香りを使った実験で課題の成績がよくなっても、本人の疲労感が軽くなるとは限りません。2018年の研究は、嗅覚受容体の反応を手掛かりに新しい混合香を作り、疲労を誘う課題中に提示しました。一部の正答率の変化に好ましい差が報告された一方、疲労感や反応時間には改善が確認されませんでした。
ただし、中心となる正答率について原著の統計結果に食い違いがあります。研究の面白さは、成績の結果だけでなく、「同じ受容体を刺激すれば、違う匂いでも似た働きが得られるか」を検討した点にあります。
青葉の香りと同じ受容体を、別の分子で刺激する
研究者が出発点にしたのは、青葉様の香りを持つcis-3-ヘキセノールとtrans-2-ヘキセナールの混合物、Hex-Hex Mixです。先行研究で疲労下の成績などへの作用が報告されていたため、その働きに鼻の受容体が関わるかを調べようとしました。
まず、392種類のヒト嗅覚受容体を培養細胞で調べ、この混合物に反応する6種類を見つけました。次に、177種類の香料から同じ受容体群に反応するものを探し、4成分からなるMCMPという混合香を作りました。
MCMPの成分は、メチルβ-ナフチルケトン、l-カルボン、メチルイソオイゲノール、酢酸フェニルエチルです。青葉様の元の混合物とは異なり、蜂蜜を思わせるフローラルな香りと記述されています。
細胞実験でMCMPが刺激した受容体は計10種類で、その中に元の混合物が刺激した6種類すべてが含まれていました。共有する部分はありますが、受容体の反応パターンが完全に同じだったわけではありません。
17人が、香りあり・水だけの両条件を経験
人を対象とする試験には、健康な男性17人が参加しました。連続する2日間に、MCMPを提示する条件と、水だけを同じ装置で提示する条件を一度ずつ経験し、どちらを先に行うかを無作為に割り付けました。
疲労を誘うための課題は40分間の「2バック課題」です。画面に次々と出る文字について、二つ前に出た文字と同じかを答え続けます。この間、MCMP条件ではディフューザーと定期的な噴霧で香りを提示しました。香りは感知できる強さで、無自覚の刺激を試した実験ではありません。
課題の直前と直後には、別の9分間の認知課題、主観的な疲労感の評定、指先の脈波を使う自律神経関連指標の測定を行いました。認知課題の中心は、信号の色と「赤」「青」という文字が一致する場合・一致しない場合に、文字の意味に従って答える課題です。
正答率には好ましい報告があるが、統計の記載が一致しない
研究者が強調したのは、色と文字が一致する試行での正答率の前後変化です。図ではMCMP条件の方が水だけの条件より好ましい変化を示し、前後差を条件間で比べた検定では、多重比較を補正した後も有意と報告されました。
一方、同じ正答率について、条件と時間の交互作用を調べる解析ではp=.40で有意ではないと記されています。前後変化が条件によって違うかを問う二つの解析なのに、前後差の検定はt=2.93で有意、交互作用はF=0.86で非有意という、整合しにくい数値になっています。
このため、正答率に好ましいパターンが報告されたことは紹介できますが、効果が統計的に確立したと強く結論付けるには、解析の確認が必要です。また、色と文字が一致しない試行では、同様の成績改善は確認されませんでした。
「疲れた」という感覚と、反応時間は改善しなかった
主観的な疲労感は、香りの有無にかかわらず40分の課題後に高くなりました。MCMPによって疲労感が軽くなるという条件差はありませんでした。
認知課題の反応時間にも香りの有意な効果はなく、脈波から求めた指標にも改善を示す明確な変化はありませんでした。著者は、もしMCMPの作用があるなら、本人の疲労感や広い身体反応より、特定の注意課題の成績に表れる可能性を考えています。
受容体から人の働きまで、まだ残る距離
この研究の新しさは、匂いの印象を似せるのではなく、受容体の反応を手掛かりに別の混合香を設計したことです。ただし、人の試験ではMCMPと水を比較しており、元のHex-Hex Mixを同時に比べてはいません。
共有する6受容体のどれかが成績に関わったのか、MCMPが追加で刺激した4受容体が関わったのかも、この設計では分かりません。別の香りを使う対照条件がなく、匂いがあることへの期待や快さの影響も切り分けられていません。脳活動を直接測定した研究でもありません。
17人の男性による短い実験であることと、正答率の統計記載の不整合を踏まえると、疲労回復の方法や慢性的な疲労への治療として扱う段階ではなく、受容体に基づいて香りを設計する探索的な試みとして位置付けられます。
まとめ
青葉様の混合物に反応する6種類の嗅覚受容体を手掛かりに、異なる香調のMCMPを作り、共有6種類を含む10種類の受容体の反応を確認しました。人の試験では、色と文字が一致する課題の正答率変化が水だけの条件より好ましいと報告されましたが、同じ結果に関する統計の食い違いが残ります。
主観的な疲労感、反応時間、自律神経関連指標には改善が確認されませんでした。香りの受容体反応、課題の成績、本人の疲れの感覚を、それぞれ分けて確かめる大切さが分かる研究です。
研究は花王の支援を受け、著者2人が研究当時同社の社員だったことを開示しています。同社の関連特許P6283579も記載されています。論文は、資金提供者は研究設計・解析・公表判断などに関与せず、試験した混合香は同社の販売製品ではないと説明しています。
参考文献
Saito N, et al. (2018). Involvement of the olfactory system in the induction of anti-fatigue effects by odorants. PLOS ONE, 13(3), e0195263. 原著論文・公開全文


