Mark Buxton Perfumes — 分子に宿る感情の香り

ブランド創業者

「香水とは、感情を分子に変換したものだ。」
— Mark Buxton(マーク・バクストン)

基本情報

  • ブランド名: Mark Buxton Perfumes(マーク・バクストン・パフューム)
  • 設立年: 2008年(当初の名称は「By Mark Buxton」。2011〜2012年頃に現在のブランド名へ改称)
  • 創設者: Mark Buxton(マーク・バクストン)
  • 本拠地: パリ(フランス)
  • 公式サイト: https://markbuxton.com

創設者・ブランドの成り立ち

生い立ち——英国生まれ、ドイツ育ち、パリ定住

マーク・バクストンは英国のダービー(Derby)生まれ。父はイギリス人、母はドイツ人という二つの文化的背景を持つ。8歳のときに家族がドイツへ移住したため、以降の少年時代はほぼドイツで過ごした。

バクストンは幼い頃からキッチンに出入りし、料理の香りに親しんだ。ハーブ、スパイス、焼きたてのニワトリの香り——こうした料理の匂いは、今日の彼の香りづくりにも深く影響している。

また、幼い頃のもう一つの記憶として、バクストンは次のように語っている。

「5歳の頃、父が毎年クリスマスに母へシャネル No.5 を買っていたのをよく覚えている。ある日、洗面台の棚からボトルを取ろうとして、落として割ってしまった。バスルームはその後何年もシャネルの香りが染みついていた。」

香水に対する最初の記憶が、罰と香りという強烈な組み合わせで刻まれた、というのは興味深いエピソードである。

転機——テレビのバラエティ番組で人生が変わる

バクストンはもともとファッションデザインを志していたが、ハンブルク大学のデザイン学科に不合格となり、ゲッティンゲン大学で地質学を学び始めた。やがて彼と友人は、ドイツの人気クイズ番組「Wetten, dass…?(賭けてみようか?)」への出演という大胆な計画を立てる。「市場に出回っているすべての香水を当てられる」という賭けである。

その準備のために、二人はドイツ各地の香水ショップをまわり、約600本のサンプルを集めた。そして大学で毎日嗅ぎ比べを繰り返すうち、バクストンは香水に共通する「ファミリー(香りの系統)」があることを自分で発見し、独自の分類体系を作り始めた。

「チプレとかフゼアという言葉は知らなかったけれど、共通点を持つグループがあることに気づいて、自分なりにカテゴリーを作った。一度か二度嗅げば、すぐ記憶できることもわかった。」

本番の収録では、緊張とライブの熱気の中で友人が記憶を飛ばしてしまい、賭けには負けた。しかしその数週間後、当時ドイツ最大の香料会社だったHaarmann & Reimer(ハールマン&ライマー、現Symrise=シムライズ)の担当者からスカウトが来た。

「調香師という職業が存在するとは、全く知らなかった。でも面白そうだと思って試してみることにした。」

こうして21歳のバクストンは、3年間の調香師トレーニングプログラムへの扉を開いた。

パリへ——そして「英国地下調香師」として

トレーニングを終えてジュニア調香師に昇格する直前、ハールマン&ライマーは3ヶ月間パリへの赴任を命じた。それが1988年のことであり、バクストンは以来ずっとパリに居続けている。パリでは香料会社ルジ(Luzi)でも活動した。

その後、ジバンシィ(Givenchy)、ヴェルサーチェ(Versace)、ヴァン クリーフ&アーペル(Van Cleef & Arpels)、パコ・ラバンヌ(Paco Rabanne)、ラガーフェルド(Lagerfeld)、バーバリー(Burberry)、カルティエ(Cartier)、ショパール(Chopard)など、世界的なラグジュアリーブランドの香水を手がけ、業界内で「英国地下調香師(English underground perfumer)」と自称するほど多くの作品を送り出した。

「私はまるで英国の地下調香師のようだった!」

コム・デ・ギャルソンとの出会い——名声を確立した転機

バクストンのキャリアにとって決定的な転機となったのは、1994年に手がけたコム・デ・ギャルソン(Comme des Garçons)の初フレグランスである。ラブダナム、スティラックス、シダーウッド、カルダモン、シナモンなど複雑なスパイスと樹脂を組み合わせたこの香水は、ファッションハウスをニッチフレグランスの世界に一気に押し上げ、「モロッコのスーク(市場)を想起させる官能的なアコード」として評価された。

