セルジュ・ルタンス(Serge Lutens)—自身の真の姿を浮かび上がらせる哲学的香水

ブランド創業者

「香水は私たちの最も深い部分に宿っている。それは自己表現の手段であり、自分自身を見つめ、真の姿を感じるための点と呼べるものだ。それはある意味、武器でもある——意図してというよりも、結果として誘惑するような」

— セルジュ・ルタンス​

基本情報

  • 設立年: 2000年(ただし資生堂との香水制作は1982年から)
  • 創設者: セルジュ・ルタンス(Serge Lutens、1942年3月14日生まれ)
  • 公式サイト: www.sergelutens.com(日本語版:www.sergelutens.jp
  • 現在の商標権: 資生堂(2015年に商標取得、ルタンスはクリエイティブ・ディレクターとして継続参加)

創設者・ブランドの成り立ち

戦争の傷の中に生まれた

1942年3月14日、フランス北部の工業都市リールで、セルジュ・ルタンスは第二次世界大戦の最中に生を受けた。その誕生は、当時の社会にとって「問題」だった——ヴィシー政権下のフランスでは、不貞行為を犯した女性は厳しく罰せられる法律が存在し、彼は婚外子だったのである。父親も祖父母もこの子供を望まなかった。しかし母だけが、彼を産み、守ろうとした。

「私は第二次世界大戦の最中に生まれた。当時、母は既婚者で、状況は複雑だった。……母は私を見捨てたのではない。しかし当時の法律が、彼女に私を手放すことを余儀なくさせた。母は自分自身と私を守るためにそうしたのだ。私は母の元を離れた。だが、母に捨てられたわけではない。ただ、母という存在が私の人生に欠けていた。そのことが、私の人格を形成した」

— セルジュ・ルタンス(英紙 The Independent インタビュー、2013年)

生まれてわずか数週間で母から引き離された彼は、複数の里親家庭を転々とすることになる。1943年、まだ幼子だったセルジュは、ナチスの空爆警報のさなか、防空壕へ駆け込む群衆の中で母の姿を見失った。その錆びついた螺旋階段をよじ登る恐怖の記憶は、後年パレ・ロワイヤルに開いたブティックの中央に、象徴として刻み込まれることになる。

14歳の見習い、黒を纏う

1956年、14歳のセルジュは、本人の意志とは無関係に、リール市内の美容サロンに見習いとして送り込まれた。俳優になることを夢見ていた少年にとって、それは望まない出発点だった。しかし彼は、その場所で目を開けた。真の優雅さと偽りの優雅さを見分ける観察眼を培い、いつでも小さなカメラを持ち歩いては写真を撮り続けた。

そこで彼が確立したのは、今日も変わらぬ彼のトレードマークだ——アイシャドウ、白磁のような肌、切りそろえた短い髪、そして黒。黒だけを纏い続けることは、彼の美学の核心となった。

18歳になったセルジュは、アルジェリア戦争の徴兵に召集される。一年間の兵役を終えた彼は、人生を根本から変える決意をした。1962年、20歳でリールを去り、パリへと向かった。

パリ、そして「ヴォーグ」への扉

「安心と欠乏の時代」と公式バイオグラフィーが記す最初の数ヶ月を経て、ルタンスは大きな賭けに出た。自ら撮った写真の大判プリントを抱え、「彼にとって美の本質であり、神話化した修道院」とも言える雑誌『ヴォーグ』のオフィスを訪ねたのだ。

「彼のインスタマチックカメラが、最高の扉をいくつも開けることになった。彼は1962年にパリにやってきた。20歳だった」

— ピエール・レスキュール(「Conversation」セルジュ・ルタンス公式サイト掲載)

編集長エドモンド・シャルル=ルー(Edmonde Charles-Roux)の目に留まり、わずか3日後にはヴォーグのクリスマス号に参加した。程なく、『エル』『ジャルダン・デ・モード』『ハーパーズ・バザー』からも呼び声がかかり、リチャード・アヴェドン、アーヴィング・ペン、ガイ・ブルダン、ヘルムート・ニュートンら当代最高の写真家たちと並んで仕事をするようになった。

