ラコステ(Lacoste)— コートで生まれた香り、世界を駆けるクロコダイル

ラコステの世界観と代表製品「L.12.12 Blanc Eau de Toilette 175ml」を表現したブランドイメージ ブランド創業者

「発明家。もし名刺に職業を書くとしたら、そう書くだろう。私は自分の人生全体を発明してきた。」

― ルネ・ラコステ(Lacoste公式サイトより)

基本情報

  • 設立年(ブランド創業): 1933年
  • 香水ラインの開始: 1968年(ジャン・パトゥとの協業による初のオードトワレ)
  • 創設者: ルネ・ラコステ(René Lacoste)、アンドレ・ジリエ(André Gillier)
  • 公式サイト: https://www.lacoste.com
  • 現在の香水ライセンス保有: インターパルファム(Interparfums SA)

創設者・ブランドの成り立ち

ボルドーの少年、テニスに魂を捧げる

ジャン・ルネ・ラコステは、1904年7月2日、フランスに生まれた。ボルドーに暮らした少年時代、彼は名門校ポリテクニーク(Polytechnic School)の優秀な学生であり、父親ゆずりのスポーツへの情熱でテニスに没頭していた。その情熱はやがて学業を凌ぐほどになり、ルネはついで勉学を捨て、コートの上で自分の人生を切り拓くことを選んだ。

テニスの才能は本物だった。15歳で本格的にテニスを始め、1925年にはフランス選手権(現在の全仏オープン)の頂点に立った。1924年パリ五輪では男子ダブルスで銅メダルを獲得。そして1925年にはフランス選手権とウィンブルドンの両方で優勝を果たし、一気に世界のトップ選手の仲間入りを果たした。1926年・1927年・1929年には世界ランキング1位を記録し、生涯でグランドスラム(四大大会)シングルス7勝を手にした。1927年と1928年にはフランスのデビスカップ(Davis Cup)優勝にも大きく貢献し、ジャン・ボロトラ、ジャック・ブリュニョン、アンリ・コシェとともに「四銃士(Les Quatre Mousquetaires)」と称えられた。

「クロコダイル」誕生の物語

ラコステの名を世に知らしめる一つの象徴的なエピソードがある。1923年、ボストンで行われたデビスカップ遠征中のことだ。当時19歳のルネは、店のショーウィンドウに飾られたクロコダイル(crocodile)の革製スーツケースに目を奪われていた。チームキャプテンは「次の試合に勝ったら買ってやる」と約束した。ルネは試合に負けた。しかし彼のコートでの粘り強さと不屈の姿勢は、アメリカのプレスに強い印象を与えた。記者のジョージ・カレンズ(George Carens)はこう書き記している——「彼は執拗で、対戦相手をゆっくりと噛み砕いていくようだった(He was relentless, and chewed up his opponents slowly.)」。

こうして「クロコダイル」というニックネームはテニス界全体に広まっていった。ルネ自身もこの愛称を喜んで受け入れ、1927年には親友でスタイリストのロベール・ジョルジュ(Robert George)に白いブレザーへのクロコダイル刺繍を依頼した。この紋章がコートに登場した1927年、ルネはフランス選手権と全米選手権を制覇し、世界ランキング1位に輝いている。小さなクロコダイルが「ラコステ」という伝説の第一歩となった。

病、引退、そして革命——ポロシャツの誕生

テニスのトップ選手として活躍し続けたルネだったが、1929年、呼吸器疾患によって第一線からの引退を余儀なくされた(1932年に一時復帰)。しかし彼の「発明家」としての魂は衰えることがなかった。それどころか、引退後こそが真の創造の時代となる。

当時のテニスプレイヤーは、長袖でのりの利いた白いドレスシャツを着用することを強いられていた。ルネはそれを「ばかげている」と感じていた——動きにくく、暑く、プレーの妨げになる。そこで彼は、ポロ競技のジャージからヒントを得て、ペティ・ピケ(petit piqué)と呼ばれる通気性の高いコットン素材を使った半袖の軽量ポロシャツを自ら設計し、テニスコートで着用し始めた。

