Olibanum(オリバナム)── 物語を脱ぎ捨てた、祈りの樹脂の香水

ブランド創業者

“I wanted to create a brand without telling stories, focused on a sole raw material, with a reasonable ecological impact. I’ve been told I was crazy. It made me want to do it.”
(物語を語らず、ひとつの原料だけに集中し、環境負荷を抑えたブランドをつくりたかった。周囲には「正気か」と言われた。だからこそやりたくなった。)
── ジェラルド・ギスラン(Gérald Ghislain)


基本情報

  • ブランド名: Olibanum(オリバナム)
  • 読み: 「オリバナム」。乳香(フランキンセンス)のラテン語名であり、ボスウェリア・サクラの樹脂を指す。フランス語では「オリバン(Oliban)」とも表記される。
  • 設立年: 2021年(パンデミック渦中に構想、2022年に本格ローンチ)
  • 創設者: ジェラルド・ギスラン ── イストワール ドゥ パルファン(Histoires de Parfums)の創設者でもある
  • 本拠地: パリ、フランス
  • 公式サイト: https://www.olibanum.com
  • ブランドモットー: “When perfume becomes simple, conscious & committed”(香水がシンプルで、意識的で、コミットされるとき)

創設者・ブランドの成り立ち

物語を語り続けた男が、物語を捨てるまで

イストワール ドゥ パルファン ── その名が示すとおり「香水の物語」を20年以上にわたり紡ぎ続けてきたジェラルド・ギスランが、なぜ突然、物語のないブランドを立ち上げたのか。その答えは、彼が長年旅してきた道のりの果てにある。

ニッチ・フレグランスの先駆者として、ギスランは歴史的人物、詩、オペラ、音楽からインスピレーションを得た香水を世に送り出してきた。しかし、2000年代後半から2010年代にかけて、ニッチ香水市場は爆発的に拡大し、どのブランドも競うように「ストーリーテリング」を武器にするようになっていた。ギスランはこの状況をこう観察している。

“Perfumery – especially in the case of niche brands – has always told stories, but does it actually improve the scent?”
(香水──とりわけニッチブランドは──常に物語を語ってきた。しかし、それは本当に香りをよくしているのだろうか?)
── ジェラルド・ギスラン

ニッチ香水界が「入り組んだストーリーテリング」に埋もれ、本来の特異性──すなわち香りそのもの──から遠ざかっている。そう感じたギスランは、香水を「最も根本的な次元まで剥ぎ取る(stripping away)」というまったく逆のアプローチを試みることにした。

サラーラの婚礼 ── オリバナムとの運命の出会い

物語を捨てる決断に先立つ伏線がある。ギスランがオマーン国のサラーラ(Salalah)を訪れた際の出来事である。南部ドファール地方に位置するこの街は、古代から乳香(フランキンセンス)交易の中心地として知られてきた場所である。

この滞在中、ギスランはある結婚式のためにオリバナム(乳香樹脂)をベースとした香水の調香を依頼された。中東では、香水は祝祭の不可欠な要素であり、結婚式では各ゲストにその日の記憶を刻む香りとして贈られる。

ギスラン自身、この出会いについてこう語っている。

“It was love at first – or maybe second – sight. I understood clearly why that mineral resin was used to communicate with gods in the history of mankind. I became instantaneously fascinated by its delicacy, brightness, and sumptuousness: mineral, slightly lemony, woody, mysteriously balmy. I immediately knew it would be the touchstone of a new great adventure of mine!”
(一目惚れ──いや、二目惚れだったかもしれない。人類の歴史においてなぜこの鉱物的な樹脂が神との対話に使われてきたのか、はっきりと理解できた。その繊細さ、輝き、そして豊潤さに瞬時に魅了された。ミネラル感、ほのかなレモン、ウッディな奥行き、ミステリアスなバルサム。この素材が新たな偉大な冒険の試金石になると、すぐにわかった。)
── ジェラルド・ギスラン

この体験のあと、ギスランはいつかオリバナム(=フランキンセンス)をひとつのコレクションとして讃えることを自分自身に誓ったという。

2021年、パンデミックの最中に

その誓いが形になったのは、パンデミックの渦中だった。2021年、世界が立ち止まった時間の中で、ギスランはイストワール ドゥ パルファンとはまったく異なる哲学のブランドを立ち上げる。

公式サイトには、こう記されている。

“While Histoires de Parfums tells stories and spins dreams, Olibanum is all about the scent. If these creations are void of storytelling, it’s simply to return to and focus on the purity of the raw materials.”
(イストワール ドゥ パルファンが物語を語り夢を紡ぐのに対して、オリバナムは香りそのものがすべてである。もしこれらの作品に物語がないとすれば、それは単に、原料の純粋さに立ち返り、そこに集中するためなのだ。)
── 公式サイト

