創設者と後継者
創設者アルフレッド・ドルセー
アルフレッド・ドルセー(本名:Alfred Guillaume Gabriel Grimod d’Orsay)は、1801年、将軍とパトロン(芸術を経済的にさせる人)の間に次男として生まれました。彼は成長していく中で、19世紀を代表する偉人たち(バイロン卿、アレクサンドル・デュマ、ヴィクトル・ユーゴー、ジョルジュ・サンド、チャールズ・ディケンズ、後の皇帝ナポレオン3世、フランツ・リストなど)と交流を深めていきます。そして、キャリアを成功させていき、最終的には、パリのアカデミー・デ・ボザールの校長になります。ちなみに、画家として生計を立てられるくらい才能があったようです。
1821年の夏、20歳になったドルセーは、ファッション界の偉大なリーダーと呼ばれるボー・ブランメルが亡命して離れたロンドンにジョージ4世の戴冠式のために赴き(その後すぐにロンドン社交界の中で最も有名なダンディとなる)、1人の女性と運命の出会いを果たします。それがロンドンの詩人で小説家であるマルグリト・ブレッシントン伯爵夫人でありました。彼女はアイルランドのブレシントン卿の妻で当時32歳前後でありました。
禁断の愛の幕開け。恋に落ちた2人は、ドルセーが1830年に彼女のために作った香水を秘密の瓶に隠し、2人で身につけるのでした。これが後に発売されるエチケットブルー(Etiquette Bleue、実は元々はオードゥブーケという名)と呼ばれる香水であります。
この香水は愛を表明する美しい香りだったのですが、ドルセー侯爵がつけることができたのは彼女の夫(ブレッシントン卿)を欺いて会いに行くときだけでした。
Marie Huet
伝説では、この香水には名前が書かれる前にブルーのラベル(フランス語でエチケットブルー)だけが貼ってあったそうです。青はマルグリトのお気に入りの色だったのです。
しかし、ロンドンの新聞はこの三角関係をひっきりなしに報じます。そんな中、1827年、ドルセーは、ブレシントン卿の前妻の娘で15歳のHarriet Gardiner(ハリエット・ガーディナー)と結婚をします。一方のブレシントン卿は1829年に死去し、マルグリトは未亡人となります。そして、1838年にはドルセー侯爵とハリエットは別居となります。
1849年、ドルセーは破産し、イギリスからパリに移ることになります。この際、マルグリトは全財産を売り払い、彼についていったようですが、その直後に心臓発作で齢59歳で亡くなってしまいます。何とか自身で生計をたてる必要のあったドルセー伯爵ですが、自身が仲良くしていたルイ=ナポレオン・ボナパルトのクーデターに反対したため、関係が悪くなり、国務を任せられず、上述の美術学校の校長となったようです。しかし、就任したもののすぐに脊椎炎にかかってしまい、1852年8月4日に妹宅で亡くなりました。そして、シャンブルシーにあるマルグリトのために設計したピラミッド型の墓に一緒に埋葬されました。このときまだ皇帝ではありませんでしたが、ナポレオン3世が弔問客として参列していたことからもドルセー侯爵がいかに重要人物だったかが分かります。
先見の明のあるドルセー伯爵が史上初めてアンドロギュヌスな香水をデザインしたのです。
Wallpaper.comより
さて、アルフレッド・ドルセー自身は香水を作っていただけで、実はブランドの創設には関わっていません。死後、処方を見つけた家族、そしてその後買収とリブランディングによって続いてきたブランドなのです(下記のリスト参照)。しかし、現在に至るまで変わらないのは、アルフレッド・ドルセーの趣向や哲学に合わせた香水(名前も含め)を販売しているということになります。
また、重要なことに、シャネルの2代目専属調香師となるアンリ・ロベールが働いており、伝説的なルダンディ(Le Dandy、1923)を調香し、1926年から継続的に働いていました。ちょうどその頃、バカラやラリックがボトルを提供していたようです。
- 1852年アルフレッド・ドルセー死去。
- 1865年家族がアルフレッドの作っていた香水の処方を発見し、パルファンドルセーを設立。アルフレッドの処方を元に、香水を販売。
- 1908年投資家であるLeo Fink、Siegred & Sally Berg、M. Van Dyck. Finkの4名が名前の権利を買い取り、フランセーズ・デ・パルファム・ドルセー社を設立。
- 1916年Jeanne-Louise Guérin(実業家ガストンの妻)とパリの百貨店ギャラリー・ラファイエットとパルファンシャネルの創業者の一人Théophile Baderが買収し、1931年には年間500万個の香水を販売達成する。
- 1983年1936年からJeanne-Louiseの息子Jacques Guérinが50年弱指揮を執っていたが、彼が81歳の時にドルセーのビジネスは幕を閉じる。
※ちなみに、彼はフランス文学が大好きで、ジャン・コクトーにラベルを創ってもらっていた。
- 1993年Groupe Marignanが権利を買い取り、1995年からディレクターClaude Brollの元で再建を目指します。が、叶わなかったようです。
- 2007年Marie Huetが買収し、新たなフレグランスとともにブランドを復活させる。彼女のおかげでフランス外への展開が始まった。
- 2015年アメリ―・フィン&メラニー・フインが率いるÆra Novaグループが買収。
