調香史
私の香水は、その人を着飾るものではなく、外見だけに頼るためのものでもありません。その人の魅力を引き出し、影響を与えるものなのです。
The Scent of manインタビューより
(おそらく1958年)12月2日東京に生まれた大沢さとり氏は、学校から帰る度、ポケット植物図鑑を片手に歩き回り、小道の植物や花を持ち帰る子供時代を過ごしていました。母親と祖母は華道の先生であったため、花や植物には詳しく、これがさとり氏の調香師になる大きな動機の1つになったようです。
また、母は茶道家でもあり、炭から沸かすお湯の香りとインセンスの香りが子供の頃の香りの記憶として強く残っているようです。また、人生初の香水は、16歳のとき、父親が出張の帰りに買ってきたニナリッチのカプリッチでありました。ちなみに、母はロシャスの香水を使っていたようです。
調香師になるきっかけは、小学生のときに家で見つけて、読んだ本も1つ要因となっています。それはジャン・カールの元で学んだ資生堂の調香師 堅田道久 氏の著した『香水』でした。当時は深い関心は抱かなかったものの、植物や精油に徐々に興味を持つうちに、自身には香水業界しかないと感じ始めるのです。
12歳からは母の元、華道草月流、茶道裏千家を学び、師範、茶名取得しており、香道(三条西御家流)も学んでいます。
「全体の中の調和」を見ることが美しさに通じるということは、茶道や華道から学びました。床の間に置かれる花は、部屋の調度に合うものでなくてはなりません。私は調香にも同じ配慮が必要だと思っています。花をメインテーマとしても、それを引き立てるトップノートや支えるラストノートたちが過不足なく組み合わされ、花や風景と情緒をそっくり表現した香水を作りたいと思いました。
ZUU Onlineインタビューより
1988年にアロマテラピーのお店を東京で開きながら、自身のビジネス(香水ラインの開発と香水学校の運営)のために香水を学びます。
1998年、日本にてフィルメニッヒ社の元主任調香師であり高砂香料のフレグランス研究所長である、丸山賢次氏に師事します(ちなみに、現在はプロモツール株式会社の調香室長)。2000年にサロン開設、2003年に「パルファンサトリ」のブランドでコレクションの発表を開始。
2009年に株式会社パルファンサトリを設立します。
香水もただの消耗品であってはなりません。香水をまとうには、その時間と空間の中に美を感じ取る心が必要です。香りだけが強く主張するのではなく、「周囲との調和も考えて、全体の中で自分が美しいこと」こと。それが日本の美意識なのです。
大沢さとり氏(チューリッヒ芸術大学講演より)
パルファンサトリ
ブランド創設史
あまり自分を突出させることが好まれない日本の文化では、拡散性の強いものより、やさしく包み込むような香りがふさわしいはず。そうした日本人の感性を満たす香水をご用意したいと思いました。
そこで、自分自身のブランドを立ち上げるときには、日本人のメンタリティやライフスタイルに合う香水を考え抜きました。私が大切にしたのは「繊細」「調和」です。そう聞くと「目立たない無難な香り」を連想されるかもしれませんが、そうではありません。
ZUU Onilineインタビューより
2000年に創設したパルファンサトリは、当時、日本の香水ブランドの先人がほとんど無かったため、紆余曲折を経て、今にたどりつきます。これは当サイトが語るよりも、大沢さとり氏自身が書き綴った内容を見て頂くのが良いと考えます。ぜひ、下記からブランドエピソードをご覧ください。
ブランドのこだわり
私の香りの特徴は、一言でいえば「乾いている」ということです。
大沢さとり氏
ヨーロッパの香水を、そのまま日本でつければ、数倍は強く、濃く、長く感じるのは当然。
それらは、ヨーロッパの気候の中で際立つように作られているということである。日本で、香水嫌いの人が、「香水は強くて酔ってしまう」というのは「香水」のせいではなくて、「欧米向けの処方」の組み立てのせいだ。(中略)
ヨーロッパで販売するためにはヨーロッパで調香し、日本での販売には日本で調香しなければ、本当にその土地に適した香りはできない。
大沢さとり氏
先にテーマが決まって、香りがその目標に向かっていくこともあるし、出来上がってからしっくりくる名前を付けるのに苦労することもある。
大沢さとり氏
私が香水を創り出す際、大きく2つの方法があります。1つは自分がこれまでどこかで見て感動したり、心が動かされたもののイメージから始める場合。もう1つは興味深い原料を発見し、何かを作るインスピレーションが生まれたときです。
faurarインタビューより
私たちは花を愛でています。
それは、花の美しさだけに魅力があるのではなく、季節の巡り合いを愛しているのです。冬を耐える梅の香りに希望を見るから、春の訪れに心が華やぐ桜だからこそ、感動するのだと思います。
テーマはこうした喜びにも導かれて浮かんでくるように感じます。
感動のないところに創造はありません。
大沢さとり氏
人の心を動かすのは、そうして作られたものなのではないでしょうか?
