L’Artisan ラルチザン
Jean-François Laporte ジャン・ラポルト

ラルチザン ジャン・ラポルト ブランド創業者

1938年ー2011年11月7日(享年73歳)

最初のブランドSisley

 今や百貨店のラグジュアリースキンケアブランドとして有名なシスレー(Sisley)は、その実、当時化学者のジャン・フランソワ・ラポルトとローラン・ドゥ・サン・ヴァンサンによって、1972年に立ち上げられた化粧品会社でありました。

 1974年、ジャン=クロード・エレナに依頼し、レタスやアップルの育つノルマンディー地方の香りを創ってもらいます。これがオードゥカンパーニュでありました。(エレナの最初のコマーシャル向けの香水でもありました。)

 1976年には、経営上の問題があったようで、ドルナノ家に売却し、Hubert d’Ornanoは、フィトコスメトロジー(植物美容学)に基づいた商品への注力とリブランディングを行いました。こうして新たな名前Sisley(印象派の画家アルフレッド・シスレーに由来する)をつけました。ここから経営を持ち直し、今では世界各国でファミリー経営のプレステージブランドとして有名になっています。

 このような経緯から、シスレー側では、1976年にブランドが誕生したということで貫いているようです。

ちなみに…

ドルナノの家系は、アントレプレナーの精神が宿っており、1935年にはランコムを共同で立ち上げ、1953年にはオルラーヌを立ち上げています。

ラルチザンの創始

ラルチザンパフュームは、当時珍しいブランドであり、自然に焦点を当てた最初のブランドでした。

ファブリス・ペレグリン

 シスレーを売却したラポルトは、1976年、ニッチの先駆けと言われる香水ブランドL’Artisan Parfumeur(ラルチザンパフューム)を設立しました。ブランド名は、英語で「the craftsman of fragrance(香水の職人)」です。彼の目指したラルチザンでの香水とは、「自然から強い着想を受け、エレガントなシンプルさをもち、最高級の原料を使い、新しい嗅覚の道を切り開く」香水でありました。

 彼がラルチザンを創始したきっかけは、友人の頼みでありました。化学者として働いていたラポルトに、パリのミュージックホール「フォリー・ベルジェール」の催しでバナナのコスチュームを着ようとした友人が、バナナの香りを作れないかどうかを尋ねてきたのです。こうして、バナナの香水を作りましたが、あまりうまくはいかなかったようです。しかし、これがラポルトの香水熱に火を点け、彼は調香師の道へと歩む決意をしました。

ちなみに…

この話を聞いたセリーヌ・エレナ(ジャン=クロード・エレナの娘)は、再解釈をしたバナナの香水「バナバナナ」を2019年ラルチザンから発表しました。

 1978年、ラルチザン最初の香水、ミュールエムスクを発売します。ブラックベリーアコードとホワイトムスクを組み合わせ、香水業界に衝撃を与えたとも言われるこの香水は、実は、3人の若き調香師が協力・助言をしています。それが、ジャン=クロード・エレナ、ルシアン・フェレッロ(Lucien Ferrero)、ジャン・クロード・ジゴドット(Jean-claude Gigodot)でありました。この3人は1970年代にジボダン社で知り合った仲であり(1986年には3人でイヴロシェのTrimaranという香水を創っている!)、エレナとラポルトはシスレーの香水で友人になっていました。

ラポルトの第一声は、「香りは美しいし、魅力的だが、ボトルから拡散していかないんだ。どうしたらいい?」でした。

私が彼にアドバイスしたのは、タラゴンと少しのラベンダーを組み合わせ、シトラスのブレンドを使ったらどうか?ということでした。私たちは何度か一緒に施策を作り、正しい組み合わせを見つけることに成功しました。

ジャン=クロード・エレナ

ミュールエムスクは、15歳から60歳までどのような女性も惹きつける香水です。

ジャン・フランソワ・ラポルト

 ラルチザンと言えば、革新的な香水だけでなく、ボール型の新しいホームフレグランス「アンブルボール」も有名です。実は、香水より先に発売されていたのは、このボール型フレグランスでありました。ハンドメイドで作られたボールの中には、バニラ・パチョリ・トンカビーン・ベンゾイン・インセンスで作られたアンバーの固形物が入っています。

 1979年にはパリのグルネル通りに最初のブティックを、2003年にはルーヴル美術館のそばに旗艦店「グランドブティック」をオープンします。

 1982年、ラポルトはラルチザンを売却し、新たな旅へと出ます。ブランドは、やがて2003年にアメリカのクレイドルホールディングス(Cradle Holdings、FoxPaine & Companyの関連企業)に買収され、2015年にプーチ社に売却され、リブランディングされていきます。

ちなみに…

2008年、ベルトラン・ドゥショフールを雇ったラルチザンは、グランドブティック限定で、ビスポークフレグランスをしていたようです。

弛まぬ探究と新たなブランド

 新たなことに挑戦するのが好きなラポルトは、1988年、新たな香水ブランドMaitre Parfumeur et Gantier(メートル パフュムール エ ガンティエ)を立ち上げます。ブランド名は、英語で「Master Perfumer and Glovemaker」であります。1656年、ルイ14世の名の下に作られたロイヤルコーポレーション「Maitre Gantier et Parfumeur」に名を由来します。グローブメーカーではなく、香水がメインのブランドのため、順を逆にしたようです。

彼(ジャン・ラポルト)が創ろうとしたのは、カトリーヌ・メディシスの下、ルネッサンスの時期に始まったフランス香水の歴史を参照にし、捧げる新しいブランドでありました。

Jean-Paul Millet Lage

 バロック様式のボトル&キャップデザインは、16世紀、17世紀を思わせるように作られ、ボトルが収まる赤色のケースは、グローブメーカーを想起させるレザーグレインペーパーを使用しています。

 1997年、ラルチザンとラポルトの熱狂的なファンであったJean-Paul Millet Lageがブランドを買収します。ラポルトが共にSisleyを作ったローラン・ドゥ・サン・ヴァンサンを通して1996年につながったようです。ラポルトに出会い、彼から調香技術を学び、1997年に調香も引き継ぎました。2001年まではラポルトとともに香水を創ります。

ちなみに…

 2013年、ブランドの香りがかつての輝きを失っていると知ったかつての友人が、ラポルトの意志を再び甦らせるために、買収し、リブランディングしました。

 2000年、ついにラポルトは香水ではなく、香料植物を栽培する会社Le Jardin du Parfumeur(ル ジャーディン デュ パフュムール、「調香師の庭」)をフランスのブルゴーニュ地方に創設します。訪れた人たちは、育てられている植物やエッセンスを実際に見ることができます。

この記事を書いた人

香りの学び場「ルシェルシェパルファム」の運営者。
元香水販売員で、現在はとあるIT企業の管理職。
香水への愛が抑えきれず、自身の学んだことをはきだすサイトを作ってしまう。エルメス・フレデリックマルを主に愛用。

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