1933年、ルネはフランス最大のニットウェアメーカーの経営者であったアンドレ・ジリエと手を組み、「ラ・シュミーズ・ラコステ(La Chemise Lacoste)」を共同創業した。このポロシャツには「L.12.12」というコードネームが付けられた——「L」はラコステ、「1」はペティ・ピケ生地の内部コード、「2」は半袖のカット番号、そして「12」はルネ自身が最終版として選んだ試作品の番号を意味する。歴史上初めてロゴを外側に刺繍した衣料品として、ラコステのポロシャツはスポーツウェアに革命をもたらした。

「発明家」としての生涯

ルネの革新への情熱はポロシャツにとどまらなかった。1960年にはラケットの弦間に装着するショックアブソーバーの特許を取得し、1960年代にはスチール製テニスラケットを発明した。当時のテニスラケットは木製が主流だったが、ルネはクロム鋼管を用いた全く新しい設計を考案した。1965年のニューヨーク・タイムズのインタビューで、当時61歳のルネはこう語っている——「10年後には木製ラケットを使う人はいなくなるだろう。スチールに移行するはずだ」。彼の予言は当たった。このスチールラケットは1966年から1978年の間に46ものグランドスラムタイトルを制覇した記録を持つ。ウィルソン(Wilson)がティー2000(T2000)という名称で販売したこのデザインは、ビリー・ジーン・キングやジミー・コナーズも愛用した。

「発明家。もし名刺に職業を書くとしたら、そう書くだろう。私は自分の人生全体を発明してきた」——これがルネ・ラコステの言葉である。ポロシャツも、ラケットも、そして後に香水も、すべては同じ精神——機能と優雅さを兼ね備えた「自己発明」——から生まれた。

1996年10月12日、ルネ・ラコステは92歳で没した。しかし彼が創り上げたクロコダイルの精神は、今もラコステブランドの核心にある。

香水ラインへの参入——スポーツブランドが纏った香り

第一歩:ジャン・パトゥとの協業(1968年)

1960年代後半、「自由の空気」が世界を覆った時代に、ラコステは香水という新たなコートに踏み込んだ。1968年、フランスのファッション・香水ブランドであるジャン・パトゥ(Jean Patou)との協業のもと、ラコステ初のオードトワレが誕生した。

この香水の調香を担当したのはジャン・パトゥの専属調香師ジャン・ケルレオ(Jean Kerleo)とされており、フゼア調(fougère、シダや草木を思わせる香調)をベースとした男性用の清潔感ある香りであった。ジャン・パトゥはプロヴァンスに自社農場を持ち、バラやジャスミンを栽培するなど、素材の品質に強いこだわりを持つメゾンとして知られており、その精神はラコステの初フレグランスにも受け継がれた。ただし、この1968年リリースの香水に関する一次情報(インタビュー、詳細なブランドストーリー)は現時点では限られており、以降の商業展開については確認できる範囲の情報に基づいて記述している。

1984年の名作と、ピーアンドジーへの移行

ジャン・パトゥとの協業を経て、2001年にラコステは香水事業をプロクター・アンド・ギャンブル(Procter & Gamble、以下ピーアンドジー)への外部ライセンスに移行した。ピーアンドジーはラコステのフレグランスを世界規模で展開するための体制を整えた。

ピーアンドジーへの移行に先立つ代表作が、1984年にリリースされたラコステ・オリジナル(Lacoste Original)(2002年の「ラコステ・プール・オム〈Lacoste Pour Homme〉」とは別作品)だ。シトラスとハーブ(ライム、ラベンダー、クラリーセージ)を頂点に、ジャスミン、バジル、ガルバナム(galbanum、セリ科の植物から得られる樹脂)、カーネーションが芳しい心臓部を形成し、オークモス(oakmoss)、ベチバー(vetiver)、ムスク、トンカ豆が深みのある余韻を作り出す。このグリーン・フゼア調の香りは、ラコステのスポーツ精神と紳士的エレガンスを見事に体現したものとして、長年にわたって愛されてきた。

その後は、ラコステ・ブースター(Lacoste Booster、1996年)、ラコステ・プール・ファム(Lacoste Pour Femme、2003年)をはじめ、ピーアンドジーへの移行をまたいで数多くの香水が展開された。

コティ(Coty)時代とブランドの再定義(2016-2023年)

