「強い匂いと、不快な匂いは違います。」
— ケイト・マクリーン
ワッフルの甘い匂い、地下室の入口から漂う古い本、通りへ流れ出す洗濯物の香り。都市を歩くとき、目に入る建物とは別の手がかりが、鼻の前を通り過ぎている。ケイト・マクリーン(Kate McLean)は、その見えない経験を集め、言葉にし、地図へ移すアーティスト・デザイナー・研究者である。
彼女の「匂いの地図」は、その街を一つの香りで言い表すためのものではない。誰が、いつ、どこで、何を感じたか。その違いを残しながら、普段の街の読み方を変える仕事である。出発点となるのは、匂いに注意を向けて歩くsmellwalk(スメルウォーク)だ。
基本情報
名前:Kate McLean(ケイト・マクリーン)
活動:匂いの地図制作、スメルウォーク、感覚情報のデザインと研究
活動名・公式サイト:Sensory Maps
学位:英国ロイヤル・カレッジ・オブ・アートの博士号。博士論文は2019年の『Nose-first: practices of smellwalking and smellscape mapping』
2026年のCityscape Globalの登壇者紹介では、Kate McLean-MacKenzieの名でSensory Mapsの創設者として掲載されている。以下では、作品・論文で広く使われるケイト・マクリーンの表記に統一する。
グラフィックデザインから、匂いの記録へ
エディンバラで出会った、記録の難しい感覚
マクリーンが匂いの地図に取り組み始めたのは、エディンバラ・カレッジ・オブ・アートでグラフィックデザインの修士課程に学んでいた頃である。都市の味、手触り、見た目、匂いを、それぞれ地図にしようとした。なかでも匂いは記録することが難しく、その難しさが探究の対象となった。
道路や建物なら、輪郭を描いて位置を示せる。だが匂いは、感じた瞬間から変わり、発生源が見えるとも限らない。そこに記憶や好き嫌いも重なる。マクリーンの仕事は、そうした揺れを切り捨てずに、他の人へ伝わる形を考える方向へ進んだ。
2010年のパリ作品で集めた、場所と記憶のつながり
初期のパリ作品は2010年に制作された。マクリーンはかつて2年間暮らした街について、住民や元住民らに、ある問いを投げかけた。
「どんな匂いが、あなたにパリを思い出させますか?」
— ケイト・マクリーン
答えには、建物や食べ物だけでは説明できない、個人と街との関係が表れた。たとえば一人の女性は香水を選び、街を離れるときにはイヴ・サンローランの「パリ」を故郷の思い出として持っていくと説明した。マクリーンは匂いの入った瓶と地図を展示し、来場者が連想したことを付箋に残せるようにした。
同じ匂いを嗅いでも、全員が同じ場所を思い出すわけではない。彼女は展示で集まった短い記述を、さらにデジタルの表現へ組み直していく。地図は匂いの位置を示すと同時に、その匂いから別の場所へ移る記憶を受け止める器になった。
マクリーンが関心を寄せるのは、都市の代表臭を多数決で決めることではない。2013年の言葉は、その焦点をよく示している。
「私が本当に関心を持っているのは、人々が匂いを説明するときの物語や、感情的なつながりです。」
— ケイト・マクリーン
スメルウォークで、匂いの経験を集める
空気を受け取る、発生源に近づく、同じ種類を比べる
マクリーンが公開する2020年版「Smellfie Kit」は、街を嗅ぐ行為を三つに分けている。最初はSmell Catching。一定の歩調で歩き、空気に乗って鼻へ届く匂いを受け取る。次はSmell Hunting。匂いがありそうな場所や物へ近づいて探す。そしてSmell Researchでは、葉や店の入口など一つの種類を選び、異なる四つの例を比較する。
この順序には意味がある。歩いているだけで届く匂いと、近づいて初めて分かる匂いは、街の異なる層を示す。同じ「葉」「入口」と名づけたものでも、実際の経験は一様ではない。観察の仕方を変えることで、最初から知っているつもりの分類を確かめ直せるのである。
匂いの名前と、感じた強さを別々に書く
同キットの記録用紙では、場所、匂いの名前、強さ、持続、好き嫌い、予想していたかどうか、連想や考えを書き留める。強さ・持続・好き嫌いは、それぞれ1〜7の尺度で評価する。三つの方法で四つずつ、計12の経験を記録し、最後にその日の街歩きを代表する匂いを一つ選ぶ仕組みだ。
ここでの数値は、参加者が自分の知覚を整理した値である。「強い」は空気中の成分濃度を意味せず、「長い」も分子の寿命を測った値ではない。感じた強さと快・不快を別欄にすることは、強烈だから嫌い、穏やかだから好き、という早合点を避ける助けになる。
