コティ(Coty)— 近代香水を発明し、再び香水の最前線に立とうとしているブランド

ブランド創業者

「女性に最良の製品を届け、美しくシンプルで趣味のよい完璧なボトルに収め、手頃な価格で提供しなさい。そうすれば、世界がいまだかつて見たことのない規模のビジネスの誕生を目撃するだろう。」

— フランソワ・コティ

基本情報

設立年: 1904年(パリ)
創設者: フランソワ・コティ(François Coty)— 本名ジョゼフ・マリー・フランソワ・スポトルノ(Joseph Marie François Spoturno)
公式サイト: https://www.coty.com / https://eu.infinimentcoty.com/

創設者・ブランドの成り立ち

孤児として生まれたコルシカ島の少年

フランソワ・コティは1874年5月3日、地中海に浮かぶコルシカ島のアジャクシオに、ジョゼフ・マリー・フランソワ・スポトルノとして生まれた。父親はジャン=バティスト・スポトルノ、母親はマリー=アドルフィーヌ=フランソワーズ・コティ——のちにブランド名の由来となる姓の持ち主だ。

幼少期は悲劇の連続だった。フランソワが4歳のとき、母が他界した。その3年後には父までが姿を消し、7歳の少年は曾祖母マリー=ジョゼフ・スポトルノの手で育てられることになった。曾祖母が亡くなると、今度はマルセイユに住む祖母アンナ・マリア・ベローネ・スポトルノのもとへ引き取られた。貧しいながらも教育を受けさせようとした祖母の努力もむなしく、授業料が払えなくなり、フランソワは学校を途中で辞めざるをえなかった。

マルセイユに出た若きフランソワは、女性向けのレース、リボン、リネンを売り歩く行商人として生計を立てた。この経験が、後年の香水セールスマンとしての直感——女性の好みを読み、美しい物語を売る技術——の土台となる。1893年から1898年頃には兵役に就き、そこで人生を変える出会いを果たすことになる。

パリへ——変貌の始まり

20代のフランソワは、兵役中に知り合った仲間のコルシカ人、エマニュエル・アレーヌ(Emmanuel Arène)の存在を頼りにパリへと向かった。アレーヌは、ジャーナリスト・劇作家・政治家で、コルシカ選出の下院議員という社会的地位の高い人物であり、フランソワの素質を見抜き、秘書として雇い入れた。「コルシカ出身の無名の青年が、一夜にしてパリの社交界の上層部にアクセスできるようになった」と伝記的研究は描く。

1900年はフランソワにとって激変の年だった。パリで才気ある帽子職人のイヴォンヌ・デュボワ・ル・バロンと結婚し、街角の薬剤師レイモン・ゴエリー(Raymond Goëry)とも友人になった。ゴエリーの調薬室で実験を重ねるうちに、フランソワは香りの世界に魅了されていく。しかし同時に、当時の香水が薬瓶のような無骨な容器に詰められている現実に強い違和感を覚えた。

このころ、アレーヌの紹介によってアントワーヌ=レオン・シラ(Antoine-Léon Chiris)上院議員とも知己を得た。シラ家はグラース——南フランスの「香水の都」——で何代にもわたって巨大な香料製造業を営む名門だった。フランソワはこの縁を手がかりに、1902年ごろ(一部の記録では1903年)グラースへと旅立つ。

香水の都グラースでの修業

グラースのシラ社工場でフランソワが学んだのは、19世紀後半に急速に発展していた「合成香料」の技術だった。当時の香水業界は、ソルベント抽出法の普及や新しい合成芳香化学物質の登場によって大きな転換期を迎えており、シラ社はその最先端にいた。フランソワは天然エッセンスと合成分子を組み合わせる配合技術を習得し、ほぼ1年後にはパリへ戻った。

