とても嫌な匂いから、どちらでもない匂い、とても好きな香りまで。好ましさは一本の物差しで表せそうですが、脳も同じ一本の仕組みで扱っているのでしょうか。2026年、Vivek Sagarらは、匂いを嗅いでいるときの脳活動を詳しく記録した既存データから、この問いを調べました。
見えてきたのは、嗅覚に関わる領域では快い匂いと不快な匂いの情報が分かれた形で表され、前頭部の一部では両者に共通する情報が現れるという結果です。その共通項は、好きか嫌いかの向きよりも、どちらでもない状態から、どれほど隔たっているかでした。
3人を、1人あたり約18時間調べた記録
解析に使ったのは、23~24歳の健康な3人が、160種類の単一分子の匂いを嗅いだときのfMRIデータです。各人を約18時間測定し、匂いの提示は1人あたり4,320~4,560試行に及びました。大勢を短時間測る代わりに、少人数を繰り返し詳しく測った研究です。
参加者は匂いの特徴も評価しており、好ましさは「とても嫌い」の−10から、「どちらでもない」の0、「とても好き」の+10までで答えました。各匂いの好ましさは少なくとも3回評価されています。研究者は、その人自身の評価に基づいて、快い匂いと不快な匂いを分けました。
注目したのは、嗅覚の情報処理に関わる梨状皮質と扁桃体、さらに眼窩前頭皮質と腹内側前頭前皮質という4領域です。fMRIは神経細胞を一個ずつ記録する方法ではなく、血流や血液の酸素化に関連する信号を、小さな区画ごとに捉えます。今回は、その区画が集まってつくる活動のパターンを分析しました。
好き嫌いの「向き」と、中立からの「距離」
研究者は、好ましさの評価から二つの見方をつくりました。一つは、嫌いから好きへ進む向きのある尺度です。−8と+8なら、正反対の側にあります。
もう一つは、0からどれほど離れているかを見る尺度です。−8も+8も、中立からの隔たりは8になります。著者らはこの絶対値を「顕著性」として扱いました。とても快い匂いも、とても不快な匂いも、感情的な意味合いが大きいという見方です。
ここでいう顕著性は、匂いの濃さや強さそのものではありません。また、目を引く程度、覚醒度、注意の向き方を直接測った値でもありません。「顕著性」には研究分野によってさまざまな意味がありますが、この論文では好ましさの絶対値という定義を使っています。
一方の匂いで学んだ関係は、もう一方にも使える?
最初に、快い匂いと不快な匂いをまとめて解析すると、4領域の活動パターンから、好ましさや顕著性の評価と関連する情報を取り出せました。さらに、快い匂いだけ、不快な匂いだけに分けても、それぞれの範囲で好ましさを予測することができました。
ただし、それだけでは、好きと嫌いが同じ仕組みで表されているかは分かりません。そこで研究者は、快い匂いでの活動と評価の関係をモデルに学習させ、不快な匂いにもその関係を使えるかを調べました。逆に、不快な匂いで学習して、快い匂いへ当てはめる解析も行っています。
梨状皮質と扁桃体では、一方で学んだ関係をもう一方へ移す予測は、有意な成績を示しませんでした。同じ領域の中に快・不快それぞれの情報はあるのに、片方の規則がもう片方へ通じにくい。著者らは、この結果を、快い匂いと不快な匂いの好ましさが、分かれた活動パターンで表現されることを示唆するものと捉えています。
これは、梨状皮質が好き専用、扁桃体が嫌い専用という意味ではありません。両方の領域で、両方の種類の匂いの好ましさに関わる情報が見られたうえで、その表し方が共通とは限らなかった、という結果です。
眼窩前頭皮質では、強い快と強い不快がつながる
眼窩前頭皮質では、別の形の共通性が見つかりました。一方の種類の匂いで学習した予測をもう一方へ移すと、実際の好き嫌いの点数とは逆向きの関係が現れたのです。著者らの枠組みでは、強い快と強い不快が、どちらも中立から遠いという共通の特徴で表されているときに予想される結果です。
領域をさらに細かく分けると、この関係が有意だったのは眼窩前頭皮質の「11野」でした。一方、嫌いから好きまでを同じ向きでつなぐ、一本の好ましさの尺度を示す結果は、この交差した予測では得られませんでした。
著者らは、嗅覚領域の分かれた情報が、前頭部では快・不快をまたぐ顕著性として統合されると解釈しました。いい匂いと嫌な匂いを同じ感覚にしてしまうのではなく、向きは違っても、どちらも感情的に大きな意味をもつという側面を共通に扱う可能性があります。
脳から好みを正確に読めるようになった?
今回の予測は、個人の記録の一部を学習に使い、別の記録で評価する解析です。誰にでも使える香水の好み診断をつくったわけではありません。全体の好ましさや顕著性を予測したとき、予測と実際の評価の相関は、領域によっておおむね0.07~0.16でした。有意な関連があることと、一回の体験を高い精度で読み取れることは別です。
試行が何千回あっても、参加者は3人です。同じ人の中の関係を詳しく捉える力と、多くの人へ一般化できる範囲は区別する必要があります。また、fMRIの一区画には多くの神経細胞と血管の影響が含まれます。予測が片方の匂い群へ通じなかっただけで、細胞レベルで完全に独立した回路があると証明されたわけでもありません。
研究者は匂いの強さ、呼吸、測定区画数などの影響も検討しましたが、脳の領域を刺激したり抑えたりして因果関係を調べた実験ではありません。情報が実際にどの経路を通り、いつ統合され、その結果どんな行動が起きるかを、この解析だけで確定することはできません。
まとめ
今回の解析は、匂いの好き嫌いを、脳のどこでも一本の物差しに載せているわけではないという見方を示しました。梨状皮質と扁桃体では快・不快に分かれた表現が示唆され、眼窩前頭皮質、とくに11野では、中立からの隔たりという共通項を扱う結果が得られました。
著者らは、分かれた情報をまとめる仕組みには、状況に応じて意味づけを変えられる利点があると考えています。近づきたい匂いと避けたい匂いを区別しながら、どちらが今の自分にとって重要かを扱う。その柔軟な統合が行動を支えるという仮説へ、この研究は具体的な手掛かりを与えています。
参考文献
Sagar, V., Zelano, C. M., & Kahnt, T.(2026). Separable and integrated pleasantness coding for appetitive and aversive odors across olfactory and ventral prefrontal cortices. Nature Communications, 17, 6732. DOI: 10.1038/s41467-026-73001-7 / 原著全文。
原著の公開ライセンス:CC BY 4.0。米国NIH著者の寄与は米国政府著作物として扱われます。


