調香史
1892年、フランス北西部のブルターニュ地方にある駐屯地で士官の息子として生まれます。
学校では化学を専攻。1913年に兵役のため入隊し、翌年には戦争に赴きます。マケドニア前線で戦っている最中、1916年、彼はジャン・パトゥと出会います。パトゥは1905年から1908年まで入隊し、1914年に自身の会社を設立するのですが、再び軍隊に呼び戻されていたのです。
私たちの最初の出会いは1916年、テッサロニキでした。私は渓谷で大砲を構えていました。彼(ジャン・パトゥ)はズアーブ兵の軍隊と登頂しており、「ズアーブ兵を見に行け、価値があるぞ」と言われたのです。
アンリ・アルメラス
フランスに戻るとタイヤメーカーのダンロップの物理ラボに所属します。その後、Le Journal誌で見かけた広告がきっかけで、グラースのアントワーヌ・シリス社に入社します。ここで4年間、エルネスト・ボーやVincent Roubertの元で調香師としての訓練を受けます。この頃、アンリ・ロベールもいたようです。
ポール・ポワレに見初められたアンリ・アルメラスは、ポワレの香水ライン「パルファムドロジーヌ」の調香師として1915年~1925年の間に20以上の香水を調香したと言われています。1925年にポール・ポワレの元を離れると、パルファンドルセーでアンリ・ロベールとともに働きますが、すぐに辞めます。
その後、かつて出会ったジャン・パトゥと再会を果たし、パトゥのために香水や香り付きのボディオイルを創り始めます。当時オートクチュールとしてはジャンパトゥは申し分ありませんでしたが、ランバンやシャネルのようなブランドを象徴する香水を持っていませんでした。そこでパトゥは、1930年にアルメラスが販売用ではないと作っていた天然のエッセンシャルオイルをふんだんに使用した途轍もなく高価な香水を販売することにします。これがブランドを代表するジョイ(JOY)という名香になったのです。アルメラスは、1933年くらいまでジャン・パトゥ(ちなみに彼は1936年に亡くなっている)のもとで働きます。
1930年にアンリアルメラスが調香した香りの本質は、花ひとつひとつの特徴を具現化するのではなく、花という概念を表現するに至っているのだから。ジョイはローズでもジャスミンでも、それにイランイランでもチュベローズでもない。それは壮大なる甘美な香り。
ルカ・トゥリン『世界香水ガイド』
ジャンパトゥを離れた後は、フラゴナールをはじめとしていくつかのブランドで調香したり、アドバイザーを務めたりしたようです。
1965年、逝去。
アンリ・アルメラスは独創的なアイデアを持ち、活発な人でした。彼は攻撃的な性格で、彼の香水はかなり独特でした。
アンリ・ロベール
調香作品
Year | Brand | Name |
---|---|---|
1918 | Parfums de Rosine | Le Fruit Defendu |
1925 | Jean Patou | Adieu Sagesse |
1925 | Jean Patou | Amour Amour |
1925 | Jean Patou | Que Sais-Je |
1929 | Jean Patou | Le Sien |
1929 | Jean Patou | Moment Supreme |
1930 | Jean Patou | Joy |
1935 | Jean Patou | Normandie |