ランバン(LANVIN)香水ブランド紹介 ― フランス最古のオートクチュールが香りに宿した「愛」の物語

ランバンの世界観と代表製品「Éclat d'Arpège Eau de Parfum 50ml」を表現したブランドイメージ ブランド創業者

「ファッションのことでも、予算のことでもなく、私が求めているのは完璧さだ」

— ジャンヌ・ランバン、調香師アンドレ・フレッセへの言葉

基本情報

設立年: 1924年(ランバン・パルファン社設立)※ファッションハウスは1889年創業
創設者: ジャンヌ・ランバン(Jeanne Lanvin)
公式サイト: https://us.lanvin.com
現在の香水事業運営: アンテルパルファン(Interparfums)
読み方: 「ランバン」(フランス語では語末の「n」を鼻母音で発音するため、日本語では「ランヴァン」と表記されることもあるが、日本の市場では「ランバン」が一般的)

創設者・ブランドの成り立ち

11人きょうだいの長女として

1867年1月1日、ジャンヌ・マリー・ランバンはパリに生まれた。父ベルナール=コンスタン・ランバンは活字職人、家族は慎ましい暮らしを送っていた。11人きょうだいの長女として育った彼女は、幼い頃から独立心が旺盛で、その気性が後に稀有な運命を引き寄せることとなる。

13歳になるとジャンヌは働き始める。パリのミリナー(婦人帽子職人)の店へ帽子を届けるために、彼女は馬車バスを追いかけて走ったという。バス代を節約するためだった。界隈では「プティ・オムニビュス(小さなバス娘)」と呼ばれ、その勤勉さと度胸で評判を取っていった。

数年の修業を経て、1883年頃にはフォーブル・サントノーレ15番地にある「フェリックス」工房の帽子職人として認められるようになる。当時彼女が通った店の住所は、後にランバン・メンズウェアのアドレスとなる場所と一致している。

帽子屋から始まった帝国

1889年、22歳になったジャンヌは自ら資金を調達し、ボワシー・ダングラス通り16番地のビルの上階に帽子店「ランバン(マドモアゼル・ジャンヌ)モード」を開いた。手元にあったのは現金わずか40フランと300フランのクレジットだったという。しかしその才能は際立っており、店はたちまち評判を呼ぶ。4年後の1893年には、パリでも最も格式高いフォーブル・サントノーレ22番地に移転し、エポニムのファッションハウスを正式に開設した。パリジェンヌたちはこぞって「ランバン」に集まった。

転機:愛娘マルグリットの誕生

1895年、ジャンヌはイタリア貴族エミリオ・ディ・ピエトロ伯爵と結婚した。婚姻は長続きせず1903年に離婚となったが、この短い結婚がジャンヌの人生を根底から変える出来事をもたらした。1897年、一人娘マルグリット・マリー=ブランシュが誕生したのである。

マルグリットはたちまち母の「ミューズ」となった。ジャンヌは惜しみない愛情を注ぎ、最高級の生地を使って娘のために夢のようなドレスを仕立てた。その美しさに娘の友人の母親たちが魅了され、「私たちにも作ってほしい」と注文が殺到する。子供服への需要がきっかけとなり、ジャンヌは1908年に子供服部門を開設。1909年には少女服・婦人服部門へと展開し、同年パリ・クチュール組合(シャンブル・サンジカル・ド・ラ・クチュール)に加盟して「帽子職人」から「デザイナー」へと正式に転身した。

ジャンヌは社交的な性格ではなく、パリのクチュール界の華やかな社交行事には距離を置いていた。公式サイトには「ジャンヌは自分の世界を好んだ。母であり、ビジネスウーマンであった」と記されている。その姿勢はかえってブランドの純粋さを守ったともいえる。

1901年には作家エドモン・ロスタン(『シラノ・ド・ベルジュラック』で名高い)がランバンに自らのアカデミー衣装のデザインを依頼した。続いてポール・ヴァレリー、ジョルジュ・デュアメルなど60着以上のオーダーが続き、ランバンはメンズのテーラリングにも進出した。