グラースでの最大の収穫は、新しいフレグランス「ラ・ローズ・ジャクミノ(La Rose Jacqueminot)」の原型を持ち帰ったことだった。この香水には、ロダナール、イオノン、フェニルエチルアルコールといった合成分子が、ダマスクローズやセンティフォリアローズの精油と組み合わされていた——これは当時の香水産業においてきわめて革新的なアプローチだった。なお、当時確立されていた香水製造の訓練を体系的に受けていなかった点が逆にフランソワの強みとなり、既成概念にとらわれない発想を可能にしたとも評される。

「ラ・ローズ・ジャクミノ」の大ブレイク

パリに戻ったフランソワは、妻イヴォンヌとともにアパートを小さな製造工房に変え、「ラ・ローズ・ジャクミノ」の生産に取り組んだ。ボトルにはフランスを代表するガラス工房バカラ(Baccarat)のフラコンを選び、イヴォンヌがシルクのポーチや金色のビロードリボンで装飾を施した。1902年には、パリのヴァンドーム広場28番地に最初のブティックを開いている。

そして1904年——香水史に残る伝説的な「瓶の事件」が起きた。

正確な経緯は語り手によって微妙に異なるが、おおむね次のように伝わっている。
パリのグラン・マガザン・デュ・ルーヴル(Grands Magasins du Louvre)百貨店への売り込みを何度も断られ続けたフランソワは、ある日ついに辛抱が切れ、店頭で「ラ・ローズ・ジャクミノ」のボトルを落とし(あるいは投げつけ)た。芳醇な香りが店内に広がった瞬間、顧客たちが群がり、香水を求め始めた。大騒ぎに気づいた百貨店の責任者は、これほどの反応を引き起こした若者の実力を認め、売り場のスペースを提供することを決めた。

「瓶が割れ、その酔わせる香りが漂い始めると、群衆がコティへと押し寄せた。ラ・ローズ・ジャクミノはその後大成功を収め、フランスの香水ハウスを事実上立ち上げた。」

この一件が呼び水となり、追加注文が相次いだ。1906年、フランソワはわずか創業2年で百万長者となったと伝えられる。

また「スポトルノ」というコルシカ風の姓に代わって「コティ」という名前を選んだ理由については、アレーヌのアドバイスが大きかったとされる。母の姓「Coti」を英語圏でも発音しやすいよう「y」に変えたもので、「コティという名前は偉大さを意味する」と予言的に語ったとも伝えられる。

香水帝国の建設——ラリックとの協働

成功を収めたコティが次に着目したのは、香水の「見た目」だった。いかに優れた香りを持っていても、薬瓶のような容器に入っていては女性の心は動かせない——この確信のもと、コティはガラス工芸の巨匠ルネ・ラリック(René Lalique)に協力を求めた。

1900年の万国博覧会でコティとラリックはすでに出会っていた。1907年(一部文献では1908年)、コティはラリックに香水ボトルのデザインを正式に依頼する。ラリックはもともとアール・ヌーヴォーの宝飾職人として名を馳せていたが、このコティとの出会いが彼のキャリアを「宝飾家からガラス工芸家へ」と転換させた。両者の共同作業は香水業界に革命をもたらした——高品質な香りを芸術的に美しいボトルに収め、しかも手頃な価格で提供するというコンセプトが、初めて現実のものとなったのだ。

1907年には「レフルール(L’Effleurt)」のラベルデザインをラリックが担当し、1909年には最初の完全なボトルデザイン「シクラメン(Cyclamen)」が誕生した。このデザインは当初バカラで製造され、のちにラリックの工房で量産されるようになる。ニューヨーク5番街714番地に建てられた「コティ・ビルディング(Coty Building)」の3〜5階にあるラリックのガラスパネルは、アメリカに現存するラリックの唯一の建築的作品として、今日もニューヨーク市の指定ランドマークとなっている。

