分子の構造を見せるだけで、「フローラル」「ウッディ」「ムスク」といった香りの言葉を予測できるのでしょうか。2025年、Jinyoung Suh、Yeonju Hong、Chunho Parkは、8,681種類の分子と既存のにおいの記述を使い、機械学習に分子をどう表すと予測しやすいかを比べました。
研究の目的は、一つの高性能モデルを示すだけでなく、分子の部分構造や物性のうち、どんな情報が香りの分類に役立つかを調べることです。さらに、モデルが学んだ香りの言葉同士の関係を、地図のように表すことにも取り組んでいます。
人を新たに集めた実験ではなく、記述を集めた研究
研究者らは、香料の資料集やデータベースなど、十の情報源にある記述を統合しました。対象は8,681分子で、8,681人が新たに嗅いで評価したという意味ではありません。
同じにおいでも、資料によって表記や言い回しが異なります。そこで、国際香粧品香料協会(IFRA)の用語を優先し、香りの専門家の助けを借りて、誤記や表現の揺れを整理しました。候補となる記述語は200種類で、そのうち100種類には30件以上の記録がありました。
一つの分子に、一つの言葉だけを割り当てるわけではありません。同じ分子が「フローラル」であり「スパイシー」でもあるように、複数の言葉を同時に予測する課題です。
分子を三通りの方法で表した
第一の方法は、分子がどんな官能基を持つかを見るものです。官能基とは、アルデヒド基など、化学的な性質に関わる原子のまとまりです。あらかじめ決めた部分構造が、あるかないかを数値にしました。
第二の方法は、分子の重さ、油になじみやすさ、極性に関わる表面の大きさなど、分子全体の特徴を使うものです。細部のつながり方より、物理化学的な性質をまとめた表現です。
第三の方法は、原子の周りにどんな原子がどうつながっているかを、小さな部分構造ごとに記録する「Morganフィンガープリント」です。人の指紋を使うのではなく、分子の特徴を並べた数値の符号を、指紋になぞらえて呼んでいます。
この符号が主に表すのは、二次元の結合関係です。入力を整えるため三次元構造を計算する工程はありますが、香りの受容体に分子がどう収まるかを、立体的に直接シミュレーションしたものではありません。
三つの学習法と組み合わせ、九通りを比較
それぞれの分子表現に、三種類の機械学習法を組み合わせ、計九通りを比べました。いずれも、特徴によってデータを分ける判断を多数組み合わせる、決定木に基づく手法です。
データは学習側とテスト側に分け、学習側では五分割の交差検証も行っています。学習に使う部分と評価する部分を入れ替え、特定の分け方にだけ良い成績が出ていないかを調べる方法です。
平均的な性能では、MorganフィンガープリントとXGBoostという学習法の組み合わせが、最も良いバランスを示しました。あらかじめ選んだ官能基だけを使う方法より、原子の周りの細かなつながりを表す方法が役立ったという結果です。
97.8%でも、見逃しは少なくない
この組み合わせのテスト結果では、「その言葉が付く・付かない」を合わせた正確さが97.8%でした。ただし、多くの言葉は、ほとんどの分子に付きません。「付かない」と答える場面が多いと、全体の正確さは高くなりやすくなります。
そこで重要なのが、別の指標です。モデルが「この言葉が付く」と予測したもののうち正しかった割合を表す適合率は41.9%、実際にその言葉が付いているものを拾えた割合を表す再現率は16.3%でした。
つまり、97.8%という数字を、「未知の分子の香りをほぼ完全に言い当てた」と読むことはできません。予測した香りの言葉には誤りがあり、既存の記述にある言葉を拾い切れていないという面もあります。
論文は、予測を採用する基準を変えたときの性能も、複数の指標で比較しています。そのうえで、単純な正解率だけに頼らず、記録の少ない香りの言葉への性能も見る必要があるとしています。
どの香りにも、同じ方法が一番とは限らない
全体の平均では構造の符号化が有利でしたが、言葉ごとに見ると結果は違いました。シトラスや「無臭」では、分子の物性を使う方法が良い成績を示す例があり、ムスクにも物性の情報が役立っていました。
研究者らは、各モデルが判断に使った特徴の重要度も調べました。分子の重さ、油になじみやすさ、極性に関わる表面の大きさなどが、分類を助けていました。
