基本情報
創設:1904年
創設者:エルネスト・ダルトロフ
公式サイト:英語(日本代理店はこちら)
最初からグローバルを目指したブランド
全く香水業界とは関係のなかった創業者エルネスト・ダルトロフは、自身の紳士服店が倒産すると、子供の頃に母親が就寝前につけてくれた香水の香りを思い出し、調香師になることを決心します。特に調香師のトレーニングは受けず、まず1903年に香水ブランドMaison Emiliaを買収します。翌年、1904年、弟とともに会社を設立すると、Mercerie Parfumerie Caronという香水ブランドを買収します。当時からグローバルマーケットを想定していたため、このブランド名から名前を少し変え、誰でも覚えやすく、どの言語でも発音しやすい「Parfums Caron(パルファムキャロン)」という名前を付けます。
1906年、のちのキャロンのアーティスティックディレクターとなるFélicie Wanpouille(フェリシエ・ヴァンプイユ)と出会います。彼女はキャロンのお店の近くで婦人帽子の職人をしていました。最初は彼女の顧客への紹介から始まり、やがてダルトロフとともにナルシスノワール、タバックブロンド、プールアンオムと素晴らしいクリエイションを生み出していきます。
1923年にニューヨークにブティックをオープンすると、ダルトロフは41年に亡くなるまでニューヨークにいます。
受け継がれる意志
創業者エルネスト・ダルトロフが亡くなると、フェリシエ・ヴァンプイユと彼の夫Jean Bergaud、そして彼のもとでアシスタントをしていたMichel Morsettiが跡を継ぎ、香水を発表していきます。
ヴァンプイユが引退すると、M&Aで買収によって何度も所属する会社が変わっていきます。1962年にはRevillon Freres、1997年にはL.T.Piver、翌年にはAles Groupe、2018年にはCettleya Financeが買収しています。1997年買収までは、途中、ジャンパトゥ出身のマネージャーがかつてのキャロンを取り戻そうと努力しますが、全く協力はしてもらえず、見限られていたようです。
さて、調香師はというと、Ales Groupeがコスメティックカンパニーであったため、かなり力を入れており、彼らが買収した後、アンドレ・フレイスの息子であるリチャード・フレイス(Richard Fraysse)をインハウスパフューマー(専属調香師)として迎え入れます。そして、2016年、リチャードの息子であるウィリアム・フレイス(William Fraysse)が跡を継ぎ、専属調香師となりました。
しかし、2018年の買収によって、再び専属調香師は変わることになります。新たに招かれたのは、高砂香料で22年勤め、ケンゾーのトーテムブルー(2015)やオーケストラパルファムのピアノサンタル(2019)を調香したジャン・ジャック(Jean Jacques)でした。当時LVMHからの買収話もあり、親会社が変わることによる香りの変化もファンからは恐れられていたようですが、Cattleya Financesのオーナーがキャロンを長らく愛用しており、買収後は、さらにキャロンのブランド価値が損なわれない運営になっています。