2016年、ピーアンドジーはコスメティクス事業の再編の一環として、ラコステを含む10のフレグランスライセンスをコティ(Coty)に移管した。

コティのもとで、ラコステのメンズフレグランスは「ロム・ラコステ(L’Homme Lacoste)」と「マッチ・ポイント(Match Point)」という2つの主要ピラーを軸に展開され、フランス市場でのランキングを17位も上昇させるなど、着実なプレミアム化を果たした。コティの最高経営責任者スー・ナビ(Sue Y. Nabi)は「我々は過去6年間のパートナーシップを通じ、ラコステのフレグランスブランドの成長を誇りに思う」と述べている。

しかし2022年12月、ラコステはコティからライセンスを買い戻すことを発表。同月、新たなパートナーとしてインターパルファム(Interparfums SA)との15年間の独占ライセンス契約を締結し、2024年1月1日より効力を発した。契約の締結料は9,000万ユーロに上る。

ブランドのこだわり

香りづくりの哲学:コートから香水瓶へ

ラコステのフレグランスを貫く哲学は、ブランドそのものの哲学と同じである——「エレガンスと機能性の共存」だ。香りはプレーの動きのように清潔で自由であり、スポーツシャツのように着心地よく、日々の生活に自然に溶け込むものでなければならない。ブランドのタグライン「ライフ・イズ・ア・ビューティフル・スポート(Life is a Beautiful Sport)」が示す通り、人生そのものをスポーツのように楽しむ精神が、フレグランスの世界観にも息づいている。

2024年、インターパルファムのルイ・ダソンヴィル(Louis Dassonville)は、新作フレグランスについてこう語っている——「サンダルウッド(白檀)を加えたのは、ルネ・ラコステが使っていた木製ラケットを思い起こさせるから。シトラスノートは、洗練された清潔感を体現するから」。香りの設計の中にも、創業者の記憶が細部まで込められているのだ。

ボトルデザイン:ポロシャツを香りに刻む

ラコステのフレグランス、特に代表的なオー・ド・ラコステ エル・ドゥーズ・ドゥーズ(Eau de Lacoste L.12.12)コレクションのボトルは、そのデザイン自体が一つの宣言である。ボトルの表面にはラコステのポロシャツ固有のペティ・ピケ(petit piqué)生地の凹凸テクスチャーが再現されており、さらに本物のポロシャツと同じラコステのクロコダイルのパッチが貼り付けられている。外装ボックスにもこのピケ柄モチーフが施されており、視覚と触覚を通じてブランドの核心を伝えるパッケージとなっている。

ボトルの名称「エル・ドゥーズ・ドゥーズ(L.12.12)」はポロシャツのコードネームをそのまま冠したもの——コートで生まれた一枚のシャツが、香りの形を纏って21世紀に蘇ったのだ。

香水ラインナップ

オー・ド・ラコステ エル・ドゥーズ・ドゥーズ(Eau de Lacoste L.12.12)コレクション

2011年9月、ニューヨークのグランドセントラル駅ヴァンダービルトホールにて、ラコステはメンズフレグランスの新コレクションエル・ドゥーズ・ドゥーズ(L.12.12)を派手にお披露目した。グランドマスター・フラッシュ(Grandmaster Flash)のライブパフォーマンスとともに幕を開けたこのイベントで、ラコステ・フレグランスのマーケティングディレクター、アントワーヌ・デルグランジュ(Antoine Delgrange)はこう語っている——「インスピレーションとなったのはラコステのポロシャツ、L.12.12です。ルネ・ラコステが創ったこのシャツに立ち戻り、ブランドの核心をお祝いすることが私たちのアイデアでした」。

最初の三作品「ブラン(Blanc)」「ブルー(Bleu)」「ヴェール(Vert)」は、それぞれ白・青・緑のポロシャツのカラーウェイを香りで表現したものだ。

  • ブラン(Blanc): グレープフルーツ、ローズマリー、カルダモン、シダーリーフのトップノート。チュベローズ、イランイラン、シダーウッドのハート。ベチバーのベース。白いポロシャツのような清潔で男性的な印象。
  • ブルー(Bleu): グレープフルーツとペパーミントの爽やかな開幕。セージとパチョリ、アンバーウッド、オークモスが続く。
  • ヴェール(Vert): ベルガモット、バーベナ、ラベンダー、タイム、ヴァイオレットリーフ、バンブーグラスの大地的な構成。

その後、ルージュ(Rouge)(2012年)、ノワール(Noir)(2013年)が加わり、女性向けのロゼ(Rose) シリーズも展開された。現在もインターパルファムのもとで、L.12.12コレクションは継続・展開されている。