事業の急拡大と「ランバン・ウェイ・オブ・ライフ」

1920年代にはブランドはさらなる飛躍を遂げる。1920年、ファッションデザイナーのポール・ポワレが主催したイベントで、ジャンヌは建築・装飾家アルマン=アルベール・ラトー(Armand-Albert Rateau)と出会った。二人は協力して、フォーブル・サントノーレ15番地に「ランバン・デコラシオン」と呼ばれるインテリア部門を立ち上げ、純粋なアール・デコ様式の家具、絨毯、カーテン、ステンドグラスを展開した。

1925年のパリ国際装飾芸術博覧会では、ラトーが設計した「エレガンス館」に出展。ジャンヌはここでもファッションを建築・装飾芸術と対等な文化表現として位置付けた。ジャンヌのパリ邸(16区)の室内装飾はラトーが手がけ、現在もその一部はパリの装飾芸術美術館(ミュゼ・デザール・デコラティフ)に保存・展示されている。

1925年には23のアトリエがランバンの名の下に稼働し、従業員は800人にのぼっていた。同年にはカンヌとル・トゥケに支店を出店。1926年にはメンズ、毛皮、ランジェリー部門も開設し、1927年だけでドーヴィル、ビアリッツ、バルセロナ、ブエノスアイレスに新店舗をオープンするなど、事業を急速に拡大した。

1926年には女性クチュリエールとして初めてレジョン・ドヌール勲章(シュヴァリエ)を受勲し、1938年には同勲章のオフィシエに叙せられた。

香水部門の誕生:「嗅覚のアクセサリー」

ランバン・パルファン社の設立

1924年、ジャンヌはシャンゼリゼ大通り4番地(ロン=ポワン・デ・シャンゼリゼ)に「ランバン・パルファン社(Lanvin Parfums SA)」を設立した。帽子職人として培った美学がそのまま香水への哲学につながっていた。「香りもまた、女性のドレッシングテーブルに欠かせないアクセサリーだ」という信念のもとで、ジャンヌは香りの世界に踏み出した。

最初の調香師はロシア出身とされる女性、マリア・ゼド(Maria Zède)だった。第一作「イリゼ(Irisé)」を皮切りに、「カラ・ジャヌン(Kara Djenoun)」、「ル・シヨン(Le Sillon)」、「シプル(Chypre)」など、1925年までに14もの香水を世に送り出した。なかでも1925年に発売された「マイ・シン(My Sin)」は、アルデヒドとフローラル・アニマル・ウッディ調を組み合わせた作品で、特にアメリカ市場で大ヒットを記録した。

アンドレ・フレッセとの出会い

1925年、ジャンヌはひとりの若き調香師の才能に目を留めた。アンドレ・フレッセ(André Fraysse、1902-1984)、当時わずか23歳前後の青年だった。彼はナンテールにあるランバンの研究所に加わり、ランバンの専属調香師として活躍することになる。

フレッセはかつてこう語った。

「愛と同様に、香りは最初の接触から女性を虜にしなければならない。」

— アンドレ・フレッセ

この言葉は彼の創作哲学を端的に表している。フレッセはランバンのために「アルページュ(Arpège)」(1927)、「スキャンダル(Scandal)」(1933)、「ルムール(Rumeur)」(1934)、「プレテクスト(Prétexte)」(1937)などを次々と生み出し、戦間期のランバン香水の黄金時代を支えた。

伝説の誕生──アルページュ(Arpège)

1927年、ランバン香水史における最大の転換点が訪れる。娘マルグリットの30歳の誕生日を祝うため、ジャンヌは「世界で最も美しい香り」を贈ろうと決意した。調香師フレッセとポール・ヴァシェ(Paul Vacher)に依頼する際の言葉が冒頭に掲げたものだ——「ファッションのことでも予算のことでもなく、私が求めているのは完璧さだ」。

金に糸目をつけず、フレッセはブルガリアン・ローズ、グラースのジャスミンなど最高級の原料を惜しみなく使い、スズラン、ネロリ、イランイランなどの花々を思わせる香りを重ねた。約60種の香料を組み合わせたとされる「千の花の香り」とも称されるこの作品は、アルデヒドの輝きが香りに知性的な艶を添える、クラシック・フローラルの傑作である。

完成した香りを初めて嗅いだマルグリット——彼女はすでにオペラ歌手としても活躍する音楽家だった——は思わず叫んだ。「まるでアルペジオね!」と。音楽の「arpeggio(アルペジオ/分散和音)」から取られた名前「アルページュ」はこうして生まれ、この香水はランバンの永遠のシンボルとなった。