クリスチャン・ディオール、そしてメイクアップ革命

1967年(資生堂公式プレスリリースでは1968年とも)、クリスチャン・ディオールが新たなメイクアップラインの立ち上げを計画し、若きルタンスに白羽の矢を立てた。26歳の写真家兼ヘアスタイリストに、ディオールがメイクアップ製品の開発を一任したのだ。

その革命性は「白」の使い方にあった。白を駆使した大胆なラインは、ファッション界に衝撃を与えた。アメリカ版ヴォーグの伝説的編集長ダイアナ・ヴリーランドは、彼の顔写真を誌面に掲げてこう謳った——「セルジュ・ルタンス、メイクアップの革命!」。1972年には、クロード・モネやパブロ・ピカソ、アメデオ・モディリアーニらに触発された写真群がニューヨークのグッゲンハイム美術館で展示され、1974年にはカンヌをはじめとする国際映画祭で上映された短編映画を制作した。

モロッコとの出会い——香りの原点

1968年(ディオールの仕事で初めてモロッコを訪れた年)、スークの近くに漂うシダーウッドの香りがルタンスを変えた。

「私はモロッコを訪れるまで特に香水に興味はありませんでした。いいえ、むしろ、香水を嫌っていたと言ったほうが正確でしょう。1968年にディオールの仕事でモロッコを訪れ、スークの近くから香ってきたシダーに夢中になりました。これが私の香りの原点です」

— セルジュ・ルタンス

10日間の滞在のつもりだったが、3ヶ月留まった。ヨーロッパとは異なる光と埃と香りの交差点——「自分自身への解決策を見つける場所」と彼が語るその地は、その後の彼の人生と創作の中心軸になっていく。1974年、彼はマラケシュのメディナ(旧市街)の心臓部に、廃墟同然のリアドを購入した。

「当時はここに変わり者たちが住んでいた。魅惑の場所だったよ」

— セルジュ・ルタンス(Nuvo Magazine, 2022年)

資生堂との邂逅——「シセイドー」を世界に

1980年、ルタンスは資生堂との協業に署名した。それはのちの資生堂の歴史を大きく塗り替える決断だった——当時、国際的にほぼ無名だった日本の化粧品会社を、1980〜90年代に世界市場の主要プレイヤーへと押し上げることになる。彼はメイクアップを設計し、パッケージをデザインし、広告写真を撮り、資生堂のビジュアルアイデンティティを根本から刷新した。その広告フィルムはカンヌ国際広告映画祭で「ライオン・ドール(金獅子賞)」を2度受賞した。

1982年、ルタンスは初めて香水制作に携わる。資生堂が世界に向けて放った最初の「洋風」フレグランス「ノンブル ノワール(Nombre Noir)」だ。香りは資生堂の調香師ジャン=イヴ・ルロワ(Jean-Yves Leroy)が担当し、ルタンスはその名前とコンセプトを設計した——黒のビジュアルと「黒の和声」という世界観は、当時のパッケージング概念を根底から覆すものだった。著名な香水評論家ルカ・トゥリンはこれを「世界の五大香水のひとつ、ただただ素晴らしい」と絶賛し、廃番後もヴィンテージボトルは高値で取引されている。

1992年——ニッチ香水の夜明け

1992年は、香水の歴史における特別な年だった。同年、ルタンスは3つの革命的な出来事を同時に達成した。

第一に、パレ・ロワイヤルの回廊深くに「レ・サロン・デュ・パレロワイヤル・シセイドー(Les Salons du Palais Royal Shiseido)」を開いた(2012年に「レ・サロン・デュ・パレロワイヤル・セルジュ・ルタンス」に改名)。このブティックへは、通りから直接入れない。パレ・ロワイヤルの庭園を通り抜けなければたどり着けない——それは、「鑑識眼を持つ顧客だけを引き寄せ、偶然の通行人は来させない」というルタンスの哲学の、文字通りの具現化だった。

