同じにおいを嗅いでも、すぐに「シナモン」と分かる人と、選択肢を見ても迷う人がいます。その違いには、経験や記憶だけでなく、遺伝的な違いも関係するのでしょうか。
2025年、Franz Försterらは、最大21,495人のデータをまとめ、においを正しく言い当てる能力と遺伝子の違いを調べました。目的は、においの同定を支える遺伝的な仕組みを探り、その関連が男女で違うか、性ホルモンや神経変性疾患とどう結びつくかを検討することでした。
12のにおいを、四つの選択肢から選ぶ
対象は、中央ヨーロッパと米国の四つの研究に参加した、ヨーロッパ系の遺伝的背景を持つ人たちです。ペンのような器具からにおいを嗅ぎ、示された四つの名前から当てはまるものを一つ選びました。解析に使ったのは、オレンジ、革、シナモン、ペパーミント、バナナ、レモン、リコリス、コーヒー、クローブ、パイナップル、バラ、魚の12種類です。
ここで測っているのは、においを識別して名前と結びつける「同定」の正答です。どれほど薄い濃度まで気づくか、どれくらい強く感じるか、好きか嫌いかは、別の問いです。また、果物そのものを使った試験ではなく、それぞれのにおいを表す試験用の刺激を使っています。
12問の合計点の解析には21,495人、個々のにおいの正誤の解析には18,895人が含まれました。研究チームは年齢や喫煙などを考慮しながら、DNA上の多数の違いと成績の関連を比較しました。これは遺伝子を操作する実験ではなく、大人数に見られる関連を探す研究です。
見つかったのは「鼻の良さ」を一つで決める遺伝子ではない
それぞれの評価項目に対する統計基準では、互いに独立した10か所の遺伝的領域が関連し、そのうち7か所は新たな発見でした。さらに、複数のにおいを調べたことまで考慮した厳しい基準でも、7か所が残り、そのうち4か所が新しいものでした。領域の発見は、その場所にある特定の遺伝子が原因だと確定したことを意味しません。
関連は、主に特定のにおいに現れました。合計点と関連した領域でも、その結果はパイナップルの正答との関連に大きく支えられていました。「この違いがあれば、あらゆる香りがよく分かる」という一つの尺度には収まりません。
候補には、においの分子を受け取る嗅覚受容体の遺伝子だけでなく、受け取った信号を細胞内へ伝える仕組みや、脳の発達に関わる遺伝子も含まれていました。著者らは、入口の受容体から神経系での処理まで、複数の段階が同定能力に関わると考えています。ただし、候補の機能を一つずつ実験で確かめた研究ではありません。
同じ遺伝的な違いでも、男女で関連の出方が違う
今回の特徴は、男女を分けた解析と、関連の強さが男女で異なるかの検定です。オレンジとシナモンでは、女性で関連が認められ、男性では認められなかった領域が一つずつ見つかりました。パイナップルでは、男女とも関連するものの、男性で関連が強い領域がありました。
これは「女性はオレンジが得意」「男性はパイナップルが得意」という平均成績の比較ではありません。あるDNAの違いと正答しやすさとの結びつきが、男女で異なったという結果です。なお、女性のシナモンに関わる領域は、評価項目ごとの基準では有意でしたが、研究全体の厳しい基準には達していません。
では、性ホルモンがその差を生むのでしょうか。著者らは、男性ホルモンの働きに応答する可能性があるDNA上の場所が、関連領域の近くにあることを計算上の解析から示しました。ホルモンが遺伝子の働きを調節するという、今後確かめるべき手がかりです。実際にホルモンを投与したり、そのDNA部分の働きを実験で確認したりしたわけではありません。
別の解析では、遺伝的な情報を手がかりに、テストステロンなどの性ホルモンと同定能力の因果関係を探りました。しかし、複数の比較を考慮すると、有意な関係は残りませんでした。女性のエストロゲンは利用できるデータの制約で検討できていないため、性ホルモン全般が無関係だとは結論できません。
病気との関係は、どちら向きなのか
研究では、アルツハイマー病やパーキンソン病と、においの同定能力との関係も調べています。使ったのは、病気になりやすさに関わる遺伝的な違いを手がかりに、因果関係の向きを推定する方法です。
アルツハイマー病については、病気の遺伝的リスクが高いことから、同定の合計点が低くなる方向が示唆されました。ただし、この結果はTOMM40という遺伝子内の一つの変異に強く依存し、それを除くと有意な結果ではなくなりました。一つの遺伝的な違いが複数の経路に影響する可能性もあり、病気が直接嗅覚を低下させるという説明だけに確定できません。
TOMM40は、細胞のエネルギーを支えるミトコンドリアの働きに関係します。著者らは、その機能の異常が、病気と嗅覚の変化に共通して関わる可能性を論じています。一方、個々のにおいの同定能力から病気のリスクが変わるという逆向きの関係は、今回の基準では支持されませんでした。この研究のにおい当てを、個人の病気の診断に使えるという結果ではありません。
12のにおいから、もっと広い嗅覚へ
においを言い当てるには、鼻に信号が届くだけでなく、以前に嗅いだ経験や、言葉との結びつきも必要です。今回の12種類は食べ物に関係するものが多く、身近さには文化差があります。結果を、世界中の人やあらゆる香りへ、そのまま広げることはできません。
試験用のにおいの配合は時期によって変わっており、成分の情報も完全ではありません。ある領域が「パイナップルの正答」と関連したからといって、パイナップルらしさを作る一つの分子への反応を特定したことにもなりません。より多様な参加者とにおいで確かめ、候補遺伝子が実際にどう働くかを調べる必要があります。
研究はDFG、BMBF、Wellcomeなどの研究助成を受けています。著者の一人は、本研究と無関係のプロジェクトでOwkinから資金を受けたと申告し、その他の著者は利益相反なしとしています。
まとめ
においを名前と結びつける能力には、特定のにおいごとに異なる遺伝的な関連があり、その一部は男女で出方が違っていました。受容体だけでなく、信号を伝える仕組みや神経系も候補に挙がったことが、今回の研究の重要な広がりです。
性ホルモンによる調節や、神経変性疾患と共有する細胞の仕組みは、その違いを説明するための仮説として残りました。新しく見つかった遺伝的領域を、実際に働く分子や細胞の仕組みへつなげることが、次の課題です。同じ香りを前にしたときの「分かる・分からない」の違いは、嗅覚のどの段階で生まれるのか。その道筋を探すための手がかりが増えた研究です。
参考文献
Förster, F., Emmert, D., Horn, K., Pott, J., et al.(2025). Genome-wide association meta-analysis of human olfactory identification discovers sex-specific and sex-differential genetic variants. Nature Communications, 16, 5434. DOI: 10.1038/s41467-025-61330-y. 原著全文。原著はCC BY 4.0で公開されています。


