電子の鼻は、反応の波形から何を読める?

電子の鼻は、反応の波形から何を読める? 香りの科学

ガスに触れたセンサーの反応が、同じくらい大きくても、その変わり方まで同じとは限りません。急に立ち上がるのか、ゆっくり変わるのか、空気に戻すとどう回復するのか。こうした「波形」に、ガスを見分ける情報は残っているのでしょうか。

2024年、Seung-Hyun Sungらは、反応の大きさだけでなく、時間とともに変わる曲線を重視した人工嗅覚システムを報告しました。目的は、AIの解析だけを工夫するのではなく、再現性のある信号を出すセンサーづくりから、データの読み取り方までを一緒に設計することです。

反応が大きいことと、見分けられること

この研究で使うセンサーは、ガスが表面で反応すると、電気抵抗が変わるタイプです。ガスへの反応が大きければ、小さな変化を検出しやすくなります。ただし、二種類のガスが似た大きさの反応を起こすなら、その数字だけでは区別しにくくなります。

混合ガスでは、複数の成分がセンサーの表面で影響し合うため、単独のガスの反応を足せば分かるとは限りません。著者らは、最大値などの少数の数字にまとめる途中で、曲線が持つ情報を捨てている可能性に注目しました。

九つの違う反応を、一つのチップに

研究者らは、酸化スズの細い棒状の構造を基本に、表面へ加える金属などの組み合わせを変えた、九つの測定部分をつくりました。ガスに触れる材料の種類や表面の形を変えると、抵抗の変化の大きさだけでなく、波形も変わります。

表面へ加える層の厚さも比較しています。厚すぎると抵抗が高くなり、信号が不安定になる場合があり、薄すぎると反応の違いが十分に出ませんでした。この研究では、それぞれの金属層を1ナノメートルにする条件を選びました。

さらに、同じ製造工程で複数のチップをつくれる方法を採用し、測定装置側でも温度や湿度などの条件をそろえました。AIに渡す前の信号が毎回大きく違ってしまえば、曲線の特徴を学ぶことも難しくなるからです。

大きさでは重なった三つのガス

まず、アセトン、トルエン、キシレン、エタノール、アンモニア、硫化水素の六種類を調べました。九つの測定部分の反応の大きさをまとめると、エタノール、アンモニア、硫化水素は比較的分かれましたが、アセトン、トルエン、キシレンは重なっていました。

そこで、この区別しにくい三種類と、それらを割合を変えて混ぜたガスを使い、波形を解析しました。濃度も変えて測り、材料とガスの組み合わせに応じた曲線の特徴が、繰り返し現れるかを調べています。

著者らは、こうした反応の特徴を持つ曲線を「eigengraph」と呼びました。ここでは、ある測定材料とあるガスの組み合わせから生まれる、特徴的な反応曲線と考えると分かりやすいでしょう。ガスだけに備わる万能の印ではなく、センサー材料や測定条件との関係で生じる信号です。

音声解析の方法で、電気信号を整理する

曲線をそのまま大量の数字として扱う代わりに、研究者らは音声処理で使われるMFCCという方法を応用しました。MFCCは、時間的な信号の特徴を、比較的少数の数値にまとめる手法です。

最初に、曲線の変化を、異なる速さで変動する成分の組み合わせとして表します。そのうえで特徴を圧縮し、AIに入力します。同じ高さまで達する曲線でも、立ち上がり方などが違えば、その違いを利用できるという考え方です。

音声の解析に由来する方法ですが、センサーが音を聞いたわけではありません。入力はガスに触れたときの電気抵抗の時間変化で、人の聴覚や嗅覚そのものを再現したという実験でもありません。

117分類は、117種類のにおいではない

この段階の解析では、単独ガスと混合比を含む13の気体条件に、九つの測定部分を掛け合わせた117のラベルを使いました。つまり、117種類のにおいを用意したのではなく、「どの気体条件を、どの測定部分で測ったか」という組み合わせを分類しています。

