「香りだけでは、まだ全体像の半分にすぎない。それに寄り添う『物語』こそが、香りを特別なものにする」——ヨシュカ・クレー(Joschka Klee)
基本情報
ヴァポマンダム(vapormundum)は、ドイツの独立系ニッチ香水ブランドである。創業者はヨシュカ・クレー(Joschka Klee)ただ一人で、ブランドの立ち上げ、調香、瓶詰め、パッケージング、発送まで、すべて彼自身の手によって行われている。公式にブランドとして始動したのは2023年8月のことであり、拠点はドイツ・ノルトライン=ヴェストファーレン州のヘルツォーゲンラート、アーヘン近郊である。公式サイトは vapormundum.com。なお「vapormundum」はラテン語風の造語で、「vapor(ヴァポル/蒸気・香り)」と「mundum(ムンドゥム/世界)」を組み合わせたもので、「香りの世界」というような意味合いを持つとされる。日本語では「ヴァポマンダム」のほか、「ヴェイパーマンダム」と紹介されることもある。
創設者・ブランドの成り立ち
ヨシュカ・クレーの物語は、幼少期のある奇妙な癖から始まる。彼は子どもの頃から、あらゆるものの匂いを嗅ぎたがる好奇心旺盛な少年であった。食べ物であれ花であれ、鼻を近づけて確かめずにはいられなかったという。ドイツ語ポッドキャスト「DerDuftDude(デア・ドゥフト・デュード)」で、クレーはこんな幼い日の話をしている。母親が料理を出すと、まず匂いを確認してからでないと食べようとしなかったといい、母は「いいから早く食べなさい」とあきれていたそうである。この人一倍敏感な嗅覚——本人は「特別に優れた鼻を持っているとは思わない、ただ人より好奇心が強く、鼻という“筋肉”を鍛えることに熱心だっただけだ」と謙虚に振り返っている。
香りへの興味が趣味の域を超えて調香という創作行為に向かったのは、彼が成人してからのことである。パフュームブログを読みあさり、香水を集め、レビューを追いかける日々の中で、自宅で香りを作るホビー調香師と偶然出会ったことが決定的な転機になったという。この出会いをきっかけに、クレーは自分の手で香りを組み立てることを決意した。
作業場は、当初は実家のボイラー室(ドイツ語でハイツングスケラー)という、お世辞にも恵まれた環境とは言えない場所だった。クレー自身、「夜型人間なので、他の人がゲームをしているような夜の時間に、香料を混ぜ合わせていた」と振り返っている。その後、最初に借りたアパートの地下室や屋根裏へと作業場を移しながら、実に長い年月をかけて技術を磨いていった。彼は完全な独学の調香師であり、専門学校などでの正規のトレーニングは受けていない。ネット上のフォーラム「Basenotes(ベースノーツ)」を読み込み、著名な調香師サム・メサ(Sam Mesa)の有料講座も受講したというが、「基礎はすでに独学で身についていたので、あまり活用できなかった」と語っている。影響を受けた存在として、すべてを自分の手で作り上げるスタイルを貫くタウアー・パフュームのアンディ・タウアー(Andy Tauer)、そして調香師ジャン=クロード・エレナ(Jean-Claude Ellena)の著書を挙げており、エレナがグラースの山間に工房を構えていると知り、「いつか自分もボイラー室ではなく、そんな家で香りを作りたい」と夢見ていたという。実際、一時期は廃墟のような空き部屋を間借りして調香を続けていた時期もあったとクレーは明かしている。
いつからか、彼は自作の香りに正式なブランド名すら付けず、ノートに「Trial(トライアル/試作)」とだけ書き込んでラベル代わりにしていた。転機が訪れたのは、友人から「そろそろちゃんとブランド名を考えたほうがいい」と勧められたときである。当時はまだChatGPT(チャットジーピーティー)が登場する前だったため、二人でグーグル翻訳を使い、ラテン語風の単語をいくつも試した末に、「vapor(ヴァポル/蒸気・香り)」と「mundum(ムンドゥム/世界)」を組み合わせ、「香りの世界」を意味する造語として「vapormundum」を選び取ったという。後年、そこに自身の名前「ヨシュカ・クレー」を添えるようになったのは、香水がまさに自分自身を映し出すものだという思いからだったとクレーは語っている。
並行して彼は、パフュームブログ「Soul of Sense(ソウル・オブ・センス)」を運営し、香水業界の流通業者やPRエージェンシーとも接点を持つようになる。この経験を通じて彼は、無差別に大量の商品サンプルを送りつけては「これでコンテンツを作ってくれ」と要求する業界の慣行に違和感を覚えたと語っており、自身のブランド運営では過度な宣伝を避ける姿勢につながっている。また、アーヘンの香水専門店でしばらく働いていた経験もあり、そこでは自身の香水も販売されていたという。
2023年、クレーはついに満を持してヴァポマンダムを正式なブランドとして立ち上げる。当初は一つの香りだけでスタートする計画だったが、最終的には「エレクトリ(Electri)」と「アウラ(Aura)」の二作を同時にリリースすることになった(エレクトリのほうが先に完成していたため、クレーは「エレクトリが最初の香りだ」と説明している)。ブランド立ち上げにあたり彼が目指したのは、業界最大手のニッチブランドに肩を並べることではなく、あくまで「ニッチであり続けること」だったという。
