Odeuropa(オデウロパ)— 文章と絵画から匂いの歴史を探り、博物館へ届ける研究

古書、試香紙、無銘の小瓶と樹脂を配した、匂いの歴史研究をイメージした温かな静物。上部にOdeuropaの文字。 香りの世界を広げる

「香りは、私たちの文化遺産の一部です。」

— インガー・レーマンス(Odeuropa研究代表)

昔の人々は、どのような匂いのなかで暮らしていたのだろう。肖像画の人物が手に持つ小さな香りの容器。運河の悪臭を訴える記録。説教の言葉が呼び起こす、煙と腐敗の気配。匂いそのものが消えても、それを嗅いだ人や想像した人の痕跡は、文章と絵画に残っている。

Odeuropa(オデウロパ)は、そうした痕跡を探し、読み解き、文化遺産として伝えるための欧州の研究プロジェクトである。AIで古い本や絵画を調べる仕事と、調香師が展示用の香りをつくる仕事。その間をつないだのは、歴史家、美術史家、文化遺産科学の研究者、博物館の学芸員たちだった。目指したのは過去を香りで飾ることではなく、人々が匂いに何を感じ、どのような意味を与えてきたかを、もう一つの感覚から考えることである。

Odeuropaの基本情報

正式名称:Odeuropa: Negotiating Olfactory and Sensory Experiences in Cultural Heritage Practice and Research
助成研究期間:2021年1月1日〜2023年12月31日
研究代表:Inger Leemans(インガー・レーマンス)
統括:オランダ王立芸術科学アカデミー(KNAW)のHumanities Cluster
助成:EUのHorizon 2020、助成契約番号101004469
公式サイト:Odeuropa

オランダ、フランス、ドイツ、イタリア、スロベニア、英国の6か国から35人の研究者が参加した。研究の中心となったのは、1600〜1920年頃の欧州の嗅覚文化である。助成研究は終了しており、現在はそこで生まれた検索ツール、百科事典、博物館向けのガイドなどが公開成果として残されている。

感覚の歴史から、国境と専門を越える研究へ

美術史家との出会いが開いた匂いの研究

レーマンスは2010年にアムステルダム自由大学の教授となり、同僚たちと感情と感覚を学際的に研究するACCESSを設立した。

そこへ、香りと芸術の関係を研究したいと訪ねたのが、美術史家Caro Verbeek(カロ・フェルベーク)である。未来派による香りの利用を探った彼女の研究が、匂いの歴史への関心を広げるきっかけとなった。

Odeuropaは2020年に対外的に始動し、EU助成による正式な研究期間は翌2021年からの3年間となった。各国の図書館、文書館、美術館には、デジタル化された大量の文章と画像がある。しかし、作品名や作者から検索する仕組みでは、そこに潜む匂いの経験を横断して拾い上げにくい。Odeuropaは、蓄積されたデジタル資料を「匂いから探せる」ようにする方法を開発した。

情報の抽出、歴史の解釈、来館者への提示

研究は大きく三つの仕事から成り立つ。まず、コンピュータービジョンと自然言語処理で、画像と文章から匂いに関係する情報を探す。次に、それらを共通の形式で結び、歴史的な文脈を読み解く。そして、研究成果を展示や街歩きへつなげ、来館者にどう届いたかを調べる。

この分担には意味がある。画像の中から香りに関係する物を検出できても、その物がなぜ描かれたのかは別に考える必要がある。文章に「悪臭」と書かれていても、誰が、何のためにそう呼んだのかで読み方は変わる。技術が見つけた手がかりに、歴史研究が問いを与え、博物館が人々に伝わる形を考えるのである。

AIは文章や絵画のどこから匂いを見つけるのか

花の名前だけでなく、嗅ぐ出来事を読む

文章の処理で重視したのは、匂いへの明示的な言及である。「バラ」という単語をすべて集めるのではなく、「匂う」「嗅ぐ」「悪臭がする」といった言葉の周囲から、匂いの発生源や性質を取り出す。単語帳に載ったバラと、誰かが甘い香りを嗅いだバラとを区別するためだ。

