同じチョコレートの香りでも、自分の文化を意識することで感じ方は変わるのでしょうか。スイス人としての特徴を考える課題の後、スイス人の参加者は、課題をしなかった人たちよりチョコの香りの強さを高く評価しました。注目したいのは、もともとの評価を基準にした「変化」の違いです。
2016年のこの研究は、文化による好みの違いだけでなく、その場で「自分はどの集団の一員か」を意識することが、においの判断に関わるかを二つの実験で調べました。
チョコとポップコーンで、文化との結びつきを比べる
研究者は、スイスとの結びつきが強いチョコレートの香りと、比較用の甘いポップコーンの香りを使いました。まず各香りの強さ、快さ、親しみを0〜10の尺度で評価し、その後に自分やスイスについて考える課題を行いました。課題後は各香りを20回ずつ提示し、最初の評点からどれだけ変わったかを分析しています。
スイスを意識させる課題では、典型的な特徴や関心事、食べ物などを挙げ、スイス人の良い面と悪い面も考えました。単にスイスへの好感を上げることが狙いにならないよう、両方を扱った設計です。香りの名前は最初の評価後に伝えられていました。
最初の実験では、チョコの強さの低下が小さかった
実験1で解析されたのは、ジュネーブ大学の学生50人です。スイス人25人と、スイスに住み学んだり働いたりしている非スイス人25人が、同じスイスについての課題を行いました。
チョコの香りの強さは、課題前に比べてスイス人で平均0.48点、非スイス人で1.65点低下しました。つまり、この実験でスイス人の評価が上昇したわけではなく、繰り返し嗅いだときの低下が小さかったのです。二群の変化量の差は有意でした。
ポップコーンの強さには群差がありませんでした。ただし、「チョコとポップコーンで群差の大きさが違うか」という交互作用はp=.095で、通常の5%基準には達しませんでした。チョコだけに特有の効果という解釈には、この段階では留保が残ります。
研究者はさらに、スイスの都市名と「自分」に関する語を結びつける反応課題を使いました。スイス人では両者を結びつけやすい結果が得られましたが、その反応時間の指標とチョコの強さの変化との相関はp=.056で傾向にとどまりました。自己との結びつきが感じ方を変えるという説明に沿うものの、仕組みを確定する結果ではありません。
二つ目の実験では、スイス人の中でも条件を変えた
実験1だけでは、国籍に伴う経験の違いを十分に分けられません。そこで実験2では、スイス人の中に、スイス人としての自分を考える群、個人としての自分を考える群、そうした課題をしない群を設けました。非スイス人がスイスについて考える群も加え、計78人の学生を解析しました。
チョコの強さの変化量は、スイスを意識したスイス人で平均プラス0.76点、課題なしのスイス人でマイナス0.81点、スイスを意識した非スイス人でマイナス1.00点でした。最初の群と後の二群の差はいずれも有意で、香りの種類と課題条件の交互作用も有意でした。
一方、個人としての自分を考えたスイス人は平均マイナス0.05点で、スイスを意識した群との差はp=.061でした。こちらは有意差に達していません。原著の抄録や考察には個人を意識する条件との違いを強く表す箇所もありますが、すべての対照条件に明確な差が出た、とまとめるのは適切ではありません。
「もっと好き」より、繰り返しても強さが保たれる
両実験で、チョコの快さや親しみの変化に明確な条件差はありませんでした。実験2のポップコーンでも、強さ・快さ・親しみのいずれにも条件差はありません。実験1ではポップコーンの親しみだけに予想外の群差が報告されていますが、チョコをより好きになるという一貫した結果は得られていません。
著者らは、文化と結びつく香りに注意や関心が向くことで、繰り返し嗅ぐうちに感じにくくなる現象が弱まった可能性を考えています。実験1では低下が小さく、実験2のスイス意識群では基準時点より上がったことが、その説明につながりました。
測ったのは本人が判断した香りの強さです。微量のにおいを検出する閾値や、鼻の受容体の働きを測った実験ではありません。どの心理過程が変化を生んだかは今後の課題です。
その場の意識を調べた、小規模な学生実験
参加者は女性が多い大学生で、チョコ以外の文化的な香りや、さまざまな集団にそのまま広げられるかは分かりません。二つの実験のチョコ香料も似てはいるものの同一ではありませんでした。また実験1は、募集総数、国籍別人数、除外人数の記載が整合しないため、ここでは原著が明記した解析人数50人を用いています。
それでも、同じ文化集団の中で考えるテーマを変えて比較した点には意味があります。文化と香りの関係を、固定的な国民性だけでなく、その時に自分が何を意識しているかという観点から調べた研究です。
まとめ
スイスを意識したスイス人は、非スイス人や課題なしのスイス人より、チョコの香りの強さが基準時点から高く保たれる、または上がる結果を示しました。個人としての自分を意識した条件との差は明確でなく、快さが高まるという結果でもありませんでした。
この研究が示すのは、身近な文化との結びつきが、その場のにおいの判断に関わる可能性です。繰り返しても気になる香りを考えるとき、分子や嗅いだ回数だけでなく、その香りが自分にとって何を意味するかも研究の対象になります。
研究はスイス国立科学財団のNCCR、Firmenichからの研究助成、カナダSSHRCと米国NSFの支援を受けました。研究当時、共著者1人はFirmenichに所属し、同社の研究部門による助言・技術協力も謝辞に記載されています。独立した利益相反声明は本文に見当たりません。
参考文献
Coppin G, Pool E, Delplanque S, et al. Swiss identity smells like chocolate: Social identity shapes olfactory judgments. Scientific Reports. 2016;6:34979. doi:10.1038/srep34979