この分け方は、香水を言葉にするときにも示唆を与える。何に似ていたか、どれほど強く感じたか、何を思い出したかは、それぞれ別の問いである。記述が一致しないときも、すぐに一人の表現を正解にする必要はない。マクリーンの記録用紙は、その違いを残せる形になっている。
アムステルダム——言葉を色と輪郭へ移す
2013年4月、44人が歩いた街
「Smellmap Amsterdam」は、制作過程を具体的にたどれる作品である。調査は2013年4月の4日間。44人が10回のスメルウォークを行い、650件を超える匂いの知覚を記録した。マクリーンは書かれた説明を50の大きなカテゴリーへ整理し、頻繁に挙がる匂いと、意外な匂いの両方を作品に取り入れた。作品ページで示す年は2014年であり、調査した年とは異なる。
その春の記録に現れたのは、ワッフルの温かく粉っぽい甘さ、アジア系やスリナム系の飲食店・食料品店から漂うスパイス、ニシンの酢漬け、古い本、洗濯物などである。街の有名なイメージから答えを先に決めるのではなく、歩いた人の鼻が拾ったものを並べると、食事、商い、住まいが重なる別の都市像が見えてくる。
大麻の匂いも記録されたが、最終的な地図には採用されなかった。公式作品説明では、限られた地区に現れたことをその理由としている。これはアムステルダムにその匂いがないという意味ではない。地図には、観察の範囲と、作者による選択があるのである。
色は街の風景から、輪郭は匂いの広がりから
マクリーンは、参加者の言葉をそのまま地図上の説明に使う一方、色は街の建築の細部、素材、植物、空などを写した写真から着想した。匂いと色の間に、誰にでも共通する対応表があると考えて塗り分けたわけではない。
同心円は、感じられた強さと発生源の物理的な大きさを組み合わせて、匂いの広がりを示す。その輪郭を、調査中の風向きを踏まえて変形させる。運河は淡い背景として残し、街のどこなのかを読む手がかりにした。色も輪郭も、知覚を読める形へ変換するためのデザイン上の判断である。
「ある場所で何を嗅ぐかもしれないかを示す、提案なのです。」
— ケイト・マクリーン
この地図は、都市全域の化学物質を連続測定した濃度分布図ではない。輪郭線の内側なら必ず同じ匂いがするという保証でもない。匂いが移動し、混ざり、消える可能性を、観察記録から考えるための表現である。
紙の地図に、実際に嗅げる匂いを添える
アムステルダム作品では、香料会社IFFとの協働により、地図の視覚表現に匂いそのものを組み合わせた。11の都市の匂いと、それらを用いた一つの混合香が用意され、来場者は嗅いだ連想を付箋へ書いた。街の記録を読む人が、次の経験の記録者にもなる仕組みである。
ここでも、採取した都市の空気をそのまま保存したものと、展示のためにつくった香りは区別する必要がある。マクリーンが匂いの構想を伝え、IFFが香りを制作する。地図と香りは、当日の街の完全な複製をつくるためではなく、場所についての感覚や思い込みを問い直すために組み合わされている。
作品は2014年にアムステルダムのMediamaticで展示され、2018年にはニューヨークのクーパー・ヒューイット、スミソニアン・デザイン・ミュージアムの「The Senses: Design Beyond Vision」にも出品された。いずれも過去の展示である。
シンガポールとキーウ——匂いに時間を戻す
同じ道の朝と夕方を重ねる
「Odours of the morning and the evening: Singapore」は、2015年の調査に基づく2017年の作品である。同じ道を朝と夕方に歩き、その匂いの経験を比較した。マクリーンは参加者の知覚を手で描き、輪郭をつくってから、朝夕のデータを重ね合わせた。
比較の対象となるのは、単に匂いがあった場所の違いだけではない。どのくらいの間、その匂いが感じられたかも表現される。同じ道という条件をそろえながら時間帯を変えることで、一枚の地図では固定されて見える都市にも、時間の差があることを示した。
7人の経験を動かす、2016年のキーウ作品
キーウの「Temporalities of the Smellscape」は、2016年のデジタルアニメーションである。その一つ「Taking a Line from its Walk」では、一緒に歩いた7人の匂いの経験を動きとして表した。同じ散歩をしていても、匂いを感じるタイミングや続き方は重なり切らない。