人が史料に印を付けた例を学習の手がかりにし、誰が何をどこで嗅いだのか、どのような言葉で表したのか、どんな感情と結びついたのかを扱う。研究用の多言語ベンチマークには、医学、法律、文学などの文章が含まれ、英語、イタリア語、フランス語、ドイツ語、オランダ語、ラテン語、スロベニア語の7言語が使われた。

一方、一般向けのSmell Explorerの公開説明では、収録資料はラテン語を除く6言語とされる。研究用に整えたデータの範囲と、公開検索サービスに収めた資料の範囲は同じではない。研究対象の時代についても、ベンチマークの1620〜1925年と、公開成果で示される1600〜1920年を、一つの数字へ揃えるべきではない。

絵画に描かれた物と、鼻をつまむ身ぶりを探す

画像からは、花や香水瓶など匂いに関係する物、匂いのある場所、嗅ぐ・鼻をつまむといった身ぶりを検出する。人が画像の該当箇所を示して学習用の例をつくり、それをもとに類似する要素を機械学習で探していく。

ただし、歴史画の物体認識には固有の難しさがある。時代や画風によって描き方が異なり、同じ種類の物でも姿が大きく変わる。研究者たちの画像認識課題ODORでも、学習例が少ない物の扱いが問題となった。絵画の細部を正しく見分けること自体が、研究課題なのである。

こうして抽出した文章と画像の情報は、European Olfactory Knowledge Graphへ整理される。知識グラフとは、物や出来事と、それらの関係を結び付けたデータベースのことだ。Smell Explorerはその情報を検索する入口となり、匂いの発生源、場所、時代などから史料をたどれるようにした。ここで扱うのは、画像や言葉に残る匂いの情報である。AIが画面から匂いの分子を測定したり、そのまま香りの処方を出力したりしているわけではない。

ウルム美術館で、肖像画の小道具が香りを持つ

ポマンダーが伝える、病への備えと祈り

2022年4月、ドイツのウルム美術館で、Odeuropaと香料会社IFFが協働した香りのガイドツアーが始まった。作品の中に描かれた匂いの手がかりを、来館者が実際に嗅ぐ香りと結び付ける試みである。

マルティン・シャフナーが1516年に描いた市参事会員アイテル・ベッセラーの肖像では、ロザリオから透かし細工の小さな容器が下がっている。ポマンダーと呼ばれる、香りの材料を入れる装身具だ。当時は悪い匂いが健康を害し、よい匂いが身体を守ると考えられた。肖像画の小道具には、病気への備えと祈りの習慣が重なっている。

IFFは、16〜17世紀のポマンダーの典型的な処方をもとに香りを制作した。香辛料やハーブ、バラに、アンバーグリスやシベットの要素を組み合わせる。描かれた容器の中身をそのまま分析できるわけではない。それでも、史料に残る処方を嗅ぐことで、装身具の豪華さだけでなく、香りを身近に携える意味へと視線が移る。

「地獄」の匂いは、歴史的な想像を解釈する

同じツアーでは、シャフナーによるキリストの冥府降下を描いた作品に「地獄」の香りを添えた。画面の煙と、地獄を煙、硫黄、腐敗に結び付けた宗教的な想像が、その手がかりとなった。IFFは煙の印象に、インドールやスカトールによる腐敗・糞便を思わせる要素を組み合わせた。

これは、かつて存在した地獄の空気を採取し直す仕事ではない。当時の人々が思い描いた恐怖を、絵画と歴史的記述から香りに解釈する仕事である。文化遺産科学者Cecilia Bembibre(セシリア・ベンビブレ)は、この制作についてこう述べている。