フィナンシャル・タイムズのカレン・ウィーラーは次のように書いた。

「業界内や香水愛好家の間でバクストンの名は広く知られているが、彼はコム・デ・ギャルソンのために生み出した多くの前衛的な香水によって最もよく知られている。その中でもオリジナル作は、多くの人が最高傑作と称えるほどだ。」

その後もコム・デ・ギャルソン2(1999年)、コム・デ・ギャルソン2 マン(2004年)、シリーズ3 インセンス オワルザザート(2002年)など複数の名作を生み出した。また、ル・ラボ(Le Labo)のヴェティヴェール46(Vetiver 46)も手がけており、これも定番として愛される作品となっている。

決断——ビッグビジネスへの決別と自由の選択

25年以上にわたってメジャーブランドのために香りを作り続けたバクストンは、次第に大手の創造プロセスに幻滅を感じるようになっていた。

「プレステージ市場のブリーフはいつも同じだった。『彼女は30歳で、キャリアウーマンで、カブリオレに乗っている。次の香水は何?』——そんなコーナーを削られた創造性に嫌気が差した。そしてテストに次ぐテストで、最終的に何もかもが同じ匂いになってしまう。」

50歳になるタイミングで、バクストンは大手への依存をやめ、完全に独立することを決断した。

ブランド誕生——名前と権利を自ら取り戻して再出発

2008年、当初はバクストンのパートナーたちが彼の名前を使って「By Mark Buxton」としてブランドをローンチした。このときのフレグランスはカラフルなボトルに入れられて販売されていた。

その後、自らブランドの管理を引き受けた。パッケージは一新され、旧コレクションから2本(ウッド&アブサン=Wood and Absinth とブラック・エンジェル=Black Angel)を引き継いだ形で、2012年頃に「Mark Buxton Perfumes(マーク・バクストン・パフューム)」として正式にリブランドされた。

「旧コレクションからベストセラー2本を残して、4つの新作を加え、見た目も全部変えた。そうして自分の会社、マーク・バクストン・パフュームズを立ち上げたんだ。それが全ての始まりだった。」

ブランドのこだわり

香りづくりの哲学——「短い公式」と感情の分子化

バクストンの香りづくりの根幹にあるのは、「短いフォーミュラ(処方)」への強いこだわりである。

「短い処方の方がより直接的だ。私は処方の構造を音楽と比較する。短い処方はジャズのトリオやカルテットのようなものだ。マイルス・デイヴィスがフリージャズに移行したとき、音と音の間の間隔が大きいほど、聴衆が自分の想像力で空白を埋められると言った。香水も同じだ。15種類の素材しかない処方なら、人それぞれ少しずつ違う匂いを感じる。しかし50種類入った長い処方は、大きなオーケストラのようで想像力を奪ってしまう。」

この「感情を分子に変換する」という思想は、ブランドのコアメッセージにもなっている。香水は単なる臭いのマスキングではなく、着る人が自分の人生の「一瞬の体験」と重ね合わせられるような、感覚の結晶であるべきと彼は考えている。

クリエイティブプロセス——白紙から、抽象的に

バクストンは常に「白紙から始める」スタイルを一貫しており、既存の処方を組み合わせるような手法は取らない。

「クライアントには、できるだけ少ない情報だけをほしい、といつも言っている。多ければ多いほど創造性が狭まる。具体的なカスタマー像を延々と説明されるより、1枚の絵や色、曲名を渡してくれれば十分だ。そこから自分たちの流れに乗れる。」

現在はパートナーの調香師デヴィッド・シエズ(David Chieze)と共に作業を行っており、同じブリーフに対してそれぞれ独自の解釈を提案するというアプローチをとっている。また妻も調香師であり、行き詰まったときには見せることもある、と語っている。

素材へのこだわり——ニッチだからこそ使える高品質原料

バクストンが大手ブランドからニッチパフュームに移行した大きな動機の一つは、素材の自由度にある。

「大手ブランドと仕事をするとき、素材コストは1キロあたり23ユーロとか言われる。でもニッチなら200〜300〜500ユーロ、場合によっては700ユーロまで許容される。全然違う。ローズ・アブソリュートを10グラムそのまま入れたくても、大手ではできない。ニッチではそれができる。」

バクストンが特に好む素材として、ハイチ産ベチバー、ローズオイル、インセンス(乳香)オリスルート(アイリスの根)、そしてインド産サンダルウッドが挙げられる。サンダルウッドについては「香水全体をやさしく包み込む毛布のようなもの。天然の官能性と深みを与えてくれる」と語っている。