第二に、「フェミニテ デュ ボワ(Féminité du Bois)」を発表した。この香りは1992年という年に起きた香水界4つの革命のうちのひとつとされ(ほかの3つはイッセイ・ミヤケ「ロー ドゥ イッセイ」、ムグレー「エンジェル」、エルメス「オ・パルフメ・オー・テヴェール」)、女性用香水には使われてこなかったシダーウッドを主役に据え、ジェンダーの境界を超えた前例のない世界観を創造した。「意図してユニセックスにしたわけではない」とルタンス自身は語るが、香水界における最初のユニセックス・フレグランスとして広く認識されている。調香はピエール・ブルドン(Pierre Bourdon)が発想を提示し、クリストファー・シェルドレイク(Christopher Sheldrake)が引き継いで完成させた。

第三に、このブティックとこの香りをもって、今日「ニッチ香水」と呼ばれる潮流の端緒をひらいた。

2000年——「セルジュ・ルタンス」ブランドの誕生

2000年、資生堂の財政支援と後押しのもと、ルタンスは「パルファン・ボーテ・セルジュ・ルタンス(Parfums Beauté Serge Lutens)」として独立ブランドを立ち上げ、後に「セルジュ・ルタンス」へと改名された。ブランドはその後、世界35カ国・約2000店舗に広がっていく。

2007年2月27日、フランス文化通信省はルタンスに「コマンドゥール・デ・ザール・エ・レットル(Commandeur dans l’Ordre des Arts et des Lettres)」——フランス芸術文化勲章の最高位——を授与した。授与式でルノー・ドヌ・ド・ヴァーブル文化大臣は彼を「真の審美家、感覚の金細工師、並外れたイメージの作り手」と讃えた。

2014年には、マラケシュのメディナに「セルジュ・ルタンス財団(Serge Lutens Foundation)」を設立。60棟ものリアドを集合させた3,000平方メートル超の迷宮のような空間は、1,000人以上のモロッコの職人たちによって形作られ、オリエンタル絵画の世界最大級の個人コレクション、膨大な香水アーカイブ、ボードレール・プルースト・コクトーの全集を収めた図書館を擁している。この館を彼は最終的にモロッコ国家に遺贈する意向を示している。

2015年、資生堂がブランドの商標権を正式に取得。ルタンスはクリエイティブ・ディレクターとして引き続きブランドを牽引している。

ブランドのこだわり

香りはアイデンティティを探す旅

ルタンスにとって、香りを作ることは物語を語ることだ。彼は自身を「調香師」ではなく、「花と木を通じてお伽話を語る物語作家」だと位置づけている。

「香水は、私たちの中に眠っている自己を呼び覚ます。それは鏡のようなもの——あなたがあなた自身を認識するのは、何かを発見するときではなく、何かを思い出すときだ。そのとき、あなたが認識するのは自分自身に他ならない」

— セルジュ・ルタンス(英紙 The Independent インタビューより)

香りのコンセプトは常に「物語」から出発する。完成まで最短でも1年、長ければ12〜17年を費やすこともある。「シェン(Chêne)」と「ヴェチベール・オリエンタル(Vetiver Oriental)」はともに15年がかりの創作だったとも語られている。

長年の相棒——クリストファー・シェルドレイクとの協働

ルタンスの香りを物質化してきた最大の共同制作者が、イギリス人調香師クリストファー・シェルドレイクだ。1980年代初頭にパリに移住し、クエスト(Quest)と資生堂を経てルタンスと組んだシェルドレイクは、22年にわたって50を超える香りを共同制作した。「フェミニテ デュ ボワ」(1992年)、「アンブル スュルタン(Ambre Sultan)」(1993年)、「キュイール・モーレスク(Cuir Mauresque)」(1996年)、「チェルギ(Chergui)」など、ブランドの中核を成す多くの名作が彼との共作だ。

