同じ魚のにおいでも、顔をしかめる人がいれば、さほど気にならない人もいます。その違いは、食べ慣れているかどうかだけで説明できるのでしょうか。においを「魚」と呼ぶ前に、鼻で受け取っている情報そのものが違う可能性もあります。
2020年、Rosa S. Gisladottirらは、アイスランドの11,326人が実際ににおいを嗅いだ回答と遺伝情報を調べました。魚臭の感じ方に関連するTAAR5という受容体の変異に加え、甘草やシナモンの感じ方に結びつく領域も見つかりました。研究の焦点は、強いか弱いかにとどまりません。快・不快や、においにどんな名前を付けるかまで、受容体の違いと結びつくのかを探っています。
六つのにおいを嗅ぎ、名前・強さ・快不快を答える
使われたのは、魚、甘草、シナモン、レモン、ペパーミント、バナナのにおいを放つペン型器具です。実験者がキャップを外し、鼻から約2cmの位置に3秒間提示しました。参加者は、できれば一語でにおいの名前を答え、その後、強さと快・不快をそれぞれ7段階で評価しました。選択肢から答えを選ぶのではなく、自分で名前を思い出す課題です。
まず9,122人のデータで、遺伝的な違いと嗅覚評価の関連を探索し、別の2,204人で主要な結果を検証しました。合計11,326人の年齢は18~96歳です。年齢や性別などを考慮し、点数を高く付けがちな人と低く付けがちな人の違いも調整して解析しています。
「甘草」の刺激は主にtrans-アネトール、「シナモン」はtrans-シンナムアルデヒドでした。一方、「魚」は魚そのものではなく、魚らしいにおいをもつトリメチルアミン、略してTMAを主成分とし、少量の硫黄化合物を含む混合刺激です。この区別は、実験の結果を魚料理全般へ広げすぎないために大切です。
TAAR5の変異は、魚臭を弱く感じることと関連した
魚臭について見つかったのは、TAAR5という受容体のp.Ser95Proと呼ばれる変異でした。この型をもつ人は、実験の魚臭を弱く評価する傾向がありました。この関連は、最初の集団だけでなく、後から調べた別の集団でも確認されています。
二つの集団を合わせた解析では、この型は、魚臭を何のにおいか言い当てにくいことや、不快さがやや小さいこととも関連しました。「何もにおわない」と答える人も相対的に多くいました。ただし、変異をもつ全員が魚臭を感じないわけではなく、強さに関する関連と、快・不快に関する関連では統計的な確かさも異なります。
この変異の頻度として論文に出てくる2.2%は、アイスランドで調べた遺伝子の型の頻度です。「魚臭を感じない人が2.2%いる」という人数の割合ではありません。また、変異の有無から、誰が魚料理を好きか嫌いかを決めた研究でもありません。
「魚」と呼ばない回答も、感じ方の違いを映す
自由回答を詳しく見ると、変異をもつ人は、発酵した魚を思わせる言葉を使うことが少なく、魚介とは関係のない、中立的または好ましいものの名前を使う傾向がありました。著者らは、快・不快の点数だけでなく、選ぶ言葉にも魚臭への嫌悪の違いが表れると考えています。
ここで重要なのは、違う名前を答えたことを、単に言葉を知らなかったためと扱わない点です。刺激の受け取り方が違えば、思い浮かぶものも変わりえます。ただし、魚臭が弱く感じられるから不快でなくなるのか、受容体の違いが嫌悪そのものに関わるのかは、この結果だけでは区別できません。
TAAR5がTMAに応答することは以前の研究で知られており、今回の変異の位置も受容体の働きを変えうる場所にありました。著者らはこの変異を有力な原因候補と考えていますが、変異によって受容体の形や細胞表面への配置がどう変わるかは、今後の機能実験に残された課題です。
甘草とシナモンでは、強く感じて名前を答えやすい方向も見つかった
甘草では、OR6C70という受容体遺伝子の変異を含む領域が、においを強く感じ、名前を答えやすいことに関連しました。シナモンでも、別の嗅覚受容体遺伝子群の近くにある変異が、名前を答えやすいことと関連しました。これらも別の2,204人で再現し、両集団を合わせると、シナモンをより強く感じる関連も見られました。
ただし、甘草の領域には一緒に受け継がれやすい変異が多数あり、OR6C70だけが原因だとは絞り込めません。シナモンでも、特定の受容体の働きまで確定していません。著者らが挙げた受容体の候補と、今回の研究で確かめた遺伝的な関連は、分けて読む必要があります。
