役に立つものでなければならない。
確実に機能しなければならない。
美しくなければならない。
長く使えなければならない。
その種のもののなかで、最良でなければならない。— アルフレッド・ダンヒル
ダンヒルの香水を知るには、まず香水以外のものに目を向けたい。馬具、自動車に乗るための服、革の鞄、手のひらに収まるライター。ロンドンで育ったこのブランドは、人が移動し、装い、道具を使う場面から、ものづくりを広げてきた。
その歴史は、後の調香師やデザイナーにとって、香りと容器を考える手がかりにもなった。レザーをどう軽やかに表現するか。金属の小物に親しんだ手に、どのような瓶を届けるか。ダンヒルの香水には、素材の記憶を別のかたちへ移す仕事が見えてくる。
基本情報
- 創業年:1893年。香水の歴史は1934年まで遡る。
- 創業者:Alfred Dunhill(アルフレッド・ダンヒル)
- 誕生の地:イギリス・ロンドン
- 公式サイト:dunhill
創設者とブランドの成り立ち
馬具の見習いから、自動車用品の商いへ
アルフレッドは1872年、ロンドンに生まれた。父ヘンリーは馬具を扱う事業を営んでおり、アルフレッドも15歳で見習いとして働き始めた。21歳になった1893年、父からその事業を引き継ぐ。現在のダンヒルが創業年とするのは、この年である。
アルフレッドが着目したのは、普及し始めた自動車だった。馬に乗る人のための道具から、車に乗る人のための道具へ。革を扱う仕事を、新しい移動の時代へ向け直したのである。
コンドゥイット・ストリートの「Dunhill’s Motorities(ダンヒルズ モートリティーズ)」では、運転する人の衣服や小物を扱った。レザーのカーコートやラゲージ、毛皮のグローブ、ゴーグル。車そのものだけでは満たされない、旅先や運転中の必要に応える品々だった。「自動車以外のすべて」という言葉には、そうした商いの広がりが表れている。
デューク・ストリートの店と、道具を調べる収集家
1907年には、デューク・ストリートにたばこ店を開いた。そこでは顧客に合わせてたばこをブレンドする「マイ・ミクスチャー」のサービスも行われた。何を売るかだけでなく、使う人にどう合わせるかも、この商いの一部になっていた。
アルフレッドには、喫煙具の収集家という顔もあった。個人的に集めた品を店のガラスケースに並べ、1924年には『The Pipe Book』を出版する。扱う商品の外側にも目を向け、異なる土地の道具を集めて調べていたのである。
同書でカリフォルニアの管状パイプを紹介したとき、アルフレッドはまだ同種のものを所有していなかった。そのため、大英博物館の収蔵品を図版に用いている。自身のコレクションに近い例が加わるのは、出版後のことだった。手元にある品だけで世界を閉じず、ほかのコレクションにも学ぶ姿がそこにある。
1934年に遡る香水と、2013年の事業の転換
ダンヒルの香水の歴史は、1934年まで遡る。1893年のブランド創業と、香水が加わった時期は同じではない。革製品や喫煙具とともに育った名前が、やがて肌にまとう香りにも使われるようになった。
後年の大きな節目が、2013年4月のライセンス運営の交代である。P&Gに代わってインターパルファムが、既存の香水群を引き継ぎ、新作の開発・生産・販売を担うことになった。そこから生まれた主要な作品の一つが、2015年の「Icon(アイコン)」だった。
ジョン・レイとカルロス・ベナイムの協働
アイコンの調香を担当したのは、カルロス・ベナイムである。当時のデザイナー、ジョン・レイはレザーとラベンダーを好んでいた。ベナイムはその好みとブランドの価値観を受け止めながら、自分なりの創作を進めた。
共有された方向には、レザー、ベチバー、ネロリがあった。ただし、そこから何をつくるかは調香師に委ねられた。ダンヒルらしさを示す素材の手がかりと、具体的な処方を組み立てる自由が、同じ仕事のなかに置かれていた。
創作に取り組むなかで、目指すゴールへ到達するための自由がありました。
— カルロス・ベナイム
アイコンはその後、アブソリュート、エリート、レーシングへと展開した。2018年には別の香水「Century(センチュリー)」が登場し、2019年には「Signature Collection(シグネチャー コレクション)」がロンドンのハロッズで先行発売され、世界へ広がった。一つの香りの展開に加え、複数の素材をそれぞれ主役にするコレクションが加わっていく。
ブランドのこだわり
アイコンの調香:スエードの質感に明るさを加える
アイコンをつくる過程で、ベナイムはアリエノール・マスネとともに、スエードを思わせるアコードを扱った。アコードとは、複数の香料で組み立てた香りのまとまりである。アイリスでベチバーを和らげ、カルダモンなどのスパイスも重ねたが、それだけでは完成しなかった。
