NIPPON KODO(日本香堂)— 香十の技術継承から、花の花・大江戸香へつながるお香づくり

日本香堂の大江戸香「玉松街道」の箱、緑のお香、錫製香立を中心に、松と江戸の街道の情景を添えたブランド紹介用の生成イメージ。 ブランド創業者

私たちの使命は、日本の香りの文化を世界へ広めることです。

小仲正克(日本香堂ホールディングス社長、2025年)

一本のお香は、香料を合わせれば完成するものではない。粉を練り、細い形へ整え、乾燥させ、火をつけたときに狙った香りが立つようにする。NIPPON KODO(日本香堂)が受け継いできたのは、この薫香の技術である。薫香とは、香を焚いて香りを楽しむことだ。

その歩みには、宮中に仕えた香十の技と、西洋の花の香りをお香へ移した鬼頭勇治郎の挑戦が重なる。近代の会社としては1942年に設立され、古い技術を、祈りの線香から暮らしの香りへ、さらに海外の香りの文化へとつないできた。

基本情報

  • ブランド・会社名:NIPPON KODO(日本香堂)
  • 会社設立:1942年(前身は東京孔官堂)
  • 初代社長:小仲正規(こなか・まさのり)
  • 継承する技術:16世紀以来の香十、高井十右衛門家と鬼頭勇治郎の薫香技術
  • 現行の日本香堂社長:小仲正重
  • 日本香堂ホールディングス社長:小仲正克(こなか・まさよし)
  • 本社:東京都中央区銀座
  • 公式サイト:日本香堂

創設者とブランドの成り立ち

1942年、小仲正規が東京孔官堂を設立

日本香堂の会社としての出発点は、大阪の線香メーカー、孔官堂の東京出張所にある。1942年に分離・独立し、小仲正規を初代社長とする会社になった。当時の社名は東京孔官堂。現在の「日本香堂」へ改称するのは1966年である。

1947年には、後継者の問題を抱えていた堺の鬼頭天薫堂から、毎日香の商標権と名跡を譲り受けた。毎日香と、自社の青雲は、テレビCMを通じて広く知られる看板製品となる。会社を育てる過程には、自分たちの製品づくりと、先人の香りを続けて届ける仕事があった。

香十と鬼頭勇治郎から受け継いだ技術

日本香堂の伝統をさらにさかのぼると、天正年間の香十に行き着く。香十は宮中御用をつとめた香の専門職であり、高井十右衛門家が代々、その技を受け継いだ。日本香堂は高井家十七代から、秘伝書や宮中への通行証などを継承している。

もう一つの流れは、毎日香や花の花を生んだ鬼頭勇治郎の調香である。1911年に送り出された花の花は、西洋から伝わった香水の華やかな印象を、日本のお香づくりへ取り入れた。日本香堂は、この二つの薫香の技術を基盤としている。

16世紀以来の伝統と、1942年の会社設立は、それぞれ異なる歩みである。先人の香りを守ることは、その技術を次の製品へ使えるようにすることでもあった。

銀行から研究室へ移った小仲正克

海外へ香りを届ける取り組みは、1965年のニューヨーク現地法人設立、1971年のロサンゼルス支店開設へと広がった。その後の転換を担う小仲正克は、大学卒業後に三菱銀行へ入行し、五年半勤務してから、1995年に日本香堂へ入社した。

父に呼び戻された正克が最初に配属されたのは研究室だった。線香などの商品開発を経験し、自分たちが主体となってつくったものを、顧客に買ってもらい評価される面白さを知る。新市場開発や営業を経て、2000年、32歳で日本香堂の社長に就任した。

入社間もない1996年には、フランスのホームフレグランス企業エステバンがグループに加わった。1999年には米国のインセンスメーカー、ジェニコも加わる。正克は、海外のファッションやラグジュアリーブランドのお香をつくる仕事が増えたことを、お香がフレグランスの一つとして認識される転機と捉えている。