後年、フランスの小説家ルイーズ・ド・ヴィルモランはアルページュをこう評した。

「アルページュは音楽的な香りだ。幸福な歌をさやさやと囁き、洗練された贅沢さと、優雅さの奇跡をたたえている。」

— ルイーズ・ド・ヴィルモラン

ジャンヌ・ランバンの晩年と香水事業の継承

1933年には、ジャンヌ自らが「男性と女性の両方のための」香水として「ロー・ド・ランバン(L’Eau de Lanvin)」を発売し、ジェンダーを越えた香水の先駆けとなった。ブランドはこれを「初のオー・ミクスト(eau mixte)」と紹介している。

1946年7月6日、ジャンヌは79歳でパリで息を引き取った。帽子職人から始まり、クチュリエール、室内装飾家、香水製造事業者、実業家として、一代で巨大なメゾンを築き上げた人生だった。死後、娘マリー=ブランシュがブランドの社長に就任し、1950年まで衣装コレクションの指揮を執り続けた。

香水部門は後年複数のオーナーのもとで存続し、2004年にアンテルパルファン(Interparfums SA)がランバンのフレグランスのライセンス契約を締結。2007年には約2970万ドルの現金でランバンの香水ブランドと国際商標(クラス3)を正式に買収した。2021年の合意により現在は2027年7月1日時点でランバン社が7000万ユーロ(2025年度の年次報告書では約8200万ドルと換算)で買戻しを行使できるオプションが設定されており、その行方が業界では注目されている。

ブランドのこだわり

香りづくりの哲学:「アクセサリーとしての香り」

ジャンヌ・ランバンにとって、香りはファッションの延長線上にあった。帽子職人としての美学——細部への執着、素材の質感、トータルなスタイルの完成——がそのまま香水づくりに反映されている。「香りもアクセサリー」という考えのもと、妥協なく最高峰の原料を使うことが創業来の原則だった。アルページュの誕生秘話に象徴されるように、コストを度外視した創造への姿勢はランバン香水の精神的な核となっている。

ボトルデザイン:芸術作品としてのフラコン

アルページュのボトルは、香水史上最も美しいフラコン(瓶)のひとつとして知られている。真っ黒な球体のガラス瓶は、アール・デコの巨匠アルマン=アルベール・ラトーがデザインしたもので、女性の体の曲線を表現した細い首が特徴的だ。

この黒いボールの上に金色で描かれたイラストがあり、晩餐会に出かける前に娘と踊るジャンヌの姿が描かれている——アーティストのポール・イリブ(Paul Iribe)によるものだ。このシルエットはそのままランバンのブランドロゴとなり、現在に至るまで「母と娘の絆」の象徴として機能している。

1993年には伝説のアルページュがアンドレ・フレッセの弟、ユベール・フレッセ(Hubert Fraysse)によって再調合された。原典へのリスペクトを保ちながら現代に合わせた処方で、香水界では珍しく成功したリフォーミュレーションとして評価されている。

ランバン・ブルーと素材へのこだわり

ランバンを語る上で欠かせないのが、「ランバン・ブルー(Bleu Lanvin)」だ。ジャンヌがフィレンツェで宗教画家フラ・アンジェリコの壁画を眺めた際、その天上的な青に魅せられたことが起源とされている。

彼女はこの情熱を実用に変え、1923年にナンテールに自社の染色工場を設立。そこで実に23種類もの青のバリエーションを独自に開発した。この「ランバン・ブルー」は香水のフラコンにも用いられ、ファッション、アクセサリー、パッケージに至るまでメゾンのアイデンティティを形成する色となった。2025年には新クリエイティブ・ディレクター、ピーター・コッピングのもとでこの青が刷新され、より輝きと深みを増した新ヴァージョンとしてパッケージに復活している。

香水ラインナップ

クラシック・レガシー:ジャンヌ存命中の名香群

ランバンの香水史は「アルデヒド・フローラル」と「レザー・シプレ」という二本の柱で理解できる。前者の頂点がアルページュ(1927)であり、後者の代表格がスキャンダル(1933)だ。