1909年、コティはパリ郊外スュレーヌ(Suresnes)に工場兼研究所を建設し、「ラ・シテ・デ・パルファン(La Cité des Parfums:香水の都)」と呼ばれる一大複合施設へと発展させていった。1915年には施設を5万平方メートルに拡張し、全盛期には9,000人の従業員を擁し、1日10万本のボトルを生産したと伝えられる。第一次世界大戦の前夜にはすでに、コティの香水はモスクワ、ニューヨーク、ロンドン、ブエノスアイレスにも支店を持ち、世界一の香水ブランドとなっていた。

1920年代の絶頂と晩年の翳り

1920年代、コティは絶頂期を迎えた。スイス、スペイン、イタリア、ドイツ、ルーマニア、ブラジル、アルゼンチン、メキシコへと販路を広げ、1922年にはニューヨークでコティ・インク(Coty Inc.)を設立、1925年には株式公開(IPO)を果たした。

一方でコティは政界にも足を踏み入れ、1922年には保守紙「ル・フィガロ(Le Figaro)」を買収した。しかしその後の政治活動は、反共産主義的・極右的な言動によって強い批判を受けることになる。1929年には妻イヴォンヌが離婚を申請し、法廷闘争の末にコティの財産の多くが彼女に帰属することになった。

1930年代に入ると、世界恐慌と度重なる法廷闘争で財産は急速に目減りしていった。1934年7月25日、フランソワ・コティはルーヴシエンヌの自宅で肺炎と動脈瘤の合併症により60歳で息を引き取った。

ブランドのこだわり

「民主的な贅沢」の哲学

コティの香水哲学の核心は、「最高品質の香りを、あらゆる社会階層の女性に届ける」という信念だった。当時の香水は上流階級の専有物であり、庶民には縁遠い存在だった。コティはそこに市場の空白を見た。

「私は調香師になるために生まれてきた。それは、私のために作られた職業だった。」

— フランソワ・コティ

この哲学は具体的なビジネス戦略に翻訳された。芸術的なラリックのボトルを高価格帯に置く一方で、同じ香りをシンプルな小瓶に詰めてより低価格で提供した。「香りが同じなら、庶民も贅沢を味わえる」というアイデアは、当時としては革命的だった。

また、コティは「フレグランスセット」という概念を発明したとされる。香水、パウダー、石鹸、クリーム、化粧品を同一の香りで揃えたギフトボックスがそれで、これにより香水は単体の製品から「ライフスタイルの提案」へと昇華した。

ボトルと包装——香水を「美術品」に

コティの包装哲学は、「香水は鏡台の上に置かれたときから、匂い立たねばならぬ」という一言に凝縮されている。当時の香水が薬瓶や無骨な容器に収められていたのに対し、コティはラリックとの協働によって、ボトルを「コレクターズアイテム」レベルの造形物へと変えた。この発想は、香水産業の流通モデルそのものを変えた——香水は薬局から応接室へ、そして百貨店の装飾品売り場へと引っ越してきたのだ。

印刷会社ドレジェ(Draeger)と組んで贅を凝らした包装を開発したことも、ブランドの視覚的アイデンティティを確立するうえで欠かせない要素だった。

天然と合成の「革命的ブレンド」

コティがいまなお「近代香水の父」と称される最大の理由は、天然素材と合成香料を組み合わせた革命的なアプローチにある。当時の確立されたフレグランスハウスが合成香料を避けていた時代に、コティは積極的にそれを取り入れ、より豊かで持続性の高い香りを実現した。コティ現CEOのスー・ナビはこう語る。

「コティは、パフォーマンスを高める合成物質の市場を追い詰めることで、近代的な香水を発明した。」

— スー・ナビ(コティCEO)

香水ラインナップ

フランソワ・コティが生んだ「香水の家系図」

フランソワ・コティが生前(1904〜1934年)に手がけたフレグランスは、今日の香水産業の礎を成す。なかでも特に重要な作品を挙げると以下のようになる。

ラ・ローズ・ジャクミノ(La Rose Jacqueminot, 1904年)
コティ最初のフレグランス。センティフォリアローズの精油に合成分子を組み合わせた、シングルフラワーフレグランスの先駆け。バカラのボトルに入れて発売された。