しかし、その段階では満足できませんでした。まだ十分にフレッシュで、澄んだものではなかったのです。
— カルロス・ベナイム
そこで別につくったのが、マンダリン、ネロリ、ベルガモットのアコードだった。それを合わせると、ほかの要素が明るくなった。初めはネロリが少し強すぎたため、さらに微調整を加えている。革の印象を濃くするだけでなく、柔らかさや明るさの釣り合いを探すことで、アイコンは形になった。
ライターの仕上げを引き継ぐボトルデザイン
アイコンのボトルをデザインしたのは、マーク・アイゼンである。表面の仕上げはヴィンテージのライターに着想を得ており、金属に細かな反復模様を刻むエンジンターンの意匠が、瓶の外側を覆っている。
レザーが香りを考える手がかりになったように、携帯する金属の道具は容器を考える手がかりになった。香りと瓶を同じ素材にそろえるのでなく、革と金属という異なるダンヒルの仕事を、一つの香水のなかで出会わせている。
素材と土地を題材にしたシグネチャー コレクション
シグネチャーという名称は、もともとダンヒルのライターにも使われていた。香水のコレクションでは、素材の質や由来への関心を、ブリティッシュ レザー、インディアン サンダルウッド、モロカン アンバー、アラビアン デザートという4作品へ展開した。
ブリティッシュ レザーを担当したピエール・ネグランが考えたのは、革の質感をどう変えるかということだった。
一般に少し厚く重いものと考えられる革の質感を、より軽やかで流れるような表現へ移し替えようとしました。
— ピエール・ネグラン
一方、ベナイムのインディアン サンダルウッドでは、サンダルウッドそのものが創作の出発点となった。コレクションを通して、何を主役にするかと、その素材をどう香りに仕立てるかが、作品ごとの違いを生んでいる。馬具や鞄の革、ライターの金属から続く素材への関心は、香水では調香師ごとの選択として現れたのである。
補足
インターパルファムのダンヒル香水ライセンスは2023年9月30日に終了し、更新されなかった。その後12か月の在庫販売期間が設けられ、2024年9月30日には同社のダンヒル関連の完成品・部材在庫はすべて販売済みとなった。
参考文献
- dunhill「The Spark Of Legacy — A History of dunhill Lighters」— アルフレッド・ダンヒルのものづくりの言葉
- dunhill「About Dunhill」— 1893年の継承と、自動車用品への転換
- Christie’s「The Private Collection of Mr Alfred Dunhill」— 生い立ち、見習い時代、店と収集、1924年の著書
- ISETAN MEN’S net「日本橋三越本店〈ダンヒル〉店長が語る〈ダンヒル〉が人々を魅了する理由とは」— モートリティーズの品々と、顧客に合わせた商い
- Don Duco, Amsterdam Pipe Museum「Alfred Dunhill’s fascination for the tubular pipe」— 大英博物館の図版と、後に加わった収集品
- Inter Parfums「Exclusive License Agreement for Alfred Dunhill Fragrances」— 1934年に遡る香水群と、2013年のライセンス移行
- The Candy Perfume Boy「Rubbing Noses with Perfumer Carlos Benaïm」— レイとの協働、香りの方向と調香師の自由
- Inter Parfums「2019 Annual Report」— アイコンの展開、センチュリー、シグネチャー コレクションの発売
- Jo Fairley, The Perfume Society「Dunhill launches Icon」— マスネとの作業、アイリスと柑橘の調整、ライターを参照した容器
- Mark Eisen「Industrial Design」— アイコンのボトルデザイン
- OPENERS「Dunhill Launches Icon」— エンジンターンの意匠と、自動車用品のデザインとの関係
- Esquire Middle East「Signed and Sealed: Dunhill’s new signature selection」— コレクションの主題、ネグランとベナイムの制作意図
- Interparfums「2025 Annual Report — Recent Agreements」— 2023年の契約終了と、2024年の自社在庫販売完了