2022年3月、ギスランは正式に「Founder & Principal CEO」としてオリバナムの活動を開始し、同年のEsxence(ミラノで開催される世界最大級のニッチ香水見本市)にて本格的にお披露目された。18種の香水を一挙にリリースするという大胆なローンチは、業界の注目を集めた。

なぜ「オリバナム」なのか

ブランド名そのものが、その存在理由を物語っている。「Olibanum(オリバナム)」は乳香のラテン語名であり、ラテン語の “per fumum”(煙を通して) ── つまり「perfume(香水)」という言葉の語源とされる。古代エジプトのファラオ、ギリシャ・ローマの祭壇、インド、アフリカ、メソポタミアの神殿──世界中の文明において、オリバナムは金よりも貴重とされた聖なる素材であった。

ギスランは言う。

“Coveted by pharaohs and kings of antiquity, this burnt offering, which adorned altars around the world in India, Africa, Europe, and Mesopotamia, was believed to convey the prayers of rituals both sacred and secular.”
(古代のファラオや王たちに渇望され、インド、アフリカ、ヨーロッパ、メソポタミアの祭壇を飾ったこの焼き物は、聖と俗のあらゆる儀式の祈りを伝えるものと信じられていた。)
── ジェラルド・ギスラン

オマーンのサラーラからソマリアの「アフリカの角」まで、オリバナム(乳香)はボスウェリアの樹皮に切れ目を入れることで採取される。その香りは、ウッディ、アロマティック、バルサミック、ミネラル、スパイシー、そしてレモンのような多面性を持つ。

香水の「原点」ともいえるこの素材を、香水の「原点」に立ち返るブランドの核に据える──。その選択には、ギスランらしい鮮やかな論理が貫かれている。


ブランドのこだわり

三つの柱 ── シンプル、コンシャス、コミッテッド

オリバナムの哲学は、三つの柱で明確に定義されている。

1. シンプル(Simple)
「香水がその匂いを語り、語るとおりに匂う(Perfumes that say how they smell and that smell how they say)」。各フレグランスは、オリバナム樹脂とひとつの「主役原料(hero ingredient)」の二者を軸に構築される。余計な物語も、過剰なマーケティングもない。だが、シンプルであることはシンプリスティック(単純)ではない。ギスランの想像力が宿す「豊かなパティーナ(味わい深い質感)」と、オリバナム樹脂の神秘的でミネラルなシグネチャーが、香りに複雑さと深みを与えている。

2. コンシャス(Conscious)
環境負荷を最小限に抑えることが、あらゆる意思決定を駆動する。

3. コミッテッド(Committed)
オリバナムはかつて「受容とコミットメント」の道具であった──聖なるものに対しても、人に対しても。ブランドは収益の一部を人道支援プロジェクトに充てている。

香りづくりの哲学 ── 剥ぎ取りの美学

オリバナムのフォーミュラはミニマリストである。だがそれは「様式的効果」としてのミニマリズムではなく、「天然資源の使用を減らす」という必然に基づくものだと公式に明言されている。限りある資源や絶滅の危機にある素材を守るため、合成分子の使用を排除しない。ただし、使用する合成分子はすべて完全に生分解性であり、環境に配慮して設計されたものに限られる。

全フレグランスに共通して使用されるオリバナムは、ソマリア産のCO2抽出物である。超臨界CO2抽出法は、CO2を超臨界状態にして天然素材を処理する技法で、低温で蒸発するため最も揮発性の高い分子まで保持できる。環境への負荷が少なく、原料の「ほぼボタニカルな」嗅覚的品質を得られる方法である。

調香は著名なパフューマーたちが手がけている。オリジナル18作品の大部分はシルヴィ・ジュルデ(Sylvie Jourdet)が担当した。ISIPCAで学んだ後、クレアシオン・アロマティック社でキャリアを積んだジュルデは、古典的なフランス調香の精緻さとモダンな感性を兼ね備える調香師である。2024年に発売された19作目の「ネロリ(Néroli)」は、セリーヌ・ペルドリエル(Céline Perdriel)が調香した。ルカ・マフェイ(Luca Maffei)もコレクションへの貢献者としてクレジットされている。

調香オイルの製造は、南仏グラースの「アコール・エ・パルファン(Accords & Parfums)」が担う。20世紀を代表する調香師エドモン・ルドニツカが創設したこの工房は、クリスチャン・ディオール、エルメス、フレデリック・マルなどの調合を手がけてきた名門である。

