FRAGONARD(フラゴナール)|グラースの工場から、花と美術を分かち合う家族の香りへ

FRAGONARD(フラゴナール)。金色のFragonardパルファン60mLと花柄の箱を、プロヴァンスの衣装を思わせるプリント布の背景に配置。

分かち合うこと、ものづくりの技、そして生きる喜び。
アニエス・コスタ

FRAGONARD(フラゴナール)は、香水をつくる仕事を、人に見せる仕事と結びつけて育ったメゾンである。1926年、グラースで事業を始めたウジェーヌ・フュックスは、製造現場を訪ね、その場で香りを買える仕組みをつくった。後の世代は、家族が集めた香水瓶や絵画、プロヴァンスの衣装も公開する。香り、工場、美術館が同じ家族の仕事として続くところに、このブランドの輪郭がある。

基本情報

  • ブランド名:FRAGONARD(フラゴナール)
  • 創設者:Eugène Fuchs(ウジェーヌ・フュックス)
  • 創業:1926年、フランス・グラース
  • 名前の由来:グラース出身の画家Jean-Honoré Fragonard(ジャン=オノレ・フラゴナール)への敬意
  • 公式サイト:Fragonard Parfumeur

創設者とブランドの成り立ち

公証人の仕事から、グラースの工場へ

第一次世界大戦後、フュックスはサン=シャモンの公証人事務所を離れ、家族とグラースへ移った。Cresp-Martinenq(クレスプ=マルティナンク)とMuraour(ミュラウール)を取得し、1926年に創業する。街に生まれた画家の名は、家族を迎えた土地への感謝と、18世紀の美術への敬意から選ばれた。

コート・ダジュールで休暇を過ごす旅行者は、香水を求めてグラースへ来ていた。フュックスは製造現場へ客を招き、工場見学と直接販売を組み合わせる。仕事を見て、香りを持ち帰ることが、一つの体験になった。

家族で担う事業と、金色の容器

1929年、息子ジョルジュ・フュックスと娘婿フランソワ・コスタが事業を引き継いだ。ジョルジュは海外、フランソワはグラースを担い、香料や依頼に応じた香りの制作を扱う仕事も広がる。その次の世代、フランソワの息子ジャン=フランソワ・コスタは、海外での仕事を経て1950年代末にグラースへ戻り、父の後を継いだ。

フュックスの娘エミリー・コスタは、父の公証人事務所を助けた後、香水会社で仕入れを担った。戦時下のガラス不足に際し、工場で使うアルミ容器を金色にすることを考案する。この工夫が、光から香水を守る金色の容器「エスタニョン」として受け継がれた。

三姉妹が、別の進路から家業へ加わる

ジャン=フランソワの娘、アンヌ、アニエス、フランソワーズは、幼い頃から香水の世界を知っていた。アニエスが振り返る子ども時代には、グラースのバラやジャスミンと、工場の匂いを知る父が自宅では強い香りを好まなかった記憶がある。香りを身につける量を加減することは、彼女にとって人への配慮にもつながった。

三人にはそれぞれ家業の外で学ぶ時間があった。アンヌは医学を修めた。アニエスは、公証人だった祖父に勧められて法律を学び、英語の学位を取得して広告会社へ進む。フランソワーズは、パリ、ロンドン、マドリードのEuropean Business Schoolで経済を学んだ。

父の求めに応じてアニエスがグラースへ戻った1980年代、経営の現場は男性中心であった。家業への参加は、姉妹で仕事をつくり直す出発点となる。

フランソワーズを説得して、私に加わってもらった。
アニエス・コスタ

後に医師のアンヌも加わり、アニエスが創作や事業開発、フランソワーズが管理・予算、アンヌがエズの工場で化粧品を担う分担が育った。家族の会社であることに、それぞれが身につけた専門や関心が重なっていったのである。

集めたものを、人に開く

ジャン=フランソワは、香水にまつわる古い容器や道具を集め、1975年にグラースの香水博物館へと結びつけた。母エレーヌが集めたプロヴァンスの衣装と宝飾は、1997年に開いた博物館の核となる。絵画や衣装も、香りの仕事と並んで家族が人に見せるものになった。2025年にはアルルにも、モードと衣装の美術館が開いている。

父を2012年に亡くした後、フランソワーズは、父が信頼した学芸員や研究者にも相談し、既存の収蔵品と、さらに補える領域を見直した。充実した時代別のコレクションを受け継いだからこそ、意外性や珍しさを持つ作品にも目を向けられるようになったという。収集を続ける喜びを、彼女はこう語っている。

人に見せるために作品を手に入れるのは、とても充実したことなのだ。
フランソワーズ・コスタ

家にあった物を残すことから、専門家とともに収蔵品を育て、展示する仕事へ。フラゴナールの継承には、製造や販売と同じように、集めたものを次の人へ開くという営みもある。

ブランドのこだわり

つくる場所と、使う人をつなぐ

現在の製造拠点は、グラースの歴史工場、ファブリック・デ・フルール、エズ=ヴィラージュの工場・研究所である。見学では、原料の品質管理から製品の包装まで、香りを届ける仕事に触れられる。自社でつくり、直接販売する仕組みが、創業時からの体験を現在の事業にもつないでいる。

贅沢とは、価格ではなく品質のことだ。
アニエス・コスタ

その考えは、手に取りやすい価格で製品を届ける方針や、使い続けるための容器にも表れる。現在の「Fragonard」パルファン60mLは、再充填できる金色のアルミ製エスタニョンに収められている。歴史ある形を、日々使う製品の容器として生かした一本である。

一人の記憶が、別の人の香りになる

アニエスにとってオレンジブロッサムは、子どもの頃に砂糖を加えて飲んだ記憶につながる。「Fleur d’Oranger(フルール・ドランジェ)」を手がけたダニエラ・アンドリエは、もとの香りの成り立ちをこう振り返る。

実は、息子エティエンヌのためにつくった香りだった。
ダニエラ・アンドリエ

アニエスがその香りを身につけ、処方を変えずに発売すると決めたという。アニエスの故郷の記憶と、アンドリエが息子のためにつくった香りが、一つの作品を通じて出会った。

布の図案と、花を選ぶ目

包装に見られる色や模様には、エレーヌの古い衣装コレクションが関わっている。アニエスとフランソワーズは、その手仕事への関心を旅先のインドにも広げ、刺繍などの技術と出会い、布製品の世界を育てた。香水の箱、服、暮らしの品が、花や色を選ぶ一つの眼差しでつながっている。

香りでも、「Les Fleurs du Parfumeur」はプロヴァンスの花を日常の製品へ、「Les Jardins de Fragonard」は庭園や旅の情景を香りへ広げる。「Jasmin Perle de Thé(ジャスミン・ペルル・ド・テ)」では、アンダルシアの庭で飲む緑茶と、咲くジャスミンが主題となる。土地の花を取り上げることも、遠くの庭を想像することも、制作の入口なのである。

年ごとに花を取り上げる企画は、創業100周年の2026年に「L’Air de Grasse(レール・ド・グラース)」という花束へ広がった。グラース出身のカリーヌ・デュブルイユ=セレーニが、幼い頃の庭や丘の香りを手掛かりにつくったオードトワレである。マンダリンの明るさから、バラ、ピオニー、ジャスミンの花束、アイリスとパチョリへ。百年の節目にも、家族のメゾンは生まれた土地の記憶を、新しい香りにして届けている。

参考文献