香の文化を、暮らしと海外へ広げる

2011年には持株会社、日本香堂ホールディングスを設立した。正克は2015年にその社長となる。製品をつくり販売する日本香堂と、グループを束ねる持株会社の役割が分かれ、海外の拠点やブランドと連携する体制が整っていった。

私たちの事業は、お香を製品として売ることだけではありません。

小仲正克(2016年、日本香堂社長としての取材で)

正克は2016年、供養と現代の暮らしの両方へ目を向け、伝統を新しい人々へ届けたいと語った。同年には京都に香十二寧坂店が開き、日英二つのロゴで海外からの来訪者にも接点をつくった。大江戸香も、江戸の遊びと洒落を表すお香として登場した。

2025年の取材では、家庭で楽しむ香りへ事業を広げることに加え、フランスで香道の体験を提供する活動を挙げている。香道は、一定の作法に従って香りを聞き、鑑賞する文化である。製品と体験の両方で香りの背景を伝える仕事が続いている。2026年には、日本香堂の社長に小仲正重が就任した。

ブランドのこだわり

粉体と液体香料を組み合わせ、燃焼時の香りをつくる

日本香堂が扱う香原料には、香木や植物、その粉体、花や草木から抽出した香料、あるテーマに合わせて調合した香料などがある。原料は産地やメーカーによって特性が異なるため、成分や品質、安定して供給できるかを吟味する。

小仲正克は、日本のお香の特徴として、粉体の香原料と液体の香料を合わせる構成を挙げている。伝統的な沈香や白檀(サンダルウッド)を含め、素材ごとの性質を組み合わせることで、香りに層をつくる。素材の名前だけでなく、燃やしたときにどう香るかを考える調合である。

水の配合と乾燥を判断する職人

原料を混ぜて練った生地は、細い穴から押し出すなどして成形し、長さを整えて木の型へ並べる。その後、乾燥させて固め、まとめて包装する。機械による成形と、細かな並べ方や乾かし方がつながる工程だ。

練る際の水が多すぎると、反りや品質の低下につながる。原料に対してどれだけ水を加えるかを、職人が判断する。乾燥では温度と湿度の制御に自動化を取り入れながら、その組み合わせを人が調整する。季節による湿度の違いも、品質を左右する要素となる。

2025年に正克は、量産では自動化によって生産性を高める一方、高級品には職人の判断を厚く残すと説明した。粉の配合から形と乾燥までを一緒に考えることが、一本の香りを支えている。

西洋の花香をお香へ移した花の花

花の花を生んだ鬼頭勇治郎が目指したのは、西洋の香水を思わせる華やかなお香だった。香水をそのまま練り固めて火をつけても、同じ香りは立たない。日本のお香づくりの技術によって、燃焼する中で花の印象が香るようにする必要があった。

こうして1911年に登場した「香水香 花の花」は、火を使って楽しむお香である。「香水香」という名には、液体香水の花の表情を薫香へ移す発想がある。異なる香りの文化をつなぐ技術が、後のフローラルなお香の基盤になった。

大江戸香の物語を、色と道具へ展開する

大江戸香は、東京の香司が江戸の暮らしや文化を題材に調香したシリーズである。お香を日本の伝統色で彩り、物語を香りだけでなく、手に取るものの質感へ広げている。

たとえば「玉松街道」は、旅人の行き交う街道を見守る松を題材に、力強く清々しい松の香りを表す。「湯屋の雫」は、湯屋で人々が交流する情景から、温かく華やかな湯上がりの印象を描く。同じ江戸を扱いながら、風景と暮らしの異なる一場面を選んでいる。

桐箱には伝統的な紋様と色を用い、内側にも浮世絵を施した。玉松街道では、松葉を重ねた紋様の包みと、緑色のお香が題材を伝える。付属する錫製の香立は、江戸の石畳を模した形だ。箱を開く、色を見る、香を立てるという動作まで、江戸の情景へつながるように考えている。

物語を調香へ移すことと、燃焼する一本へ仕上げること。その間をつなぐ技術に、日本香堂の継承と創造が現れる。

参考文献