- 2019年ドルセーの香水およびパリのブティックを一新。
後継者アメリー・フイン&メラニー・フイン
現在ドルセーを所有しているのは、アメリー・フイン(Amélie Huynh、アメリー・ユインヌ)が2011年に始めたÆRA NOVAグループ(「新時代」を意味する)になります。同グループはドルセー以外に、アメリーが立ち上げたジュエリーブランドのステートメント(STATEMENT)、メラニーが立ち上げたビューティーブランドのホリデルミー(Holidermie)、マルロメ城を所有しています。グループ自体がフランスとアジアを中心に展開していくことを想定しており、ドルセーが数少ないブティックを日本に作ったのはそれが理由のようです。
アメリー・フイン(Amélie Huynh)
ÆRA NOVAの代表取締役であるアメリーは、フランス人の母と中国人の父のもとにメラニーの2歳年下の妹として生まれました。2000年からISCパリビジネススクールで、ラグジュアリー業界におけるマーケティングを学んだアメリーはダイアモンド業界を最終目標においていました。
卒業後、ジュエリーが大好きだったアメリーは、2006年からショーメでプロダクトマネージャーとして入社します。その後、2008年からは、父のKim Huynhが代表を務めるDC&BVにてマーケティングマネージャーとして5年活躍をします。ちょうどその間にÆRA NOVAを起業したようです。(各メディアではショーメで8年間と言っているので、学生時代からショーメで働いていた可能性がある)
ちなみに、香水に興味を持ったのは、父親が小さな香水ブランドを所有していたため、目にする機会が多く、自身もミニチュアボトルを集めるのが好きだったからのようです。CKワンをはじめとして10代の頃から色々と試していたようです。
2018年には、アールデコやブルータリズム建築にインスパイアされたジュエリーブランドSTATEMENTを発表。2019年にはパリの7区にドルセーの旗艦店(ドルセーとマルグリトがやりとりしていた書簡を想起させる郵便局のイメージになっている)、2020年12月20日には2号店を東京の青山にオープンします。
メラニー・フイン(Mélanie Huynh)
アメリーの姉でÆRA NOVAのジェネラルディレクターであるメラニーは、17歳からファッションマーケティングを学び、メゾンマルジェラに入社します。その後は写真に興味を持ち、Vogueフランスで8年間ファッションエディターとして活躍しました。現在は、フリーランスのスタイリストとして、2007年の創業以来アルチュザラのコンサルタント、エリーサーブやランバン、ロエベといったブランドとコラボをしているようです。2014年から妹の会社に参加しています。
2019年には、ニュートリコスメのブランドHolidermie(ホリデルミー)を立ち上げます。ただのコスメではなく、栄養補助食品(サプリ)やエクササイズを含めたトータルビューティーを提案するブランドになります。ブランドを立ち上げるにあたり、彼女は自身のコネクションを使い、クラランスの元代表Isabelle Herbreteauや調香師フランシス・クルジャンと協力しました。ホリデルミーの商品の香りはクルジャンによって作られたマグノリアとローズの香りにアンバー調のウッディノートを組み合わせた香りになります。
姉妹は、家族が保有するマルロメ城を2017年に復興させ(一般公開している)、さらに敷地内に現代美術の展示スペースやワインのための葡萄畑も作っています。
Parfums D’Orsay
ボディフレグランスは愛の状態を探求し、インテリアフレグランスは愛の出会いのシーンを演出しますが、D’ORSAYが最終的に語るのは愛のみです。自己愛、兄弟愛、他者愛、多くの愛、どんな愛の状態であっても、それは普遍的なものだからです。それは、文字通り私たちをひっくり返すことのできる唯一の感情なのです。
アメリー・フイン
ドルセーの香水の名前はドルセーに関連する名前がつけられており、ドルセー侯爵の伝説に近い人生を知った上で知るとさらに趣深いと考えます。
例えば、稀代のファッショニスタでイギリスのボー・ブランメルに次ぐダンディズムの持ち主と考えられていたドルセー侯爵は、トナカイの手袋、狩猟用のセーム革の手袋、ロンドンへの移動用のビーバーの手袋、午後のショッピング用の編みこみ式の子供の手袋、晩餐会用の黄色の犬の革の手袋、そして最後に夜の舞踏会用の絹で刺繍された羊の革の手袋と、一日に6組の手袋を身につけることで知られていました。
ボディフレグランス
日本の方はあまり香水を使わないと言われていますが、ドルセーの繊細な香り方は洗練された日本のお客様の好みにマッチすると思います。ドルセーは希少なハイグレードの香料を使っていますが、一般的な市場にある香水のように強くは香りません。すごく繊細で肌になじむ、スキンパフュームです。だから、製品名もフレグランスではなく、ボディフレグランスとしています。
アメリー・フイン SPUR.JPインタビューより
ユニークなアイデアでほかのブランドと差をつけたいと考えたから。副題から香りにまつわるラブストーリーを感じてもらえるよう、あえて含みを持たせた。また、“秘密の愛”がブランドストーリーの根底にあるので、全てのイニシャルに秘密を感じるようにした。当時は通信方法が手紙しかなかったため、イニシャルでメッセージを送り合っていた。恋文の中に出てくるであろうフレーズを香りの副題に選んでいるのもそうした理由からだ。