「研究者と調香師の協働によって、概念としての匂いの風景を呼び起こす香りをつくりました。」

— セシリア・ベンビブレ

調香師へは歴史研究に基づく制作要件が渡され、試作を歴史家、美術史家、香りの素材を知る専門家が評価した。嫌な匂いをどこまで強くするかも、展示の判断になる。観客が恐怖や不快さについて考えられることと、体験を続けられなくなることの間には、調整が必要だからである。

革の悪臭と手袋の香りを、試作で調整する

学芸員・研究者Lizzie Marx(リジー・マルクス)が指摘したのは、歴史研究と香水づくりの言葉のずれだった。

「香水づくりにおける革の香りは、歴史上のなめし革と同じではありません。」

— リジー・マルクス

ヘレナ・シェルマーの肖像画に描かれた手袋では、なめし革の悪臭と、それを覆う香料の関係を伝えようとした。IFFは美術館と研究者の意見を受けて試作を重ね、納得するまで3案を要した。ツアーでは、体験する人が量を調整できる手持ち式の乾式拡散器を採用した。香りを展示に加えるとは、制作から提示まで設計することなのである。

運河の匂いをつくることと、現存物を分析すること

17世紀のアムステルダムの運河では、公証人文書に残る苦情や、公衆便所が見える絵画などから、調香師が取り組める要件を組み立てた。

レーマンスは、それによって17世紀の運河がまさにその匂いだったと証明されるわけではないと強調する。再創作した香りは、どのような匂いがあり、それが人々にどう作用したのかを考える出発点である。

「これは、その匂いがどのようなものだったかを考えるための出発点です。」

— インガー・レーマンス

これに対して、現存する物なら、周囲の空気に放出される揮発性成分を採取するヘッドスペース分析などが使える。Odeuropaは、エリザベス2世が使用した歴史的車両Royal Car P5Bの車内の匂いを、分析データに基づく再構成の例として挙げている。

Heritage Smell Libraryは、このような分析に基づく再構成と、古い処方や歴史的研究に基づく再創作を区別する。試料とともに、その香りがどのようにつくられ、文化的に何を意味するのかを記録し、実物の試料はオスモテックに保管される。香りを残すだけでなく、後の人が解釈の根拠をたどれるようにするためである。

研究終了後も公開されるツールと成果

検索、読み物、展示づくりの三つの入口

Smell Explorerは、史料の中の匂いを検索するための入口である。公開説明では、約4万3千点の画像と16万7千点の文章を処理したとされる。2025年の成果紹介では、知識グラフに約250万件の匂いへの言及があると報告された。これは250万種類の匂いを再現したという数字ではなく、文章や画像から集めた記述・描写の規模を示している。

Encyclopedia of Smell History and Heritageは、それらの資料や専門研究を用いて、匂いの歴史を読み物として伝える。たとえばアンドリュー・ケトラーによる「Sulphur」は、硫黄に関係する匂いを、地獄の観念、火山、温泉、工業などへつなぐ。腐った卵に似た臭いは硫化水素などの化合物に関係するが、人々がその匂いに結び付ける意味は、宗教、健康、産業といった文脈によって変わる。化学的な特徴と文化的な意味を一緒に考える入口となる。

Olfactory Storytelling Toolkitは、博物館や文化遺産施設が香りを使うための実務ガイドである。所蔵品から香りの物語を探すこと、調香師と歴史的な香りをつくること、提示方法を選ぶこと、リスクを評価することを扱い、記入用のワークシートなど11の実用資料を伴う。ソフィア・コレット・エーリヒらによるこの仕事は、一度の展示で得た経験を、別の施設が検討し直せる方法へ変えている。

香りの試料集と、大阪での対話

IFFとのHistorical Scent Collectionには、ポマンダー、運河、地獄、香り付き手袋など12の香りが収められた。これは研究に基づく香りを共有する限定の試料集である。収録された「Beuning Room」と「Waterloo」は、Odeuropaの研究期間より前の2015年に、フェルベークの研究の一環としてIFFとアムステルダム国立美術館が開発したものだ。すべてをOdeuropaが新規に制作したと捉えると、それ以前から積み重ねられた研究が見えなくなる。