「大成功するブランドになろうとは思っていなかった。もちろん成功も収入も欲しいが、それより大事だったのは、自分のためだけでなく、他の人たちのためにも香りを作り続けられることだった」——ヨシュカ・クレー
立ち上げ初期の道のりは決して平坦ではなかった。クレーいわく、最初の数か月はオンラインストアでの売り上げがほとんどなかったという。しかし、彼が忘れられないと語る「最初の売買」の記憶はさらに昔にさかのぼる。大学の同級生に、彼のためだけに作った30mlの香水をわずか20ユーロで売った瞬間であり、「お金を稼げるんだ」と驚いたことが、今でも一番印象に残っているという。ブランド立ち上げ後の転機となったのは、香水系ユーチューバー「ミッキー・モニュメンタル(Mickey Monumental)」による本格的なレビュー動画である。この動画をきっかけに注文が急増し、初めて1日の売上が1000ユーロに達した日のことを、クレーは「あり得ない、と思った」と振り返っている。
なお、ネット上では長らく「ヴァポマンダムの創業者は19歳の天才調香師」という噂が広まっていたが、これは事実ではない。アメリカのある香水店やコンテンツクリエイターまでもがこの誤情報を紹介したこともあったといい、クレー自身は2026年2月公開のインタビューで28歳であることを明かしている。彼はこの噂について「ちょっとしたお決まりのジョークになっている」と笑いながら語っている。
ブランドのこだわり
クレーにとって、香りづくりはそれ単体で完結する行為ではない。彼は香水を音楽、絵画、詩といった他の芸術形式と組み合わせ、アートエキシビションという形で発表することに喜びを見出してきた。「vapormundum」というブランド名そのものが「香りの世界=物語の入口」であるという発想の延長線上にあり、香りを通じて物語を紡ぎ、その香りに意味を与えるという考えが、ブランドの芯を通っている。
ヴァポマンダムを特徴づけるもう一つの要素が、「カスタマイズ可能なアコード(追加の香調)」というコンセプトである。多くのニッチブランドが人気商品のフランカー(派生版)を大量に投入する中、クレーはあえて一つの香りに対して複数の「追加アコード」をセットで提供し、着用者自身がその日の気分で香りを調整・再構築できるようにしている。たとえば「セルパン(Serpent)」には、無垢な花の顔を演じる「イノセント・フラワー・アコード」と、毒を秘めた牙を見せる「フェイタル・ポイズン・アコード」の対照的な二種が用意されており、着用者は「獲物になるか、捕食者になるか」を自ら選ぶという仕掛けになっている。クレー自身はこの点について、瓶(フラコン)そのものへのこだわりは「そこまで重要ではない」としつつも、「安っぽい(tacky)フラコンは好きではない。シンプルであっても高級感を感じさせるものであるべきだ」と語っており、パッケージについては磁石式の化粧箱を採用するなど品質を重視していると明かしている。もっとも、このパッケージについては一部のレビュアーから「香水瓶自体は美しいが、外箱の紙質はもう少し高級感を出せるはずだ」との指摘もなされている。
香料は、フランス産などの天然香料とシンセティック(合成)香料を組み合わせる。エクストレ・ド・パルファム(extrait de parfum、香料濃度の高い香水)の本体は50ml。これに8mlの追加アコードが2本付属し、セット全体で66mlとなる。価格は紹介時期や仕様によって150〜195ユーロほどで、2026年9月の公式販売価格では「セルパン」「デゼルタ」ともに195ユーロ。ニッチ香水市場の中では中〜上位の価格帯に位置する。
香水ラインナップ
ヴァポマンダムの香りは、いずれもテクノミュージックやレイヴカルチャー、あるいは特定の風景や物語といった、明確なコンセプトを起点として構築されている。
- エレクトリ(Electri):2023年発表のブランド最初期の香り。テクノレイヴの「夜の空間を支配する者たち」のために作られたと説明され、シャンパン、インセンス(乳香)、ラブダナム、パチュリ、サンダルウッド、バニラという構成で、華やかさと重厚な暖かさを併せ持つ。
- アウラ(Aura):同じく2023年発表。「ダーク・チェリー&ウードの夢」と称され、テクノシーンの「柔らかな側面」を表現したとされる。チェリー、ローズ、ウード、インセンス、パチュリ、サンダルウッドなどが折り重なる。
- デゼルタ(Deserta):2024年発表。コロンビアのタタコア砂漠の夜の風景に着想を得た香りで、日中に大地が蓄えた熱を、夜の砂漠が冷えるにつれて放出していく様子を表現している。ソーラーノート、土、パチュリ、シダーウッド、アンバー、バニラで構成され、追加アコードには、コロンビアで親しまれるパッションフルーツ「クルバ」を描いた「ジューシー・クルバ」と、ココナッツミルクを思わせる「ミルキー・ココナッツ」の2種が用意される。