ロリガン(L’Origan, 1905年)
カーネーション、オレンジブロッサム、ヘリオトロープをヴァニラ系のアンバーベースに乗せた作品。パウダリーでウォームなソフトフローラル・オリエンタルという新ジャンルを切り拓き、後のゲラン「ルール・ブルー(L’Heure Bleue, 1912年)」の直接の先祖格とも評される。香水評論家は「当時のパリを席巻するトレンドを生んだ、質も高くかつ手頃な価格のフレグランスの最初の例」と記している。

アンブル・アンティーク(Ambre Antique, 1910年)
アンバー系フレグランスの先駆けとされる作品。ラリックがボトルをデザイン。

シプル・ド・コティ(Chypre de Coty, 1917年)
ベルガモット(トップ)、フローラル(ハート)、オークモス+ラブダナム+パチョリ(ベース)の構造で、「シプル(Chypre:キプロス)」という全く新しい香水ファミリーを定義した作品。イソブチルキノリンという新奇な合成成分を大胆に使い、地中海の海風、レモン畑、日差しの陰影を表現した。この構造はその後、ゲラン「ミツコ(Mitsouko)」、ディオール「ミス・ディオール」、クリニーク「アロマティクス・エリクシール」など20世紀を代表する傑作の雛形となった。

エメロード(Émeraude, 1921年)
ベルガモット、クマリン、ヴァニラのアコードが特徴のオリエンタルフレグランス。ゲラン「シャリマー(Shalimar, 1925年)」の着想源のひとつとも言われる。

レマン(L’Aimant, 1927年)
「愛する人」「磁石」を意味するアルデヒドフローラル。アルデヒド、ベルガモット、ネロリ、プラム、スミレ、ローズなどを含む複雑な構成で、1920年代の空気を色濃く纏う作品。

創業者の死後——変質と復活

遺産をめぐる争いと「格落ち」の始まり

フランソワが死去した1934年、コティの会社は存続したが、経営の主導権は大きく揺らいでいた。離婚訴訟の結果、コティ株の支配権は元妻イヴォンヌの手に渡っており、以後は創業者不在のままプロ経営陣が舵を取ることになった。1941年にはニューヨークのロックフェラーセンターに「メゾン・コティ」を開くなど、しばらくは表向きのブランド維持が図られた。

転落の引き金を引いたのは、1950年代の戦略的判断だった。ライバルのレブロン(Revlon)との消耗戦で経営が悪化したコティは、打開策として香水をドラッグストアの棚に並べる大衆路線に舵を切った

「ドラッグストアでの廉売を始めたことで、コティの地位と評判は著しく損なわれた。」

— ジェフリー・ジョーンズ(ハーバード・ビジネス・スクール教授)『Beauty Imagined: A History of the Global Beauty Industry』(2010年)

1963年、製薬大手ファイザー(Pfizer)がコティを買収した後も、この大衆路線は変わらなかった。フランソワが「最高品質の香りを、美しいボトルで、手頃に」と掲げた哲学は形の上では変わらなかったが、「美しいボトルで百貨店に」という部分が「安い瓶でドラッグストアに」にすり替わっていた。

ライセンス帝国への転換——ヨー・アー・ベンクッツァー傘下で

1992年、ファイザーはコティをドイツの複合企業ヨー・アー・ベンクッツァー(Joh. A. Benckiser GmbH)——ライマン(Reimann)家が率いる投資会社——に4億4,000万ドルで売却した。

ここから、コティのビジネスモデルは明確に転換する。自社ブランドの香水を育てるよりも、他社ブランドのライセンスを受けて香水を製造・販売する「ライセンス事業モデル」が主軸となっていった。グッチ、バーバリー、カルバン・クライン、マーク・ジェイコブス、クロエ——これらのブランド名を冠した香水はコティが製造しているが、売り場で「コティ」の名を見ることはなかった。