日本には、すでに芸術としての香水を受け止める土壌はあります。ただ、センシュアルでファッショナブルをアピールする「西洋の香水文化」は育ちにくいかもしれません。「日本の香水文化」を育むには、日本に合った香水と、つけ方が必要なのです。私が日本スタイルの香水を作っているは、そういうわけなのです。
チューリッヒ芸術大学講演より
スクールについて
私のスクールは、調香師を訓練する目的だけではなく、香りが好きで学びたい人たちのために門戸を広くしています。しかし、だからといって内容が素人向けというわけではありません。パルファンサトリのノウハウを活用した実践的な教育カリキュラムを組んでいます。
faurarインタビューより
さとり氏は、調香師を目指す人のために門戸の広いスクールをブランド立ち上げ当初から開いています。このスクールの卒業生として、ブランドを立ち上げたリベルタパフュームが有名です。
2021年以降は諸事情により新規受講をしておらず、2023年をもってスクール閉講の予定となっております。
パルファンサトリの香り紀行(ブログ)
ブランド外での活躍
芸術作品は、「送り手である作者」と「受け手である鑑賞者」を結ぶ、「媒体」であると私は考えます。作者は周囲に存在する美を発見し、その感動を表現し、それをまた鑑賞する側が再発見します。
芸術は絵画や彫刻の中にあるのではなく、鑑賞する人の内面にあるのです。観る人に美意識がなければ、優れた芸術作品もガラクタです。
大沢さとり氏(チューリッヒ芸術大学講演より)
自身のブランドだけでなく、フランクミュラーのルームミストやかつてはL’Arc〜en〜CielのHYDEのコンサートグッズの香水の制作もしています。当サイトでは、主要な実績を掲載しますが、もっと読みたい方は下記のボタンから詳細を見ることができます。
E STANDARD
30年以上に渡り、サロン向け・ドラッグストア向けの商品を販売しているSUNTECは、2007年9月、大沢さとり氏が香りを制作したシャンプーE STANDARDを発売しました。トップノートからラストノートまで時間とともに変化するオリジナルの香りは、香水を意識して作られています。
日本を代表する調香師がコラボしているだけあり、香りだけではなく、成分や素材へのこだわりも相当あります。例えば、主成分の水は、ただの精製水ではなく、天然飲料水「日田天領水」を使用しています。その実力は5つ星ホテルにアメニティとして採用されていることからも分かります。(しかも価格が高くない点も◎)
また、SUNTEC Inc.とは、ドラッグストアで販売されるNudy Auraのヘアケアの香りも調香しています。
ホテルのアメニティ
①ザ・ペニンシュラ東京
ペニンシュラは2020年に世界10店舗地域ごとに、フレグランスキュレーターを起用し、各地にふさわしい香りの客室アメニティを生み出しました。ザ・ペニンシュラ東京のアメニティの香りは、大沢さとり氏が担当です。ニューヨークではIFFの調香師マッケンジー・ライリー、パリでは同じくIFFの調香師でイソップのタシットで有名なセリーヌ・バレルが担当しています。
ザ・ペニンシュラ東京のお客様の気持ちが安らぐような心地よい雰囲気の演出に、このフレグランスがお役に立てば幸いです。これは、自然への愛という普遍的な感性と、日本ならではの特徴を併せ持つ香りです。
大沢さとり氏
②HOTEL THE MITSUI KYOTO
2020年11月京都二条城の前に開業したHOTEL THE MITSUI KYOTO。「日本の美しさと - EMBRACING JAPAN’S BEAUTY-」というブランドコンセプトのもと、レセプションとバスアメニティの香りを大沢さとり氏が手がけました。
フランス調香師協会
大沢さとり氏は日本人でも数少ないフランス調香師協会の会員の一人です。1942年に設立されたフランス調香師協会は、900名以上の香水業界のプロフェッショナルが在籍しており、調香師以外にもマーケティングマネージャーや製造管理者などがいます。
フランス国際香水博物館
2019年11月13日、グラースの国際香水博物館(Musee International de la Parfumerie)に「サトリ」の茶壷型香水が日本の独立系調香師として初めて収蔵されました。