パッケージ ── あらゆる「余計なもの」の排除

オリバナムのパッケージ設計は、環境配慮の徹底ぶりが際立つ。

  • ボトル: 通常の40%軽量なガラスを使用。製造時の素材・エネルギー消費と輸送時のCO2排出を削減。
  • ポンプ: スクリュー式ミストポンプ。ネジを簡単に取り外せるため、ボトル全体が完全にリサイクル可能。
  • キャップ: 存在しない。キャップの代わりにセキュリティクリップを採用し、部品点数を削減。同時に香水の意図しない蒸発も防ぐ。
  • 箱: リサイクル段ボール製。無漂白、無ニス。さらにリサイクル可能。
  • 接着剤・インク: 水性のみ使用。溶剤フリー。
  • セロファンラップ: 不使用。
  • アルコール: フランス産オーガニックアルコール。

エシカル・ソーシング ── 産地への還元

原料調達にも意識的な姿勢が貫かれている。

ソマリア産オリバナム: 超臨界CO2抽出により、環境に優しくかつ嗅覚的品質を保つ方法で取得される。

マダガスカル産ブルージンジャー: 「ジャンブル(Gingembre)」に使用されるブルージンジャーは、マダガスカルのヴォヒマナ(Vohimana)保護区で栽培されている。NGO「ロム・エ・ランヴィロヌマン(L’Homme et l’Environnement)」が管理するこの保護区では、現地で蒸留することで通常は乾燥過程で失われるフレッシュでレモンのような香気分子を保持している。ブルージンジャーの栽培は、極めて汚染的で破壊的な伝統的焼畑農業を抑制する効果もあり、地域社会に持続可能な代替収入源を提供している。

オーストラリア産サンダルウッド(白檀): 「キュイール・ヴェジェタル(Cuir Végétal)」に使われるサンダルウッドは、オーストラリア・クヌヌラ地域で先住民コミュニティの参加のもと栽培されたもの。しかも一度蒸留した後の残滓から二次抽出するアップサイクリング品であり、通常のサンダルウッドとは異なる──煮たプルーンやキャンデッド・アプリコット、ロースト、スモーキーなニュアンスの──個性的な嗅覚プロファイルを持つ。

人道支援 ── サンブル族への牛乳殺菌機

コミットメントの柱を体現する最初のプロジェクトとして、オリバナムはケニアのサンブル(Samburu)族コミュニティの支援を実施した。半遊牧民であるサンブル族にとって最も必要なのは経済的自立である。オリバナムは「ガゼル・ハランビー(Gazelle Harambee)」およびロム・エ・ランヴィロヌマンと協力し、牛乳殺菌機(ミルク・パスチャライザー)を資金提供した。これにより、コミュニティは山羊の乳を殺菌・生産し、近隣の孤児象保護施設に販売できるようになった。


香水ラインナップ

コレクションの構造 ── オリバナム + ひとつの主役原料

全フレグランスは「オリバナム + ひとつの主役原料」という統一された構造を持つ。主役原料がそのまま香水名となる、極めて直截的なネーミングである。公式にはコレクション全体が「同じ嗅覚構造(olfactory structure)」で設計されているため、すべての香水が相互にレイヤリング(重ね付け)可能であることが大きな特徴である。

2022年にリリースされたオリジナル18種は、カフルールボン誌によれば以下のように分類できる。

カテゴリーフレグランス名
木・樹皮サンタル(Santal)、ウード(Oud)、キュイール・ヴェジェタル(Cuir Végétal)
パチョリ(Patchouli)、マテ(Maté)
ローズ(Rose)、チュベルーズ(Tubéreuse)、オスマンチュス(Osmanthus)、サフラン(Safran)
果実ヴァニーユ(Vanille)、ユズ(Yuzu)、サクラ(Sacra)、オポポナクス(Opoponax)
種子アンブレット(Ambrette)、カルダモム(Cardamome)
イリス(Iris)、ジャンブル(Gingembre)、ヴェティヴェール(Vétiver)

2024年には19作目「ネロリ(Néroli)」が加わった。モロッコ・ケミセット県産のネロリを中心に、ベルガモット、オレンジブロッサム、ジャスミンが配された春夏向けの一本である。

サクラ(Sacra)── 原点の香り

「サクラ」は「ボスウェリア・サクラ」から名を取ったコレクションの原点ともいえる一本である。ソマリア産オリバナムの純粋さをモミのバルサムが昇華し、白いムスクのヴェールが全体を滑らかに仕上げる。ノート構成はローズベリー、オリバナム、シダー、パイン、モミのバルサム、ベチバーホワイトムスク。「原初の香水、ただそれだけ(The original perfume, simply)」という公式の説明が、オリバナムの哲学を端的に表している。

レイヤリングの遊び方

オリバナムの真価は、単体で完結する香水としてだけでなく、レイヤリングのツールとしての設計にある。公式サイトはこう謳っている。

“Olibanum thus revives the playful art of layering, the traditional Middle Eastern practice of superimposing several perfumes to create a unique and personal trail that can be changed at will.”
(オリバナムは、複数の香水を重ねて唯一無二のパーソナルな残り香を自在に変えるという、中東の伝統的なレイヤリングの遊戯的な技法を復活させる。)
── 公式サイト