アメリー・フイン WWDJapan 2022 12月インタビューより
「Equivocal Portraits(等身大の肖像)」と名付けられた香水のコレクションで、「自由、信頼、内省など、ジャンルではなく心の状態」を表現していると言われます。各フレグランスの名前は、決して明かすことはありませんが「ある人物(現代の人、昔の人、架空の人物)」の名前にちなんでつけられています。分かっているものは、Lady Blessington の L.B と Grimod Alfred (Alfred d’Orsay のオリジナルのファミリーネーム)のG.Aになります。
香水のイニシャル | 香水の名前 | 公式訳 | 調香師 | 過去の香水名 |
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A.C. | J’approchais un mystère. | 謎にせまっていた | アン・ソフィー・ベヘーゲル | |
A.N. | Acte d’amour furtif. | 隠密恋愛行為 | アメリ・ブルジョワ | |
A.R. | Les ombres fantastiques. | 幻想的な影 | アメリ・ブルジョワ | |
C.B. | Songe à la douceur. | 「心地よさ」とは | カリーヌ・シュヴァリエ | |
C.G. | Vouloir être ailleurs. | どこか他の場所へ行きたい | オリヴィア・ジャコベッティ | ティユル |
G.A. | Dandy or Not. | ダンディオアノット | シドニー・ランセッサー | ルダンディ |
J.R. | J’ai l’air de ce que je suis. | 自分らしさ | カリーヌ・シュヴァリエ | |
L.B. | À cœur perdu. | 心を込めて | ファニー・バル | エチケット・ブルー |
M.A. | Je suis le plus grand. | 最高の自分 | アン・ソフィー・ベヘーゲル | |
M.D. | Nous sommes amants. | 恋人同士 | ベルトラン・ドゥショフール | |
O.W. | C’est toujours agréable d’être attendu. | 私を待っている人がいる | アン・ソフィー・ベヘーゲル | |
P.S. | Jusqu’à toi. | あなたにとって | ニコラ・ボーリュー | |
R.B. | Une rose au paradis. | 楽園の薔薇 | キャロライン・デュムール | |
S.C. | Quelque chose dans l’air. | ただよう予感 | マーク・バクストン | |
T.J. | Il n’y a pas de bien ni de mal. | 善悪是非 | アメリ・ブルジョワ | |
V.H. | Te dire oui. | あなたにとってイエスと言う | ヴァンサン・リコー |
ホームフレグランス
「Stolen Moments(盗まれた瞬間)」と名付けられたこのコレクションは、インテリアフレグランスとも呼ばれます。「アーティストのスタジオでの夜の瞬間やダンサーの楽屋を覗いたときのような時間や場所」を思い起こさせます。
このシリーズには、フランスの宝飾工房でハンドメイドで作られた真鍮製フレグランスディフューザー(トーテム)や持ち歩きできるディフューザー(フェティッシュ)もあり、非常に美しい見た目となっています。また、キャンドルにリフィルがあるという斬新な発想も興味深く、ガラス容器にぴったりとおさまるワックスリフィルを作るのに相当な時間をかけたようです。
名前 | 公式訳 | 調香師 |
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00:00 Au sommet | 頂点で | ヴァンサン・リコー |
00:30 En bas de chez toi | あなたのアパートの前 | ヴァンサン・リコー |
02:45 Enfin seuls | ついに二人で | ヴァンサン・リコー |
03:50 Comme la dernière fois | この前と同じところ | オリヴィア・ジャコベッティ |
04:30 Par surprise | 不意打ち | ヴァンサン・リコー |
06:20 Où tu sais | あなたが知っているところ | |
09:15 En tête-à-tête | フェイストゥフェイス | ヴァンサン・リコー |
13:30 Au même endroit | いつものところ | ヴァンサン・リコー |
15:00 Entre tes mains | あなた次第 | ヴァンサン・リコー |
16:45 Mine de rien | 素知らぬ顔で | ヴァンサン・リコー |
17:30 Sans un mot | ひとことも言わずに | ヴァンサン・リコー |
19:50 En coulisses | バックステージ | ヴァンサン・リコー |
20:15 Presque prête | ヴァンサン・リコー | |
21:30 Sous les draps | ベッドの中 | ヴァンサン・リコー |
23:15 À l’abri des regards | 誰にも見えないところ | ヴァンサン・リコー |