映像に合わせて、香りを先回りして出せる?

映像に合わせて、香りを先回りして出せる? 香りの科学

画面の中の花に近づいたのに、香りは少し遅れて届く。映像と嗅覚を組み合わせる技術では、この時間のずれが課題になります。発香器の動作が速くても、放出した分子が鼻まで移動する時間は残るからです。

Yiming Liuらが2024年に発表した研究は、小型の発香器と、人の動きや香りの広がりを予測する仕組みを組み合わせました。目指したのは、仮想空間での行動に合う香りの提示と、多種類の香りを使った訓練です。

香料を加熱し、出口を素早く開閉する

開発した発香器は、香料を含ませる綿、薄いヒーター、温度センサー、電磁石で動く小さなふたなどを重ねた構造です。温度を調整して香料を揮発させ、出口の穴を開け閉めすることで、放出を制御します。

温度を変えるだけでは、目標温度になるまで数秒かかります。そこで、温度調整に加えて機械的な開閉を使い、放出の切り替えを速めました。複数の発香器を個別に動かせるため、香りの種類や出し方も選べます。

原著が示す約70ミリ秒という応答は、エタノールを用いた測定で、出口を閉じてから、出口付近の濃度が下がり始めるまでの時間です。電源を入れてから人が香りを感じるまでが70ミリ秒、という結果ではありません。すでに空間へ出た香りを、その時間で全部消せるという意味でもありません。

人が来る場所へ、香りを先に送る

複合現実、MRの実演では、現実の物体に発香器と位置を測る装置を組み込み、その位置を仮想空間の物体に対応させました。装置からは、お茶、クチナシ、キンモクセイ、パイナップルに対応する香りを出しています。

システムは、体験者の位置、向き、移動速度と、発香器の位置、周囲の風や温度などを使います。人がこのまま進んだら、どこで香りの広がる領域に入るかを予測し、分子がそこへ届く時間を見込んで、あらかじめ発香を始める仕組みです。

発香器を常に動かすのではなく、人が近づくと予測されたときに動かす点も重要です。著者らは、映像とのずれを減らしながら、不要な香料の放出や電力消費を抑える設計として提案しています。実演では、一人の男性が四つの香りの出る物体の周囲を移動しました。

ただし、香りの広がりの計算には、乱れた風を無視し、四つの香りで知覚の境目となる濃度を同じ値に置くなどの簡略化があります。人や香りによる感じやすさの違い、複雑な室内の気流をすべて再現したわけではありません。多くの人が、さまざまな場所で本当に遅れを感じないかを確定する段階にはありません。

また、この実演は物体側に発香器を置く方式です。皮膚に着ける方式については、位置を測る装置が大きく、同じ予測システムを組み込んで遅れをなくすところまでは実現していないと、原著自身が述べています。

前腕に着ける装置では、32種類を切り替える

研究者らは別に、前腕へ装着する柔らかい装置へ、32個の発香器を並べました。これは、多種類の香りを一つずつ提示し、名前を答える訓練に使っています。

二つの香りを同時に出して、新しい一つの香りとして感じられるかも試しました。10人に、9種類から作る36通りの組み合わせを提示したところ、新しい香りだと感じる割合は組み合わせによって異なりました。著者らは、混ぜれば安定して狙った新しい香りを作れる状態ではないと結論づけ、訓練では一度に一種類を出しています。

訓練の評価では、約1時間の事前練習をした11人と、しなかった14人を比較しました。香りの正答率は、練習した群のほうが高く、繰り返し試すにつれて、正答率の上昇や回答時間の短縮が見られました。これは、今回の香りを見分けて答える課題での変化です。弱い匂いを検出する感度まで、広く高まったと断定できる結果ではありません。

一人ひとりに、練習時間を割り振る

さらに研究者らは、成績を基に、各香りへ割り当てる訓練時間を調整するAIの仕組みを開発しました。嗅覚障害のない別の10人が7日間使うと、正答率や回答時間に改善が見られました。著者らは、同じ時間をすべての香りに使うよりも、個人の状態に応じて時間を配分する方法に可能性を見いだしています。

新型コロナ感染後に嗅覚を失った患者一人での試行も報告されています。ただし、一例の経過から、自然な回復や繰り返しの学習と、装置の効果を分けることはできません。臨床での治療効果を確かめるには、適切な比較群を置いた検証が必要です。

練習した11人では気分に関する質問票も使いましたが、すべての指標が同じ方向に変わったわけではありません。人数も少なく、嗅覚訓練が不安や抑うつを改善する治療になると、この研究から結論づけることはできません。

まとめ

この研究の工夫は、小型で切り替えの速い発香器と、提示のタイミングや訓練内容を選ぶ計算を組み合わせたことです。MRでは、人の移動と香りの移動を両方予測することで、体験する場所へ先回りして香りを届けようとしました。前腕の装置では、多種類を切り替え、個人に合わせて訓練時間を配分する使い方を示しています。

著者らが描くのは、娯楽や教育から嗅覚の回復支援まで、香りを情報として扱う技術です。実用化には、装置の反応だけでなく、周囲の気流、香りの種類、人ごとの知覚差を扱うことが欠かせません。訓練への応用も、課題への習熟と、日常生活に役立つ嗅覚の変化を分けて確かめる段階にあります。

参考文献

Liu, Y., Jia, S., Yiu, C. K., Park, W., ほか(2024). Intelligent wearable olfactory interface for latency-free mixed reality and fast olfactory enhancement. Nature Communications, 15, 4474. DOI: 10.1038/s41467-024-48884-z/原著全文。

研究は香港のResearch Grants Council、香港城市大学、中国国家自然科学基金、日本学術振興会などの支援を受けています。著者らは利益相反なしと申告しています。原著:© 2024 The Author(s)、CC BY 4.0。