ラコステ・プール・ファム(Lacoste Pour Femme)系統

2003年にデビューしたラコステ・プール・ファム(Lacoste Pour Femme)は、調香師オリヴィエ・クレスプ(Olivier Cresp)の手による作品だ。ジャマイカン・ペッパーとパープル・フリージアの辛みある幕開けに、ジャスミン、ブルガリアン・ローズ、ハイビスカスが豊かなフローラル・ハートを形成し、シダーウッド、サンダルウッド、インセンスのベースが官能的な余韻を残す。「今日の女性の自由な魂を体現する」という香水の世界観は、ラコステのスポーティな女性像と共鳴している。

その後、プール・ファム・レジェール(Pour Femme Légère)(2017年)、プール・ファム・インテンス(Pour Femme Intense)、プール・ファム・エリクシール(Pour Femme Elixir)など、派生シリーズへと広がっていった。

マッチ・ポイント(Match Point)

マッチ・ポイント(Match Point)は、コティ時代に生まれた現代的なメンズフレグランスである。調香師ブルーノ・ジョヴァノヴィック(Bruno Jovanovic)とジャン=クリストフ・エロー(Jean-Christophe Hérault)による作品で、「スポーツと同じく、人生でも偉大さを達成するにはリスクを取らなければならない」というコンセプトのもと創られた。

レモン、ブラックペッパー、ゲンチアナ(gentian、リンドウ属の植物)、カルダモンが知的に香る幕開けに続き、パチョリとベチバーの深みのある地熱的なベースへと落ち着く。シリーズはオードトワレとオードパルファンが展開された。

ラコステ・オリジナル オードパルファン(Lacoste Original EDP、2024年)

2024年、インターパルファムとの新体制のもとでリリースされたラコステ・オリジナル(Lacoste Original)オードパルファンは、1984年の同名フレグランスへのオマージュとして位置付けられている。調香師アンヌ・フリポ(Anne Flipo)とタンギー・ゲスネ(Tanguy Guesnet)が担当し、ベルガモット、カルダモン、ピンクペッパーの爽快な幕開けから、ラベンダーとクラリーセージの芳醇なアロマティック・ハート、そしてサンダルウッド、パチョリ、アンバー、トンカ豆の中毒性のあるベースへと展開するアンバリー・ウッディ・フゼアだ。フランス俳優ピエール・ニネ(Pierre Niney)がキャンペーン・アンバサダーとして起用され、新たなラコステ・フレグランスの時代を象徴する一本となっている。

ちなみに…

ルネの「四銃士」同僚について:ルネが属した「四銃士」チームは1927年と1928年の2年連続でデビスカップを制覇し、テニス史に残る黄金時代を築いた。ローラン・ギャロス(Roland-Garros)の会場建設自体も、1927年のデビスカップ優勝を機にフランスが次の防衛大会のために建設したものであり、ラコステブランドは1971年から同会場のオフィシャルスポンサーを務めている。

スポーツ一家としてのラコステ家:ルネは1930年、女性に閉ざされていた時代にゴルフに挑んだ女性チャンピオン、シモーヌ・ティオン・ド・ラ・ショーム(Simone Thion de la Chaume)と結婚した。二人の娘カトリーヌ・ラコステ(Catherine Lacoste)は、1964年に世界アマチュア女子チーム選手権で優勝し、1967年には全米女子オープンをアマチュアとして初めて制覇し、スポーツの血脈を引き継いだ。

ライセンス史の驚くべき規模感:インターパルファムの最高経営責任者、フィリップ・ベナシン(Philippe Benacin)は2023年のインタビューで、「ラコステは世界で15のロゴがブランド名と同等の力を持つブランドの一つ。ライセンスのピーク時には2億ユーロ以上の売上を記録した」と語っている。フレグランス事業への投資として9,000万ユーロもの先払いライセンス料を支払ったのは、それだけの潜在力への確信があったからだ。

コードネームに隠れた完璧主義:スチールラケット開発の際、ルネは量産前に200種以上のプロトタイプを5年以上かけて試作・検証した。「私は完璧を追い求める(I strive for perfection)」という彼の言葉は、香水ボトルに至るまでブランド全体に受け継がれている。

参考文献