画面上の記号が薄れていく表現は、揮発する匂いと、人がその匂いに順応していくことを参照する。作者は歩調、心拍、嗅ぐリズムなど、複数の時間が街歩きに関わると説明している。別のアニメーションでは個々のスメルウォークの連なりを重ね、匂いが消えた後にも発生源を残す。
これは2016年の作品として読む必要がある。現在のキーウの匂いや暮らしを伝える実況ではない。作品が残すのは、その場所と時間に身を置いた人々の知覚である。
地図制作から研究、執筆へ
2019年の博士論文で、マクリーンは匂いと空間、場所、時間、人との関係を体系的に検討した。シンガポールとキーウは、その二つの事例研究である。匂いを集める歩き方と、それを表す記号・手順を一緒に考えることが、感覚情報を伝えるデザインの研究になった。
大学教育にも携わり、ケント大学ではグラフィックデザインの学士課程の設計・立ち上げを行った。本人は2024年9月から最初の本の制作に集中するため一年間離れると記し、同大学の2025年の卒業制作カタログも、前課程責任者として彼女の書籍制作に向けた活動を伝えている。2026年の登壇者紹介では、都市の匂いを扱うアトラスを執筆中で、刊行予定は2027年とされる。
現在の活動を過去の大学の肩書だけで説明すると、この変化を見落とす。マクリーンの仕事は、参加者と歩くこと、展示すること、研究として手順を検討すること、そして本へまとめることを行き来している。
香りを語る言葉を、街で増やす
マクリーンの地図を読む面白さは、都市を眺めるための新しい図柄にとどまらない。匂いの名前を付け、感じた場所や時間を書き、別の人の記述と照らす。その過程そのものが、日常の香りを具体的に考える方法になっている。
香水を嗅ぐときにも、好き嫌いを決める前に、何に似ているのか、どの経験を思い出すのかを言葉にできる。マクリーンが街で残す記録は、そうした観察を香水瓶の外へ広げてくれる。過去の匂いを文章や絵画から読み解くOdeuropaの研究と合わせて読むと、香りの文化には、匂いそのものとともに、人が何を感じ、どう語ったかを残す仕事があることも分かる。
参考文献
- Miller Harris「Q&A With Kate McLean」(2018年)— 本人インタビュー
- Royal College of Art「Nose-first: practices of smellwalking and smellscape mapping」(2019年)— 博士論文の書誌と研究概要
- Cityscape Global「Dr. Kate McLean-MacKenzie」— 2026年の登壇者紹介と執筆活動
- Bianca Bosker「The Graphic Designer Who Maps the World’s Cities by Smell」(2017年)— 初期の制作と本人の言葉
- Kate McLean「Smell Map Narratives of Place—Paris」(2014年)— 2010年の作品と参加者の記述
- Joseph Stromberg「Mapping the Smells of New York, Amsterdam and Paris, Block by Block」(2013年)— 本人インタビュー
- Kate McLean「Smellfie Kit 2020」— 街歩きの方法と記録用紙
- Sensory Maps「15: Smellmap Amsterdam」— 調査規模、匂いの選択、作品年
- Kate McLean「Smellmap: Amsterdam – Olfactory Art & Smell Visualisation」(VISAP 2014)— 色・輪郭の設計とIFFとの協働
- Cooper Hewitt「The Senses: Design Beyond Vision」(2018年)— 展覧会の公式発表
- Sensory Maps「32: Odours of the morning and the evening: Singapore」— 2015年の調査と2017年の作品
- Sensory Maps「33: Temporalities of the Smellscape: Kyiv」— 2016年のアニメーション作品
- Sensory Maps「About」— 本人の活動紹介と2024年時点の執筆計画
- University of Kent「School of Arts and Architecture End of Year Show 2025 Catalogue」— グラフィックデザイン課程の紹介


