Sophia Grojsman
ソフィア・グロスマン

ソフィア・グロスマン 調香師名鑑

生い立ち

 1945年3月8日、ソフィアは、ベラルーシの Novogruskyという地域にあるLjubchaという地図に載っていない村に生まれます。ベラルーシは当時、旧ソビエト連邦の一部でありました(91年に正式に独立した)。ソフィアの小さい頃の記憶は、おもちゃではなく、自然と森の花々(ローズ、ジャスミンなど)でありました。また、小さな頃の思い出として、当時、戦後間もないこともあり、冷蔵庫がなく、母親と一緒に市場に行った際には、母がソフィアに食べ物の臭いを嗅がせ、その顔を見て、それが新鮮かどうかを判断していたというものがあります。ソフィアはこの頃から嗅覚が優れていたのです。

 15歳のとき、娘の将来を考えた両親は、家族でポーランドに移民し、ソフィアは初めて教育システムを受けました。彼女はすぐに順応し、物覚えも早く、クラスメイトに小声で答えを教えることもあったくらい頭が良かったそうです。物理、化学を勉強し、特に数学が得意だったソフィアは、最初、医者になりたいと思っていましたが、医学系の学校に行くだけのお金がなかったため、ポーランドの大学で分析無機化学(クロマトグラフィーなど解析を含んだ分野)の学士号を取得します。

 転機は、1965年、ナチス独裁の際にソフィアの父が助けていたユダヤ人の家族が、アメリカにソフィアの家族を招待したときのことでした。アメリカに移民したソフィアは、のちに医学部に進むことができると聞き、ニューヨーク大学のラボで働きはじめます。しかし、血の入った入れ物を見たときに、ふらふらしてしまい、自分には医療系は無理だと悟りました。そこで彼女はIFFのラボの面接を受け、何とか調香師Ellie Foxのラボの技術者として雇ってもらえることになりました。そのラボでは、デオドラントや石鹼を作っており、最初にソフィアが作ったのは石鹼のフォーミュラで、その後25年間市場に出回っていました。このラボの経験で、ソフィアは、自分が作ったものを毎日、多くの人に使ってもらえるという喜びを知ることになります。そして、自分の作った石鹼のフォーミュラを見直し、成分を詳細に調べ、なぜこの成分がここにあり、これはなぜ過剰なのか、などを突き詰めていきました。ラボには、4年間在籍し、同時に有機化学についても勉強をしました。

私の製品で人々が満足してくれるとうれしい。私のゴールは女性に、できるだけコストをかけずに良い香りになってもらうことよ。

ソフィア・グロスマン

師との出会いとパフュームレジェンド

ラボの香料を嗅いだことはあったけど、どうやって香水を作るのかは、全く見当がつかなかったわ。花を選んで、アルコールに入れて、それを混ぜるっていうのが、私の印象だったの。

ソフィア・グロスマン

 IFFのラボではソフィアの調香師人生における大きな出会いがありました。それが2人の調香師Josephine Catapano(ジョセフィン・カタパノ)Ernest Shiftan(アーネスト・シフタン、1903-1976 )との出会いでした。また、同時に、エスティローダーの営業であったTom Joyにローダー婦人を紹介してもらい、エスティローダーとの繋がりも持ちます。

 アーネスト・シフタンは、当時、IFFのチーフパフューマーで、彼がソフィアを調香師になるように励ました人物でした。ちなみに、彼は、後にIFFの副社長になっています。ソフィアは、アコードを生み出す際に、 常にフォーミュラをシンプルにしようとしますが、それはメンターであったシフタンの影響でありました。

 ジョセフィン・カタパノ(1918/12/29 – 2012/5/14)は、1953年、エスティローダーの最初の香水兼バスオイルYouth Dew(ユースデュー)やギラロッシュのフィジー(1966)を調香した伝説の女性調香師です。カタパノがマネジメント部門のトップになると、可愛がられていたソフィアは、トレーニングを受ける機会を得ました。こうして彼女の本格的な調香師への道が開いていったのです。

ソフィアは自身の香水の創作を音楽と比較します。彼女はたいてい、まずメインのコード探すことから始め、5~7以上のコード(ノート)は絶対に入れません。それは、ノートを付け足していくことで香りを良くしていくと、「汚く」なるだけだからだという考えに基づいています。

 彼女の作品は名香が多いのだが、とりわけ重要な2つがイヴ・サンローランパリランコムトレゾァです。

ちなみに…

 バラの巨匠バラの女王とも言われるソフィアのバラの作品には、みずみずしいバラのParis(1983)、ソフトでパウダリーなローズのTresor(1990)、ブルーローズのChampagne(1993、YSL)、ホワイトクラウドローズのTrue Love(1994、エリザベス・アーデン)などがあります。

私は全ての花が好きよ。でもローズは最も香水に適したノートだと思うの。女性的で、花びらの香りがして、すごく若々しい。

ソフィア・グロスマン

 また、何と言ってもソフィア・グロスマンと切れない縁がソープや柔軟剤などといったランドリー製品です。彼女はランドリー製品やボディ製品を作るのも非常に好きなのです!明らかになっている中では、1991年P&Gから発売されたダウニーのエイプリルフレッシュの香りはソフィアが作っています

 ファインフレグランスの調香師はファッションの世界と関わりがあるおかげで注目を受けるが、実のところ香りを操る腕前においては、優れたポーカープレイヤーのようなことをしているトイレタリーの調香師にはかなわないよ(=トイレタリーは、ひどい臭いのする化学薬品の香りの上にきれいな世界を描かなければならず、テクニックがいる)。

ティエリー・ワッサー

 また、女性の幸せを願って、香水を作り続けてきた彼女は、男性向けの商品を全く作ったことも、男性っぽさを含んだ香りもありません。フレデリックマルで作ったOutrageous!(アウトレイジャス)を除いては。

女性のフレグランスに男性っぽい香料を入れるのは好きじゃありません。レモンやオゾンノートは、私が疲れるのです。そういう香りはセンシュアリティというより清潔感だから、ランドリー製品やルームスプレーがいいと思うの。だから、私はそれぞれの成分に何か意味を持たせるし、自分の考えに沿う成分を使うようにしています。使う香りが変なものだったら、私は退屈するでしょうからね。そういうことだから、私は自分の香水でシトラスやフレッシュな香りは避けるようにしているのです。

ソフィア・グロスマン
この記事を書いた人

香りの学び場「ルシェルシェパルファム」の運営者。
元香水販売員で、現在はとあるIT企業の管理職。
香水への愛が抑えきれず、自身の学んだことをはきだすサイトを作ってしまう。エルメス・フレデリックマルを主に愛用。

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