黒という美学

ルタンスにとって、黒はすべての色の総和だ。10代の頃から黒以外の服を着ることはなく、そのこだわりはパッケージングにも反映されている。「コレクション ノワール(Collection Noire)」のシックな黒いフラコンは、ブランドのDNAを視覚的に表現する。さらに、オリジナルの「ベル・ジャール(Bell Jar)」と呼ばれる鐘型ガラス瓶も、ルタンスの代名詞的なパッケージだ——丸みのある肩と薬剤師のような蓋を持つこのボトルは、香水を「芸術品」として祀り上げる。

「アクセスしにくい」ということ

パレ・ロワイヤルのブティックには、通りから直接入ることができない。この地理的な「隠れ家」感は意図的なものだ。

「香水は毎日使うべきではないと思う。もし使うなら、あなたは自分自身に武器を与えているのだ——弱さを強さに変え、自分を守り、立場を表明するための」

— セルジュ・ルタンス(Kafkaesque Blogインタビューより引用)

香水ラインナップ

ルタンスはこれまでに約70作品の香水を制作してきた。現在のラインは大きくいくつかのコレクションに整理されている。

コレクション ノワール(Collection Noire)

ブランドのシグネチャーラインであり、最も広く流通している「エクスポート ライン」の後継にあたるコレクション。黒いスクエア型のボトルが特徴で、ブランドのDNAを最も直接的に体現する。代表作には「フェミニテ デュ ボワ」「アンブル スュルタン」「チュベルーズ・クリミネル(Tubéreuse Criminelle)」「ラ・フィーユ・ドゥ・ベルリン(La Fille de Berlin)」「フルール・ドランジェ(Fleurs d’Oranger)」「ドゥ・プロフンディス(De Profundis)」などが含まれる。

グラット・シエル(Gratte-Ciel)

「摩天楼」を意味するフランス語。1920〜30年代のニューヨークのスカイラインに着想を得た、スカイスクレイパー型のボトルが特徴のコレクション。「フィーユ・アン・エギーユ(Fille en Aiguilles)」「ド・プロフンディス」「チュベルーズ・クリミネル」「ミュスク・クブライ・カン(Muscs Koublai Khan)」「ボルネオ 1834(Borneo 1834)」などが収められている。​​

マタン・ルタンス(Matin Lutens)

最新コレクション。「水」をテーマにした清々しく瑞々しいラインで、「ローセルジュルタンス(L’Eau Serge Lutens)」「パロル・ドー(Parole d’eau)」「ダン・ルブルー・キ・ペティーユ(Dans le bleu qui pétille)」「ポワン・ドゥ・ジュール(Point du Jour)」が展開される。毎朝のルーティンを再解釈し、「自己の原点に立ち返る」感覚を香りで描く。

ベル・ジャール(鐘型フラコン)エクスクルーシヴ

長年、パリのパレ・ロワイヤルのブティックでのみ購入可能だった「パリ限定」コレクション。ガラスの鐘型フラコンに収められたこれらの香りはブランドの「最も純粋な芸術的表現」と称され、より実験的・前衛的な作品が多い。現在は一部が「グラット・シエル」に統合されるなどの変更が行われている。

