調香史
アンリ・ロベールは、1899年、グラースに生まれました。父ヨゼフ・ロベール(Joseph Robert)は、かつてシリス社のチーフパフューマーでありました。彼はフランソワ・コティに調香を教えた素晴らしい調香師であり、溶剤抽出法を開発した第一人者でありました。つまり、香水業界にも、原料の製造にも革命を起こした人物でありました。
1919年、若きアンリは、ラボッカ(La Bocca)にあるシリス社で、父のヨゼフ以外に、シャネルの初代専属調香師エルネスト・ボーやアンリ・アルメラス、ジャックファスのイリスグリを調香したヴィンセント・ロベール(Vincent Roubert)と一緒に働いていました。その後、ドルセーで働き始めると、1923年ドルセーで最も有名な香水ルダンディ(Le Dandy)を生み出します。
コティが死去すると、1934年、ロベールはコティ社のチーフパフューマーとなります。1936年には史上初のスズランの香りミュゲドボワを創ります。1945年、ニューヨークでアメリカ香水業界のコンサルタントを始め、翌年には天然香料に特化した会社「Les Fils de Joseph Robert」の代表になり、また、Synarome社のアメリカ代表として「Henri Robert Inc.」を創設します。
1949年3月、シナロームの代理店をやめ、9月には、50年以上にわたって米国でFabriques de Laireの代理店を務めていたジョセフ・F・ルドルフが会長を務める「ダッジ・アンド・オルコット社」のDe Laire部門の経営を引き受けた。
1950年からフランスに戻り、De Laireのラボでチーフパフューマーを務め、1952年、シャネルの香水部門に引き抜かれました。かつての同僚で先輩のエルネスト・ボーの跡継ぎ2代目専属調香師として調香を担当し、シャネル初のメンズ香水であるプールムッシュー(1955)やNo.19(1970)、エドモン・ルドニツカとの共作クリスタルEDT(1974)を創り出しました。
彼(アンリ・ロベール)は香水のフォーミュラを調香していただけでなく、原料のエキスパートでもありました。N゜19のキーは、アンリが選んだ最高品質のアイリスです。これはフォーミュラ中のたった1%しか使われていませんが、これこそがN゜19を創り出しているのです。
シャネル3代目専属調香師ジャック・ポルジュ
1973年には、シャネル社のクロマトグラフィーのラボを作るために、20代前半のモーリス・ルーセルを化学者として採用し、1977年には弱冠28歳のフランソワ・デュマシーをシャネルの調香師として引き入れ、1978年の引退の際にはジャック・ポルジュを次の専属調香師として引き継がせました。1987年、死去します。
ちなみに、エルメスのカレーシュ(1961)やマダムロシャス(1960)を調香したギロベールは彼の甥であり、ギの息子フランソワ・ロベールはパルファンドゥロジーヌの香水を多く調香しています。
調香作品
Year | Brand | Name | With |
---|---|---|---|
1936 | Coty | Le Muguet des Bois | |
1951 | Bourjois | Ramage | |
1953 | Bourjois | Glamour | |
1955 | Chanel | Pour Monsieur | |
1970 | Chanel | No. 19 | |
1974 | Chanel | Cristalle Eau de Toilette | エドモン・ルドニツカ |