  • アルページュ(Arpège、1927):ブルガリアン・ローズ、ジャスミン、スズランを中心に、約60種とされる香料を組み合わせ、花々の香りにアルデヒドを重ねた「千の花の香り」。シャネル No.5と並び称されるアルデヒド・フローラルの名作。現在もロングセラーとして販売中。
  • マイ・シン(My Sin、1925):アルデヒド、フローラル、アニマル、ウッディノートが驚くほどリッチに混ざり合う挑発的な作品。マリア・ゼドによる最終作品。
  • スキャンダル(Scandal、1933):アンドレ・フレッセによるレザー・シプレの傑作。ベルガモット、ネロリのトップから、ジュフテン(ロシア革)、アイリス、ローズを経て、オークモス、バニラ、ベンゾインの深い余韻へと続く。著名な調香師エドモン・ルドニツカも自著『ル・パルファン』(1980年)の中でこの香水を取り上げ、フルーティ・アルデヒド・レザーの原型として紹介している。1971年に廃盤となったため、現在は入手困難な幻の一本。
  • ルムール(Rumeur、1934):フレッセが手がけたオリエンタル系香水。2006年には新調合でリリースされた。
  • プレテクスト(Prétexte、1937):同じくフレッセ作のフローラル系。

現代ランバンの三本柱

現在のランバン香水(アンテルパルファン運営)のなかから、ここでは代表的な以下の3ラインを紹介する。

エクラ・ドゥ・アルページュ(Éclat d’Arpège)ライン
2002年に調香師カリーヌ・デュブルイユ(Karine Dubreuil)が手がけ、当時のクリエイティブ・ディレクターだったアルベール・エルバスがボトルをデザインした。アルページュへの現代的なオマージュとして、グリーンライラック、シシリアンレモンリーブス、藤、グリーンティーリーブス、ピーチブロッサム、レッドピオニー、ホワイトシダー、スイートムスクを重ねた透明感あるフローラル・フルーティの香り。クラシックなアルページュより若い顧客層に向けた作品として位置付けられた。以来、ボトルデザインを変えたリミテッドエディションもたびたび展開し、コレクターズアイテムとしても親しまれている。

ジャンヌ・ランバン(Jeanne Lanvin)ライン
2008年に発売されたフローラル・フルーティ。ブラックベリー、シトロン、ペアーネクターのトップから、ラズベリー、ホワイトフリージア、ピオニーのミドルへ。サンダルウッド、アンバーグリス、ムスクの温かい余韻が続く。創業者の名を冠したこのラインは、日本でも「モテ香水」として若い世代を中心に支持を集めている。

モダン・プリンセス(Modern Princess)ライン
2016年発売。調香師クリストフ・レイノー(Christophe Raynaud)が手がけた、フルーティ・フローラルの軽やかな香り。ピンクレディアップルとレッドカラントのトップから、フリージアとジャスミンのハートへ。バニラオーキッドとホワイトムスクがベースを彩る。「自由で勇敢な現代の女性」をコンセプトとした作品で、2024年には「モダン・プリンセス・イン・ジーンズ」がフランカー(派生作品)として登場している。

ちなみに…

「約束してみせて、でも贈るならアルページュを」
アルページュには1950年代に生まれた伝説的な広告コピーがある。”Promise her anything, but give her Arpège”——「彼女には何でも約束してみせて、でも贈るならアルページュを」というフレーズだ。ランバン家のベルナール・ランバンによれば、パイロット出身のフレグランス役員がこの文句を思いついたという。その後60年以上にわたって使われ続けたコピーは、「ジャンヌ・ランバン」というブランドの名前を世界中に広める力を持ち続けた。

香水サンプリング・マシン
1930年代、ランバンはアメリカで「電話ボックス型」の香水体験装置を展示したことがあった。中に入ってボタンを押すと、クリーンなエアに続いて選んだ香水がミスト状に噴霧され、複数の香りを順に試すことができた。現代のフレグランス体験イベントの走りともいえる仕掛けである。

誕生からまもなく100年の現役の名香
アルページュは1927年の誕生から現在まで、ほぼ100年近く販売され続けている。シャネル No.5(1921)と並んで、世界で最も長く売れ続けているクラシック香水のひとつだ。1993年のリフォーミュレーション後も「オーセンティシティを損ねない」と評価されることは、香水業界においては珍しいケースである。

参考文献