ちなみに…

  • マラケシュの宮殿は「完成しない家」
    ルタンスが1974年に購入したリアドは、最終的に60棟ものリアドを取得・合体させた3万3,000平方フィート(約3,066平方メートル)の宮殿になった。1,000人以上の職人が参加し、施工は今もなお続いている。「この家には終わりがない。決して完成しない」とルタンスは語る。「これは家というよりも、執念だ」。モロッコ国王ムハンマド6世がこの建物を見て、直轄ホテル「ロワイヤル・マンスール」の客にVIPツアーを手配してほしいと頼んだとも伝えられている。
  • ルタンスは自身の香水をほぼ纏わない
    「香水を作りながら、香水を纏うことはできない」というのが彼の持論だ。かつて「キュイール・モーレスク」のボトル一本を全身に浴びたこともあったというが、今や香水は身につけない。それ自体が、彼の「香りは存在の武器である」という哲学の、逆説的な証明でもある。
  • 資生堂との「誕生日の一致」
    ルタンスと資生堂の協業を後押しした同社のグローバルイメージ担当、福原義春氏(当時)と、ルタンスは「同じ誕生日(3月14日)」という共通点を持っていたことも縁だったのかもしれない。
  1. Kafkaesque Blog “Serge Lutens Profile – Part I: His Childhood, His Early Years & What Drives Him” – https://kafkaesqueblog.com/2013/08/30/serge-lutens-profile-part-i-his-childhood-his-early-years-what-drives-him/
  2. Kafkaesque Blog “Serge Lutens Profile – Part II: Perfumes, His Inspiration & The Search for Identity” – https://kafkaesqueblog.com/2013/08/30/serge-lutens-profile-part-ii-perfumes-his-inspiration-the-search-for-identity/
  3. Nuvo Magazine “At Home With Perfumer Serge Lutens at His Palatial Riad in Marrakech” (Autumn 2022) – https://nuvomagazine.com/magazine/autumn-2022/at-home-with-perfumer-serge-lutens-at-his-palatial-riad-in-marrakech
  4. Sandra’s Closet “The Story of Serge Lutens” (2020) – https://www.sandrascloset.com/the-story-of-serge-lutens/
  5. FashionNetwork.com “Serge Lutens fait Commandeur des Arts et Lettres” (2007) – https://fr.fashionnetwork.com/news/Serge-lutens-fait-commandeur-des-arts-et-lettres,17963.html
  6. NST Perfume “Serge Lutens named Commander in French Order of Arts and Letters” (2007) – https://nstperfume.com/2007/03/02/serge-lutens-named-commander-in-french-order-of-arts-and-letters/
  7. Shiseido Corporate Press Release “Shiseido signed for purchasing Serge Lutens trademark” (2015) – https://corp.shiseido.com/en/news/detail.html?n=00000000000015
  8. Cosmetics Business “Shiseido completes Serge Lutens perfumes acquisition” – https://cosmeticsbusiness.com/shiseido-completes-serge-lutens-perfumes-acquisition–114441
  9. To Be Magazine “Serge Lutens is in Complete Harmony with His Perfume” – https://tobemagazine.com.au/serge-lutens-is-in-complete-harmony-with-his-perfume/
  10. Grey Magazine “An Interview with Serge Lutens” (2016) – https://grey-magazine.com/fashion/an-interview-with-serge-lutens/
  11. Grey Magazine “Serge Lutens, Palais Royal – Paris” – https://grey-magazine.com/travel/serge-lutens-palais-royal-paris
  12. Bois de Jasmin “Serge Lutens Interview: Stakes & Professions in Perfumery” (2008) – https://boisdejasmin.com/2008/04/serge-lutens-in.html
  13. Town & Country Magazine “Inside Serge Lutens’s Perfumed Palace in Marrakech” (2020) – https://www.townandcountrymag.com/style/beauty-products/a31291307/serge-lutens-marrakech/
  14. Du Jour “Take a Moroccan Mystery Tour” (2023) – https://dujour.com/life/serge-lutens-foundation-marrakesh-morocco-royal-mansour/
  15. System Magazine “Portfolio: Shiseido – Issue 9” – https://system-magazine.com/issues/issue-9/portfolio-shiseido
  16. Serge Lutens Official Website, Collection Noire – https://sergelutens.eu/collections/collection-noire
  17. Serge Lutens Official Website, Gratte-Ciel Collection – https://sergelutens.co.uk/collections/gratte-ciel
  18. Serge Lutens Official Website, Matin Lutens Collection – https://sergelutens.com/products/matin-lutens-discovery-set-3x10ml
  19. Wuju Perfume “Christopher Sheldrake” – https://www.wujuperfume.com/blogs/christopher-sheldrake
  20. Wikipedia “Serge Lutens” – https://en.wikipedia.org/wiki/Serge_Lutens
この記事を書いた人
Root

香りの学び場「ルシェルシェパルファム」の運営者。
元香水販売員で、現在はとあるIT企業の管理職。
香水への愛が抑えきれず、自身の学んだことをはきだすサイトを作ってしまう。エルメス・フレデリックマルを主に愛用。

Rootをフォローする
ブランド創業者
ルシェルシェアする
Rootをフォローする