香りの分析法の誕生
ある香りがどのような香気成分から成り立っているのか、それを分析する方法が発明されたのは、つい100年前のことでした。
1900年、イタリア生まれのロシアの化学者ミハイル・ツヴェットが、物質の大きさや質量、電荷などの違いを利用し、物質を成分ごとに分離する手法を生み出しました。これをクロマトグラフィーといいます。これは、植物の色素(クロロフィルやカロテンなど)が分離したときに、色素ごとに色が分かれるという性質を発見したところに由来する方法でありました。その後、1930、40、50年代に様々な新しいタイプのクロマトグラフィーが開発されていきます。ちなみに、アーチャー・マーティンとリチャード・シングという化学者はクロマトグラフィーで1952年にノーベル化学賞を受賞しています。
香水業界で使われるクロマトグラフィーは、主に、ガスクロマトグラフィーと言われる分析法で、きわめて複雑な天然の香りの混合物(例えばローズ)から、揮発性にばらつきのある分子を特定し、分離することで、どのような香気成分が含まれているのか分析する技術です。ローズ精油を例にとれば、50年代には50種、70年代には200種、90年代には400種の分子から構成されていると解明されています。また、精油だけでなく、香水の組成を分析して、コピーフレグランスを作ることにも使われてきました。
空間の香りの分析法
そして、1980年代、ある物体(植物、花、食べ物)の周りにある空気に含まれる香りを同定するために開発されたのがヘッドスペーステクノロジー(ヘッドスペース分析)と呼ばれるものです。これは物だけではなく、お店や場所の香りを分析することにも同様に使うことができる技術でありました。分析したデータの解析が終わると調香師たちはそれを利用して創作をし始めます。
なぜ、この時代にヘッドスペースが生まれたのか。これを『香料植物の図鑑』では、「当時の香水は自然な素材が求められており、消費者に幻想的なイメージ(例えば、庭の空気を吸い込んだときの香りであったり、生き生きとした花の香りであったり)を与える必要があったため」と分析しています。
この技術のパイオニアの1人にローマン・カイザー(Roman Kaiser、1945-)といいます。カイザーは1968年からジボダン社で化学者として働いており、彼の主な仕事は、自然の香りを研究し、再構築することと、天然のものから分離した新しい合成香料を調べることでありました。
1975年から、カイザーは、ガスクロマトグラフィーの補助として、その花の周りの空気も分析するという応用技術としてヘッドスペーステクノロジーを使用します(ちなみに、彼は熱帯雨林の香りを測定するのにも使った)。ヘッドスペース法では、まずガラス製の球状の器を屋外に設置し、次に、花を密封し24時間放置し、この間に放出される分子をすべて捕らえます。その後、クロマトグラフィーなどの技術で分子を同定していきます。花生来の生涯の香りに損傷を与えずに得ることができるこの方法はその後、多くの香水で使われることになります。
カイザーも協力して生まれた香水は、フランス流紅茶専門店マリアージュ・フレールの店内の空気を分析して作られたトミーガール(1996、トミーヒルフィガー、カリス・ベッカー)、ディプティックのブティック内の香りを分析して生まれたサンジェルマン大通り34番地(2011、ディプティック、オリヴィエ・ペシュー)などがあります。
ローマン・カイザーは、科学者であり、調香師であり、アーティスト、不可能を可能にする巨匠なのです。
オリヴィエ・ペシュー
ちなみに、各会社はそれぞれ独自のヘッドスペース法で特許を取っており、アロマスコープ(高砂香料)、ジャングルエッセンス(マン社)、ネイチャープリント(フィルメニッヒ社)、セントトレック(ジボダン)、リビングフラワー(IFF)と呼ばれます。
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