曲線全体の342点を使う場合に加え、前半171点、さらにガスとの反応が進む最初の50点だけを使う場合も比較しました。短い区間でも、今回のデータでは分類に役立つ特徴が残っていました。

学習に使ったデータでの正確さは、設定した99.5%または99.9%に達し、50点に絞ると学習時間も短くなりました。ただし、これは学習中の成績です。この数字だけで、初めて測るガスや未知の混合物を同じ精度で見分けられるとは言えません。

排気を模した標準ガスでは、別の検証を行った

研究者らは、より複雑な組み合わせへの応用として、ガソリン車とディーゼル車の排気を模した二種類の標準混合ガスも調べました。実際の車から排気を採取したのではなく、組成が定められた認証標準ガスを使っています。

それらに一酸化炭素、二酸化炭素、一酸化窒素、二酸化窒素の単独ガスを加えた、計六分類の実験です。ガスを乾燥空気で希釈し、センサーを300℃で動かす管理された条件で測定しました。

この実験では、同じ工程でつくった四つのチップを使い、それぞれ四回の反応を記録しました。最初の117ラベルの解析と違い、九つの測定部分のデータを気体条件ごとにまとめ、六つの分類先を設けています。

また、データを四つの組に分け、学習に使う組と、成績を調べる組を入れ替える四分割の交差検証を行いました。三種類のAIモデルで、分類の正確さは96.1%、99.8%、100%でした。別に、四種類の混合ガスを比べた検証でも、高い分類成績を報告しています。

この結果は、選んだ標準ガスの違いが、波形と解析方法によって識別できたことを示します。一方、道路上で湿度や温度、組成が変わる排気を同じように分類できることや、未知の混合物に含まれるすべての成分量を測れることまでは示していません。

必要なのは、良いAIだけではない

著者らが大きな帰結として挙げるのは、データを生み出す装置と、データを読む方法を切り離さないことです。同じ材料とガスの組み合わせから、安定して似た波形が得られるようにして初めて、その特徴を積み重ねられます。

論文は、材料とガスの相互作用に特徴的な波形が存在するという考えを広く提案しています。ただし、今回試した材料やガスの結果だけで、あらゆる化学反応や未知のにおいを説明する普遍的な法則が確立したわけではありません。

そのため著者らは、センサーや測定条件の標準化と、さまざまなガス・環境で得た波形を蓄えるデータセンターの整備を、次の課題に挙げています。対応する材料や条件を増やし、既知の反応を参照できるようにすることが、未知の信号を扱う将来の基盤になるという構想です。

香水のような複雑な混合物への関心にもつながる研究ですが、今回、人が感じる香りの印象、快さ、強さは測っていません。「電子の鼻」が区別する化学的な応答と、人がどう感じるかの対応は、別に調べる必要があります。

研究は韓国の国立研究財団、産業・環境分野の公的研究費などの支援を受けました。著者らは利益相反はないと申告しています。

まとめ

九つの反応の異なるセンサーと、音声処理に由来する波形解析を組み合わせることで、反応の大きさだけでは区別しにくいガスの特徴を取り出せました。標準混合ガスを使った別の交差検証でも、選んだ条件の間では高い分類成績が得られています。

研究が示した方向は、より敏感なセンサーや、より複雑なAIを個別に追い求めるだけでは足りないということです。材料とガスの相互作用を、安定した波形として記録し、比較できるデータへ育てる。そのために製造、測定、解析、データの共有を一緒に設計することが、人工嗅覚の発展につながると著者らは提案しています。

参考文献

Sung, S.-H., Suh, J. M., Hwang, Y. J., Jang, H. W., Park, J. G., & Jun, S. C.(2024). Data-centric artificial olfactory system based on the eigengraph. Nature Communications, 15, 1211. DOI: 10.1038/s41467-024-45430-9. 原著全文。© The Author(s) 2024. 原著はCC BY 4.0で公開されています。