、ロシャスのトーケイドを作っているときのことでした。最初のTocadeのときは1000分の1の割合で使い、ここから、モーリスのシグネチャーの香りとして多くの香水に隠し味のように入れられます。

・最も作るのに時間がかかったのは、エルメスの24フォーブル(1995)で5年、最も時間がかからなかったのはShalini(2004、彼女はインド出身のデザイナーでモーリスの友達)で15分と言っています。

・36歳ぐらいのとき、仕事が少なかったとき、タバコをやめて、トライアスロンをしていたそう。走る、泳ぐ、こぐというのは1つだとどれも面白くなかったが、3つを一緒にやるというところが好きだったと言っています。

・モットーは、「Live life and don’t look back」(過去自分がやってきたことや誰かがやったことを考えるより、自分の将来のことや何を作るかということを考える方が面白い。)

・子供は2人いる。

・好きな食べ物→魚。特に寿司。

・最もエロティックな原料→ウード

・好きな香りは、ゲルリナーデに含まれているセンシュアリティな温かみがあるもの、アンバー、ウッディ、バニラ

・最初に買った香水→15歳のときに買ったオーソバージュ。モーリスはこの香水にすごく感謝しているそう。なぜなら女の子たちがキスするときに、いつも褒めてくれたから。

・好きな香水→ファーレンハイト(Dior)、アビルージュ(ゲラン)、Z14(Halston)、KenzoAir

・好きな音楽→The Doors

・最も憧れている調香師→ミシェル・アルメラック、ソフィア・グロスマン、アルベルト・モリヤス

この記事を書いた人

香りの学び場「ルシェルシェパルファム」の運営者。
元香水販売員で、現在はとあるIT企業の管理職。
香水への愛が抑えきれず、自身の学んだことをはきだすサイトを作ってしまう。エルメス・フレデリックマルを主に愛用。

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