ボトル・パッケージデザイン——「バロックとパンク」の美学

ブラック・コレクションのボトルは、独特の楕円形シルエットに現代的なメタルストッパーを組み合わせたデザイン。

フリーダム・コレクション(Freedom Collection)のボトルについては、「バロックとパンクが共存するスピリット」として紹介されており、コレクション全体に通底する「ロック&ロール」の反骨精神を反映したデザインとなっている。

バクストン自身、アールデコを愛するアンティーク収集家でもある。こうした審美眼がボトルのデザインにも滲み出ている。


香水ラインナップ

マーク・バクストン・パフュームズは、大きく2つのコレクションと、外部コラボレーションによる特別なプロジェクトで構成されている。

ブラック・コレクション(Black Collection)——感情の断片を香りに

ブランドの原点となるコレクション。「香水は感情を分子に変換したもの」という哲学を体現し、誰もが経験したことのある「人生の一瞬」を香りに閉じ込めることを目指している。

バクストンが独立当初に自分のために残した2本(ウッド&アブサン、ブラック・エンジェル)を核として、現在は計8本で構成されている。すべて100ml・オー・ドゥ・パルファン。

フレグランス名主な特徴・インスピレーション
Black Angel(ブラック・エンジェル)NYのナイトクラブで出会った「黒衣の天使」のような女性。ジンジャー&マンダリンのトップ、ジャスミン&オリスのハート、スティラックス&アンバー&パチョリのベース
Wood and Absinth(ウッド&アブサン)暖かい木々とアブサン(苦味ある草本系ハーブ)の対比
Devil in Disguise(デビル・イン・ディスガイズ)「危険な神風」。紫のシルクドレスと夏の重い風。ブラックカラントバッド、ジンジャー、ルバーブ、マグノリア、パチョリ
Spiritual Healing(スピリチュアル・ヒーリング)もとの名称は「Sexual Healing」(2012年)。フローラル&ウッディ系
A Day in My Life(ア・デイ・イン・マイ・ライフ)日常のルーティンへの内省的な旅
Dreaming with Ghosts(ドリーミング・ウィズ・ゴースツ)コレクションに収録。詳細な一次情報は確認できず
Message in a Perfume(メッセージ・イン・ア・パフューム)モルディブの休暇から着想。ネロリ、マグノリア、ジャスミン、アンバーグリス、サンダルウッド
Emotional Drop(エモーショナル・ドロップ)コレクションに収録。詳細な一次情報は確認できず

ブラック・エンジェルの誕生秘話

バクストン自身がインタビューで語った、ブラック・エンジェルにまつわるエピソードは特に印象深い。

「彼女のことを今でも覚えている。NYのクラブで、煙草の煙が充満する中を、黒いドレスを着た女性が歩いてきた。その瞬間の強烈な美しさと優雅さを香りにしたかった。だからこそ、あのプロヴォカティブでスパイシーなノート——ジンジャー、カルダモン、ジンジャーブレッド——があり、そしてウォームでセンシュアルなアンバーがある。」

ちなみに、バクストンは母親に自作のブラック・エンジェルを贈り、母は時々それをまとう、と語っている。

フリーダム・コレクション(Freedom Collection)——解放と音楽

バクストンとデヴィッド・シエズが共同で手がけた最新のコレクション。クイーン(Queen)の楽曲「I Want to Break Free」からインスピレーションを受けた4本で構成され、すべて50ml展開。

ヴェティヴェール、アンバーグリス、ダヴァナ(Davana)という3つの共通素材が全作品に使われており、バランスの一体感を醸している。ユニセックスを意識した設計で、「男性的・女性的が溶け合う」という考えが反映されている。

フレグランス名クリエイター特徴
I Want(アイ・ウォント)David Chiezeフルーティ・シプレ系。赤い果実とブラックカラントのトップ、ホワイトフラワーのハート
To Break(トゥ・ブレイク)Mark Buxtonセダーとアンバーグリスのウッディ&ムスキー系。解放感
Free(フリー)David Chiezeインセンスとアンバーを軸にしたウッディ・オリエンタル系。ラブダナム、パチョリ、バーチ
Why Not a Cologne(ホワイ・ノット・ア・コロン)Mark Buxtonコロン仕立ての軽快な1本

