香りを感じる仕組みというと、鼻の受容体や脳に目が向きます。でも、吸い込んだ分子が最初に触れるのは、鼻の奥を覆う薄い粘液です。
2018年の研究は、この粘液に含まれるタンパク質を広く調べ、24人全体で約3,000種類を見つけました。鼻の場所や年齢による違い、においを感じ取る敏感さとの関連を調べることで、香りの「受け取り口の手前」にある仕組みの候補を示しています。
においの分子が通る、粘液という入口
鼻の上部には「嗅裂」と呼ばれる狭い空間があり、その付近の嗅上皮に、においを受け取る感覚神経があります。表面は粘液に覆われ、外から入ってくる分子や微生物と接しています。
この粘液には、組織を守るだけでなく、においの分子を運んだり、酵素で化学的に変えたりする役割があると考えられてきました。ただ、人間の粘液にどんなタンパク質が含まれるかは、十分には分かっていませんでした。
そこで研究者は、タンパク質を包括的に調べる「プロテオーム解析」を行いました。目的は、成分の目録を作ること、嗅裂と鼻の前方で違うかを確かめること、若い人と高齢者の違いを調べること、そして嗅覚の感度に関わる候補を探すことです。
若年12人、高齢12人から、二つの場所の粘液を採る
参加したのは21〜40歳の12人と、65〜80歳の12人です。問診と鼻の内視鏡検査で、鼻や副鼻腔に明らかな炎症がないことを確認し、喫煙者や妊娠中の人は除いています。
内視鏡で位置を確かめながら、小さなスポンジを嗅裂と鼻の前方に置き、粘液を採取しました。同じ人の二つの場所を比べる設計です。
採ったタンパク質を酵素で細かい断片にし、液体クロマトグラフィーと質量分析で調べました。断片の情報をデータベースと照合することで、多数のタンパク質をまとめて同定します。
参加者の嗅覚も検査しました。主な関連分析には、フェニルエチルアルコールとn-ブタノールという二つのにおいを、どれくらい薄い濃度まで検知できるかの平均を、感度の指標として使っています。
約3,000種類の目録と、鼻の場所の違い
嗅裂の粘液で同定されたタンパク質は、24人全体を合わせると2,987種類でした。一人当たりの平均は、若年群が1,236種類、高齢群が1,227種類です。全員がそれぞれ約3,000種類を持っていた、という数え方ではありません。
以前の分析で報告された83種類のうち75種類も含まれ、調べられる範囲が大きく広がりました。ただし、この方法では少量の小さなタンパク質などが捉えにくいこともあり、粘液の全成分を測り尽くしたという意味ではありません。
嗅裂と鼻の前方を比べると、タンパク質の構成は全体としてよく似ていました。鼻の場所ごとに完全に別の液体があるというより、連続した粘液の層で一部が混ざる可能性を、著者は考えています。
その中でも、統計的な多重比較の補正と、平均濃度が1.3倍を超える差という条件を設けると、嗅裂側で多いタンパク質は若年群で87種類、高齢群で10種類見つかりました。代謝に関わる酵素などが含まれ、嗅覚のある場所ならではの働きを探す候補になります。
年齢差は、全体量より一部のタンパク質に現れた
若年群と高齢群で、粘液の総タンパク質濃度や、同定された種類数に有意差はありませんでした。違いが見えたのは、構成全体が一律に減るという形ではなく、一部のタンパク質の量でした。
多重比較の補正と1.3倍の基準を満たして年齢差が認められたのは、嗅裂の20種類です。高齢群では、炎症に関わるS100A8、S100A9などが多くなっていました。
反対に、グルタチオンS-トランスフェラーゼP(GSTP)などの代謝酵素や、細胞の保護に関連するタンパク質の一部は少なくなっていました。
代謝酵素は、においの分子を受容体へ届く前に変化させたり、感知した分子を処理したりする候補です。著者は、炎症や分子の処理能力の変化が、加齢に伴う嗅覚の変化を考えるうえで重要ではないかと論じています。今回の実験はタンパク質の量を比べたもので、個々の酵素の反応を直接測定したわけではありません。
嗅覚の感度と一緒に変わる候補を探す
嗅覚検査では、高齢群の感度は若年群より平均で低い結果でした。同時に、各群の中にも個人差がありました。
24人をまとめ、タンパク質の量と感度の関係を探索すると、83種類に関連が報告されました。52種類は多いほど感度が低い方向、31種類は多いほど感度が高い方向でした。
感度が高い方向と関連した例に、LCN15とBPIFB4があります。これらは、においの分子を結合して運ぶ働きが候補に挙げられているタンパク質です。鼻の嗅覚組織での遺伝子発現に関する先行情報とも合わせ、今後の機能研究の対象として注目されています。
一方、低い感度と関連した候補には、炎症に関わる成分や、上皮細胞の構造を支えるケラチン類が含まれました。粘液の状態と嗅覚の違いを結びつける手がかりです。
関連の候補を、機能の証明へつなぐには
この感度との関連分析は、とくに慎重に読む必要があります。約3,000種類について多数の検定を行っていますが、83種類の選定に使ったのは、多重比較を補正していない有意水準5%でした。多くの項目を同時に調べると、偶然に関連が出るものも含まれやすくなります。
また、若年群と高齢群を一緒に解析しているため、タンパク質と感度の関連に、年齢という共通の要因が関わる可能性もあります。83種類は、追加の参加者や機能実験で確かめるための探索的な候補として位置づけられます。
LCN15とBPIFB4の嗅裂側への偏りも、個別に比べると差がありましたが、最初に設けた補正後の厳しい選定基準は満たしていません。どの解析で得た結果かを分けると、次に何を確かめるべきかがはっきりします。
この研究の成果は、こうした検証の出発点になる大きな成分目録と、場所・年齢・感度による候補の整理です。加齢の原因を一つに決めたり、神経疾患の診断法や嗅覚の改善法を確立したりする段階には至っていません。
まとめ
鼻の嗅裂を覆う粘液には、多様なタンパク質が含まれ、24人全体で約3,000種類が同定されました。鼻の前方との構成は全体として似ていましたが、嗅裂側で多い成分や、年齢によって量が違う20種類も見つかりました。
嗅覚の感度と関連する候補も得られ、香りを運ぶ、変える、組織を守るといった働きを、今後詳しく調べる道が開かれました。香りの感じ方を理解するには、受容体や脳だけでなく、その手前を覆う粘液にも目を向ける価値があります。
研究は花王が資金を提供し、モネル化学感覚研究所との共同研究契約の下で行われました。論文では著者4人が花王の社員と記載され、その他の著者は利益相反なしと申告しています。
参考文献
Yoshikawa K, et al. (2018). The human olfactory cleft mucus proteome and its age-related changes. Scientific Reports, 8, 17170. 原著論文・公開全文