2013年にニューヨーク証券取引所(NYSE:COTY)へ上場し、2016年にはP&Gから41ブランドを125億ドルで一括買収して世界最大規模のフレグランス会社の一角に躍り出たが、それもあくまでライセンスブランドの集積によるものだった。

現在のコティのブランドポートフォリオは主に2つのセグメントで構成される。

プレステージ(Prestige)部門: グッチ(Gucci)、バーバリー(Burberry)、カルバン・クライン(Calvin Klein)、ヒューゴ・ボス(Hugo Boss)、マーク・ジェイコブス(Marc Jacobs)、クロエ(Chloé)、ティファニー(Tiffany & Co.)、ヴェラ・ウォン(Vera Wang)、ミュウミュウ(Miu Miu)、アレキサンダー・マックイーン(Alexander McQueen)などのフレグランスライセンスを中心とする。

コンシューマービューティー(Consumer Beauty)部門: カバーガール(CoverGirl)、マックスファクター(Max Factor)、リンメル(Rimmel)、サリー・ハンセン(Sally Hansen)などを擁する。

2024年——「コティ」の名を取り戻す

創業120周年にあたる2024年、CEOスー・ナビと創造的パートナーのニコラ・ヴー(Nicolas Vu)が発表した「アンフィニメント・コティ・パリ(Infiniment Coty Paris)」は、単なる新製品以上の意味を持っていた。実はこれが「Coty」という名を冠した高級フレグランスとして、数十年ぶりに世に出た自社ブランドだったのだ。コティ社のプレスリリースは「コティ初のコティ・ブランドのウルトラプレミアム・フレグランスブランド」と明記している。

「この会社は1904年以来、『初めて』の連続だった。だから私は120周年を前にして、こう言ったんです——『コティという名前に、もう一度実体を持たせたい。過去を振り返るのではなく、未来を見据えて』」

— スー・ナビ(コティCEO)​

チーフ・ブランズ・オフィサーのジャン・ホルツマンも、この取り組みの位置づけをこう語っている。

「スーは21世紀のビジョナリーだ。インフィニメント・コティ・パリで私たちは、コティが創業した瞬間に起きたことのエコーを作り出した。」

— ジャン・ホルツマン(コティ チーフ・ブランズ・オフィサー)

フランソワ・コティが1904年にグラン・マガザン・デュ・ルーヴルの床に香水瓶を割ってから120年。「コティ」という名前は、一時代にわたって香水の前線から消えていたが、再び自らの名で香りを語ろうとしている。

インフィニメント・コティ・パリ(Infiniment Coty Paris)

2024年、コティ創業120周年を記念して、コティCEOスー・ナビとクリエイティブパートナーのニコラ・ヴー(Nicolas Vu)が共同でプロデュースした全14本のジェンダーレス・ラグジュアリーフレグランスコレクション「アンフィニメント・コティ・パリ(Infiniment Coty Paris)」を発表した。

このコレクションの最大の特徴が、特許出願中の技術「モレキュラー・オーラ(Molecular Aura)」だ。従来の香水は「トップ→ハート→ベース」と時間とともに変化するピラミッド構造をとるが、モレキュラー・オーラは糖由来の分子を活用して香り成分の蒸発速度を均等に制御し、一日中(最大30時間)同じ香りを纏い続けることを可能にした。

「ピラミッドの代わりに、球体があります。全ての成分が同じ速度であらゆる方向に蒸発する球体です。朝6時に吹きかけた香りが、夕暮れ時にもまったく同じに香る。それが初めて実現できるようになりました。」

— スー・ナビ(コティCEO)