最新作として Wild Wild Wood(ワイルド・ワイルド・ウッド) が追加されており、これもフリーダム・コレクションに属するフレグランス。アップル&パイナップルのフルーティなトップノート、マグノリア&ローズのハート、アンバー&ムスクのウッディなドライダウンで構成されている。バクストン自身が「ウッディ素材への愛の宣言」と語っている。​

ちなみに…

  • 映画「グランド・ブダペスト・ホテル」と1,000本限定の幻の香水:マーク・バクストン・パフュームズは、映画界とも縁がある。2014年のウェス・アンダーソン(Wes Anderson)監督作品『グランド・ブダペスト・ホテル』のプロモーション用に、パリのニッチフレグランスショップ「Nose(ノーズ)」の依頼でバクストンが調香したのが「ロー・ドゥ・パナッシュ(L’Air de Panache)」である。劇中に登場する架空の香水として設定された「L’エール・ドゥ・パナッシュ」は、映画の主人公であるコンシェルジュ・ギュスターヴ・Hのお気に入りという設定。バクストン自身は「ウェス・アンダーソンって誰だ?」と思いながら、土曜の朝8時半に電話がかかってきたのだと笑って語っている。製作期間はわずか数日。イスタンブールへの出張中にトレーラー映像を見ただけで処方をメモし、帰国後すぐに完成させた。製造本数は1,000本で、市販はされず、ベルリンの映画祭プレミアで報道陣に配布された。

「formula(処方)は今でも持っているから、安心してほしい。(笑)」

  • Noseパリの共同創業者として:バクストンはパリのニッチフレグランスブティック「Nose(ノーズ)」の共同創業者・投資家の一人でもある。2012年にパリのモントルゴイユ地区にオープンしたこの店は、500以上の香水と50を超えるニッチブランドを扱い、バクストン自身が独自の嗅覚分類システムを構築して、全フレグランスのカテゴリー分けを週次で行っている。

  1. Exclusive Interview with Parisian Perfumer Mark Buxton – Quintis – https://quintis.com.au/q-lab-knowledge-centre/blogs/exclusive-interview-parisian-perfumer-mark-buxton-and-his-fragrant-life
  2. An interview with Mark Buxton – Olfactif – https://www.olfactif.com/blogs/blog/11064749-an-interview-with-mark-buxton
  3. Interview: Mark Buxton On Perfume Mastery, Mimicry, and Moving Forward – The Fandomentals – https://www.thefandomentals.com/interview-mark-buxton-perfume-moving-forward/
  4. Mark Buxton on being the ‘nose’ for luxury houses – Tatler Asia – https://www.tatlerasia.com/style/beauty/perfumer-mark-buxton
  5. About us – Mark Buxton Perfumes 公式サイト – https://markbuxton.com/mark-buxton/
  6. Mark Buxton Perfumes – MUSC Perfume – https://muscperfume.ca/pages/mark-buxton
  7. Mark Buxton Perfumes Freedom Collection, new fragrances – NST Perfume – https://nstperfume.com/2020/10/01/mark-buxton-perfumes-freedom-collection-new-fragrances/
  8. La boutique parisienne Nose crée un parfum pour « The Grand Budapest Hotel » – Premium Beauty News – https://www.premiumbeautynews.com/fr/la-boutique-parisienne-nose-cree,6550
  9. Paris boutique Nose creates fragrance for ‘Grand Budapest Hotel’ – Yahoo News – http://sg.news.yahoo.com/paris-boutique-nose-creates-fragrance-39-grand-budapest-165257527.html
  10. Mark Buxton presents Wild Wild Wood – Nose Paris (YouTube) – https://www.youtube.com/watch?v=6jNJxbtQKyo
  11. Mark Buxton – NSTperfume 調香師プロフィール – https://nstperfume.com/perfumers-a-to-e/mark-buxton/
  12. Black Angel – Mark Buxton Perfumes 公式サイト – https://markbuxton.com/product/black-angel/
  13. Mark Buxton – Nose Paris 公式サイト – https://noseparis.com/en/noses/mark-buxton-nez
  14. Fragroom Interview With Top Perfumer Mark Buxton – https://fragroom.com/2017/05/11/mark-buxton-interview/
この記事を書いた人
Root

香りの学び場「ルシェルシェパルファム」の運営者。
元香水販売員で、現在はとあるIT企業の管理職。
香水への愛が抑えきれず、自身の学んだことをはきだすサイトを作ってしまう。エルメス・フレデリックマルを主に愛用。

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