「ボトルは香水の家なのだ。」
— ピエール・ディナン
香水の名前を思い出すとき、香りと一緒に瓶の輪郭が浮かぶことがある。カランドルの銀色の枠、オピウムの赤褐色の容器。その形を考えたピエール・ディナン(Pierre Dinand)は、香水を収める小さな立体に、依頼人の好みと工業技術を結びつけてきたデザイナーである。
彼の仕事は、完成した香りに似合う装飾を選ぶだけではない。何を形の手がかりにするかを対話から探し、ガラスや樹脂、金属を扱う工場と、その形を実際につくる方法を考える。名香の顔が生まれるまでには、紙上の発想と製造現場を往復する仕事があった。
基本情報
- 名前:ピエール・ディナン(Pierre Dinand)
- 生年・出身:1931年、フランス・パリ
- 仕事:香水瓶・パッケージのデザイン
- 独立した事業の節目:1968年、アトリエ・ディナン設立
- 公式サイト:Pierre Dinand
建築を学んだ青年が、香水瓶の仕事に出会うまで
パリの美術学校からカンボジアの寺院へ
技術者の息子として育ったディナンは、1950年代初めにパリで美術を学び、エコール・デ・ボザールでは建築を専攻した。兵役でインドシナへ送られると、カンボジアのプノンペンで美術を学ぶ機会を得て、アンコールの遺跡に関わる仕事にも携わった。寺院や彫刻を見つめる時間は、木を削って小さな立体をつくる経験にもつながった。
帰国後は自動車産業、化学会社を経て広告の仕事に進む。化学会社で製品の包装を描き直したことが広告を任されるきっかけとなり、やがてコンタクトという広告代理店へ移った。その顧客にロシャスがあった。
建築から香水瓶への移行は、彼にとって立体を扱う仕事への帰還でもあった。小さな物体の外観だけでなく、その内部に何を収め、どんな材料で成立させるかを考える。冒頭の「香水の家」という言葉は、その実感を端的に表している。
マダム ロシャス——古い瓶を量産できる形へ
1958〜1959年、広告代理店のアートディレクターだったディナンは、エレーヌ・ロシャスの名を冠する新しい香水の容器を相談された。そこで彼はエレーヌと時間を過ごし、自宅にある古い香水瓶のコレクションに着目する。
ロシャスの公式史がその原型として挙げるのは、エレーヌがパリの骨董店で見つけた18世紀の塩の小瓶、ジャニュゼットである。過去の器を選ぶ趣味が、新しい香水の姿に取り込まれた。
「問題は、もともと手づくりだったものを工業的に生産することだった。」
— ピエール・ディナン、2005年
この言葉が示すように、骨董品から着想を得ることと、製品としてつくれることは別の問題だった。マダム ロシャスは1960年に発売される。美しい原型を見つけ、その個性を量産品へ移すという課題が、彼の初期の仕事にすでに現れている。
エレーヌとの関係は、ほかの創作者に出会う機会も広げた。彼女の食事会では、服飾家や芸術家、調香師が顔を合わせた。ディナンは後年、香りをつくる人と容器をつくる人が交流できた時代を大切に語っている。1968年にはアトリエ・ディナンを設立し、仕事を広げていった。
カランドル——会話から生まれた形を、素材で実現する
車そのものではなく、グリルを残す
1969年発売のカランドルは、彼の方法を具体的に見ることのできる一作である。プイグの香水事業を通じて出会ったパコ・ラバンヌに、ディナンは香水とは何かを尋ねた。返ってきたのは、ドライブインで車の中で愛し合う男女という場面だった。
大きな車が必要だ、と応じると、車種はロールス・ロイスになった。だが、出来上がった瓶は車の模型ではない。二人が残したのは、車の正面にあるラジエーター・グリルという要素だった。そのフランス語名が、香水名のカランドルである。
依頼人の言葉をそのまま絵にせず、そこから製品の輪郭になる一部分を選ぶ。透明な容器を銀色の枠で囲う構成には、自動車の印象を香水瓶の大きさへ置き換える判断がある。
金属に見える枠を、ABS樹脂でつくる
次の問題は、その枠をどう製造するかだった。ディナンは、ラバンヌの金属製の服と呼応する枠を考えていたが、金属を香水容器へ使うには製造上の制約があった。そこで目を向けたのが、自動車産業でも使われていたABS樹脂である。
ABSは成形できるプラスチックの一種で、表面に金属めっきを施すことができる。樹脂を金属のように見せる加工によって、ガラスを囲う銀色の構成を実現した。見た目が金属的だからといって、構造のすべてが金属でできているわけではない。カランドルの工夫は、欲しい外観と、製造可能な材料をつなぐ点にあった。
2016年、最も誇りに思う革新を問われたディナンは、このカランドルを挙げている。単に新しい輪郭を描いたからではなく、その輪郭を生産へ移すために異なる産業の材料を使った仕事として読むと、その回答の意味が見えてくる。
依頼人の生活と、製造現場の条件を読む
オー ソバージュでは、箱の木目にも手間をかける
オー ソバージュの制作についてディナンが2005年に語ったのは、調香師エドモン・ルドニツカとの仕事の進め方である。まずディナンがスケッチを描き、その後、二人でディオールの責任者ルネ・ブルドンに見せるという方法をとった。
彼の記憶では、難しかったのは瓶以上に箱だった。ロールス・ロイスの内装にある貴重な木の質感を表現するため、7色を使って印刷したという。完成品の形だけを見ていると見落とすが、箱の表面もまた、材料の印象を別の技術で再現する仕事だった。
アルマーニとの会話を、建築の形へ移す
依頼人の好みを探るとき、ディナンは自宅や収集品にも目を向けた。服飾家の個性を理解する手がかりは、香水の要望書の外にもあったのである。
ジョルジオ・アルマーニとの出会いでは、建築の話が接点になった。ディナンの回想によれば、アルマーニはルネサンスの建築家アンドレア・パッラーディオ、とりわけヴィチェンツァのヴィラ・ラ・ロトンダに心を寄せていた。ドームや柱をめぐる会話が、香水容器の造形を考える手がかりになった。