- セルパン(Serpent):公式サイトでは2024年の作品として紹介されている(香水情報サイトには2025年表記もある)。シェイクスピア『マクベス』の一節「無垢な花のように見えて、その下に潜む蛇であれ」を引用した、毒を秘めたバラのエリクサーというコンセプトの香りである。
- インカロ(Incaro):2025年発表の限定作。コンテンツクリエイターのジョノワール(JoNoir)とのコラボレーションで、日の出と日没をテーマにした二つのアコードが付属し、生産数はわずか40個に限定された。
- バーニング・チーズケーキ(Burning Cheesecake):2025年発表。パルフュムリー・ルブナー(Parfumerie Lubner)との共同制作によるグルマン系の香りで、同店限定で販売されている。
このほかクレーは、自身のブランド以外にも他社ブランドの香水を調香師として手がけている。ガーナの文化遺産に着想を得た「ルーツ・オブ・ケンテ(Roots of Kente)」(ブランド「twentysecondofmay(トゥエンティセカンド・オブ・メイ)」向け)はその一例であり、クラシック音楽の交響曲を出発点とした日本のブランド向けの調香案件も経験したと本人が語っている。香水評価サイト「Parfumo(パルフモ)」では、クレーが手がけた作品群の平均が8.1点(10点満点)と紹介されたこともある。評価は投稿に応じて変動するが、小さな工房の香りが愛好家の間に届いている様子がうかがえる。
ちなみに…
ヴァポマンダムの香水は、レビュー動画をきっかけに海外にもファンを広げており、クレー自身、ニューヨークの実店舗に自身の香水が置かれるようになったことを「かなりクールな店だ」と喜びを込めて語っている。また、たびたびネット上で流布した「19歳の天才調香師」という噂について、あるアメリカのコンテンツクリエイターの動画紹介文にまでこの誤情報が使われたことがあったといい、クレー自身は「実際には28歳だ」と笑いながら訂正している(このやり取りはポッドキャスト収録時点の年齢に基づく)。
クレーの人柄をもっと知るなら、「デア・ドゥフト・デュード」でのロングインタビューが面白い。子どもの頃の癖から、ボイラー室での試作、最初の売り上げまで、本人の言葉で香りづくりの日々がつながっていく。公式サイトに描かれた香りの物語や、「パルフモ」「Parfinity(パルフィニティ)」の紹介、ユーチューバーたちのレビューを重ねて読むと、この2023年に始まった小さなブランドの輪郭が見えてくる。受賞歴や事業規模の数字よりも、一人の作り手と、そこから生まれる香りに目を向けたくなるブランドである。
参考文献
- About The Brand(ヴァポマンダム公式ブランドストーリー)
- Discover Vapormundum by Joschka Klee(Parfinityブランド紹介)
- Joschka Klee: German Perfumer Redefining Niche Fragrance(Parfinity調香師紹介)
- Joschka Klee | LinkedIn(本人LinkedInプロフィール)
- Vapormundum » Fragrances, Reviews and Information(Parfumoブランドページ)
- Burning Cheesecake by Vapormundum(Parfumo商品ページ)
- Incaro by Vapormundum(Parfumo商品ページ)
- Joschka Klee – All Perfumes and Facts(Parfumo調香師ページ)
- Serpent(ヴァポマンダム公式商品ページ)
- Aura(ヴァポマンダム公式商品ページ・独語版)
- Duftnasen unter sich! Parfum-Talk mit Joschka Klee von Vapormundum(DerDuftDudeポッドキャスト・文字起こし)
- vapormundum | Retail(ヴァポマンダム公式LinkedInページ)
- Deserta(ヴァポマンダム公式商品ページ・独語版)
- Electri(ヴァポマンダム公式商品ページ)
- ULTRA Nische? Made in Germany? VAPORMUNDUM – ich teste…(Mickey Monumentalレビュー動画)
- Vapormundum Aura – Sample & Full Bottle(Parfinity商品ページ)
- Vapormundum Deserta – Test Sample(Parfinity商品ページ)
- Vapormundum Serpent – Sample & Full Bottle – Parfinity
- Mein eigenes Parfum?! Parfumeur Joschka Klee zeigt mir seine aktuellen Projekte!😳😳😳
- BURNING CHEESECAKE (2025) • VAPORMUNDUM • ScentAdvice
- Deserta(ヴァポマンダム公式商品ページ)