また、アルコール(香水の主成分)を100%リサイクル炭素排出由来で製造しており、サステナビリティへの取り組みも特徴のひとつ。

14本のフレグランスは「夜明け(Aube)」「昼(Jour)」「黄昏(Crépuscule)」の3フェーズに分かれ、1日の時間の流れを映し出す構成となっている。具体的なタイトルには「アントル・ジャンル(Entre Genres)」「ソレイユ・ディコシム(Soleil d’Ikosim)」「アプレ・ラムール(Après l’Amour)」「アリスト・シプル(Aristo Chypre)」などが並ぶ。ボトルは大文字の「I」の形を模したミニマリストなデザインで、ヴーがデザインした。

2024年3月にパリのマレ地区で最初のポップアップストアを展開し、ニューヨークのマジソン・アベニューにも「メゾン・オルヴェーダ」の中にフレグランスルームを設けた。

ちなみに…

  • コティとナポレオンの血縁
    フランソワ・コティは生涯を通じて、ナポレオン・ボナパルトのおばイザベル・ボナパルトに連なる家系だと主張した。出身地がナポレオンと同じアジャクシオであることもあり、本人はこの縁を誇りにしていたようだ。実際にコティは後年、ナポレオンから授けられた称号と紋章を持つ一族の分家を「発見」した。ただし血縁の確かさを一次資料で証明することは難しく、真偽は不明のままだ。
  • ヴァンドーム広場8番地「プチ工場」の誕生
    コティが最初のブティックを構えたのは、ヴァンドーム広場28番地(一部情報では6番地とも)だった。同広場には後にコティの隣人としてラリックも工房を持つことになり、ふたりの歴史的なコラボレーションを生む舞台となった。
  • 「香水の都」スュレーヌ
    コティが工場を築いたスュレーヌは、今日も香水の歴史の聖地として観光局が専門ガイドツアーを提供している。「マリー・アントワネットの調香師」ジャン=ルイ・ファルジョンの時代から香水と深い縁を持つこの街は、コティの「ラ・シテ・デ・パルファン」によってその名をさらに高めた。
  • ラリックとコティの「窓」がニューヨークを救った
    ニューヨーク5番街714番地の旧コティ・ビルディングは、1984年に解体の危機に瀕した。しかし建築史家アンドリュー・ドルカート(Andrew Dolkart)が、埃をかぶったガラスパネルがラリックの作品であることを発見。この発見がきっかけでビルはニューヨーク市のランドマーク指定を受け、現存する唯一のラリック建築装飾作品として保護されることになった。
  1. Parfumo — François Coty: A Revolutionary of Modern Perfumery – https://www.parfumo.com/Users/Mikayla/Blog/Article/francois-coty-a-revolutionary-of-modern-perfumery
  2. Coty公式サイト — Our Heritage: a beautiful story – https://www.coty.com/our-heritage
  3. Fumerie — François Coty – https://fumerie.com/parfumeurs/francois-coty
  4. Britannica — François Coty: Perfumer, Entrepreneur, Cosmetics Mogul – https://www.britannica.com/biography/Francois-Coty
  5. Wikipedia(英語)— François Coty – https://en.wikipedia.org/wiki/Fran%C3%A7ois_Coty
  6. Wikipedia(英語)— Coty – https://en.wikipedia.org/wiki/Coty
  7. CaFleureBon — Legends of Modern Perfumery: House of Coty and François Coty – https://cafleurebon.com/cafleurebon-legends-of-modern-perfumery-house-of-coty-and-francois-coty-1902-1928-coty-vintage-la-rose-jacqueminot-and-coty-chypre-draw
  8. PerfumeProjects — Francois Coty and the Coty Perfume Empire – https://www.perfumeprojects.com/museum/marketers/Coty.shtml
  9. Cosmeticsandskin — Coty – https://mail.cosmeticsandskin.com/companies/coty.php
  10. 10Magazine(日本語)— インフィニメント・コティ・パリがフレグランス界に起こす革命 – https://japan.10magazine.com/ja/infiniment-coty-paris/
  11. 10Magazine(英語)— Infiniment Coty Paris Is Set To Revolutionise The Fragrance Industry – https://10magazine.com/infiniment-coty-paris-10-magazine-issue-72-artist-portfolio/
  12. Premium Beauty News — Infiniment Coty Paris: how Coty combines innovation and heritage – https://www.premiumbeautynews.com/en/infiniment-coty-paris-how-coty,23522,en
  13. Harper’s Bazaar — How Infiniment Coty is redefining traditional fragrance – https://www.harpersbazaar.com/uk/beauty/fragrance/a61566375/infiniment-coty/