天候、服装、気分に応じて組み合わせを変える──誘惑的な日にはウードとローズ、内省的な日にはサクラとイリス、というように。公式はレイヤリングの組み合わせを提案しているが、想像力だけが唯一の制約であるとされる。

12mlのトラベルサイズを2〜5本選んで自分だけのコンポジション・セットを組める仕組みも用意されており、複数の香りを持ち歩く楽しさが物理的にも設計されている。


ちなみに…

  • ギスランはサラーラでオリバナムに魅了されたと語っているが、あるインタビューでは自身の出身地を トゥールーズ だと述べている。トゥールーズは「スミレの街(la ville des Violettes)」として知られる都市である。最も過小評価されている香料は何かと問われたギスランは、迷わず「スミレ」と答えた。「必然的にスミレを思い浮かべる。”沈黙の花”だから。でもその葉のことになると、語り尽くせないほど饒舌になる」。
  • 「イストワール ドゥ パルファンとオリバナム、自分を香りで表すなら?」という問いに対し、ギスランはこう答えている。「イストワール ドゥ パルファンならアン・アパルテの三部作──イレヴェラン、ウートルキュイダン、プロリクス。オリバナムの場合は、全18種をレイヤリングしてようやく私の人格の一面が解読できるかもしれない。レイヤリング万歳!」
  • オリバナムの100%コットン・トートバッグは、フランスで織られたオーガニックコットン製で、売上は全額、ブランドが支援するNGOに寄付される。香水を運ぶために買うバッグが、そのまま社会貢献につながるという仕組みは興味深い。​​

  1. Olibanum Sacra, Vanille, Iris – Sylvie Jourdet(ÇaFleureBon) – https://cafleurebon.com/olibanum-sacra-vanille-iris-sylvie-jourdet-2022-plus-3-you-should-be-wearing-giveaway/
  2. Olibanum, perfume made simple, conscious and committed(Histoires de Parfums公式ブログ) – https://www.histoiresdeparfums.com/blogs/hdp-blog/olibanum-perfume-made-simple-conscious-and-committed
  3. Olibanum 公式サイト(トップページ) – https://www.olibanum.com
  4. Olibanum 公式サイト(USA版トップページ) – https://usa.olibanum.com
  5. Olibanum – Simple and reasonable fragrances(公式) – https://www.olibanum.com/pages/simple-and-reasonable-fragrances
  6. Olibanum Neroli(ÇaFleureBon) – https://cafleurebon.com/olibanum-neroli-celine-perdriel-2024-plus-sunshine-in-a-bottle-draw/
  7. OLIBANUM(Jovoy Paris) – https://www.jovoyparis.com/en/marques/535-olibanum
  8. Discover Olibanum – Simple, Conscious, Committed(Sniph) – https://www.sniph.co.uk/editorial/discover-olibanum/
  9. Olibanum – About us(公式) – https://www.olibanum.com/pages/about-us
  10. Olibanum: Niche Perfume Brand with the Art of Layering(Kams Paris) – https://kamsparis.com/en/blogs/history-of-niche-perfume-brands/layering-perfumes-with-olibanum
  11. Olibanum – Parfumo – https://www.parfumo.com/Perfumes/olibanum
  12. Olibanum – Commitment(公式) – https://usa.olibanum.com/pages/our-engagement
  13. Olibanum – Approach(公式) – https://www.olibanum.com/pages/our-values
  14. Gérald Ghislain – LinkedIn – https://www.linkedin.com/in/gérald-ghislain-2b952b1a5
  15. Sylvie Jourdet – Celeste Parfums – https://celeste-parfums.nl/en/collections/parfumeur-sylvie-jourdet
  16. Olibanum “Sacra”(Les Coquettes) – https://www.lescoquettes.it/best-sellers/olibanum-sacra/
  17. Olibanum – Discovery Set(公式) – https://www.olibanum.com/products/on-demand
  18. Olibanum – Layering(公式) – https://www.olibanum.com/collections/layering
  19. Perfume Chat Room, July 19(Scents and Sensibilities) – https://scentsandsensibilities.co/2024/07/19/perfume-chat-room-july-19/
  20. Accords & Parfums – About(Urban Scents) – https://www.urbanscents.de/en/lab-production
  21. Olibanum Pop-up Store Daikanyama(Le Sillage Kyoto / Facebook)
この記事を書いた人
Root

香りの学び場「ルシェルシェパルファム」の運営者。
元香水販売員で、現在はとあるIT企業の管理職。
香水への愛が抑えきれず、自身の学んだことをはきだすサイトを作ってしまう。エルメス・フレデリックマルを主に愛用。

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