ディナン自身も、好きな建築家としてパッラーディオと、アール・デコ期のロベール・マレ=ステヴァンスを挙げている。依頼人の好みを借りるだけでなく、それを立体へ移すための自分の蓄積があった。
オピウム——採用後にも残る製造の責任
1977年のオピウムは、印籠を手がかりにした外観で知られる。この作品でディナンが引き受けたのは、案を見せるところまでではなかった。本人によれば、容器案への反対を受けた後、ガラスとプラスチックの製造業者を自ら探す必要があったという。
形が依頼人に気に入られても、製造を担う相手と方法が決まらなければ製品にはならない。この一件には、デザイナーが意匠の提案者であると同時に、その実現を進める立場でもあったことが表れている。ブランド全体の歩みは、イヴ・サンローランの記事で紹介している。
鉛筆、模型、3D——つくり方の変化と仕事の継承
一つの瓶をまとめるための交渉
デザインを成立させるには、工場との調整だけでなく、複数の依頼人の合意も必要になる。2026年7月に公開されたカレン・マリンの訪問記事では、ディナンはフェンディの瓶を例に挙げた。カール・ラガーフェルドに加え、フェンディの五姉妹を説得する必要があり、全員の合意に2年かかったという。
形を決める過程には、誰が何を受け入れるかという時間も含まれる。完成品の滑らかな輪郭からは見えないが、こうした調整もデザインの仕事の一部なのである。
孫ジュールとの制作
ディナンは1995年に会社の持分を売却した。その後も依頼を受け、仕事に戻っている。2017年にはパリのグラン・ミュゼ・デュ・パルファンで作品展が開かれ、マイケル・エドワーズが選んだ30点の図案による書籍も制作された。
近年の制作では孫のジュール・ディナンと協働する。ピエールは鉛筆で描き、ジュールはコンピューターによる3Dを扱う。
「この二つの方法は対立するものではなく、補い合うものだと思う。」
— ピエール・ディナン
その併用は、グラスハウス・フレグランシズの制作にも見られる。2018年に創設者ニコル・エッケルズが訪ねた際の課題は、異なる四つの香りに共通して使える、端正で性別を限定しない容器だった。丸い瓶のスケッチが選ばれると、3Dの試作と材料の選定へ進んだ。彫刻的な線で表面に変化をつけながら、複数の香りを収める共通の形へまとめたのである。
一本ごとの個性だけでなく、共通する容器にどの程度の特徴を持たせるかも判断の対象になる。鉛筆で発想することと、新しい技術で確かめることは、同じ仕事の中にある。
「私はただ、服飾家たちに仕える、つつましい職人なのです。」
— ピエール・ディナン、2026年公開のインタビュー
依頼人の言葉を聞き、造形の手がかりを選び、材料と加工で実現する。ディナンの瓶を見るときには、輪郭の美しさとともに、その形に至るまでに何を選び取ったのかにも目を向けたい。
ピエール・ディナンの歴史年表
| 年・時期 | 出来事 |
|---|---|
| 1931年 | パリに生まれる。 |
| 1950年代 | 美術・建築を学び、兵役でインドシナへ。帰国後、産業分野を経て広告の仕事に進む。 |
| 1958〜1959年 | 広告代理店で働き、マダム ロシャスの容器制作に携わる。 |
| 1960年 | マダム ロシャス発売。 |
| 1966年 | オー ソバージュ発売。ディナンはルドニツカとの共同作業と箱の制作を語っている。 |
| 1968年 | アトリエ・ディナンを設立。 |
| 1969年 | カランドル発売。 |
| 1977年 | オピウム発売。 |
| 1995年 | 会社の持分を売却。その後もデザインを続ける。 |
| 2017年 | パリで作品展。マイケル・エドワーズによる選定をもとに図案集を制作。 |
| 2018年 | グラスハウスの創設者が訪問し、新しい香水容器の制作を進める。 |
| 2026年 | 7月公開の訪問記事が、ジュールと制作する姿を伝える。 |
補足
初期作品の制作・発売年には資料間の差がある。マダム ロシャスは、2005年の本人発言にある1958〜1959年の制作と、ロシャス公式史の1960年発売を区別した。オー ソバージュはディナンの本人発言・公式作品集に登場する一方、ピエール・カマンの作とする資料もあるため、瓶全体の単独作者とは断定せず、本人が具体的に語る共同作業と箱の制作を取り上げた。
参考文献
- About — Pierre Dinand(公式略歴・素材と制作の説明)
- The Art of the Bottle: an interview with Pierre Dinand — Now Smell This、2005年10月6日
- L’Héritage Rochas — ロシャス公式史
- Who is Pierre Dinand? — Bettina Aykroyd/Tatousenti、2016年10月4日
- Timeline — Pierre Dinand公式作品年表
- Unboxing. Pierre Dinand. — Thomas Lenthal/System Beauty Issue 2
- Interview avec Pierre Dinand — Nose
- Pierre Dinand: A Living Perfume Legend — Karen Marin/Essencional、2026年7月15日
- Pierre Dinand: 60 ans de création au Grand Musée du Parfum — The Fragrance Foundation France、2017年10月20日
- How this Legendary Designer Created our New Fragrance Bottles — Glasshouse Fragrances
- Eau Sauvageのカマンへの帰属を記載した作品情報 — Enchères Occitanes