著者らは、こうした性質が、揮発しやすさや鼻の粘液を通る過程、受容体との相互作用に関係する可能性を論じています。ただし、この研究で受容体への結合や、肌の上での持続時間を測ったわけではありません。予測に役立つ特徴と、香りを生む原因が同じだと確定したわけではないのです。
知っている分子での確認と、新候補の予測
研究者らは、構造を使う三つのモデルをまとめ、得点の高い言葉とモデルの組み合わせを選ぶ方法も試しました。リナロールにラベンダーやフローラル、フェニルエチルアルコールにローズなど、既知の特徴に合う予測が出ています。
ただし、ここで例にした三つの既知香料は、学習用データに含まれていた分子です。初めて見る分子への外部検証ではなく、学んだ内容がよく知られた例と整合するかを見た確認です。
一方、データに含まれていなかった、ほぼ無臭のスクワランには、「魚のような」という高い予測が出ました。これは正しい香りを見つけた証拠ではなく、誤分類として注意すべき例です。構造の似た別の分子やその酸化物についての説明だけで、スクワラン自体の予測が正しいことにはなりません。
さらに、アミノ酸を二つつないだジペプチド400種類を計算上で調べ、肉様の香りなどの候補を挙げています。しかし、候補を人が嗅いで確かめたわけではありません。新しい香料や食品素材として使えることを示した結果ではなく、次に実験する候補の提案です。
香りの言葉の関係を、地図にする
もう一つの試みは、香りの言葉ごとに、モデルがどんな分子の特徴を重視したかを比べることです。似た特徴を使って判断する言葉は、モデルの中では関係が近いと考えられます。
研究者らは、この特徴の重要度の違いを距離に置き換え、少数の軸へ圧縮して二次元の地図をつくりました。専門家の解釈では、バター様・チーズ様などの乳製品や発酵に関係する言葉、木や森林を思わせる言葉などに、まとまりが見られました。
この地図は、新たな参加者が香りの似かよりを評定してつくった知覚の地図ではありません。既存の記述を学んだモデルが、どんな構造上の手がかりを共有しているかを示す図です。
それでも、香りの言葉を一つずつ独立した分類先として扱うだけでなく、言葉同士のつながりや、連続した移り変わりを考える手がかりになります。著者らは、分子構造と香りの関係を理解し、候補を探すための解釈可能な枠組みとして、この点を重視しています。
よい予測には、よい言葉の整理も必要
今回の比較は、複雑な計算表現を使わなくても、原子のつながりを表す比較的扱いやすい符号が、有用な情報を持つことを示しました。ただし、平均で優れた方法が、すべての香りの言葉で最良とは限りません。
また、学習のもとになる香りの記述が曖昧なら、モデルもその曖昧さを引き継ぎます。著者らは、専門家による用語の整理を、分子の表し方と並ぶ重要な要素として挙げています。対象は単独分子の既存ラベルで、濃度や混合、個人差を含む香水全体の印象を、そのまま予測するモデルではありません。
著者三人はCOSMAXの研究開発部門に所属し、同社が研究、計算機、オープンアクセス費用を支援しました。論文では利益相反はないと申告されています。
まとめ
8,681分子の既存記述を使った比較では、原子のつながりを部分構造として符号化する方法が、平均的に有用でした。一方で、香りの言葉によって適した方法は異なり、高い全体正解率だけでは、誤予測や見逃しを捉えられませんでした。
研究が示すのは、分子をどう表すかと、香りをどう言葉にするかを、両方整える必要があるということです。モデルが重視する特徴を読み解き、言葉同士の関係まで整理することで、予測を候補探しに使いながら、構造と香りの関係を考える研究へつなげられると著者らは提案しています。
参考文献
Suh, J., Hong, Y., & Park, C.(2025). A comparative study of machine learning models on molecular fingerprints for odor decoding. Communications Chemistry, 8, 278. DOI: 10.1038/s42004-025-01651-7. 原著全文。© The Author(s) 2025. 原著はCC BY 4.0で公開されています。


