コーヒーの香りを支える成分には、単独で動物のにおいを思わせるものもあります。その一つがスカトールです。1998年の日本の研究は、加熱殺菌の前後でコーヒー飲料の香りが変わる理由を調べ、スカトールを含む5つの微量成分の減少に注目しました。
スカトールを見つけたこと以上に重要なのは、たくさん含まれる成分の変化だけでは、香りの変化を捉えきれなかった点です。機器分析と人の鼻を組み合わせることで、量は少なくても香りに効きやすい成分が見えてきました。
砂糖と牛乳を加えたコーヒーを、123℃で20分加熱
研究者はアラビカ種の焙煎豆58グラムを熱湯でペーパードリップし、砂糖58グラム、牛乳100グラム、乳化剤、炭酸水素ナトリウムなどを加え、全体を1リットルにした飲料を用意しました。
これを缶に190ミリリットルずつ入れて密封し、一部を123℃で20分加熱して、すぐ冷却。加熱していない飲料と比較しました。家庭でカップのコーヒーを温め直す条件ではなく、加糖・加乳の缶コーヒーを想定した殺菌工程です。
加熱後の飲料と、その香りを集めた濃縮物では、ロースト感や焙煎豆らしさの低下が感じられたと報告されています。ただし、この官能的な比較の人数や統計検定は示されていません。
量の大きいピークだけでは、香りの違いを説明できなかった
まず、揮発成分を分離して量の変化を見るガスクロマトグラフィーで比較しました。酢酸フルフリルなどには変化がありましたが、多くの主要ピークは大きく変わらず、香りの変化に強く関わる成分を十分には捉えられませんでした。
そこで、分離された成分を人が嗅ぐGC-Oを使い、香気濃縮物を薄めながら、どの成分のにおいが最後まで残るかを調べました。希釈しても感じ取れる程度を示すFDファクターが100以上のピークは、加熱前に23、加熱後に20ありました。
FDファクターは、成分の濃さや飲料全体の香りの強さを直接表す値ではありません。同じ分析条件の下で、香りへの寄与が大きそうな成分を絞るための手掛かりです。
減少した5成分には、コーヒー様、ポテト様、動物様の香調があった
加熱後にFDファクターが下がったピークについて、さらに濃縮して質量分析を行い、標準物質と保持時間、におい、質量スペクトルを照合しました。こうして次の5成分を同定しています。
- 2-フルフリルチオール:ローストしたコーヒー様
- メチオナール:調理したポテト様
- 3-メルカプト-3-メチルブチルフォルメート:焙煎コーヒー豆様
- β-ダマセノン:甘い、蜂蜜様
- スカトール:動物様
これらは通常の成分分析の図では独立したピークとして捉えられないほど微量でしたが、低い濃度でも感じ取れる成分です。著者らは、こうした微量成分の減少が、加熱後の香りの違いに大きく関わると推定しました。
スカトールはインドールと構造が近いものの、別の分子です。動物様という単独成分の香調が、コーヒー全体にもそのまま当てはまるわけではありません。この研究での検出は、コーヒーの汚染を示す話でも、スカトールを加えるとおいしくなるという実験結果でもありません。
単独成分の水溶液で、熱に対する違いを確かめる
次に研究者は、5成分をそれぞれ5 ppm含む水溶液を作り、pHを6.8に調整して、同じ123℃・20分の加熱を行いました。飲料中で起こりうる変化を、単純な系で調べるためです。
加熱前に対する残存率は、2-フルフリルチオールが3.6%、メチオナールが26.0%、3-メルカプト-3-メチルブチルフォルメートが0.3%でした。硫黄を含むこの3成分は、今回の条件で特に減少しました。
一方、β-ダマセノンは75.7%、スカトールは79.0%が残りました。同じ加熱でも成分によって変化の大きさが違うことがわかります。これらの割合は単独成分の水溶液で得た値であり、実際のコーヒー飲料中で同じ割合が失われたという意味ではありません。
なくなるだけでなく、別の成分へ変わっていた
減少の大きかった硫黄成分では、加熱後に生じた揮発成分も分析しました。2-フルフリルチオールからはジフルフリルジスルフィドなどが見つかり、著者らは酸化が関わったと考えました。
メチオナールのモデルではジメチルジスルフィドが検出されました。熱分解で生じるとされるメタンチオールがさらに酸化された可能性を論じていますが、メタンチオール自体はこの試験では検出していません。
また、3-メルカプト-3-メチルブチルフォルメートからは、対応するアルコールが多く生じました。これはエステルの部分が水によって分かれる加水分解と整合する結果です。加熱による香りの変化には、空気へ逃げることだけでなく、分子が別の形に変わることも関わると考えられます。
ただし、研究は揮発成分に焦点を当てており、揮発しない生成物は調べていません。試料を濃縮する際に、非常に揮発しやすい成分が失われた可能性もあります。牛乳や糖を含む実際の飲料では、さらに多くの反応が関わると著者らは述べています。
まとめ
加糖・加乳のコーヒー飲料を123℃で20分加熱すると、コーヒー様の硫黄成分やスカトールなど、5つの微量成分の香りへの寄与を示す指標が下がりました。単独水溶液のモデルでは、特に3つの硫黄成分が大きく減り、酸化や分解、加水分解に関係する生成物が見つかりました。
コーヒーの香りの変化は、多い成分だけを追っても見逃すことがあります。動物様、ポテト様といった意外な香調も含め、微量で感じ取れる成分の組み合わせが、焙煎したコーヒーらしさを考える上で重要だと示した研究です。
研究当時、著者4人は小川香料に所属していました。独立した研究資金・利益相反の声明は本文に見当たりません。
参考文献
熊沢賢二、増田秀樹、西村修、平石真也.コーヒー飲料の加熱処理による香気変化.日本食品科学工学会誌.1998;45(2):108–113.doi:10.3136/nskkk.45.108(原著全文)