2025年4月には、レーマンス、ベンビブレ、ラファエル・トロンシーが大阪・関西万博を訪れ、EUパビリオンで成果を紹介した。会場の混雑を受け、街歩き型の体験から、見せ、語り、嗅いでもらう形式のセッションへ切り替えた。来場者との会話には、公園、花、海辺、香を焚く儀礼、畳など、日本の暮らしに根差す匂いが挙がった。歴史の香りを届ける場は、別の土地にある嗅覚の知識を聞く場にもなったのである。

同年、OdeuropaはEuropean Heritage Awards / Europa Nostra Awardsの研究部門で受賞した。2023年で助成研究は区切りを迎えたが、公開データ、解説、展示の方法は、その後の研究や教育に受け渡されている。

匂いを、歴史を考える手がかりにする

Odeuropaの仕事から見えてくるのは、過去の匂いへ近づくためには、香料だけでなく問いが必要だということである。何が匂ったのか。誰がそう感じたのか。なぜその匂いを、守るもの、恐れるもの、身分を示すものと考えたのか。

肖像画のポマンダーも、運河の苦情も、悪魔のまわりの煙も、そこから読み方が変わる。香りは視覚的な展示を豊かにすると同時に、史料にもう一度戻る理由をつくる。嗅いだ瞬間に過去が確定するのではなく、その感覚をきっかけに、過去の人々の暮らしと価値観を問い直していくのである。

参考文献

  1. VU Amsterdam「Interview | Inger Leemans」(2024年12月)— 研究の出発点と運河の再創作についての本人インタビュー
  2. CORDIS「ODEUROPA — Fact Sheet」— 正式名称、助成期間、統括機関
  3. Meertens Instituut「Odeuropa」— 研究の全体像と終了後に残る成果
  4. Odeuropa「Methodology」— 分野間の分担と研究方法
  5. Marieke van Erpほか「More than the Name of the Rose: How to Make Computers Read, See, and Organize Smells」(2023年)— 文章・画像からの情報抽出と知識グラフ
  6. Stefano Meniniほか「Odeuropa multilingual benchmark with olfactory information」— 7言語の研究用データセット
  7. Odeuropa Smell Explorer「About」— 公開検索ツールの仕組みと収録言語
  8. Mathias Zinnenほか「ODOR: The ICPR2022 ODeuropa Challenge on Olfactory Object Recognition」— 歴史的美術作品の物体認識の課題
  9. Odeuropa「NOW OPEN: Follow your Nose at Museum Ulm」(2022年)— ポマンダーと地獄の香りの制作
  10. CORDIS「Our sense of smell: a gateway to our collective past」(2024年)— ベンビブレの発言、再創作の評価、分析方法
  11. Olfactory Storytelling Toolkit「Case Study 6: Follow Your Nose! A Guided Tour with Smells at Museum Ulm, Germany」— リジー・マルクスのインタビュー
  12. Odeuropa「The Heritage Smell Library」— 再構成と再創作の区別、試料と記録の保存
  13. Odeuropa「Smell Heritage – Sensory Mining」— 公開成果と処理資料の規模
  14. Andrew Kettler「Sulphur」(2023年)— 百科事典における匂いの文化史の具体例
  15. Odeuropa「The Olfactory Storytelling Toolkit」— 展示制作ガイドの構成と共同執筆者
  16. Odeuropa「Historical Scent Collection」— 12の香りと2015年の先行研究
  17. Inger Leemans「Odeuropa @ World Expo2025 in Osaka」(2025年)— 大阪での成果紹介と来場者との対話
  18. European Heritage Awards / Europa Nostra Awards「Odeuropa」(2025年)— 参加者、成果規模、研究部門の受賞