さらに、この二つの領域の変異は、レモンを弱く感じることとも関連しました。甘草やシナモンでは強く、レモンでは弱いという組み合わせは、人の嗅覚を一つの「鼻の良さ」で表す難しさを示します。著者らは、一つの受容体が複数の分子に応答し、一つのにおいも複数の受容体の組み合わせで受け取られる仕組みと整合的だと考えています。
においに名前を付ける力にも、受容体が関わる
においは、よく知っているはずなのに名前が出てこないことがあります。この難しさは、記憶や言語、生活のなかで接する機会などと関係します。今回の研究は、そうした要因に加えて、嗅覚受容体の遺伝的な違いも命名課題に表れることを示しました。
特にシナモンでは、感じた強さより、名前を答えられるかどうかの方が、遺伝的な違いと明瞭に関連しました。著者らは、自由に名前を答える課題が、受容体の違いを捉える有用な指標になりうると考えています。
その経路はまだ分かっていません。香りを強く、あるいは弱く感じることが命名のしやすさを変えた可能性もあれば、受容体の違いが神経のつながり方に関わる可能性も、著者らは残しています。「語彙を決める遺伝子」を発見したという意味ではありません。
嗅覚の変異を「衰え」だけでは説明できない
著者らが結論で重視したのは、遺伝的な変化が、嗅覚の働きを弱める方向ばかりではなかったことです。魚臭が弱くなる関連がある一方、甘草やシナモンでは強さや命名の成績が高くなる関連もありました。嗅覚受容体に多様な変異があることを、単純な機能低下の蓄積だけで説明する見方に、別の側面を加えています。
これらの型の頻度には地域差もあるため、著者らは、嗅覚に関わる多様性が自然選択によって形づくられている可能性を論じています。ただし、どの食文化にどう有利だったかを直接検証したわけではありません。地域ごとの遺伝子頻度から、人々の食の好みや嗅覚の優劣を一括して説明することはできません。
大人数でも、残る限界がある
参加者はアイスランドの研究集団で、募集には、まれな変異を父母双方から受け継いだ人を多く含める設計がありました。無作為に選んだ世界中の人の縮図ではありません。においの命名には、その地域で親しまれている食べ物や言葉も関わります。
また、最初に見つけて別集団で確かめた主要な関連と、その後に両集団を合わせて調べた快・不快や別のにおいとの関連は、同じ検証段階ではありません。大人数で見つかった関連だからといって、すべてが同じ強さの証拠になるわけではありません。
魚臭の不快さを弱く感じることは、食べ物が安全かどうかを示しません。この実験は食品の鮮度や健康影響を評価しておらず、TMAを含む混合刺激への回答を測ったものです。食べ慣れや文化によって食への好みが変わることと、刺激そのものをどう感じるかも、分けて確かめる必要があります。
まとめ
11,326人の研究は、魚臭の強さや嫌悪、そしてにおいを呼ぶ言葉の違いに、TAAR5の遺伝的な違いが関わることを示しました。甘草とシナモンの結果も合わせると、受容体の個人差は「強く感じるか」だけでなく、何のにおいとして捉えるかにも表れます。においと言語の関係を、鼻での情報の受け取り方から調べる手掛かりになりました。
著者らの重要な結論は、嗅覚受容体の多様性が、感度の低下だけでなく、特定のにおいの強さや命名の向上とも結びつくことです。ただし、遺伝的な関連から受容体の機能、嫌悪や命名へ至る仕組みには、まだ確かめるべき段階が残ります。同じにおいへの反応の違いを、慣れや好みだけでも、遺伝子だけでも説明しきれないことが、この大規模な研究から見えてきます。
参考文献
Gisladottir RS, Ivarsdottir EV, Helgason A, et al. (2020). Sequence Variants in TAAR5 and Other Loci Affect Human Odor Perception and Naming. Current Biology, 30(23), 4643–4653.e3. 原著論文を読む
権利表記:原著はCreative Commons Attribution-NonCommercial-NoDerivatives 4.0 International(CC BY-NC-ND 4.0)で公開されています。