  14. Elle — Inside Coty’s New Infiniment Coty Paris Fragrance Collection – https://www.elle.com/beauty/a62868652/coty-infiniment-paris-fragrance-collection-history-chloe-boss-interview-2024/
  15. Bois de Jasmin — Revolutionary Perfume: A Brief History of Chypre – https://boisdejasmin.com/2020/06/revolutionary-perfume-a-brief-history-of-chypre.html
  16. Talk Fragrance — Chypre De Coty: A Perfume That Transformed Fragrance History – https://talkfragrance.com/chypre-de-coty-a-perfume-that-transformed-fragrance-history/
  17. Bois de Jasmin — Coty L’Origan and François Coty: Two Legends of Perfume History – https://boisdejasmin.com/2005/11/fragrance_revie_9-3.html
  18. MUS de Suresnes — La parfumerie(スュレーヌ市博物館資料)– https://mus.suresnes.fr/centre-de-documentation/grandes-thematiques/la-parfumerie/
  19. Design is Fine — René Lalique: Artistry in Perfume Bottles – https://design-is-fine.org/2025/09/08/rene-laliques-artistry-in-perfume-bottles/
  20. Lalique公式 — The Story of Lalique – https://fr.lalique.com/en/pages/story-of-lalique
  21. 6sqft — René Lalique’s windows saved this Fifth Avenue building from destruction in the 1980s – https://www.6sqft.com/rene-laliques-windows-saved-this-fifth-avenue-building-from-destruction-in-the-1980s/
  22. Wikipedia(英語)— Coty Building – https://en.wikipedia.org/wiki/Coty_Building
  23. DW — Coty buys P&G beauty brands – https://www.dw.com/en/pg-in-makeover-mode-as-it-sheds-brands-worth-125-billion/a-18575138
  24. Coty Inc. プレスリリース — Coty Completes Merger with P&G Specialty Beauty Business – https://investors.coty.com/news-events-and-presentations/news/news-details/2016/Coty-Completes-Merger-with-PG-Specialty-Beauty-Business/default.aspx
  25. Moodie Davitt Report — Coty celebrates 120th anniversary with olfactory exhibition in Paris – https://moodiedavittreport.com/on-location-coty-celebrates-120th-anniversary-with-olfactory-exhibition-in-paris/
  26. Pinup Magazine — Infiniment Coty Paris: A Story of Time and Space – https://www.pinupmagazine.org/articles/infiniment-coty-paris
  27. Mastermind Paris — Modernizing the Art of Perfumery with Sue Nabi and Nicolas Vu – https://mastermindparis.com/features/modernizing-the-art-of-perfumery-with-sue-nabi-and-nicolas-vu/
  28. CR Fashion Book — Infiniment Coty Paris: The Fragrance of the Future – https://crfashionbook.com/article/infiniment-coty-paris-fragrance-of-the-future/
  29. CaFleureBon — Infiniment Coty Paris Perfumes – https://cafleurebon.com/infiniment-coty-paris-a-salute-to-the-future-plus-from-dawn-to-dusk-giveaway/
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Root

香りの学び場「ルシェルシェパルファム」の運営者。
元香水販売員で、現在はとあるIT企業の管理職。
香水への愛が抑えきれず、自身の学んだことをはきだすサイトを作ってしまう。エルメス・フレデリックマルを主に愛用。

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